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最期の晩餐  作者: 中め
4/5

パフェ

「奈々未、今度母さんに会ってくれない? 母さん、奈々未と話がしたいんだって」


 隼人にそう言われ、隼人のお母さんが入院している病院にお見舞いに行くことになった。


 隼人のお母さんの病状は芳しくなく、リンパに癌の転移も見つかり、今は食欲もないらしい。


体調が思わしくない隼人のお母さんへの手土産は何が良いだろう? と隼人に相談すると、『気を遣わなくていい。何もいらないよ』と言われたが、そういうわけにもいかないだろう。


 固形物が無理ならば、ジュースなら飲めるかもしれないと、野菜ジュースと果物ジュースを持参することにした。


 そして、隼人と一緒に病院へ。


 ノックをして隼人のお母さんの病室のドアを開けると、


「奈々未ちゃん‼ 来てくれてありがとうね」


 前にお見舞いに伺った時よりも痩せ細った隼人のお母さんが、私にニッコリと微笑んだ。その傍には、眉間に皺を寄せた隼人のお父さんがいた。


「ご無沙汰してますー。私なんかで良ければいつでも呼んでくださいよー。呼ばれなくても来いよ‼ って感じですよね。でも、騒がしい私が呼ばれてもないのに登場って、だいぶウザイかなぁと」


 えへへ、後頭部をポリポリ掻くと、


「確かに、体調が悪い時に来られると辛いかも」


 隼人のお母さんが意地悪な顔で笑った。


「ヒドーイ‼」


「嘘だって。騒がしいのは本当だけど、別に嫌じゃないから。奈々未ちゃんの人懐っこい感じ、凄く好きよ」


 早速騒がしい私を、隼人のお母さんが宥めながら笑った。


「ジュース買って来たんですけど、飲みますか? 冷蔵庫に入れときますか?」


 そんな隼人のお母さんに手土産を見せる。ちょっとでも身体に良い物をと思い、【管理栄養士監修】と書かれているジュースを選んで買った。『私は彼氏の家族の健康もちゃんと考える出来た彼女です』と言わんばかりに、その部分が見えるように、隼人のお母さんに向ける。


「今はいいかな。後で頂くね、ありがとう。もしかして、そのジュースを監修した管理栄養士さんって、奈々未ちゃん?」


 隼人のお母さんは本当にノリが良い。今日もノリノリにボケてくれる。私は、隼人のお母さんが大好きだ。


「はい、そうです」


 だから私もノリまくってボケを被せる。


「堂々とした嘘って、ちょっと面白いな。奈々未、いつから食品メーカーの開発グループに入ったの?」


 隼人が笑いながら「ジュースちょうだい。冷蔵庫に入れるから」と、私の手に持たれていたジュースを抜き取り、冷蔵庫に収納した。


「この管理栄養士に出来て、私に出来ないはずがない。故に、私が監修したも同然」


 無理矢理な理論で胸を張ってみたが、


「イヤ、違う」


 隼人母子に速攻で否定された。盛り上がる三人の談笑に、隼人のお父さんは入ってこようとしない。機嫌が悪いのだろうか? 「一緒にお話しましょうよ」と隼人のお父さんも輪の中に入れるべきなのかもしれないが、そっとしておいて欲しいのかもしれないし、下手なことをして場の空気が悪くなるのも居たたまれないので、ここは安全策ということで、様子見という名の放置をさせて頂く。大人気のない、大人の判断だ。


「あの、私に話があるって聞いたんですけど……」


 お喋りをそこそこに、本題を切り出すと、隼人のお父さんが鋭い目で私の方を見た。何か、睨まれている気がする。安全策が、全然安全じゃなかったらしい。


「私、奈々未ちゃんが働いてるホスピスに転院したいの。病床の空き、ある?」


「だから、ホスピスじゃ病気は治らないんだよ‼」


 話し出した隼人のお母さんの声を、隼人のお父さんが大声で打ち消した。


「父さん‼ 母さんの話の腰を折らないで。奈々未だって、わざわざ俺に合わせて休みを取って母さんの話を聞きに来てくれたんだ。奈々未にも失礼だよ」


「…………」


 隼人に諭され、隼人のお父さんは口を噤んでそっぽを向いた。


「私ね、治療を辞めようと思ってるの。リンパに転移した癌、手術では切り取れなくて、抗がん剤もなかなか効かなくて……。もっと強い抗がん剤を、もっともっと強い抗がん剤をってやっているのがね、命を削られている気がしてならないの。私だって生きたい。死にたくない。でもね、生き延びている時間がこんなにしんどいなら、残りの時を心穏やかに生きたいの。奈々未ちゃんがいる職場なら安心だなと思って。隼人からね、奈々未ちゃんの話を聞いて、あぁ、私もそこに行きたいなって思ったの。でも、彼氏の母親になんか入院されたら、奈々未ちゃんが仕事やり辛くなっちゃうかしら?」


