44 ❝ 世界の摂理 ❞
死の原戦場跡は、所々まばらに草が生えている広い岩場で、枯れた木の幹が乱暴に折れているのが数本あるだけで見通しのよいところだった。
また、あちらこちらに大きな骨が地面に突き出るようにしてあった。
風で砂が巻き上がりうっすら渦巻いている。
アーシアたちが、モンスターたちを倒し終えてホッとしていると、その乾いた地面のひび割れから、黒い靄のようなものが細く立ち上った。
『くるよ』
小声で鹿之丞が言う。その黒いものは墨汁が染み出すように、割れた地面の周囲に広がり、急に形をまとめ始めた。
するとすぐ、粗い吐息が吐かれる音の後、低い唸り声が響き、墨のように黒く、大きな狼が現れた。
目は赤く光り、身体には黒銀の鎖が胴をひと巻きし、下に引きずっている。
黒い毛は粘度の強い液体でも被ったかのように濡れているようで、吐く息は乾燥した空気の中でも、分かるほど湿っている。
口から覗く牙は鋭く大きく飛び出た歯とその奥にもう一つ犬歯が見えた。異様な姿をしたモンスターだった。
『ベルググィストだね。まだ昼間で明るいから、ぼくらに有利だけど気を付けて』
静かに冷静に鹿之丞がアーシアに、確かめるように言った。
狼の足元の影が広がり、方々に飛び散るように広がった。
その陰の大きなほうの一つから、黒い鎖が生き物のように伸び、アーシアたちに襲い掛かった。
鹿之丞が角を使ってアーシアのほうに来る一つを薙ぎ払った。その後、直ぐに飛び跳ねて、若鹿と連携で俊敏に鎖を避け、相手を翻弄するように大きな軌道で動いた。
アーシアは陰から離れるよう距離を取りながら、鞄から薬剤を取り出し、狙いを定めた。
「気を付けてください!」
鎖のほうを相手しているのなら距離はある、アーシアはベルググィストに向けて、爆弾ではなく、混乱剤と呼ばれもののなかでも、毒性が強い薬袋を投げた。
混乱剤は細かく広範囲に撒かれるため、正確に当てなくても良かったからだ。
「マドカ!」アーシアが叫ぶと、
『カマイタチ!』
マドカが空中から鎌鼬を繰りだし、混乱剤が対象の真上で破裂するよう切り裂いた。
ベルググィストの目前で薬が割れ、顔面に直撃した。目をやられ、痛みに大きく呻いた。すぐに、麻痺も加わり、両手足を痙攣するように震えながら曲げる。
鹿之丞は、若鹿と共に空中から鋭く重いキックを相手めがけて落ちるように与えた。
傷ついたベルググィストは、それでも魔力を練り上げ、大技の闇炎を行おうとする。鎖は上に浮かび上がりジャラジャラと重い音を立てていた。
陰からまた鎖が伸び迫る。
『エア・スラッシュ』
鹿之丞は鋭い風の攻撃で鎖を切り裂くと、その重い鎖を持ち主の顔に向け投げ返した。
ぐぎゃぁと声を上げ倒れ込むモンスター。
鹿之丞が叫んだ。
『どうぞ、とどめを!やってください』
『集中』!
しっかりと、狙いを定める。黒い影がまた蠢き伸ばそうとしている。相手はまだやる気だ。
『解体』
一瞬にして、戦いの殺伐とした淀んだ空気が消え、周囲がシュンと静かに、そして、何もなくなった。
静かになった場所で、アーシアの上側に通知音とともに、ジャーナルが流れた。
[ベルググィスト(ボス・闇属性)Lv.76:レアポップ:1体討伐]
[鋭利な牙 大きな爪 ベルグ魔石 ベルグ毒塊 闇の鎖 魔石×15]
鹿之丞たちがアーシアの横まで集まってきた。
マドカはアーシアの肩にくったりと伸びるように乗ってきて、
『ちょっと骨がおれたぞう』
「でも、ナイスアシスト、ありがとう。鎌鼬も上手になったね」
『ふふふん♪』肩で手をにぎにぎとする。ちょっと痛いが、かわいい。
「鹿之丞さん、ドロップ品、なにか欲しいものはありますか?ええと、あるのはですね……」
ジャーナルを開いたままにして、アーシアが言うと、鹿之丞は、目を細めた。
『欲しいものは、ないねぇ。
ぼくらには、必要のないものだ。ほかのやつらと違って、そいつ不味いしね。
そうそう、ぼくらね、
鹿じゃなくて、どっちかって言うと鳥なんだよ。
ははは、付き合ってくれてありがとうね』
なるほど食べられないから、肉の表示がないのか、と納得していると、急な爆弾発言があった。
(…鹿之丞さんが…と、鳥?…もしかして、猛禽類?!)
