97 メッセージは鳩のマーク
ポルタベリッシモは、時期としては冬を迎えた。温暖なこの街は一年中凍ることがない穏やかな気候だ。
学期末の忙しさから解放された頃、いつもの棒術のレッスンの後、カルラについて執行部詰め所へ向かうことになった。
詰め所に着くと気を使う必要もなく、誰もいない。入っていくとカルラは、慣れた様子で箱と冊子を一冊取って窓際の席に座った。
結局、今回の連続爆破事件について警察の見解では、イヴァン・イアヴェドウズは一連の爆破事件の首謀者で、最期に自身を巻き込んで大規模な爆破を起こしたということになった。彼の”居た”とみられる場所には血痕の跡が多数発見され、命はないものと思われた。ただし死体はどこにもない、不明のままだった。
「いいわよ、適当に座って。このお菓子食べる?
ナオちゃんにもらったのよ」
箱を開けながら中を見せてくれた。
しかし、アーシアは少したじろいだ。なぜなら、いつもならほとんどなにも置いていない楕円形の机が書類で一杯だったからだ。
「ああ~、あの子たち、忙しいから片付ける暇がないのね…
ちょっと、どけようか?私、慣れてて気が付かなかったわ。
…ごめんなさいね」
「いえいえ。あ、事件の書類ですか…?
わたしが、見ちゃっても…?」
「うんうん、気にしな~い。アーシアは、全部知ってるじゃない」
書類を何となく整えて脇に揃えて置いていると、一枚の調査用紙がひらりと落ちた。
直ぐにそれを拾い上げると、それは、ごく初期の調査書で逆さになっていた。
書かれているのは、名前とその簡単な情報だ。
ラッチ・リー、
ガース・フリン、
トム・ロック、
クリュメ・フリン、
ダフネ・トラシオン、
イヴァン・イアヴェドウズ…
何かが引っ掛かった。文字が逆さにばらばらに羅列のように頭の中に入ってくるようだ。
指でなぞって、そっと止め、またなぞる。ぼんやりと指でなぞりながら見ていたアーシアは、急にはっとなって、傍にあるペンを持ち出した。
「ん?なあに、どうかしたの?」
カルラは立ちあがってアーシアの傍に寄って来て、その手元を怪訝そうに覗き込んだ。
「こ、これ?!
カ、カルラさん…このラッチ・リーの言っていた、自分の雇い主って……」
そう言って、アーシアは調査書の空いている名前の上に、文字を書きだした。顔は緊張に強張っている。
カルラも真剣にそのペン先を見ていた。空気に緊張が溢れた。アーシアが真っ青になって、驚愕に目を見開いた。そして、少し震える声を上げた。
「これ、偶然でしょうか?
ノシュアラト卿、no-sih-ra-to、
文字を逆さに読むと、 t-ra-his-on、トラシオン…!」
「「ダフネ・トラシオン!」」
ノシュアラトは、少し乱暴だがアナグラムだった。
トム・ロックは、口封じ魔法を掛けられている中、何とか黒幕の正体を伝えようとしたのかもしれない。
それとも、無理やり従わされた、ただの反抗心か。若いのに食えない、と言われたのは本当だ。
ということは、イヴァン・イアヴェドウズが爆弾作りの錬金術師、ラッチ・リーことトム・ロックは、実行犯、そして黒幕が…ダフネ・トラシオンということになるのか。
あの地味なあまり印象にも残らないような女性である。
ただ、腑に落ちることが一つある。あの強い挑戦的な香水の残り香は、精神魔法の独特の匂いを消すためのものなのだろう。
「ああ、そっちだったのね…」
そう漏らしたカルラにアーシアは頷き、二人顔を見合わせて深くため息をついた。
思いもよらない、事実の発覚だった。
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事実が分かれども、ただ、日々は過ぎていく。もう学期末試験も終わった。
しかし、アーシアには、まだ予定が目白押しだ。
一つは、ウェスタの実家のハートさんのレストラン、コル・デル・クオーレの厨房の改装だ。
幾つかのデザイン案を、作って見せに行かなくてはならなかった。お店はいつでも繁盛しているので工事をやる日取りが難しいだろう。
アーシアは、デザインを決めてもらったら、一先ず亜空間作業場で全て作ってしまって、それを設置するだけにしておこうと思っている。
もう一つは、ヴァスキス神聖国にいるマドカの兄弟たちの引っ越しだ。
