191落星に架かる虹・死闘
『錬金操作』
そう言って、アーシアは手を大きく、ゆるく弧を描くように翳した。
霧のような飛沫と濡れ光る岩間に立って、青い空に太古の神話の絵を描く、
――まるで、神聖な儀式のように。
手の間から、赤い金属色の混じった石が浮かび上がり、粉になって渦を巻いた。
赤い粒子の川が銀の色に姿を様々に変えるように輝いて、流れ、戻っていく、
――まるで英知の蛇、ウロボロスの姿のように。
風と水の落ちる音が轟く中で、そこだけが不自然なほど静かだった。
ふう、と息を吐き、相手を見つめる。
その神々しいまでの姿に、狡兎三窟を自称するイアプト・ワースさえも思わずじりじりと後退っていた。
「これを、あなたに見せたかったの。
実物を見ないと納得できないでしょ。
だから、頑張ったのよ。いつかあなたに見せる時が来ると思って。
(こんなに早いとは思わなかったけど……)
『アマルガム』の本当の姿……
どう?
あなたの考察していたものとは、かなり違うんじゃない?」
アーシアの言葉が静かに響いた。
手の内から放たれた銀朱の帯は、行きつ戻りつ円を描いて舞い上がる。
イアプト・ワースは息を呑んでその光景を見つめた。
その喉が微かな音を立て、ひくりと震えた。
しかし、直ぐに昏い目の色は知略の色を宿した。
アーシアとて、無論迷いはあった。
しかし、彼は身を以って体験しなくては分からないだろう。
まだできるようになって間もなく、うまく毒性を抑えて調整できているかわからない、
でも、やらなくてはならない、アーシアはそう決断したのだ。
そして敵はきっと知略を弄して罠を仕掛けてくる。この位置ならば……
滝のある岩まで詰め寄り、アーシアたちを水流に押しやる攻撃を。
ワースが赤い石を持つ反対の手を構える。
(その前に……止めなきゃ!)
そして、それをこの狂った科学者に向けて放った。アーシアの手から優雅な、そして凶暴な巨大赤い蛇が銀を纏って、鞭のように何度も撓った。
銀朱の蛇は、音もなく撓り、しかしその軌跡は鋭く、凶暴だった。
そのアーシアの放った『アマルガム』による攻撃は、ワースの肩すれすれに何度も掠めた。
憎悪で歪んだ彼の昏い双眸が、ほんの僅かに恐怖に揺れた。
「くうっ……攻撃魔法か……ここで攻撃するとは。
……なるほど、君たちは私の罠にかかることを恐れないのだな」
ワースはその攻撃を避けると、引き攣った顔で、尚も不敵な笑みを浮かべた。
(何を言っているの?……初めは罠だったかもしれない、
でも今、追い詰められているのはあなたじゃないの)
「降参……してくれませんか?」出来れば乱暴なことはしたくない。
「ええい、黙れ!!」
イアプト・ワースは、手元の小型爆弾をアーシアたちの元に放った。
その動きに慣れて来た従魔たちはすぐさま対処した。
それでも、アーシアは平静のまま、小さくひとり嘆息した。
そして、厳しい眼差しを向けると、自身に集結させた『アマルガム』をもう一度二つの円を描くように操り、更に大きく、より濃度の高い銀色に染め上げ、
――放った。
間近に迫るそれは、錬金術師には抗えない”美”があった。
だから、目すら逸らせない。
『アマルガム』が当たる瞬間、ワースは自分の両手にあったものが、
策略、研究、野心、情熱、
今までの長い歳月、総てが零れてしまったことに気づいた。
「ぎゃああっ」
鋭く叫び声を上げると、その痛みで、この狂った科学者は大きく身体を揺らした。そして、攻撃をまともに受けた爛れた片瞼を薄く開き、アーシアを見つめた。
その直後、凶暴な形相で襲い掛かった。
あまりの素早さに不意を突かれ、アーシアはもがいた。
だが、敵もまた、不退転の覚悟だった。
石のようにぴくりとも動かない両腕に逆らうものの、アーシアは滝の方へずるずると、頂上へとワースに引きずられて行く。
そこは巨大な、――『落星の滝』。
噴き上がる頂点の濁流に、ワースは渾身の力で、彼女を叩き出そうと押し上げる。
まさに、岩壁を蹴り、滝壺が迫る。
水煙がアーシアの視界を奪い、飛沫が目に入る。
忠実なアーシアの従魔たちは震え上がり緊張で顔を固くしたが、それでも時機を伺って身体を構えていた。
なごみは瞬時に敵の側面に回り込み隠れた。更に手早く草魔法で蔦を伸ばし拘束をかけようとする。
マドカは空で旋回しつつ、タイミングを図り、ヨシは岩の横で気を練る。
アーシアは劣勢の状況下でも、緻密に打開策を練った。
そしてから素早く攻撃できるように、注意深く目視で敵の空いた脇の位置を図り、
次の瞬間、空間収納からサスマタを引き出した。
不意を突いて拘束しているワースの腕を、内側に捻りを加えながら彼の体重を利用し振りほどく。
ワースは、痛みに短い悲鳴を上げた。
サスマタの翼が身体を捩じる敵に引っ掛かったままになり、予想外だったアーシアは自分の得物を外そうと力を込めた。
瞬間、水飛沫の水滴で濡れた握っていた柄の部分が滑った。
