66 他学部ツアー②
「やあ、あなたか」
穏やかそうに笑う男性は、庭師のような野良着でないと、人が違うかのように見えた。
しかし、顔も声も全く同じだ。
「あ、あの、アーシア・デイス、れ、錬金科4年です。
ナオミ先生の紹介で、伺いました。今日は、染料にする原料のアドバイスを受けに伺いました」
「ああ、そんなに畏まらなくていいよ。あなたは知らなかったんだしね。
私の名前は、セドリック・グリーン、セドリック叔父さんで結構だよ」
「いえいえいえ!セドリック先生、よろしくお願いします!」
ドア口でガラにもない、大きな声が出てしまったアーシアは、顔が真っ赤だ。
セドリックは、アーシアを落ち着かせるように、気遣って中に案内した。
中は、観葉植物の入った洒落た大鉢やハンギングバスケットがあり、グリーンがセンス良く配置してある。
もちろん、壁には本棚があり、本がきちんと入っていて、壁の飾り棚にはティーセットが一対づつ並び、サイドテーブルには大きなテーポットやアフタヌーンティーができそうなセットが揃っていた。
反対のサイドテーブルがあるほうの壁の棚には、大きなガラス瓶が並び、中にドライフラワーの花びらなどが入っている。
そして、応接セットは備え付けなのか同じものだったが、横には珍しいグリーンの大理石柄に金にパイピングされたワゴンがあった。
大きなデスクのある後ろの窓枠には、土の入った何かの小鉢が並んでいた。
全体的に落ち着いた上品さで、ナオミ先生と同じサイズの部屋なのに、広々して見えた。
「さて、染料の原料にする植物についてだっけ?」
「はい、染毛に使おうかと考えていまして、一つに、人の皮膚に対して緩和そうなものと、もう一つは、条件なしで発色に優れているものを教えてほしいんです」
「なるほどね。昔から髪を染めようとは、みんなしていたんでね、そのような花はあるよ。いつの時代もオシャレに敏感な人はいるものさ。
肌に緩和なものもね。
染料の多くは、みんな同じ原料であることが多い。
難しいのは定着させられるかだね。
あと、ここの人たちの髪色は千差万別でしょう、合わすと変な色に変色してしまったりしてねなかなかうまくいかなかったみたいだよ。
だから、安全性とどんなものを添付させて定着しやすくするかが課題じゃないかな?」
セドリックのアドバイスは的確で、非常に的確で有意義だった。
アーシアは具体的な植物の名前などをピックアップしてもらったりした。
懸命にメモを取っていると、セドリックが急に思い出したように言った。
「そういえば、さっきは大変そうだったねえ」
「何のことですか?」
「はは、スパイごっこでもしてたみたいだったよ」
「あ!ああ……なんというか…
見知らぬ女性の、浮気調査に付き合わされてしまったみたいな形になってしまって…
終いには、ラブラブで二人で腕を組んで行ってしまったんですよ…」
「はははは、きみは見ていて飽きないねえ。
裏庭で足を震わせながら引きずって歩いていたり、浮気調査か!面白いな」
そんな風に見えていたのかと、少し遠い目をしたアーシアは、
「でも……婚約者さんと秘書さん、同じ匂いがしたんです。秘書さんは、ちょっと煙草っぽい匂いも混ざってましたが。
そんな偶然ありますかね…」
アーシアは、小声でぼそりと呟いた。
「ああ、もしかして、イアヴェドウズくんの秘書の女性のことかね?
彼女、地味にしてるのに、香水の付け方は好戦的だよね」
「大分違った印象になるんですね」
なるほど、勉強になるなとアーシアは思った。
「うん、そうだね。
あれは…沈香…ウッド系なんだよね。だから、最後の香りはワイルドなはずなんだ。花の香りが強いけど。
スパイシーなベリーのノート、ローズの力強いミドルノート、チュベロースも混ざっているかな…
非常にシャープで緊迫した雰囲気ながら、うまく調和させた、ミステリアスな調香だよね。
秘書さんには似合うけど、イアヴェドウズくんの婚約者のは、もっとソフトな香りが似合うんじゃないかな?
もしかしたら、彼が調香したオリジナルかもしれないけどね。彼、ああいうの得意だから。
ごめん、ちょと話に熱が入ってしまったかな。
……それにしても、同じ香りっていうのは、いただけないね」
腕組して顎を触りながら、首を傾げるセドリックを見て、
「先生、凄い!ですね。お詳しい。助かります。やっぱり、そうですよね……」
とアーシアも、苦い気持ちになった。
「そうだ、カルラくんに、武術を習っているんだろう?どう?
