61 ニーちゃんの頼み事
隣に案内された女性は黒にほとんど近い緑の長い髪の毛で、量もアーシア並みに多かった。きっと、自分で洗うのが大変だろう。
背がカルラさんほどではないが、高く眠そうな様子なのにも拘らず、背筋もすっと伸びている。
後ろに座っていた、カルラさんが耳にぴかぴか光る銅色の髪をかき上げて、
「本当に困っちゃうわ、私が連れてこないと、伸びっぱなしになっちゃう。素材は悪くないのに。
アーシア、こちらはこの間の懇親会に欠席していた、ナオミ・グレーヌよ。ナオミ、こちらが話してたアーシア」
今日のカルラさんは、輝く銅色の髪によく合う、体にフィットしたボルドーのドレスに、孔雀のような色に扇を手に持っている。
脇に置いた小さなバッグも、持っている扇の色合いを濃くしたものだ。優雅に茶色の皮張りのソファに凭れている。
ナオミと呼ばれた女性は眠そうな緑の目を堪えながら、身体をこちらに傾けた。
「貴女のお話は聞いているわ。紹介の通り、ナオミ・グレーヌよ。
薬学科の講師をやっているの。2級薬剤師にあたるわ。
彼女と違って研究職をしているのよ。錬金術と薬学は共通点も多いから、私は忙しくしてるけど、薬学部に用事があったら遠慮なくね…」
どうぞよろしく、と丁寧に答えてくれた。
実は、錬金学部と薬学部は、あまり仲が良くない、寧ろ、一部は犬猿の仲だという。
内容が被ることもあり、アプローチ方法が違うため相容れない人もいるのだとか。実際、錬金スキル持ちの講師もいるそうなのだが。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ナオミ先生。
アーシア・デイスです。錬金科4年に編入しました」
頷いてまた前を向いた。隣の美容師さんに髪を拭いてもらっている。
「お待たせしました」
と代わりの美容師さんが来て、ナオミ先生の担当になった。ほかの美容師さんとは少し違う服を着ている。
黒っぽいベストに黒い少しタイトなスカート、全身黒だがベストには、小さな赤や黄といったカラフルな小花の飾りがついていて、個性的だ。
髪は、こちらでは珍しいショートカットで、ボリュームの出るようサイドを綺麗に流している。先ほど店長って呼ばれていたので、店主さんかもしれない。
「まあ、さすが魅惑の花の一級魔導師と、植物学の美しく若き権威がお揃いなんて。華やかですねぇ」
店長さんが、ナオミ先生の後ろに立って声を掛けた。
「ふふふ、今日は店長の腕の見せ所よ。きれいにしてあげて!」
「はいはい。お任せください。グレーヌさまは、もともと御髪がとてもお綺麗ですから、やりがいがありますわ。
もっと、頻繁に来てくださいましね。
そうそう、こちらはニーちゃんのご親族ね、いつもニーちゃんには、お世話になっております。
ニーちゃんは、ここももう長くて、うちのトップスタイリストよ!助かってますわ。
こちらの店を、姉妹でやってますのよ。今日はわたくしの妹は、生憎いないんですが…
積もる話もあるでしょう。ゆっくりしていってくださいね」
そう言いながら、慣れた手つきでナオミ先生の髪を梳いていく。
ニーちゃんは、アーシアの仕上げに入り、太いこてを使って、髪を巻いている。こんなことするのは、生まれて初めてだ。
「ねぇ、アーシアお姉ちゃん、お姉ちゃんの髪はこうしたら艶が出てとってもきれいになるでしょう?
でも、せっかくだから…何かもっといいアイデアないかしらね。
お姉ちゃんは、キレイな白金っていうより、白銀っていうのかな?
きっと、鮮やかな色が映えるでしょうね……うんと、部分的に髪を違う色に染めるとか…
そうだ、お姉ちゃんは、錬金術師じゃない?何かいい染毛剤とかって知らない?」
ニーちゃんは突然、思いついたようにアーシアに言った。
なんでも、毛染めはインディゴをメインに調合した白髪染めがほとんどで、濃い色しかないそうだ。
元々アディアの髪の手入れは、洗髪と髪をカーラーで巻くくらいしかなく、白髪染めも最近で、あまり皆色の展開が少ないのもあって使わないのだそう。
セット剤やトリートメントはかなり発達しているようだが、一方で、アルディア人は髪の毛の色が豊富で、カラフルなので色を網羅もうらしきれないことも理由の一つかもしれない。
「昔ね、いろいろ試したことがあったんだけど、なかなかうまくいかなくて。
あと、髪がとっても痛んじゃうのよね。
元が濃い髪色のマダムは、ほら、目立ちやすいから使っている方もいるけど…
…正直、あまり人気はないわね。
うちは、美髪店、エステやトリート中心の、美しい髪にするのが目的なのよ」
店長が、手を忙しく動かしながら、そう言った。
周囲のお客さんを見ても、こてやカーラーで巻いているのはあっても、パーマネントウェーブもない。
所謂いわゆるケミカルは、まだ、なさそうだ。
(白髪染めでなく、なんて言ったっけ?)
