189予期せぬ遭遇
大きな石に手を置いて、身体を少し休める。石は冷たく、少し濡れていた。
マドカはアーシアの肩近くの石に乗り、なごみも水の傍がいいのかその石に飛び乗った。
ヨシはアーシアの足元に座っている。
《ねえ、なごみ、ここは水が多そうじゃない?》
アーシアは用心のため念話を使った。
手を舐め、身繕いをしていたなごみが大きな青い目で見上げた。
《ええ、そうよ。それにここには植物も多いから、
あたち、大活躍できるわ》
《誰か、周辺に人はいない?》
《待ってね、今探ってみるわ》
なごみは、鼻をひくつかせ、耳を前に向けて集中した。
《……人が……一人だけいるわ。……なんかとっても、怒ってる。
『常若の妙薬』を……あの”石”を、盗まれたって言ってるわ》
氷のような綺麗な目を大きく見開いてなごみが念話で告げた。
(ワースは、
『常若の妙薬』が石の形だと分かっている口ぶりね……
それに、盗まれた?)
ワースたちの研究は想像以上に、進んでいるのかもしれない。
アーシアは、そのことが酷く気になった。
(彼らが、あれを悪用したら……
それ以前に……正しい手順で錬金しなければ、
どんな怖ろしい事故が起こるか……)
《誰に盗まれた、とかは言ってる?》
アーシアは、なごみにもう一度聞いた。
《ううん、……あ、女だって。「あの女」って言ってた》
(……女? ああっ、《蛇結茨の》ドゥッケ=リリ)
《た、大変、こっちに、来りゅわ!!》
《どっちから?》
なごみがこっちだと言うように、しっかりと左前方の方角を向いた。
(もしかしてここで隠れて居たら、アジトが空になるんじゃ……
で、でも、エンがまだ来ていない。ヴィクトルも……)
《うん、隠れよう。どっちへ行ったらいいと思う?》
《ここは……多分もう、ぎりぎり絶壁なの。
行けるところが、ほとんどないわ》
《じゃあ、登ろう》
木もまだある。隠れられるなら、上から見下ろせる場所のほうがいい。
なごみに、アジトのある場所を聞きながら、見張れて隠れられそうな場所を探してもらった。
因みにここにいるはずのカイトの気配もないという。
絶壁の際に沿って、木を支えにして上へ上へと登る。
木に遮られて見えなかったが、右側には深い岩壁が続き、ところどころで地下水が噴き出していた。
木々が途切れてくると向こうが粗い岩肌になっているのが見えた。
さっと身を翻すと反対側の木々の間に入り込む。
猫たちは身軽に葉や木の幹に隠れながら動くことが出来ていた。
そうやって、いつの間にかアジトらしい場所の裏手を回り、反対側へ出ることが出来た。
《声の聞こえた方だと……出入り口はあっちよ》
木々が途切れた場所に空洞のような穴が開いて見えた。近づかなければ見えない絶妙な場所だった。
アーシアたちのことも向こうからは当然見えないだろう。その時、アーシアの腰の辺りで細かい振動を感じた。
アーシアは、驚愕に大きな目を見開いた。
――洞窟から、男が現れた。
しかし今は、それどころでなかった。
魔石発見機の振動に気づいたアーシアは、手早く腰のその装置を取り出してそっと見つめた。
点滅は小さい。モンスターほど大きくもなく、魔石のようにはっきりもしていない。
その“細い点”が、アーシアたちの数メートル先で明滅していた。
そして不安定な薄赤い点滅は、尚も続いて存在を報せて来るのだった。
(ええ……魔石? ……いいえ、違う。
この反応は……――爆弾だ!)
