54 ニャンこの事情
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寮の自室に帰ると、マドカは留守のようだった。このところあちらに行っている時間が多く、少し寂しい。心配するなと言っていたが大丈夫だろうか。
アーシアは、楽な服に着替えると、三角巾だけして、ゲアラドの店で買った時計を置いておいた机の前に座った。
部品がいくつか取れて、分解されている状態だ。
『鑑定』、『分析』スキルを使っての、解析がかなり進み、外側のケースになっている部分に細工をすれば、亜空間作業場の中でも、現実世界の時刻のまま、時計が動く仕組みができそうだ。
(ちょっと、他人の作品を改造するのは気が引けるけど…)
錬金術師目線で、思ってしまうが、レシピ期限が切れているので、もう他人の所有物という意識はなくてもよいのだが、そこに思い至らないあたりがアーシアらしかった。貴重品扱いのせいか、製作者としての錬金術師の銘はあったが、面白いことに分解と同時に消えた。
内側の空間を現実空間に、外側のケースで空間を遮断する術式と特性を付ける。用心のため、隙間がないようにガラス部分と金属をしっかり溶接した。
こういった細かい修正も行えるように、ペン型の道具を作って用いる。なにができるという訳でなく、アーシア自身の集中を細かく適所に行うためのもので、強い特性を補助として付けてある。丁度、ペンタブのペン、スタイラスペンかタッチペンのようなものだった。必要な材料を用意してタッチペンを動かして小さな半透明の魔法陣が出ると溶接個所をなぞった。
またこのタッチペンにより、錬金だけでなく空間切断などの魔法も、ミニマムに且つ安全に使うことができるようになった。
そして、正確な現在の時間と日にちを確認すると、『組立』で亜空間|作業場専用時計を作り上げた。
(あとは亜空間作業場で、ちゃんと動くか確認ね…)
ふう、と息をついて周囲を片付けた。
『アーシア~……ご、ご主人~~!!!』
突然、空間から白い毛玉のようなマドカが、飛び出てきた。
「ど、どうしたの?」
マドカを、宥めるように抱っこして、ベッドに腰かけた。腕の中でマドカは、じっとしばらく黙っていたが、
『おいらの…兄弟のことなんだ…実はね…』
マドカは兄弟と言っているが、正確にはマドカを育ててくれた、教会の隅に住み着いた母猫の子孫に当たる猫たちのことだった。
マドカの話によると、その兄弟たちは教会に代々住み、長い時間を経て、聖獣になりかかっているそうなのだ。
鹿之丞のように、幻獣などが聖力に長くさらされて生きていると聖獣に変異することが、マドカの兄弟たちにも起きているという。
「そうなのね。でもその様子だと、なにか問題があるの?」
『聖獣にまだ完全になっていない、なりかけの状態なんだ。
…そんな時期は、成長や変異に沢山の神聖力が必要なんだ』
「うん、それで?」
マドカは大きいので抱っこと言っても膝の上に乗せて、身体を伸ばして抱きつかせるようにしている。
それでも、ひどく頼りなげだ。落ち着かせるように、なるべく優しい声で聞いた。
『生まれたばかりの神獣だって、成長するまでは、神聖力がたくさん必要だから教会にいるんだ…
でも、おいらの兄弟たちは…神獣じゃない、
……汚い…野良猫だからと言って、もっと神聖力が強い場所に入れてもらえないんだ…
あいつら、動物からの変質だから、幻獣とかとは違って、かなり不安定なんだ。
神聖力が、長い時間、必要なんだよ。
なにも、神聖なステアの庭でなくてもいいのに…兄弟たち、とても苦しんでいるんだ!
このままだと…死んじゃうかもしれない。
おいらの…おいらのせいかもしれないんだ…
……ずっとあいつらと一緒にいたから、変質させちゃったのかも…って…』
アーシアは、ふわふわの絹のようなしなやかな、マドカの背中の毛をゆっくりと撫で続けた。
「今は、その子たちどうしてるの?ええと、どこで、誰か面倒を見てくれている人は?」
『ずっと前からいる神官で、一人あいつらを気にしてくれる人はいるんだ。かあさんの孫が母猫の時に、まだ子供だったそいつが、よく面倒見に来てくれてたんだよ。
それで、その神官の部屋に今は保護されているんだけど、それでも、まだ神聖力が十分じゃなくて、日に日に弱ってきているんだ』
「うん、それじゃあ、なんとか神聖力を補給してあげられる、なにかが必要なのね…」
アーシアは、産まれたばかりの赤ちゃんのことを想像した。
(向こうでは、低体重とか、黄疸とかの子が、ガラスのような透明の…暖める?…箱?に入っていたな…なんて言ったは……ああ、保育器)
この世界にも、適度に温め、卵をかえすための、より簡単にした孵卵器のようなものはあるのだ。
(………神聖力をプールした宝玉を、下に敷き詰めたら…神聖力…あ、マドカの?!!)