「おしゃれ染めっていうのか…」
「おしゃれ染め?」
「ええ、髪の毛をおしゃれのため違う色に染める染毛剤のことだよ。もしかしたら、できるかもしれない。
ニーちゃんにも、協力してもらわないといけないかもしれないけど…」
アーシアが考え込んでいると、席の向こうの方から、突然、元気な声が掛けられた。
「わたしも、その、おしゃれ染め?興味があるわ。出来たら是非試してみたい!」
振り向くと、ナオミ先生の向こう側で、先ほどまで店長に施術してもらっていた人で、今は他の人に、手の手入れをしてもらっていた。
髪は暗めの金髪だが、サイドがフィンガーウェーブになったボブスタイルで、とてもおしゃれだ。
大正時代とか昔の女優さんのようなヘアスタイルで、とても、難しそうなスタイルだ。
顔立ちもチャーミングで、明るい赤の口紅をしている。とても、おしゃれな人なんだろう。
「うふふ、突然声を掛けて、ごめんなさいね。わたしは、ラケシス・ウィード。
ラキでいいわ。よく、このお店に来ているの。流行には、敏感なの。
わたしも自分の髪色気が、入らないわけじゃないんだけど、たまには変えてみたいよね」
「ラキさんは、おしゃれで、本当によくうちにいらしてくれるんです。常連さんね」
店長が手を忙しく動かしながら、紹介をしてくれると、ニーちゃんが、急にあっと言って、思い出したように、
「ラキさんは、このお店を紹介してくれた人なのよ!あの時は、本当に助かりました」
と言ってニーちゃんは、鏡の中でペコリと頭を下げた。
女性は、にこにこしてあの時ね~と話して、周囲が盛り上がり和やかになっていった。
店長が素早く、ナオミ先生の髪を仕上げていく。ナオミ先生の髪の毛は本当に深い深緑で、艶があり真っすぐで綺麗だった。
「はい、少し時間がかかりますが…頑張ってみます。
あ、あと、切った髪の毛の束たばを…貰っていいですか?」
アーシアは、床に散らばっている、髪の毛を見て言った。色を試すためだ。
「あ~いろんなお客様のが混ざってるけど、いい?」
「うん、そのほうがいいかもしれない」
「オーケー。なら、いっぱいある。それより、ほら、できたよ。アーシアお姉ちゃん、キレイになったでしょ?
ずっと、やりたかったのよね。
だって、アーシアお姉ちゃんの髪の毛をお手入れしてて、この職業に就きたいって思ったんだもの」
ニーちゃんが自信満々に笑う。
鏡の中には、大きくピンク色の目を見開いた、ヴィスクドールのような白い肌だが、頬が少し紅潮した顔が映っていた。
髪の毛は上品な艶で光り、自然な感じを残しつつ、巻かれて肩の下に優美に垂れている。
フェイスラインを残して、サイドはゆるく編み込みがあり、ふわりと一房が顔に掛かっている。
(こんな色だっただろうか…ぼさっとした白髪じゃなかった?それに、こんなヘアスタイル、向こうでもやってもらったことなかった)
黒かった髪が、ぼさぼさのかさついた白髪になってから、自分の変化を現実にするのが恐ろしくて、アディアに来てからまじまじと鏡を見ようとはしなかった。
今、鏡に映る顔は、覚えていたあの窶やつれて生気の乏しい暗い顔ではなく、色素は薄いものの、健康的で明るくさえ見えた。
髪は思っていた以上に滑らかになって、カットスタイルは、あちらでも流行りの形で、少しお姫様風にアレンジされている。
着て来た服のほうが若干、地味に見えるほどだ。
今度は、お洋服屋さんとかアクセサリー屋さんに一緒に行こうね、と話しているニーちゃんの声を遠くに、
(お人形?みたいだわ……)
自分事でないように、呆然と考えていた。
「ふふふ、私もたのしみだわ~」
手に持った扇をポンと叩いて、カルラさんが大きな笑顔を向けた。
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