 隼人のお母さんの目に迷いはなく、今後治療を続ける気がないことが見て取れた。


「全然そんなことはないんですけど……」


「全然そんなことないわけがない‼ 本当は邪魔で邪魔で仕方がないと思っていても、面と向かって言えるわけがないだろう‼ 母さんはホスピスになど転院しない‼ この病院で治すんだ‼」


 隼人のお母さんの言葉を否定しようとしたら、隼人のお父さんが全く思いもしてない私の心の内を勝手に代弁して言い消した。


「私、そんなに性根腐った人間だと思われてたの⁉ 隼人のお母さんを邪魔に思ったことなんか一度もないのに‼ 大好きなのに‼」


 ショックと驚愕のあまり目を見開いて隼人に確認する。


「思ってない、思ってない‼ 誰も奈々未をそんな風に思ってないから‼ 父さんだって本当は奈々未のこと好きだから‼」


 隼人が首だけてなく両手も振りながら「違う違う」と、私を宥めようとしたが、


「好かれている気がしない‼」


 あんな言い方をされて、「あ、そうなのね。本当は私のことが好きなのね」となるはずがない。


「ごめんだけど、その話は一回置いとかない? 母さんの転院の話しようよ」


 隼人が「帰りに美味しいもの奢るから、臍曲げないで」と両手を擦り合わせた。


 確かに、隼人のお父さんと私の仲違いなど重要なことではない。隼人のお母さんの転院問題の方が遥かに大事だ。


「あの、隼人に私のどんな話を聞いたんですか?」


 入院中の人の前でギスギスするのは良くないなと反省し、話を戻す。


「奈々未ちゃんがいるホスピスって、週に一回患者さんが食べたいものを夕食でリスエスト出来るんでしょ? 患者さんの思い出の味を再現するために、奈々未ちゃんが凄く頑張ってるんだよって隼人から聞いたの。何かいいなって。奈々未ちゃんのホスピスのホームページを見てみたら、色んな行事も行われてて、凄く楽しそうで、そっちに移りたいなって思ったの」


 隼人のお母さんが、病気を治すことのないホスピスに目をキラキラと輝かせた。


「病床に空きはあるので、転院は可能ですが……治療は本当にもう、いいんですか?」


 隼人のお母さんは十分理解しているとは思うが、ホスピスに入院するということは、病気の治療をしないということ。病気は絶対に治らないということだ。


「本当に、もういい」


「……そうですか。じゃあ、近いうちに転院の為の書類をお持ちしますね」


 隼人のお母さんの意思確認をして頷くと、


「もういいわけがないだろ‼ 部外者が首を突っ込むな‼ 母さんの病気は家族の問題だ‼ 癌を治さなかったら母さんは死んでしまうじゃないか‼ ホスピスなんか、ただ死を待つだけの場所じゃないか‼ お前は他人だから簡単にそんなことが言えるんだ‼ お前のホスピスの書類など持ってこなくていい‼ 今日はもう、帰ってくれないか」


 隼人のお父さんが私の肩を掴んで怒鳴った。


「やめろよ、父さん‼ ごめんな、奈々未」


 隼人がすぐさま、私から隼人のお父さんを引き剝がす。


「……ホスピス……なんか?」


 隼人が代わりに謝ってくれたが、時既に遅し。私の腹の奥底から怒りが沸々と湧き上がってくるのを感じた。


「ホスピスの患者さんが、全員絶望して入院しているとでも?」


 隼人のお父さんの暴言に、ホスピスの入院患者さん全員の顔が頭に浮かんで、みんなを侮辱されたような気がして、頭の方へどんどん血が上り、頭痛がしてきた。


「…………」


 私の質問に答えようとしない隼人のお父さん。


「お父さん、奈々未ちゃんに謝ってください。謝らないのなら離婚してください。奈々未ちゃんが他人だから口を挟むなと言うのなら、あなたとも他人になりますので、私の今後の人生に口出ししないでください。私は奈々未ちゃんにホスピスのことを色々聞きたいの。奈々未ちゃんとたくさんお話がしたいの。邪魔をするなら、あなたが家に帰ってください」