うまくいくか分からないが、なんとなくこうでは、というアイデアになった。
「今すぐじゃないけど、なるべく早く何か作ってみるね。
神聖力を供給できる道具を」
マドカは、腕をぎゅっとアーシアの肩に抱きついた。
錬金学部では、履修登録が始まった。アーシアも、必要な届を出しに教務部へむかう。
履修登録と共に従魔同行登録も済ませるために、マドカには、落ち込んでいて可哀そうだったが、ついて来てもらう必要があった。
大丈夫だろうか、昨日の様子に胸が痛む。スリングの外側からそっと撫でる。マドカが静かで、心なしか沈んでいるように感じる。
履修科目は、錬金術Ⅳ、錬金術Ⅳ・基礎、錬金学・腐敗と発酵、錬金工学、薬品 があり、選択科目に、錬金術歴史研究、醸造、錬金術・応用、錬金商学、ビジネス錬金学などがある
教科書を購入するには、普段は魔法棟の売店に売っているのだが、一律に各部学年ごとに教室販売されるのでそこへ向かった。
従魔登録が終わって、マドカに、今日は兄弟たちに会いに行かなくて大丈夫かと聞くと、またあとで、と言っていた。
履修科目ごとの教室と担当教師の書いてある案内紙と届出用紙を貰い、必修科目は初日から始まるものがあるので、錬金術Ⅳ・基礎の授業の前まで、図書館で教科書を見ることにした。
持ち物は、筆記用具と教科書、ノート、あとは自由に参考資料の持ち込みも可であった。
従魔の同伴については、余程大きいとか、五月蠅くしない限り大丈夫ではあるが、但し学校に従魔同行の登録はしないといけない規則だ。入学の時の届とはまた違い、授業に同行できるものだ。
4年は他の学生が慣れていて、思ったより速く用事が済んだので、図書館で時間を潰す。何か参考になる本があるかもしれなかった。
図書館は、教務課と次の講義室の間にあったので丁度良い。
因みに次の講義室は、錬金科の棟ではなく他学部も使う大きな所だった。
図書館は、大変広く、吹き抜けの2階建てになっていて、思っていた以上に立派だった。これでは場所によっては時間がかかってしまうと心配していると、目の前の上側に大きな看板があって、どこに何があるかが分かった。
とりあえず今回は、錬金術のコーナーへと行ってみる。
右奥の階段を上がった丁度上にあるようだ。階段を昇りながら、下を見ると、人の様子がよく分かった。
本を選んでいる人、読書スペースで本を読む人、様々だ。本当に制服を着ている人は少ないなぁ、などと思いながら錬金コーナーへ行った。
手摺に手を置いて、本棚横の名称を確認していると、手摺越しに、何となく見覚えのある後ろ姿が目に入った。
(ああ、制服じゃなかったから分からなかった。けど…あの、門でぶつかった子に似てる…)
砂色のちょっと小柄な男の子は、こちらに背を向けて誰かと話しているようだった。本棚で相手は見えないが…まるで隠れているような場所なので余計に引っ掛かってしまった。
(あの子…なんだか気にかかるのよね…錬金4年にはいなかったから、どこか別なんだろうけど…)
ぶつかった時のあの、一瞬だけだが鼻につんと来るような、それに似つかわしくない花のような、煙たいような匂いが、アーシアの心に何らかの警鐘を鳴らしているように感じたのだ。
話し終わったのか、相手が遠回りして向こうを周って去って行ったのが分かった。
少年はこちらを向いた。舌打ちしながら顔をゆがめている。見た目は、なんてことない平凡な少年だった。
相手は誰だろうと、急いで出てくる方向を見ていた。何人もいてわからなかったが、一人見たことある人がいた。やはりあの日に、彼にぶつかったすぐ後に出会った髪をひっつめた女性だった。
アーシアは手摺をしばらくぼんやり握りしめていたが、目当ての棚へと向かった。
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