カルラくんが教える気になるなんて、なかなか大したものだよ」
「いや…わたしなんて、まだ全然で、素振りしかさせてもらってませんよ…」
しょんぼりするアーシアに、
「頑張りたまえよ」
と笑いながらセドリックは励ましてくれた。
また、セドリックが美味しい特別なお茶を振舞ってくれたので、素敵な落ち着いた空間の中、アーシアの心はなんとか落ち着いた。
亜空間もセドリックの部屋のような、お洒落な雰囲気にしたいものだ。
セドリックの部屋を見ていると、自分の亜空間もこんなふうに整えたいと強く思った。
だが、庭のスペースに一度畑を作りたくて、土と種をまいたが全く反応がなく、畑にする計画は頓挫中である。
帰る前に、セドリックにあの砂色の髪の謎の少年について、なにか知っていないかと尋ねたが、
「彼は、時々見かけるね。あと、以前白衣を着ていたことがあったから…すぐに脱いだけどね。
だとすると、錬金学部の学生じゃないかな?薬学部は、大体よく顔を合わせるから知っているんだ。
クラスメートに聞いてごらんよ。先輩メンター制度があるから、誰か知っているよ」
と言っていた。錬金科の4年にはいないからと思っていたが、そうか、エミリーたちに聞いてみよう。
そんな風に思っていると、思いがけず、あっさり相手の名前が分かることとなったのだった。
「ああ、それなら、僕がメンターしているやつだよ」
講義の教科書を仕舞いながら、エリアスがいった。ほかのみんなは、分からなそうに顔を見合わせた。
「砂色の髪でちょっと地味っぽいやつだろ。あいつ、おとなしそうなのに言うこと聞かないときあるんだよね。
頑固っていうの?周りともちょっと、距離を置かれてるかな…
トム・ロック、錬金科3年だ。
なに?あいつ何かしたか?」
エリアスが、少し怖い顔をして、言ったので、
「ああ、何度かぶつかったことがあって…一般科の渡り廊下だったから…ちょっと、気になっただけ」
「ああ、なんだそうなんだ。それにしても、ぶつかっておいてそのまま謝らないなんて、
今度注意しないと駄目だな!」
案外生真面目なところがあるのだな、とエリアスを見ていたアーシアは、
「もう一つ、その子…トムって子、薬学科に知り合いか友達でもいるのかな?」
「いや、いないよ。この学園は長いはずなのに、友達もいなくてさ。
周りが、声かけるんだけど、避けるらしいんだ。
やっぱり、アーテーに近い地方出身だから、馴染めないのかな…」
「アーテーって、アーテー帝国?」
「ああ、でも、あいつは、アーテーに近いホノリア国だったかな?
アーテーのほうが近いくらいの田舎で、あの辺りはホノリアらしくなくて、閉鎖的なんだ。
だから、教育もアーテー帝国か自分の地域の学校に進学するやつが多いんだけど、あいつは珍しくこの学園に来たんだ」
「もしかして、ゲアラド岩塩坑に近いあたり?」
「近いかは分からないけど、方向的にはそうかな?
多分もっと東の方だと思うよ。国境の」
アーテー帝国、アディア大陸の北東に位置する、帝国というだけあって大きな国だ。
内にいくつかの自治国を有していて、あまり諸外国との付き合いがない国らしい。
というのも、昔、大陸中央の死の原(戦場跡も含む)という地域の拡大で、他国と分断されてしまったような形になってしまい、以降、ホノリアの一部地域から出国できるのみとなった。
金属等の産出が多く、魔石も多いので、交流がさほどなくてもやっていけるようだ。
そうではあるが、アーテー帝国の商人たちは、ホノリア経由で全国を回っている。ただ、こちらからアーテーに入国するのは、かなり厳しいそうだ。
「あっちは、金属系の錬金術が進んでいるらしいぞ。あいつ、錬金術の扱い自体は悪くないんだ。
アレッサンドロ先生の講義にも興味あるみたいなんだ。珍しいだろ。まあ、4年の授業だからさ、まだだけど。
でもさ、こちらの気風に合わないなら、向こうの方がよかったかもなぁ」
エリアスが、ため息をつき、思案気な顔で言っていた。
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