 目に余る隼人のお父さんの態度に、隼人のお母さんがとんでもないことを言い出した。


「離婚⁉」


 転院の話から離婚話にすり替わるという予想だにしなかった展開に、隼人のお父さんだけでなく、隼人も私も仰天。


「何を言い出しているんだ。ちょっと落ち着きなさい。他人様の前でみっともない話をするんじゃない」


大焦りの隼人のお父さん。まず、自分が落ち着けよ。と心の中でツッコむ。


「さっきから興奮しているのはあなたひとりですよ」


 隼人のお母さんの冷静な指摘。確かに彼女は、私が病室に入った時からずっと落ち着いていて、『落ち着け』などと言われる筋合いがない。

「母さんが勝手なことばかり言うからだろ‼ 離婚なんかしない‼ 母さんの癌は治る‼ 死なせたりしない‼ ホスピスに転院なんて、有り得ない‼」


 隼人のお母さんが煽るから、隼人のお父さんが激怒してしまった。


「そうね、治る可能性はなくはない。でも、限りなく低いわ。世の中には、生きる為に一パーセントの可能性に賭けて頑張る人もいるわよね。でも私はもう無理なの。辛くて辛くて、耐えられないの」


 隼人のお父さんとは対照的に淡々と話す、隼人のお母さん。


「母さんは取り残される人間のことを何も考えていない‼ 俺が定年退職したら、一緒に旅行しようって約束したじゃないか‼ 食べたことのない美味しい料理をいっぱい食べに行こうって言ったじゃないか‼ 母さんがいなくなったら、俺ひとりでどうしろって言うんだよ……」


 怒りながらも愛情たっぷりに嘆く隼人のお父さんに、さっきまでの苛立ちが消え、胸がズキズキと痛んだ。


「約束を守れないのは、とっても残念だし申し訳ないと思ってる。でも、あなたの寂しさの為に、この先も私に辛い治療を続けさせて苦痛を強いるの? あなたは簡単に「治療を続けろ」「転院なんか許さない」って言うけど、治療で痛い思いをするのも、しんどい思いをするのも私なのよ? あなたじゃない。あなたは私の身体を、私の命を、何だと思っているの?」


 隼人のお父さんの愛情を受けても、揺るがない隼人のお母さん。隼人のお母さんの苦しみは、愛情では動かせないほどに辛く苦しいものなのだろう。


「代われるものなら代わってやりたいよ‼ でも出来ないじゃないか‼ 俺は医者じゃないから病気を治すことは出来ないよ。祈ることと応援することしか出来ないよ。何も出来ないけど、母さんの命を諦められない」


 隼人のお父さんに、隼人のお母さんの気持ちは受け入れられない。


「……やっぱり離婚しましょう。夫婦でいるから依存してしまうのよ。私の中では二択なの。離婚せずに転院するか、離婚して転院するか」


 隼人のお母さんの気持ちは【ホスピスへ転院】で固まっているらしい。


「…………」


 再び蒸し返された離婚話に無言になってしまう隼人のお父さん。


隼人のお母さんのことが大好きな隼人のお父さんに、【離婚】という文字は相当堪えるらしい。


「……隼人は、どう思ってるの?」


 夫婦で大揉めしているけれど、息子である隼人の意見はどうなんだろう? と隼人に尋ねる。


「父さんの気持ちは凄く良く分かる。でも、俺は母さんの意見を尊重するべきだと思う。だって母さん、今までよく頑張ったもん。これ以上頑張れなんて……言えない」


 隼人が目に薄っすら涙を浮かべた。奥歯を噛みしめて涙を堪える隼人に、治療の壮絶さを思い知らされる。


「……隼人のお母さんの希望、叶えて差し上げましょうよ」


 反対しているのは隼人のお父さんだけ。ならば隼人のお父さんを説得するしかない。


「だから、家族の問題に入ってくるなと言っているだろ‼ 結婚したことも子どもを産んだこともない人間に家族のことなど分かるはずがない‼」


 隼人のお父さんは、私を黙らせるためにわざと私が傷つくような言葉を選んでいるのだろう。


「一切分かりませんね」


 だから毅然と立ち向かう。


「だったら黙っててくれないか」


「家族のことなど全く以って分かりませんが、私、お喋りなので黙れません。勝手に口が開いちゃう。隼人のお母さんが欲しいのは、祈りでも応援でもないのではないでしょうか。私は、今まで頑張ってこられた隼人のお母さんを、褒めて労って感謝すべきだと思います」


