69 ノーラ神官
『扉から扉へ』越しでの、ノーラ神官の話は、もう一つの相談へと続いた。
ノーラ神官は、また、思案深げに悩むような、深刻な顔をしていた。
「もう一つの相談とは、なんですか?それも、子猫ちゃんたちのことですか?」
アーシアは促すためにも、聞いた。
「いいえ、まあ、関係すると言えばするんですが…」
ノーラ神官が話すには、ここの共同部屋は、偶然にも神聖国の病院の乳児院の一部だそうで、ノーラ神官たちはそこを任されている看護シスターなのだそうだ。
乳児院とは、産科と併設する施設で、産まれたばかりの赤ちゃんの面倒を見る場所で、このノーラ神官たちがいる乳児院はヴァスキス神聖国でも比較的大きな施設で、利用する人も多いという。
アーシアの作った、保育器を使ってみて、乳児院でも使えないかと、シスター皆で考えていたそうなのだ。
「温度を暖かく保つことができるんですよね?うちには、低体温の赤ちゃんが多くいるんです。その子たちは回復魔法をかけても仕方がなくて…乳児院では、一部屋を暖めようとなると費用が維持できません。
この容器なら、きっと赤ちゃんたちは救われると思うんです」
ノーラ神官は、静かに感情を抑えるように話していたが、最後には涙を流しながら言った。
低体温の赤ちゃんの場合、生きる力そのものが弱い状態になってしまい、回復魔法や薬も効きにくく、酷いと逆に害になってしまうそうなのだ。
アーシアは項垂れ、自分こそがもっと早く気が付くべきだったと後悔した。
もともとのヒントは、そのまま保育器だ。アーシアの胸はきゅうっと掴まれるように痛んだ。
子猫の面倒を見てくださっているのは、乳児院の看護シスターさんたちだったと、今日初めて知ったにせよ、だ。
「わたくしどもは…お支払いできる予算はそんなにありませんけれども、どうにか融通しますので、幾らか作っていただけませんでしょうか?」
この部屋を利用するシスターたちは、いつも簡素な清潔な服を着ていた。グレーのストンとした揃いのワンピースに白いエプロンは常に真っ白だった。ノーラ神官は普通のウィンプルを被っているが、他のシスターはもっと簡易で服と同じくブルーがかった明るいグレーの色だ。色合いが優しいのは赤ちゃんに携わるせいか。皆忙しそうだが、穏やかで柔らかい雰囲気の人が多い。部屋を出る際は、自身の身だしなみを念入りに整えていくのが、不思議だったが、なるほど看護シスターだったのかとアーシアは合点がいった。
アーシアは、もちろんと答え、この保育器の作り自体はシンプルなので、ほかの錬金術師でもレシピを見ればできること、その結果、数も将来的に多く用意できるようになるだろうこと、そして、神聖力の宝玉の代わりに回復魔法なども付与できることも話した。
そのかわり、発明品は必ず届け出が必要になるので、待っていてほしいとノーラ神官に伝えたのだった。
怖かった空間扉に触ってまでアーシアを呼び止めたノーラ神官は、普段の穏やかな姿からは想像できないほど、抑えて来た強い不安と緊張に解放されたかのように、震えながら喜びに噎び泣いていた。
なるべく早く街の商業ギルドに行かなくてはならない。特に保育器のことは、ペプロー氏にしっかり相談しなくてはいけなかった。染毛剤の試作もできた。これも、ニーちゃんたち美容師さんに試してもらわないといけない。
早速、保育器を一つ見本に作って、翌日、学校を終えるとその足で、街行の馬車に乗り込んだ。マドカは可哀そうに留守番だ。ニャンずのところにでも行っていたらいいが。
街中は相変わらずの賑わいであったが、ギルド周辺は何やらいつもより馬車が多い様子だった。
横目で気にしながら、ギルドの案内へと向かうと、すぐにペプロー氏が飛んできた。こんなにほかの窓口が混んでいるのにいいのだろうか、と思いつつも、おとなしく案内されるまま個室に連れて行かれた。
今日は、応接室ではなく狭めの会議室か何かのようだった。
「それで、今日のご用件は?」
「ええと、発明品についてなんですが…」
「なにかまた、発明なさったんですか?!」