カランカラン――
サスマタは高い音を立て、岩の下の猫たちの方へ転がった。
(あっ……)アーシアは、焦りに顔が強張った。
それを見たワースは笑いながら一瞬の隙を突き、恐ろしい形相でアーシアに手を伸ばした。
(くっ……)アーシアの腕が酷い力で掴まれた。
「なるほど、なかなかやるな。だがな――」
ワースの決死の勢いは、足まじくアーシアをがっちりと捉えた離さない。
二人は反り返って、勢いにより自分自身の身体も大きく揺れた。
ワースがバランスを崩した瞬間、マドカとヨシがワースを引き離そうと全力で押し込もうとした。
しかし、敵は離さず、二人はもみ合い、噴き出す飛沫の霧に隠れた。
二人は互いに、
片や相手から逃れようと、
片や何としてでも逃すまいと――、
縺れながら、
遂には滝壺へ――。
その時だ。
「共にゆこうぞ! それも一興」
アーシアの耳元でワースの生暖かい囁きが息遣いと共に伝わった。
そして、最期を悟った狂笑を高らかにあげた。
『ご主人!』
ごうごうと噴き上がる水の音の向こうで、マドカの叫びが聞こえた。
轟音と共に水しぶきが舞い上がり、霧の向こうに、スローモーションのように、二人が落ちていく姿が映った。
滝は勢いよく流れ、水飛沫を叩きつける。
アーシアは落ちる瞬間、カルラの声と共に棒術の特訓を思い出し咄嗟に身を捩った。
” 躱すのよ……。そう、しなやかに―― ”
重力の勢いと落下の風圧で、ワースの腕を振りほどいた。
「一緒になんか、逝かないわ!」アーシアは力の限り叫んだ。
『あたちの蔦届いて!』
『ヨシ!――やるんだなぁ』
可愛い従魔たちの声が木霊する。
アーシアは瞬間、雲の向こうに虹を見た。
晴れ渡る空の青さと、滝の噴き出る飛沫の白霧が雲のように浮かび、その間に掛かるまばゆいような虹光。
虹の向こうに小さな白い影と、背中にふわりと抱かれるような感触。
滝の陰から、蔦の緑が見えた。
滝は丸きり違った蒼と藍に光り、
刹那の間止まったかのように、アーシアからは逆流して見えるようだった。
目だけを頭の上の方に向けると、必死で手を伸ばす男……
飛沫にアーシアの目が霞む。
彼の絶叫だけが、獰猛な水音にかき消されるように、瞬く間に遠く、小さくなっていった。
それはまるで、“抗えなぬ運命”への理不尽さに対する彼の慟哭のようだった。
そしてその叫びは、あっという間に、滝底のもうもうたる水煙に飲み込まれて――イアプト・ワースは消えた。
アーシアは小さく笑みを浮かべると、風圧と光の強さに目を閉じた。
猫たちは無我夢中であった。
主人を助けんと。
マドカは、先だって滝に飛び込み急降下した。アーシアの下側から風を吹き上げる。
ヨシは力の限り魔力を練り、念動力を使ってアーシアを浮かせた。
人ひとり、しかも軽いアーシアくらい、普段のヨシなら軽々浮かせられる。
落下速度は想像以上に強い負担となって小さな体にのしかかり、ヨシは尻尾ごと短い毛を逆立てた。
マドカは、さらに続けざまにスキル『旋風』を繰り出し、もう一度、空高く飛んだ。
なごみは大量の魔力を使って、滝の水を一瞬だけ操作した。
やったことすらない規模の魔法、なごみも真剣だった。
そして、アーシアが浮き上がるのと同時に蔦魔法を伸ばし救助に向かわせた。
三匹の魔法は、優しく包むようにアーシアを取り巻き、そっと丁寧に自分たちの前へと運ぶ。
アーシアは、暖かい光に包まれ、上向きに横たわるようにして浮かび上がったまま子猫たちの目の前まで寄せられた。
そしてそっと、安全な地上に降ろされた。
アーシアは、背中に地面の冷たさと固さを感じ、薄く目を開いた。
「……て、天国かな……」ぽつりとかすれ気味に声が零れる。
『ご、ご主人~!』
『うわあん……』
『ち、ちがうわ。あたちたちっ、いるから』
目には、木々の緑の葉の間から、ちらちらと光が漏れている。
腕に複数、締め付けられるような不思議な感触を感じて、そちらを見るとしっかりとした蔦が幾つか絡んでいる。
(ああ、生きてる……猫たちが、助けてくれたんだ)
そう気づいて、じんわりと目が熱くなる。
そして、口々にアーシアを懸命に呼びかける、従魔たちの声が耳に届いた。
(あ、みんな、……泣いてる。安心させてあげなくちゃ……)
「マドカ……ヨシ、なごみ……大丈夫だよ。
心配かけてごめんね」
自分の体を確かめるように、アーシアはゆっくりと身体を起こした。
猫たちは、アーシアに飛びついて泣き出した。
「……助けてくれてありがとう。……修行、頑張ったんだね」
まだかすれ声しか出せないが、アーシアは頑張って三匹に優しく呼びかけた。
可愛く勇敢な、アーシアの愛すべき相棒たち――
「狡兎三窟」(こうとさんくつ):災難を逃れることが巧みなたとえ
丸きり〖副詞〗:まる・きり、丸切り すべて
「まるっきり」は促音化 やや強調、否定が強いイメージのようです
お読みいただきありがとうございました




