96 錬金術師の夢
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「ク、クリュメさんは、…」
アーシアが気を使って、話し始めようとすると、アレッサンドロが、聞いたことがない優し気な調子で元許嫁に向かった。
「クリュメ殿、悪いが今は大事な仕事で、取り込み中なのだ。
悪いが、帰ってもらえんだろうか?」
そう言うと、クリュメはキッと彼を見つめた。入念に施されていたであろう化粧がやや崩れて、目尻には細く皺が刻まれているのが見えた。
近づくと見えるその顔に浮かぶ細かい皺は、甘い乙女のような服装を痛々しく浮き上がらせていた。
「いつもそうね!アレックは、仕事、仕事って」
そう言ってふんと踵を返し、帽子を拾って、ぷりぷり怒りながら帰っていった。まるで嵐のようだった。
アレッサンドロは、彼女が帰った後も、暫らくぼんやり床を見つめていた。
「彼女とは、ずっと長い付き合いでね、まあ、わがままなところもあるが。
我輩が、随分待たせてしまって、愛想を尽かされてしまったのだよ」
静かに淡々と、アレッサンドロは、独り言のように零した。
(そういえば、イヴァン・イアヴェドウズが彼女に近づいた理由って…
まさか、闇オークションの黒幕であるフリン家の……!)
アーシアも、まんじりともしない苦い気持ちで手元の書類を見つめ続けた。
ふと何ともなしに、アレッサンドロの研究デスクの上のレポートが目に入った。
(これって…?もしかして…)
「花火?」思わずついと独り言が漏れた。
「花火、花火か。キレイないい名前だな…」
アレッサンドロは、静かに低く霞のように呟いた。
その釣られるように自分の研究記録に向ける眼差しは、悲し気で、一人の男性の孤独さと切なさに溢れていた。
「アレッサンドロ先生の研究は、花火を作ることではなかったのですか?」
そう、魔石を混ぜると色が付くことに、彼が直ぐに気付くことができたのは何故か。また、クレッグが言っていて没頭している怪しい研究とは。
アーシアはその時、花火のことではないのだろうかと、思い当たったのだった。
「……愚かであろう我輩は、彼女にキレイなものを贈りたかったのだ。
ただ、それだけだった。
我輩はこの手で、全てを破壊し、失くしてしまうようなものを作ってきたのだよ。
命すらも奪ってしまう。そんな我輩が、世にも美しいものを創るという夢を見てしまったのだ」
アレッサンドロ・ヴィスコンティ、爆炎の科学者と異名を持つ38歳の1級錬金術師、天才ながらもその風貌と態度で奇人変人として見られている人物だ。
しかし、彼は自分を裏切った許嫁を責めることもせず、静かに見送った。寧ろ、優しい態度で。
そして今も、彼女を責めずに自分を責めている。その深くて分かりにくい愛情は、彼の奇異な風貌からは想像できないほど尊いものだ。
アーシアはしばらく黙って、物思いに耽っていた。ここまで研究が進んでいるのなら、当然実物もあるのではないか、そう思って周囲を眺めた。
するとやはり、デスク脇の棚の前に幾つかの丸い球が置いてあった。いつもと違い鑑定スキルを躊躇せず使ったアーシアは、直ぐにそれが花火であると気が付いた。
しかも、ちゃんと安全面でも完成しているではないか。流石の”爆弾の専門家”だ。
「アレッサンドロ先生、その花火は、どうなさるんですか?」
アレッサンドロは、ちらりと棚の上を見て、
「もう…我輩には、必要のないものだ。
持っていきたかったら、持っていくがいい」
アーシアは、その花火の玉を手に取って、うっすらと微笑んだ。
そうして、花火を空間収納に収めている間、アレッサンドロは、静かに窓から外を見ていた。
トントンとドアを叩く音がして、助手が帰って来た。ありがたいことに、ハンスさんだった。
アーシアは、自分のメモ用紙を一枚ちぎって書き留め、そのメモをハンスに渡し、挨拶をしてからドアを出て行った。
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アーシアは、花火を受け取るとすぐ、執行部の詰め所に向かった。中には丁度良く、カイトさんが長いトムの追跡の旅から帰って来て休んでた。
疲れている所悪く思ったが、相談があるとアーシアは頭を下げた。話をしている間にほかのメンバーも戻って来て、計画を練った。
話してみると、皆大乗り気だった。特にカルラは大喜びでいろいろ仕切った。風魔法のカイトと岩魔法のグラウベンに現場は任せることになった。
夜、アレッサンドロを呼びに、彼の研究室へカルラと向かう。
色々大事件が起こったものの、収穫祭は最終日だった。規模は小さくなったものの、人々は気を取り直してお祭りを盛り上げているそうだ。
「こんばんは、アレッサンドロ先生」
研究熱心なアレッサンドロは、皆の言う通りそこに居て、二人の登場に驚いていた。
面倒くさがるアレッサンドロを、文字通り引っ張って、建物の屋上に連れて行く。
「おや、祭りとは反対の方角ではないかね?」
アレッサンドロが、いつもの破睨みのような目つきで聞いた。
二人は、いいのいいのとくすくす笑いながら、彼の嫌がる背を隅に押して行った。
夜の帳は濃く、星もあまり見えない。
すると山の斜面の方から、ドーンという音がすると、パンパンパンと空に火花が弾けて、一気に明るくなった。
アレッサンドロは、その光にあっけにとられ、驚いて硬直した。それからは身動きもせず、目も離せない様子でじっと見つめていた。
パンパンパン、次々に色とりどりの炎の花が、暗い空に咲き誇っては消えてゆく。
研究者の目は頬は、輝いた。まるで、幼い少年のように。
その情景は、幻想的でひと時の夢のようだった。
アレッサンドロによって作られて花火は、以前宴会で使った露天掘り跡の訓練場から打ち上げられた。
カイトとヘルマンは、うまく花火を操った。
高い場所からの花火は、街の人々の目に留まり、あっと驚かれ喜ばれた。花火は、収穫祭の最後を綺麗に彩った。事件直後で街の人たちは爆発に神経質になって居ないかと心配はあったが、似たような物とも見做していなかったらしい。気落ちしていた皆は非常に思いがけないサプライズに喜んだそうだ。
後日、この花火は、アレッサンドロ・ヴィスコンティ最大の大発明となるのだが、この少年のような研究者はただ今は目を輝かせて己が夢の光景を目に焼き付けているのだった。どこか似た風貌の二人の錬金術師はなんと対照的なことだろう。
一人は何かの錬金のために人を欺き傷つけ、手段を択ばないほどの目的を渇望し、突き進んでいるようだ。
だがこの目の前の人物は、純粋に美しい物、そしてその先の自分の大切な人の幸せを願い夢見て、錬金術を使おうと努力してきた。アーシア自身の錬金術は、彼のように人々の幸せのために使いたい。
花火は色が万華鏡のように変わり今度はピンクが混ざって輝いた。アーシアはふとその色を見て、もう一人あのピンク色の背中を思い出していた。
アーシアは心の中で葛藤した。普段なら言わない意地悪な言葉を、つい呟いてしまった。
「ざまあみろ、……なんだから」
(見た目は冴えないかもしれない、でも、この人物は立派な人だ。
そして、素晴らしい”夢”を実現したんだ…)
小さく小さく聞こえないようにこっそりとアーシアは呟いた。
しかし、聞こえていたのだろう、カルラも小声で、
「本当に、ざまあみろ、ね」
と、ひそやかに口に笑みを浮かべた。
三人の頭上で、暗い空に輝く大輪の火の粉の花は、美しく彩り輝いていた。
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