62 棒術のレッスン
「……なぜなら、偉大なロック教授の顕微鏡開発のお陰で、小さな生き物たちがこの変化、すなわち分解に影響するということが分かったのです。
また、腐敗と発酵はどちらも、同じそれらの小さきものによる分解反応であると導き出されました。
皆さんも、普段親しんでいる、パンや酒やチーズなどの乳製品、ジュェワ国の調味料のように食べていたりしますね。
結局のところ、ヒトにとって好ましい物が発酵、好ましくない物が腐敗として、個人の主観で発酵と腐敗は分けられているにすぎません。
4年次においては、このような実際的な理論についての理解を深めていくよう講義を進めていきます。
古代アルディアにおいて、先人たちは健康に生きる上で、老化とは何であろうか、問われてきました。
また、この錬金学の間でも、長らく老化は、身体が時間を掛けて徐々に錆びるか腐敗し、最後に死に至ると、思われていた時期もありました。
しかし、その思想は直ぐに覆され、広義の意味での腐敗ですらないことに気づきます。
現在なお、錬金術は夢のようなものと考え、過激な思想のものになるものが現れます。そして、乱暴な極論に惑わされるものです。
皆さんは、しっかり事実の中から真理を捉え、未来の錬金の道を進んでください」
そう言って、白い髭の小さなサンタさんのようなオットー先生が、「錬金学・腐敗と発酵」のその日の授業を終えた。
老化のメカニズムは21世紀になってやっと解明されてきたが、アーシアには詳しくは分からないことだった。老化は、身体が酸素を使うことによる、じっくり時間を掛けた酸化と言えるので、錆びるはあながち間違いではないのだが。
微生物の存在は、こちらの世界にもあるようだ。同じ種類なのか似たものなのかは分からないが、オットー先生の授業を通して判断ができるかもしれない。
また、アディアは、あちらの世界とは違い魔法がある。
実際、長命種という存在もいるらしい。
どこまで、現代科学がこちらの世界と一致するかは未知数だ。
アーシアは、一般学部のある裏庭へと急いでいた。オットー先生の講義を終えて、急いで運動ができる服に着替えた。
カルラさんとの約束があったのだ。先日、ニーちゃんに会いにソレッレ≪姉妹の≫美髪店に行った折、なぜかアーシアがモンスターを倒すのに武器をうまく使えないという話になったのだ。
自作の武器を、いろいろ改良した話などしていると、カルラさんが、
「ねえ、その武器、興味があるわ。今度見せてもらっていい?
それに、武器を扱うにはきちんと扱い方を学ぶ必要があるの。私が、護身程度まで、教えてあげられるわよ」
と、いかにも面白そうに、にんまり笑って、誘ってくれたのだった。
一般学部の裏庭の向こうには、武術学科があり、丁度、座学でどこも使っていない時間なのだそうだ。
以前宴会で行った、訓練所よりもずっと近いので、では、そこでやりましょう、ということになった。
アーシアは、旅の時に使っていたワインブラウンのズボンに、白いワイシャツという格好に、髪をポニーテールに結っている。
こんな可愛げなヘアスタイルをする気になったのも、ニーちゃんのお陰だ。
ニーちゃんにヘアカットをしてもらったあと、自分ではうまくいかないかと思ったが、ざっとブラシしただけでもきれいにつややかにまとまるようになった。
自分でも、やりやすくなったのと、やはり気分が明るくなって、少しはおしゃれすることに積極的になったのだ。
流石は、ニーちゃん、トップスタイリスト、である。
裏庭は、華やかなバラのアーチや生垣があり、とても美しかった。ジャスミンのような花の強い香りに混ざって、リモーネのユリのような香と葉のさわやかさが混ざった匂いも混ざっている。
その美しい生垣の奥の開けたところにある趣きのあるガセボの中に、艶やかなカルラさんが腕をストレッチするように上げて、絵のように立っていた。
カルラさんは、髪を一つに結って、今日は珍しく胴着のようなものを着ていたが、それに負けじと美しかった。
「あら、来たわね。さ、こっちよ。ちょっとした、穴場なの」
「えと、武術科の訓練所を借りるのではなかったのですか?」
「ふふ、貴女も、あまり大っぴらに見せたくないこともあるでしょ。丁度、隣の執行部エージェント用の場所が空いていたから、そこでやろうと思って」
そう言って、人差し指を上げ、そこに掛けている大きな鍵をくるくる回した。
カルラさんに附いて裏庭の奥のメイズのような生垣を進むと、先に木の戸があり、カルラは、そこの鍵穴に鍵を差し込んだ。
「ちょっと狭いけどね。身体動かすくらいなら十分」
まるで本の秘密の花園みたいだ。アーシアが考えていると、目の前に広がったのは、ロマンティックからはかけ離れた広い運動場だった。
奥には、ブランコの代わりに、運動会のテントのようなものがある。
少しがっかりして、アーシアが入っていくと、
「じゃあ、得物を見せてくれる?」
真ん中まで歩いて行って止まり、髪をなびかせて振り返りながらカルラさんは、言った。
「あ、あの、わたし、空間収……」
「ええ、大丈夫よ。ここでなら出しても。空間収納を持っているのは前に知ってるし、きっと桁違いなんでしょうてことも、予測してるわ。
他にもどんなびっくり箱が、残っているのかしらね?ふふふふ、たのしみ!」
「はい」押しの強い言い方だが、逆に、少し、ホッとしてアーシアは素直にサスマタを取り出した。
サスマタを右手に持って、地面に底を付けた。そのたどたどしい様子を見ながらカルラさんは、
「もしかして、武器の使い方、全然しらないみたいね。
この武器なら、棒の扱い方を学んだらいいかも。
私のメインじゃないんだけど、棒術は基本だから、しっかり教えてあげられるわよ。
じゃ、得物を見せてみて。
あらやっぱり、これは不殺の…捕縛用の武器ね。でも…普段使いにするには、貴女では扱いにくいんじゃなくて?
まず、大きすぎるし…」
と言って、地面から用意してあった棒を取り上げた。
「ほら、このくらいの長さの方が、やりやすいわ。
持ってみて。そう。
よかった、私の練習用の棒でも大丈夫そうね。
丁度、肩の上を出るくらいの高さよ。一度これで訓練してみましょう」
カルラはアーシアの傍に来て、軽く手を添え、
「まずは、棒の持ち方。外側から、こう握るように。
それから、足は右足が前、左足のつま先は左足のかかとの位置で 両足の距離はこぶし一個分開けて…体幹を…体の中心を意識するように」
そして、アーシアの棒を動かしながら、
「棒はここ、この位置。先端にかかる力を支える引き手と、
狙いを定めて、前手の握りとを、一直線になるようにするのよ。
そして、振る。ブンといい音がでるまで、練習するといいわ」
カルラが手を添えただけで、風を切る音がした。
「はい、先生!」
「先生?ふふふふ、そうね。じゃ、先生で」
カルラは、可笑しくて仕方ないようにくすくす笑って、自身はストレッチを始めた。
アーシアは、棒を何度も振ったが、カルラが振ってくれたようには、いい音が出なかった。
カルラは、アーシアのフォームが崩れるとすぐ気が付いて、注意する。
アーシアは、汗をかきながら、必死に棒を振った。
終わりには、すっかり腕が痛くなり、身体もひどく傷んだ。筋肉痛は直ぐには来ないというけれど、終わった時からバキバキに痛かった。
(これは、初めて『健康湿布』のお世話にならないといけないかも…)
へっぴり腰で、門を出ていく、アーシアに、カルラはけらけらと笑っていた。
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