65 他学部ツアー①
ナオミ・グレーヌ先生の研究室は、本が山のように積まれ、作業しているナオミが見えないくらいだった。
ナオミは、忙しいのに態々アーシアに香りのよいお茶をたててくれた。
「ああ、ローズティーですか?美味しい…香りも色もきれいですね」
アーシアは、やはり、ここへ来てよかったと、しみじみ思っていた。
「ええ、学園の知人の草魔法の方が、作るとお裾分けしてくれるの。
疲れた時は、ホッとするでしょ?」
ナオミは、アーシアの白い顔を見て、何かあったの?と聞いて来た。
「……実は…ここに来る前に、一般学部の渡り廊下で、ばったり外部の女の人に会いまして…」
「あら、事務室に案内すればよかったのに。随分と大変だったみたいな顔をしているわ」
ナオミ先生は、静かで洞察力が鋭い。
「それが、薬剤科の先生の婚約者だそうで、浮気されたかと思ったらしく、少しの間ですが、尾行に付き合わされてしまって…
えらく、気が疲れてしまいました…」
「ええと、その女性の様子だと…イヴァン・イアヴェドウズの婚約者ね」
「分かるんですか?」
アーシアは、少し驚いた。そんなにあのクリュメという人は有名人なんだろうか。
「彼女ね、クリュメ・フリン、大きな商家の一人娘なんだけど、しばらく前までは学園の別の教師と長らく婚約していたの。
…そう、錬金科のアレッサンドロ先生ね。
アレッサンドロ先生は、研究にのめり込むタイプだけど、割と女性に誠実でね、彼女を大事にしていたのよ。
それに、彼女の家からの資金提供もされてたから、頑張っていてね、結局それが彼女を別の人に目を向けさせる原因になっちゃったんだけど…
別れたらすぐに、資金提供も、もちろん切られて、代わりに次の恋人になった彼、イヴァン・イアヴェドウズに、莫大な援助をしだしたの」
「ええ?アレッサンドロ先生と?!…た、確かに、二人はぱっと見似てますね」
「そう、かもね。イヴァン・イアヴェドウズは、この学園卒ではなくて、方々の学校を転々として来た人物でね、しばらく前にこの学園に受け入れられたの。
秀才タイプっていうのかしら。中身はアレッサンドロ先生とは、全然違うから。
初めは講師として働いていたんだけど、今はフリン家の援助で研究だけをしているの。
だから、研究棟の場所が違うでしょ。貸研究室って言うのかな、変に増築した建物で廊下はこちらからしかないんだけど、火魔法科の学舎にほとんどくっついているのよ。
あそこの場所を学園から借りて、自身の研究しているという立場なの。
……研究の発表や、それどころか、研究経過などの報告もなくね」
「あの、クリュメさんの家に健康食品の錠剤で貢献してるって、言ってましたよ、彼女さん」
「そうなのね…いったい何を作っているのやら…」
「あと、あの男性、錬金学部の棟で見たことがあるんですが…」
「そう?薬学部から遠いのに、珍しいわね。知り合いもいないと思うわよ。
薬学部と錬金学部が犬猿の仲なんて噂、そこまでじゃないけど、あっちの建物に行きたがらない人もいるにはいるし…
馬鹿みたいだけどね。気にしなくていいのよ。分野が似てて、アプローチ方法が違うんで、意見が合わない人もいるってだけ。
ああ、材料か何かを錬金術科の倉庫に取りに行ってたのかな?