これは、数日中に行う予定になっている。可愛い元気なニャンずは、ますますパワフルになっていて、神官さんたちを手こずらせているようだ。
鹿之丞にも、約束は取り付け済みなので、問題はない。
さらにもう一つは、新学期に入ってからだが、進級試験のことだ。3級は当然、在学中に取得しなくてはいけない。
受験資格が、一学期間を過ぎたらという規則があったので、最も近い日程で受けるとなると新学期からということになる。
試験は、筆記と実技で、実技が特に重要である。試験官が提示したものをその場で、調合、錬金して作らないといけなかった。
作れるだけでなくスコアを上げるには品質も良くなくてはならない。なので、皆学生は在学中に何度も受けるのだった。
また、アーシアにはひと月に一回の、商業ギルドへの納品もある。数的には問題ないと思っていたが、日々が忙しくてこれが中々大変だった。
ポケットコンロの納品は、現在45器。結局2カ月どころかずっと納品数は増えたままになってしまった。
品物を収める日に、次の月の材料をギルドで調達するようにしている。
また、個人注文で定期的に、MPポーション(ソーダ味)が、ダースで入っている。その個人は、「光風の精霊」カイト・ゴットフリートさんだ。
以前アーシアの移動工房で購入したソーダ味が大変気に入ったようで、定期注文となったが、飲みすぎを心配するほど数が多い。
もしや、清涼飲料水の代わりにしているのではなかろうかと、アーシアは心配していた。
カラー剤の様子を見ようと、ニーちゃんの美髪店に向かおうとしていた丁度その時、鳩伝(商業ギルトの鳩の電報のこと)が来た。
アーシアはそれを見て、満足げに笑みを浮かべた。
『なんだ、どうした??
なんかいいことあったのかあ?』
キャットタワーの上で、寝たままの体勢で、目を片方だけ開けて耳をピクピクさせてマドカが聞いた。
「うふふ、ちょっと行ってみようか?」
眠そうなマドカをスリングに入れて、急いで準備をして、寮を出る。予約時間まで余裕はあるから大丈夫だ。
ロータリーから、今にも出発しそうだった街行の馬車に飛び乗って、ロータリーで小型の貸馬を借りてみた。
実は、あの後すぐに乗馬のレッスンが始まって、短い時間なら乗ることができるようになったのだ。
子どもが利用するような優しい馬なら大丈夫とやっと自由に移動ができるようになったのだった。
しかしまだ、「今度は魔獣に乗る訓練よ」と、カルラたちに張り切られている。
がっしりめの北方の妖精のような顔をした、ポニーのような馬に乗って、ソレッレ《姉妹の》美髪店まで行く。
一人で大通りを、馬で抜けるのは風が気持ちよくて、楽しかった。マドカはスリングの中でなにやらあわわあわわと言っていたが。
地域には集合駐車場のような場所があって、ポニー(仮)には、そこで待っててもらう。
あわわと言っていたマドカは、乗馬中かなり揺れたが、スリングの特性[極楽気分]の効果のせいか、酔ったりはしなかったようだ。
《美容院の中だから、静かにしていてね》マドカに念話で伝えると、
マドカが《わかったぞう、おいら、楽しみだなあ》と目を丸くしていた。
お洒落な扉を開けると、今日はもうお客様はほとんどいなかった。ただ、見知った男性が所在なさげに小さくなって待合のソファに座っている。
アーシアは、少し屈んで、小さく挨拶した。
「あ、ハンスさん!こんにちは。大丈夫でしたか?」
ハンスは、見るからにホッとした表情を顔に浮かべた。
「こんなに、お洒落なところだなんて…先生も自分も、驚いちゃって…
先生なんか、ほら、されるがままですよ…」
アーシアは、前回アレッサンドロの研究室へ行った際、メモをハンスの手渡していた。
このソレッレ《姉妹の》美髪店の住所と鳩伝でアレッサンドロ先生の予約を取るよう、是非に!と書いて渡したのだった。
渡されたのは少し前だったが、「やっと来る気になったのですよ」と、ハンスは少し笑った。
ハンスも、必要以上に小さな声で答えた。するとその時、溌溂とした元気な声が聞こえた。
「あ、アーシアお姉ちゃん!いらっしゃいませ!
うれしいわ、来てくれたのね」
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