かなり食い気味にペプロー氏が言った。
「え、ええ…一つはこれからテストしてもらう試作品なんですが、髪を染める染料、染毛剤なんです。
まだ、いろいろ種類はないと伺ったので…ええと、友人に美容師さんがいまして、その方の依頼なんです。(ニーちゃんのお願いだけど)
セット剤に近い形状で、洗えば元に戻るんです。本当におしゃれ用で。
髪をコーティングするので、どんな髪色の方にもおそらく見たままの色ができます」
「エクセレント!素晴らしいですね!」
「もう一つは…」
「なんと?!まだあるのですか?」
「は、はあ。これは…損得は考えずにお願いしたいんですが…
こちらです」
「これは?箱ですか?」
「これは保育器といいまして、産まれたばかりの赤ちゃんが低体温などで弱ってしまうのを防ぐものなんです」
「医療機器ということですか……」
「はい、丁度ヴァ…っ……乳児院で働いている方から頼まれまして…開発はできているんですが、おそらく同じようなものはないかと思って、届けを出しに来ました。
こちらはレシピを公開して、多くの赤ちゃんをこの機器で救えることができたらと思いまして…」
「あなたは……本当に、なんて言ったらよいものか…
素晴らしい心構えでらっしゃいますね。お若いのに、ご立派です。
もちろん、ご協力いたしましょう。本当に素晴らしい発明を、ありがとうございます!」
感極まったように、ペプロー氏がいつもはきはきと話す声を、珍しく小さく震わせていた。
このベルナルド・ペプロー氏は、実は学園の錬金学部の先輩にあたり、卒業後、商業ギルドへ入社したのだ。代々鑑定の家に生まれながら、発明品オタクで錬金科へ進学し、発明品に携わりたいがために、このギルドに入ったそうだ。
確かに凄い情熱だ。常々アーシアもその熱意に圧倒される。染毛剤についても、丁度、就業時間が終わるころなのでこれから美髪店に行くと言ったら、ついて行くと言われ一緒に行くと強く言われた。
ソレッレ≪姉妹の≫美髪店は、ペプロー氏も知っていた美容院だった。取引がある店だと言っていた。
2度目の来店のソレッレ≪姉妹の≫美髪店は、相変わらずの上品さで、最後のお客さんのお見送りをしている所だった。見送り終わったニーちゃんが、すぐさま気が付いて駆け寄って来てくれた。ニーちゃんの満点の笑顔を見た瞬間、アーシアの心は急激にホッとして、暖かくなっていった。
「あら、アーシアお姉ちゃん!いらっしゃい。そちらは…」
「ああ、ギルド職員のベルナルド・ペプローと申します。今日はデイスさまの付き添いで参りました」
「まあ、ギルド員…って、もしかして?!アレができたの?!」
大きな花柄の華やかなスカートに合わせ、小花柄のブラウスにエプロン姿で出迎えに来たニーちゃんは、ピンときたみたいで、どうぞと中に案内してくれた。
中は店長さんともう一人店長さんに似た女性と、ほかに若そうな2人の従業員が片付けをしようとしていた。この似た女性は前回言っていた、店長さんの、ソレッレ《姉妹》だろう。
店長さんも気が付いて、にこやかに近付いて来た。今日もあの黒にカラフルな小花のパイピングがしてあるベストで、そのベストが制服なのかそれに合わせて黒を基調にしたシックな姿だった。ニーちゃんの柄と柄を合わせて着るスタイルとは別方向のお洒落上級者と言えよう。いつも、お洒落で格好いい装いだ。
「まあ、アーシアさん、いらっしゃい」
「すみません、お邪魔じゃなかったですか?」
「もちろん、アーシアさんならいつでも歓迎しますよ。
ニーが対応しますしね。
今日は…あらまあ、商業ギルドのエリアマネージャーさんじゃないですか?!
こんなに偉い方がみえるなんて」
「いや、気にしないでください。今日は付き添いで参りましたので」
スマートにそつなく挨拶を交わすペプロー氏は、如何にも“できる男”という雰囲気で、声の張りまで自信に満ちていた。
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