1 白昼夢
毎日が忙しすぎる。蘆屋日奈子の日常は周囲の大学生とは違い華やいでいない。奨学金を受けてもぎりぎりのうえ一人暮らしのため、今月から普段の家庭教師のバイトのほか隙間バイトを始めたのだ。バイトの掛け持ちを始めてから慣れないせいかへとへとになり、折角入学した大学の講義にも集中できない。
もともと希望の学部は親の反対にあい興味が薄いため、気を入れて集中せねばならなかった。
講師のこもったざらついた声が遠くなる。
目の前に靄がかかり、湿った空気を感じた。(あれ、薄ら寒い?)
着席していたはずなのにぼんやりと立っている。俯いていると靄の中にいつもの黒っぽいスリッポンが見えた。不思議に足の裏にでこぼこした硬さを感じる。(なぜ?講義室の床こんなだった?)
下方向の視界が見えてくると湿った黒い土と硬い石と伸びた木の根を感じる。ひどくリアルな感覚だった。
日奈子は急に不安になった。(なぜ?なぜ?暗いの?森の中にいる?………夢?夢なの?)
ゆっくりと足元から視線をあげると鬱蒼とした日の光が細く入るだけの森の中にぽつねんと立っている自分があった。不安になればなる程、周りが見えてくる。
(うそ、うそだ!夢、はやく起きなきゃ!)
ジジジジー、人工的な光がパッと広がった。胸がハッと苦しく掴まれたようになる。冷めた汗がじっとりと感じる。4限の終了のベルがなった。
「蘆屋さん、大丈夫?」
後ろの肩越しに顔見知りの学生に声をかけられた。
「蘆屋さん、体調悪いんじゃない?顔色もよくないよ」
何度か挨拶している親切な女性だが、日奈子はコミュ症なのと日々忙しいため、あまり話しできないでいる。日奈子は、がたがたと立ち上がり声を震わせた。
「……あ、ああ……、大丈夫…です。ありがとう」
と、日奈子は、答えざまそそくさと机に脚をぶつけながら教室から出て行った。
(あ、あ、彼女に、もう少し気を使えたらよかったな)
教室の中を振り向くと、ドアの向こうで彼女が微笑んで小さく手を振っていた。
やはり疲れているのかもしれない。講義中に気を飛ばすなんて初めてのことだ。
しかし、この些細で奇妙な出来事は、蘆屋日奈子を頻繁に悩ませるようになるのだった。