『うん、大丈夫そうだね』
と鹿之丞がアーシアを、じっと底知れぬ深い瞳で見つめ、そして静かに続けた。
『……きみはほかのひととは違って、世間を気にせず、一心に物に打ち込む情熱のほうが、強いひとなんだよね。
その資質は得難いものだ。
戦いに望む姿勢も、うん、よくなってるよ。
戦いを避けようとする気持ちが、根底にあるのもいいところだ。
普通、来訪者はそこがどうしても最初のヤマになるから、わざわざ学園に行くんだ。
……きみは、錬金術の道を行くという。
ぼくには、きみの発明がどんなものであるのか、説明されても、実際にはわからないんだけどね、
この世界にはない、凄いものなんだとは、わかるよ。でもね…』
鹿之丞が言葉を切って、黒々とした長い睫毛のある瞼を伏せた。
そして、もう一度、しっかりとアーシアを見つめて、
『でもね、一歩間違えば、きみのその凄まじい能力は、世界の脅威となってしまう。
きみは、錬金だけじゃない、空間魔法も常人の範疇を越えている。
このアルディア世界の、でさえも。
……ここの ❝世界の摂理❞ に外れてしまう。
つまり、魔王と認定されてしまうんだよ。注意しなくちゃいけない。
これから、きみはそういう気持ちのあるなしじゃなく、世界の脅威にされてしまう危険性があるんだよ。
……それが心配なんだ』
ゆっくりとだが、深い声で言葉を一言づつアーシアを気遣うように、鹿之丞は話した。
(自然の摂理?世界のルールみたいなもの?ど、どうしよう…よく分からないよ…)
アーシアは呆然となって、考えが頭を周らない可笑しな状態になっていた。ボス戦の興奮が冷めやらぬまま、氷水を突然に浴びたような、ここに初めて来たときのような、心細いような、…強烈な不安感。
『大丈夫さ。おいらが、いるもん!
神さまなんか、どうせ、おいらたちのこと、しっかり見てなんかいないんだ。
適当に隠してれば、気づかないさ。
おいらがどんなに教会の仕事サボってても、何にもないだろう』
明るくマドカが言う。
(そうか…マドカが居てくれる…一人じゃないんだ。
…わたしには、錬金術だってある)
苦笑しながら鹿之丞は、
『そうだね、隠していればいい。
でもね、街にいったらタチの悪い鑑定師だっている。
いいこと教えてあげるよ、まだ気が付いてなさそうだから。
ステータスを開いてごらん』
アーシアは言われた通り、ステータスウィンドウを開いた。
『そこの一番左側の下を見てごらん。マークがあるだろう」
スクロールして一番下まで行くと分かりにくい場所に、見慣れた歯車のマークがある。一番下まではスクロールしたことなかったので気が付かなかった。
「こ、これは…[設定]?」
『そうそう、そこを押して設定画面を開いて。セキュリティって項目がない?そこをまた、開く』
セキュリティを開くと選択マークがあり、全部ブロックする、とカスタマイズがあった。
『全員に見えなくなったら、逆に怪しいから、ダミーか、自分が知ってほしいものを許可しておくといいよ』
こんなこと知ってるのは、ぼくぐらいしかいないかもしれないね、ぼくのマスターが気にする人だったから、気が付いたんだ、と鹿之丞が説明した。
「今やってもいいですか?」
『もちろん。……ここから先は悪いひともいるからね』
カスタマイズを選んで、空間創造魔術師の項目をブロックする。
『あとは、レベルは全部じゃなくて、半分っていうのがあるでしょ。
それがおすすめ。
あんまりレベルが高いとすぐ来訪者だってばれて、勇者さま~とか言われて追いかけまわされちゃうよ』
ため息をつきながら、鹿之丞は、言う。経験があるのだろうか。
レベル表示は、許可度、半分を押す。
『できたかい?きみはいざとなった時の逃げ場もあるし、早々困ったことにはならないだろうけど、注意するんだよ』
鹿之丞親子は、連れだってなにか話をして、頷いて、
『さて、ぼくらは森に戻るとしよう。きみらはここからのほうが目的地に近いから、ここでお別れだ。
ここは、死の原戦場跡というだけあって、モンスターが多いんだ。
普通の人間は、通過するようなことはしないけど、
きみなら大丈夫だろう…
あと、あまり世捨て人のように根詰めないようにね。そこは、きみのいいところだけどね……
でも、きみはまだ若いんだ、いろいろなめぐり逢いをして、
きみの人生をもっと実りある素晴らしいものにしてくれ給えよ」
そう言って、鹿之丞たちは、消えて森に帰っていった。アーシアは、しばらく、彼らの消えた先を見つめていた。
(…人との…めぐり逢い……)
鹿之丞の去り際の言葉は、一瞬、荒野のただなかにいることさえ忘れさせた。
彼らのあの森の静かな泉に、水の一滴が落ちてその水面に波紋が広がるように、アーシアの心に、少しの騒めきと深い感情を残した。
アーシアは、ゆっくり顔を上げ、今いる砂塵舞う大地を踏みしめた。
実は鹿之丞のモデルは、ペリュトンという幻獣です。ちょっと怖い幻獣なんですが、鹿之丞たちは性質が穏やかです
だから、ぼくは、幻獣もどきって言ってたんですね
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