192洞窟の研究室
アーシアたちは『落星の滝』の崖の中ほどでへたり込んでいた。
果てしなく空が近い場所だ。
青い空に白い雲が幾重にもたなびき、その神々しさは天界に続くかのような光景にも見えた。
『ここも、天界に近い場所なんだぞ』
アーシアの心を読んだのか、マドカが小さく静かに呟いた。
(この白い雲と……あの滝底の、――白い奔流は、
全く違うのに、どこかよく似ているようだ……。
空の雲は果てしなく遠く静かだけれど、
あの白き泡沫は――ワースを自ら飲み込むようだった。
まるで自然に逆らった者への――“裁き”のように)
林の方から、焦った様子の人物が、何度も叫ぶ声が聞こえた。
「おーい! おーい! 大丈夫か?」
「にゃああっ」
エンを連れたヴィクトルが、汗を額に滲ませ懸命に駆け寄って来た。
「ああ、こんなところまで来ていたのか。
それにしても……音の割には、被害が少ない……のか?」
それは、身を護るため、アーシアと猫たちが、ほとんどの爆弾を爆発する前に処理したからだった。
しかし周囲には流石に、かなりの倒木や瓦礫が散乱していた。
「ああっ。エン、無事だったのね!」
ヴィクトルの傍らから飛び出して来た黒灰の猫はひしとアーシアに抱きついた。
「なああぁ」
顔を埋めると、その小さな滑らかな背中から微かに土埃の匂いがした。
「よくこんな面倒な地形を昇ってきたもんだ。
林に入ったら大きな音がしたから、こいつと一緒に急いで来たんだが……
遅かったみたいだな……」
ヴィクトルは腰に手を当てて、周囲を見回した。
「……ええ、不幸な……事故があって、
偶然、当のイアプト・ワースに遭遇してしまったのよ」
ヴィクトルは、目を見開いて僅かに顔を青ざめさせた。
「そうだったのか。俺も悪かった。独りで行かせたりして」
「で、でも、マドカやなごみ、ヨシのお陰で、こうして無事に済んだのよ」
アーシアは、思いもよらずショックを受けているヴィクトルを宥めるように言った。
「……イアプト・ワースは?」
気を取り直したのか、ヴィクトルが問うた。
「……ごめんなさい。捕まえられなくて。
あいつ、落ちて……いった」
「うん。捕まえるのは君の本分じゃないし。
落ちたのは、彼の自業自得でしょ。仕方ないさ。あ、あっち?」
ヴィクトルは、へたり込んだアーシアの姿を気づかわしげに見つめつつも、明るい口調でそう言った。
そんな彼の表情は、まだどきどきとした胸を抱えたアーシアには見えていなかったが。
そして、彼はさっと滝の方へと登って下を覗き込んだ。
「はあ~、こんなに深いんじゃ、救助も何もあったもんじゃないな。
この下は細いがかなり深い川なんだ。特にこの滝壺は深い。
君たちも、よく、無事だったものだ……」
皆の方へ戻りながらヴィクトルは神妙な声を出した。
アーシアたちがお互いの無事を確かめ合っていると、ヴィクトルがおもむろに聞いて来た。
「そうだ。アジトは? まだ、人は居そうか?」
念話を送り、なごみに周囲を探って貰うことにする。
《なごみ、どう? この辺りにまだ人は居そう?》
《ううん。いにゃいわ。あいつらのアジトでしょ》
「誰も、居ないみたい」
『大丈夫よ。長い紫のひと。あたち、優秀なんだから!』
(ああ、そういえば……ヴィクトルの前では猫たち、話せるんだった)
ヴィクトルは、なごみを見るとにやりと笑った。
「そうか。疲れているところ悪いが、一緒に行って貰えないか?」
「勿論。わたしも、彼らが何をしていたのか確かめなくちゃいけないから」
アーシアたちは立ち上がると、ヴィクトルと共に林へ戻り、彼をアジトの入口へと案内した。
エンの念話によると、ヴィクトルたちは林の入り口で爆発の音を聞いて直ぐに、心配になり、アーシアたちを探しに来たのだと言っていた。
「そう言えば、カイトさんは?」
「ああ、指名手配犯でワースの部下のベルク・シムシェクが――
それこそ”不幸な事故”で意識不明の重傷でさ。
カイトにそっちを任せて来たんだ」
「ええ?!」
(……あの土埃と、煙の匂い!)
