水分100%の身体にしてよ
グロ&胸糞注意
月光が黒い波を浮かび上がらせていた。
白い防波堤の上、俺は何度も何度も釣り竿で、麻希の顔面を突き続ける。
『わたしを水分100%の身体にしてよ』
そんなことをまるで喋るように、左半分砕けた笑顔が俺を見据えながら、何度突き返しても、黒い海の中から浮かび上がってくるのだ。
「いい加減にしろ!」
俺はまたその額を突いた。
麻希がすべて悪いのだ。
彼女はとんでもない変態だった。
「ねぇ、人間の身体って、何%が水分でできてるか、知ってる?」
お洒落なレストランで食事をしながら、唐突にそんなことを聞く女だった。
「さぁ……? 確か……80%とか、そんなんじゃなかったっけ?」
馬鹿にするように笑われた。
「赤ちゃんでもそんなにはないわよ。赤ちゃんで75%、成人男性では60%、女性は50%ちょっとってとこね」
「女性のほうが少ないの?」
「脂肪が多いから」
「あぁ……」
俺はなぜ彼女がこんなつまらない話を始めたのかと、訝しがりながら、ハンバーグにナイフを入れた。
「なるほど……」
すると麻希が言ったのだった。
「──わたし、水分100%の身体になりたいな」
俺は冗談だと思い、しかしハンバーグを吹き出すほどの笑いは起こらず、ただバカバカしいと思いながら、言葉を返した。
「それじゃ水死体だよ。それともお肌ピチピチになりたいの?」
「そっか……。お肌ピチピチにもなれるよね」
「通り越してぶよぶよかもだけど?」
「してよ」
「え?」
「わたしを水分100%の身体にしてよ」
夜の麻希は激しかった。
俺の上に馬乗りになり、激しく腰を前後に擦りつける。
そのまま全身が水になって崩れてきそうな迫力に、俺は燃えたぎる火にならざるを得なかった。
「殺して!」
俺が上になると、彼女は自分の首を締めさせた。
締めるふり程度の力で俺がそれをすると、憎むような目を向けて命令した。
「もっと強く!」
これ以上強くしたら麻希という血の袋が破裂するぐらいのところまで俺は力を入れた。
そしてやはり燃えたぎるのだった。
彼女という水に刃向かうように、熱く、熱く、その水を攻撃した。
彼女に命令されるのが好きだった。
「殴って!」
命令に従い、てのひらで彼女の頬を殴ると、また睨まれた。
「ちゃんと拳で殴ってよ!」
麻希はくだらない女だった。
普段はいつもくだらない話ばかりして、俺を退屈させた。
生きる気力もあまりなく、一緒にいても俺が何かをさせられるばかりで、あまり楽しくない。
しかしこの時だけは、最高にいい女だった。
俺は拳で彼女の左頬を殴りつけた。
「もっと! もっと殴れ!」
憎む目を向け、俺を煽る。
鈍い音を立て、二発続けて殴った。
「もっとよ! あぁ……この、暴力魔!」
馬鹿にされ、腹が立ち、俺は本気のパンチを喰らわせた。
麻希の口から赤いよだれが迸った。
「……あんたが憎い」
眼球がぐるりと俺を向き、赤い口が俺を罵る。
「暴力を振るうあんたが憎い!」
俺は暴力を振るってなんかいない。振るわさせられているだけだ。
仕方のない女だ、麻希は。こうやって俺に暴力を振るわさせ、憎しみを己の中から迸らせなければ、生きている実感が得られないのだ。
価値のない女だ。
価値がないなら死ねばいいのに、こうやって俺に殴らせ、すべてを俺のせいにしようとする、どうしようもない変態女だ。
「……これで!」
気の触れたような笑顔を浮かべ、敷布団の下に用意していたらしい金槌を、俺の手に握らせてきた。
「これで殴って!」
ぱきょん──というような音がして、麻希の顔の左側が、陶器の壺のように割れた。
絶頂を迎えたように彼女の身体が痙攣し、怒りに震えるような指の動きとは矛盾するように、麻希の壊れた顔は歓喜の笑顔で固まっていた。
そして俺は真夜中の海に麻希を捨てに来た。
足をコンクリートの重りで縛りつけた彼女を、魚が食いやすいようにビニール袋などには包まず、そのまま海へ投げ込んだ。
意外なほどに静かな音を立てて麻希は海の中へ入っていった。
臭かった。
人体から漏れ出したさまざまな水分が、俺の手にも、身体にも、あっちこっちに付着している。
それでも文句は言わなかった。
「よかったじゃん」
俺は最期の彼女への言葉を吐き捨てた。
「これで水分100%の身体になれるかもよ」
海面を突き破り、勢いよく彼女が飛び出してきた。
暗い夜の中でも、その白い顔ははっきりと見えた。俺を憎むように、突っかかるように、笑顔を浮かべていた。割れた左半分から海の生物みたいなビラビラしたものが踊っているのが汚らしかった。
念のために持って来ていた太いグラスファイバーの釣り竿で、その顔を突いた。海の中へ押し戻そうと、何度も突いたが、何度やっても麻希が浮いて来る。笑顔を俺に向けて、突っかかって来るように、浮かんで来る。
憎らしかった。
俺にこんなことをさせやがって!
俺はふつうの、どこにでもいる会社員なのに、こんな、ふつうじゃないことをさせやがって!
すべてはコイツが悪いのだ!
憎しみを込めて、何度も麻希の顔を突いた。
嘲笑うように、麻希は海の中から何度でも飛び出してくる。
足にコンクリートをつけているのに!
『早く!』
『わたしを水分100%の身体にしてみてよ!』
『早く! 早く!』
そんな言葉を喋るように。
何度突き返しても麻希は浮かんできた。
諦めて部屋に帰ると、ぼんやりと薄暗い食卓に、麻希が座っていた。
首を180度回して俺を振り返ると、岩海苔のへばりついたような顔を笑わせ、言った。
「わたし……わたしを早く、物体じゃないものにしてよ」
もうなってるだろ……と思ったが、少なくとも彼女は満足していないようだ。
しまった……。もっと早く別れておくんだった。