なにか危険物の実験には別の場所に行く決まりがあるけど、あそこには絶対ダメだし…」
「どういうことですか?」
「この魔法学部の建物はコの字型が合わさったような形になっているのは分かっているわよね。
内側のコの右翼に火魔法科、と外側の建物がここ、薬学学部。その反対に位置するのが錬金学部の棟。
つまり、火気厳禁ってわけ、錬金術棟は。特にアレッサンドロ先生の研究室のある建物の近くはね。
ここの棟に来るの大変だったでしょ、遠くて……それにしても、面倒なものに巻き込まれたわね」
アーシアは、笑いながら、そうですね、と答えた。
「それで、浮気問題は解決したの?」
「ああ、ただの秘書さんだったそうで、紹介されてましたよ。
……あ……でも、あのダフネ?秘書さんて一体どんな人かわかりますか?」
ナオミは、軽く目を細め、うーんとうなった。
「そうなのね。その女性は、私設秘書だわ。凄いわね、どれだけ潤沢に資金があるのかしら。
どの教師もだいたい助手っていうのはいるのよ。自分が指導する。
でも、私設秘書なんて、あの男だけよ。
なんだか、地味な印象に残らない女性だけど…人のこと言えないけどね」
「いえ、ナオミ先生は、お綺麗です!過小評価です!」
ナオミは苦笑して、
「ふふ、ありがとう」と小さく笑った。
ナオミは、白衣に艶のある真っすぐな深緑の髪を後ろに垂らし、フェイスラインが全て出るヘアスタイルをしていた。
二人で、しばし、小さな応接セットのソファに向かい合って、ローズティーを楽しんでいた。
「先生、今日は例の染毛剤のことで、ご相談があって。
染毛剤の前に、以前わたしが購入した染料の原料が、花がメインの調剤カテゴリーだったので。
先生に伺おうかとおもったんです」
ナオミは、持っていた華やかな花のソーサーカップを、テーブルに置いて、両手を膝に揃えた。
「そうね、染料は調剤スキルで作られているのは多いわ。
錬金術でも、原料は同じでできるから、元にする材料は似たものでもいいでしょうね」
「そうなんですね」
「そう…花類。それなら、うってつけの人を紹介するわ。このローズティーも作ってくれた人よ。ハーブにも詳しいし。
草魔法科ならここからも近いから、一回外に出て渡り廊下で行って来たら?
名前はね…」
アーシアは、ナオミ先生のお陰で、かなり気疲れがとれたので、そのまま、紹介されたセドリック・グリーン博士の元へと向かった。
魔法学科がある建物には来たことがないので、物珍しく、あちこち見ながら向かう。コ型の建物の内側は一般科と違って草花は少なく、中央に広場があった。
建物自体は似ているが、学生たちの活気が違い、話し方や仕草が皆アグレッシブな様子に見えた。
この辺りは、火魔法科だろうか、心なしか赤っぽい髪の人が多い。
(やっぱり、魔法…とかで髪色が決まるのかなあ…)
アーシアが、思っていると、
「アーシア!」と元気な声が聞こえた。
「ウェス?!そうだ、ここ火魔法科だったね」
にっこり笑いながら、黒い短めのジャケットにひだスカートの栗色おさげ髪のウェスが立っていた。
これは制服だが、一般学科とは、色が違った。
「へへへ、珍しいね。どうしたの?」
「うん、こっちに来るのは初めてなんだ。草魔法の先生に用事があって」
「時間があるから、連れて行ってあげるよ」
そう言ってアーシアと肩を並べて、歩き出した。
「この一番端の場所は、火魔法、次が草魔法だよ。その向こうが雷。
広場を挟んで、反対の端が水魔法。火が何かあった時に、掛けつけられるようにね。ふふ。
水魔法の先の離れみたいなところで一般棟に近いほうが、鑑定科なんだよ」
と、いろいろ教えてくれる。(鑑定科か…あるのは知ってたけど、どこにあるか分からなかったからな…あ、でも、距離的には錬金の建物に近いんだ…)
「ほら、ここだよ。セドリック先生の部屋。
ねえ、アーシア、今度一緒に街に出かけない?うちのお店にも来てほしいな」
「あ、ウェスちゃんのお店、何度かもう食べに行ってるよ。
凄い人気のお店じゃない!それに、とっても、美味しかったよ!」
「へへへへ。よかった。うちは、ポルタベリッシモの郷土料理なのよ。
パスタとミートソースのパイや野菜のパイとか。あとは、甘いデザートもおすすめよ。
また、食べに来てね」
そうして、手を振りあって別れて行った。アーシアの顔は自然に綻んでいた。
トントン……「すみません、グリーン先生はいらっしゃいますか?」
ガタガタと部屋の奥で音が鳴ると、ドアが開けられた。
中からは白衣の少し若めのおじさんが出てきた。
「あっ?!」
「やあ、きみは…えっと、名前は知らなかったね」
中から出て来たには、よく一般学部の庭で会う庭師の叔父さんだった。
いつもは麦わら帽子を被っているので分からなかったが、濃いこげ茶色の癖のある髪をしていた。
薄い色の髪も混ざっているが、白髪ではなさそうだ。思った以上におじさん、とまではいかなかったのかもしれない。
それ以上に、庭師でなくて、草魔法の先生だった。しかも、教授だ。アーシアは、どっと冷や汗が出るのを感じた。
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