108カルチュアルギャップというものですか?
アーシアは、コル・デル・クオーレに、改装のお祝いという形で琺瑯を贈ろうかと思って持って来ていた。
琺瑯鍋は便利で清潔感もあり、オーブンや直火でも使え、映えるし贈り物にちょうどいいのではないかと。
なので、厨房のお披露目が終わった後に、
「あのう、ちょっとこれを見ていただけませんか?」
作業テーブルの上に、アーシアが自ら琺瑯の釉をかけてオレンジ色に染めた鍋を置いた。
ハート一家とペプロー氏が、囲むように傍によってまじまじとそれを見ていた。
「これは……花瓶にしては、形が違いますね。置物ですか?」
「お鍋かしら?綺麗ね」ウェスちゃんが言うと、
「何言ってるの、鍋のはずないでしょ。
割れやすいし、高価すぎて厨房で酷使できないわ。綺麗だけどね」
ハート一家は、この目の前の鍋の形をしている奇妙なものを、いったい何だろうかと口々に話しあっている。
そんな中で、ペプロー氏がぼそりと低い声で呟いた。
「……ほぅ。これは……見た目だけではない。
これは焼き付けで割れを防ぎ、酸にも強い。それにしても、贅沢ですねえ」
拳の指を顎に押し当てて、琺瑯鍋を食い入るように見ていたペプロー氏が、ぽんと手を叩いて、急に明るい声を出して言った。
「アーシアさん、いくら発明が好きだと言って、これは、無駄遣いにもほどがありますよ。
宝石か装飾品を鍋にしたようなものです。
時代が早すぎますよ。きっと……300年くらい。あ、そうですね、300年くらいは早いですよ。
……まったく、仕方ありませんね」
その言い方は道化のように、かなり演技がかっていた。アーシアはハッとなって、このペプロー氏の態度は、自分を気遣ったためだと気が付いた。
周囲の思わぬ反応に、背中がひやりと寒くなっていたアーシアだったが、ペプロー氏のこの言葉のお陰で我に返れたのだった。
(ああ、これはフォローしてもらったんだわ。
やっぱり実用製品の琺瑯はこの時代には早い……可笑しかったんだ)
心の中でお礼を言って、無難に内側にスズを引いた大きな銅鍋を贈りものとして渡した。
「まあ、こんな高価なものを!」
ハートさんたちは、遠慮しつつも、とても喜んだ。
支払い期日、方法などの手続きや事務処理を終えて、ペプロー氏と共に、コル・デル・クオーレを後にした。
すると、急にペプロー氏が、
「少し、ギルドに寄っていただけませんか?」
と、聞いて来たので、アーシアは何か用があったかなと思い了解した。
商業ギルドでは、アーシアがよく通される応接室と会議室の間のような部屋に通された。
ここは製品などを置く長い机が用意してあるからだ。
「さて、アーシア・デイスさん。
まだ、登録がお済みでないものが御有りのようで。
先ほどの、火をつける器具とか……ほかにも沢山発明しすぎて、うっかり、私に言い忘れていたものがあるのではないですか?」
丁寧なのに有無を言わさぬ強い雰囲気に、タジタジになりながらアーシアは震え上がった。思い当たることが多すぎる。
流石に、3d複製機なんて見せられない、どうしたものかと、頭の中がグルグルと回ってしまう。
そんな中、必死になって商売の鬼のようになっている、ペプロー氏におずおずと訊ねた。
「あ、あの言えないものもあるんです。自分でしか使いません。
そんなものも……登録しないと駄目でしょうか……」
ペプロー氏は、はあっと長くため息をついて、表情を和らげた。
「もちろん。駄目ではありませんよ。自分を、延いては自分の研究を守るのは当然です。
――もしも研究を全部よこせ、なんて言うやつが居たら、犯罪者ですよ」
アーシアは恐る恐る、厨房ストーブ、オーブンストーブ、囲炉裏フード、カラー剤2種、保育器、琺瑯鍋などをペプロー氏と確認していった。
勿論、カラー剤と保育器は、既に彼も知っている。他は細かい便利道具が多かった。
ペプロー氏は、出された発明品と用紙をにらめっこするようにしながら、これはある無いなどぶつぶつ言いながら、素早く書きこんでいく。
かなり時間が掛かって、やっと、全て終わった。
「今度はこまめに報告してくださいね」
帰りがけに見送ってくれた、ペプロー氏にきつく念を押して言われた。
そんなアーシアが、人の波に紛れて帰っていく姿を、ペプローは、じっと見つめていた。
ベルナルド・ペプローは、気が付いていた。アーシア・デイスの錬金の能力が尋常じゃないことを。