《みんな!動かないで!》
アーシアは急いで念話で鋭く伝えた。
《どうしたんだ? ご主人》
マドカが心配そうに念話で返した。
《……多分、近くに爆弾が仕掛けられている……》
猫たちは息を呑み、じっと静かに動かないように努めた。アーシアは、発見機で更に周囲を調べようとした時だった。
洞窟の入り口で急に男が動いたのだ。
慎重に周囲を見ながら出て来たその男は、額が広く、M字に後退した生え際。金髪はかっちり撫でつけられている。
細い特徴的な鷲鼻に、小さな眼鏡、神経質そうな目は黒く冷たい。
彼は辺りを気にしつつも、手首のカフスを弄りながら慣れた様子で進み出た。
お陰でアーシアたちから、しっかりとその顔が見えるようになったのだった。
(……イアプト・ワース?! ……きっとそうだわ。
だって、そっくりだもの。カルラさんの調書の通り。
……そして、なんてこと。
頭の部分を隠したらイヴァン・イアヴェドウズ、その人だ。
一体幾つの、名前を持っているんだろう。
クリスチャン・デイス、イヴァン・イアヴェドウズ? ……イアプト・ワース
きっと、錬金物の銘が【ワース】だったから、少なくとも”ワース”は本名なのだろう……)
黒の上下に白いシャツ、ブロンズ色のスカーフ風のクラバットには大きな金色の豪華なブローチが付いていた。
こんな場所に居るというのに髭もなく、神経質そうに眉間に皺を寄せている。
そして不思議なことに、如何にも都会の博士らしい身だしなみをしていた。
アーシアはゆっくりと音を立てないように、発見機に目をやった。
(点滅は……よかった。あそこに一つしかないわ)
そうほっとしたのもつかの間、がさがさと葉のざわめく音がすると、一匹の大きなネズミのような獣が、鼻を激しくひくつかせて現れた。
足元の小石を蹴り、木の実のある方向へ――。
(ああ、駄目! ……そっちは!)
「みんな、気を付けて!」
アーシアは思わず声を上げた――
その瞬間だった。
ダアァン!
大きな音がアーシアの声をかき消し、激しい風圧と岩が砕け飛び散る音。
閃光が走り、火花が散って、もうもうと煙が上がった。
距離は多少あったことと、なごみとヨシが咄嗟に防御結界を張ってくれたため、怪我もなくアーシアたちには被害がなかったが、彼女らを隠していた遮蔽物が、爆発ですっかり消えて拓けてしまった。
そのため、その場で蹲っていたアーシアの姿が、ワースの目の前に爆風により曝け出されてしまったのだ。
「やあやあ、誰かと思ったら、”放浪の錬金術師”さまじゃぁ、ないか。
わざわざ、こんな辺鄙なところまで御出で下さるとは、一体どんなご用件で?」
爆破による埃の中で、体を起こし周囲を見渡しているアーシアを見つけたワースは、初めこそは目を見開き驚いたようだったが、直ぐに相好を崩し、口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。
アーシアは諦めて息を吐き、膝の土を払いながら立ち上がった。そして、自分の猫たちを視線でそっと探す。
「……やっぱり、わたしを知っているのね。
……イヴァン・イアヴェドウズ先生?
……それとも本名がいい? ――――イアプト・ワース」
男は如何にも意外であるかのように装い、鷹揚に目を開いた。
「はは、勿論知っているさ。アーシア・デイス。
遅くなったが、卒業おめでとう」
随分な言いようだ。何度も確認して従魔たちの隠れている位置を把握した。
マドカは恐らくアーシアの後ろの爆破を逃れた一本、木の上にいるだろう。
ヨシはやや離れた岩の陰に丸くなっている。
なごみは一番大胆で、アーシアの足元の枝や葉の間に自分の身体の模様を活かして紛れ込んでいる。
アーシアは少し気を悪くしながらも立ち上がり前に少し進み出た。猫たちが素早く隠れられたことを確認して一人安堵したのだ。
「あなたからの労いは、不要よ。イアプト・ワース。
ワイズマン博士こと、クリスチャン・デイスなんて紛らわしい名前を使っていたのだから……」
アーシアは、毅然とした調子で言葉を放った。
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