アーシアはエンを抱きしめた時の沁みついた匂いを思い出した。
《エン! どうしたの? まさか、ああ、やっぱり……》
「なあぁ~」幼げな鳴き声が響く。
黄色い目を丸くしながら見上げた仔猫と目が合った。
「……仕方のない子。無事だったのね?」
「にゃん!」《うん。どこも何ともないよ!》
「……そう。よかった。――よく、頑張ったのね」
アーシアはすっかり気づいた。
エンが元からアーシアたちを逃すために先に行かせたのではなかったと。
あの時のエンの目には、ただ事ではない決意があった。
しかし、約束通り、こうして無事に自分たちの元へ戻って来たのだから、とアーシアは深い安堵と、何とも言えない誇らしさを感じていた。
「ここが入り口のようだ。こんなところにあったんだな」
洞窟の入り口は低く一見中は狭く感じた。
だが、一度入ってみると奥が深く中々の広さだった。
明るい岩肌は思ったより滑らかで軽ろやかな印象だった。
薄く層の線が水の波打ちような模様になって広がり美しい。
奥へ進むと案の定、ラボのような場所に突き当たった。
ラボといっても極簡単なもので、机と椅子、魔石灯、錬金釜、数々の素材と研究レポートの山。
「ああ、こっちには個室と倉庫みたいなのまであるぞ」
ヴィクトルがほかの穴も調べている。
アーシアは机の上を眺めるうちに、書類の山の一番上の一枚に釘付けになった。
「……こ、これは」
「何か分かるか?
後で隊の関係者が来るからなるべく現状維持がいいが、多少手に取ってみてもいいよ」
(やっぱり、『賢者の石』の研究だ。ここまで独自で出来ていたなんて。
では、やはり持ち去られたものは……ああ、これ)
その紙を読んで、アーシアは彼女が持ち去った物が何であるかが分かった。
(『賢者の石』……というより、”モドキ”ね。……寧ろ、持っているだけで危ないんじゃないかしら)
「ええ、彼らにとっては ”常若の妙薬” と言っていたものです。
実際には、薬ではないのですが」
一瞬、アーシアは自分の思いに沈んだ。忘れていた重い”過去”の……
(歴史……。大真面目にそんな研究をしていた元の世界の”錬金術師たち”……ワースはアルディア人だけど、似ている気がしてならないの。あの目……あんな目……)
アーシアは心の底から、粟立つような悪寒を感じた。きっと一生忘れることができないだろう、
滝に落ちながらも絶えず狂気を剥き出しにし、アーシアを睨みつけていたあの錬院術師の目を。
「ふ~ん。そんなに長生きしたかったのかね」と、呆れ声でヴィクトルが言った。
はっと、アーシアは急に現実に引き戻された。
(うん、絶対させない。だって、”ここにはわたしがいるんだから”)
アーシアの目が決意を秘め、深く輝いていた。
(後は、……彼女)アーシアは、ヴィクトルの問いに静かに答えた。
「ええ。そして何者かにとっては、”蘇らせたい” かもしれません」
(――彼女、大丈夫なのかしらね)
暫く敵のアジトを調査すると、二人は元来た道を戻ることにした。
大事な証拠類は、ヴィクトルが自分の空間収納で持ち帰るとのことだった。
林を出て、『リューデ渓谷』まで戻ると、従魔を従えたカイトが、一本の焼け焦げた木の所で報告書を書いていた。
二人が戻ったのを見ると、直ぐに何があったのか事情を聴きたがった。
カイトは先に人命救助優先で、ベルク・シムシェクを町まで連れて行って戻って来たのだそうだ。
「生きて何か、犯行について調書が取れたらいいんだがね」と、カイトがぼやいていた。
「……よし。
『滝壺が深く、救助不可』っと」
カイトは、口に出した言葉を、そのまま報告書に書き込んだ。
「シムシェクといい、ワースといい、これが“自然の裁き”ってやつかもな」
そして続けて溜め息を付いた。
「そういえば、あのカラーボールだっけ、俺、怪しい女に投げつけたんだけど、どこ行ったか分かる?」
「ええ?! 居たんですか?」
「うーん。逃げられちゃったんだがね」
頭を掻きながらカイトが気まずそうにした。
「ちょっと待ってくださいね」
アーシアは、発見機を出して調べた。
「ええと、これです。確かに北西方向に反応があります。
これは、小型の発見機なんですが、範囲がもう少し大きいものもありますので」
「こっちは、ドゥルラック方面だな。カルラとヴィンスが向かっているんだ。
ああそうそう、ナオミ・グレーヌ女史を連れてな」
「カルラさんが?」
「ああ、カルラたちはホノリアとの交渉と捜査のためだ。
……香水被害者の後処理も任されそうなんだが」
「そうなんですね……」
「それと変な伝言なんだけど。
カルラから、アーシアさんが泊まった部屋に自分が居るって伝えて欲しいって言われてたんだ」
「そうなんですね!」
「あ、ああ」
カイトはアーシアとヴィクトル、そして猫たちを交互に眺めた。
「……大変だったみたいだね。ありがとう。
この発見機があれば、後は俺たちに任せて」
「で、でもっ」
「いいから。君は戦闘部員じゃないんだからね。
あとは、俺たちに任せておいてよ」
カイトは明るく笑った。
――その後、魔石発見機で対象を追うも、途中でシグナルが途切れてしまうことになる。
その途切れた場所は、丁度、王都ドゥルラックだった。
捜査を王都に来ていたカルラと、
ヴィンスこと、ヴィンセント・ヴォルタは、
カイトと合流して捜査を続けることになった。
お読みいただきありがとうございました