彼女は、結構抜けたところがある。普段はガチガチに隠しているのに。
ペプローは、錬金学部卒業であるが、元々由緒ある鑑定士家系の出だ。彼の鑑定眼は、アーシアの特殊なスキルの痕跡を見逃さなかった。
例えば顕著なのは、コル・デル・クオーレの厨房の奥にある氷室だ。古ぼけた氷室だが、非常に強力な保冷特性が付いている。しかも、内側と外側で種類が違うのだ。
先ほど見た、立派な釉薬を使った鍋も、今は見世物か置物としかならないが、いつかは実現していく技術だろう。
そうだ、あの富豪の、料理が趣味だと言うマダムなら……
アレを間違いなく欲しがるだろう……ペプローはにやりと笑った。
あんな芸当、どんな高レベルの錬金術師だって、できやしない。両方のスキルの造形の深いペプローだから分かったともいえるが、逆を言えば彼ほどの能力があれば、彼女の特異さに気が付くのだ。
なので、ペプローはこのアーシア・デイスの担当だけは、決して譲らない。うっかり者のこの重要な顧客は、いつ誰かに付け入られるかわからない。
そんなことになったら、この胸躍る陶酔感をもたらす発明品を、いの一番に間近で見ることができなくなってしまうのだ。
そんなペプローは、思いを巡らす。それにしても、あのうっかり具合は自分一人では心配だ、誰か信頼がおける方に相談できないか。もしや、あの方なら――
そう思って周りの視線を彼女から逸らせるように賢い狐のような笑顔で、日々アーシアの動向に注意を切らさないようにしているのだった。
その日の講義は、オットー先生の醸造で、学部内でも人気が高いものだ。
しかも丁度、酒造りの工程と方法についての内容だったので、受講者と外部聴講生も多かった。
オットー先生は、黒板に慣れた様子で板書していく。
【乱暴な方法】:
・一気に魔力を込めて発酵 → すぐ酒になるが、雑味が残る
煮え立つように泡立ち、苦味や渋みが出やすい
望ましい方法:
・仕込みを「三段仕込み」で分ける(発酵を三回に分ける)
時間をかけ、回数を重ねると「酒精が澄んで、香味が整う」
熟成を待つことで「錬金的な調和」が生まれる
「教本の82ページを見てください。
短期間で造ると「香りが荒く、刺激が強い」
時間をかけると「蒸気に丸みが出て、甘味が残る」
錬金の教本には「三度に分けて発酵を進めよ。急けば苦く、怠れば腐る」と書かれています。
ワタクシたちの錬金術は、一晩で酒を造ることができますが、御覧のとおり、適した工程を経ることで、より良いものを作りだすことができます。
また、錬金術という魔法を使うことでより芳醇な、素晴らしい酒にすることも可能なのです。
――三たび仕込み、三たび寝かせよ。乱れれば苦し、急げば軽し。
急ぎ作ったものには強さはありますが、雑味が残ります。如何に、まろやかな味わいにするか、また、香りや個性などは、その作り手に委ねられるのです」
講義が終わり学生がぞろぞろで教室を出ていく時、教壇の上を片付けているオットー先生に、アーシアは近づいた。
「おや、何か質問かな?」
「あのう、麦でお酒を造ろうと思っています」
「ほう、ウイスキーではないのかね?」
「はい。多分ですが、麦と、……米から作る発酵物とで作ろうかと思っています」
所謂、麦焼酎に近いものだ。アーシアが作りたい物は、”みりん”。残りあと、みりん作りの材料に足らないのは、焼酎だけだった。
アーシアはどうしても、あのムナギ(うなぎ)という魚を、蒲焼きにしたいのだ。
「ううむ、なかなかシンプルなものだね。米か」
「はい、実は甘露酒のようなものを作ろうと思っていまして、その材料に使おうと思っているお酒なんです。
他にも別のアルコールを……果実酒か何かを試す予定なのです……」
「面白そうだね。最近の学生は、教わることばかりを頑張るが……
本来、自身で新しいものを試すものだ。
そうだ、その材料になりそうなものを、ワタシがひとつ提供しよう。
ああ、それと、聞きたいのは仕込みと錬金術のタイミングじゃろう? それならばな……」
オットー先生は、白い髭を捻りながら如何にも楽しそうに笑うのだった。
カルチュアルギャップ=カルチャーギャップ
日本では、カルチャーギャップの方が一般的ですが、
主人公の心の温度差を出したくて、学術的な響きのある、お堅いイメージでつけてみました
お読みいただきありがとうございました