 隼人のお父さんを完全無視した私に、


「奈々未ちゃん、相変わらずね。奈々未ちゃんのそういうところ、大好き。ありがとうね。奈々未ちゃんにそう言ってもらえて嬉しい。私、やっぱり奈々未ちゃんがいるホスピスに転院したい」


 隼人のお母さんが泣きそうな顔で、洟を啜りながら笑った。


「父さん、母さんがホスピスに転院するのは決定事項なんだよ。後は、離婚するのかしないのかの問題」


 隼人が、隼人のお父さんの肩にポンと手を置いた。


「絶対にしない‼」


 隼人の手を振り払う、隼人のお父さん。


 こうして、隼人のお母さんは離婚することなく、私が働くホスピスに転院することになった。




「今日だっけ? 隼人のお母さんが転院してくるのって?」


 調理場の冷蔵庫に、検品済みの食材をしまっていると、美知さんが背後から声を掛けて来た。


「午後入院らしいです。今日、隼人と隼人のお父さんも有休取って来るらしいです」


「ねぇねぇ、隼人ってだぁれ?」


 美知さんと私の会話の中に、男子の名前が出てきたことに反応した森山さんが、興味深々に話に加わってきた。


「奈々未の彼氏で、私の友人です」


 美知さんの返事に、


「お前、彼氏いたのか⁉ お前と付き合う物好きがこの世にいるのか⁉」


 林田さんまで話の中に入って来て、私に驚愕の目を向けた。


「ハイ、セクハラー」


 林田さんに向かって『フンッ』と大きく鼻息を吐くと、


「本当に友人? 私、男女の友情とか信じないタイプー」


 森山さんは美知さんへ疑惑の目を向けた。


「元彼だったりしてな」


 ニヤニヤ笑う林田さん。


「……嘘でしょ」


 引き攣る私。


「嘘だよ‼ やめてくださいよ、もう‼ 紛れもなくただの友人‼ 仮に元彼だったとしても、気持ちが全くないから奈々未に紹介したんでしょうが。少しでも好きな気持ちが残ってたら、紹介なんかしないし、その彼女を同じ職場に引っ張ってきたりしないでしょうが。普通に考えて‼」


 美知さんが思い切り面倒臭そうな顔をした。


「本当に? ホントに本当?」


 美知さんの腕を掴み、顔を覗き込みながら確認。


「ホントに本当‼」


美知さんが遂に、「面倒臭っ」と声に出した。


「そっか。え? ちょっと待って。さっきは『嘘だよ』って言ってたよね? え⁉ どっち⁉ どっちなの⁉」


 しかし私はひとりでパニくり、更に面倒くさい状態に。


「あぁー‼ もう‼ 林田さんと森山さんのせいですよ‼」


 そんな私を放置して、「無駄話禁止‼」と言いながら美知さんは仕入れ伝票を持って調理場を出て行った。


 私は単純明快な性格の為、美知さんから隼人を紹介してもらった時、『美知さん、ありがとう‼ 神様やん‼』と感謝し、ふたりの関係を疑うこともなかった。だって、【友だち】って言ってたし。ふたりの間に只ならぬ空気とかもなかったし。森山さんの発言で遅ればせながら『ハッ』とするくらい、ボーっと生きている。


 私も【男女の友情否定派】の森山グループだから、美知さんには少しモヤモヤが残ってしまうが、これはもう考え方の違いだからどうしようもない。諦めるしかないと自分を説得し、でもやっぱり納得は出来なくて、モヤついたまま午前の業務終了。


 休憩を挟んで美知さんと、午後に入院してきた隼人のお母さんの病室を伺うことに。


「あ、奈々未‼ 美知も‼」


 病室のドアを開けえると、私たちと目が合った隼人が「この度は母がお世話になります。宜しくお願いします」と頭を下げると、


「奈々未ちゃーん‼ ……と、美知さん?」


 ベッドに腰を掛けていた隼人のお母さんが、私に手を振り「もう一人の方も隼人の知り合いなの?」と隼人を見上げた。


「あぁ。言ってなかったっけ? 美知は高校の同級生で、奈々未の大学の先輩だよ」


 隼人のお母さんに頷きながら答えると、「久しぶりー」と美知さんに笑顔を向ける隼人に、


「……仲が良いのね。……怪しい」


 隼人のお母さんがはっきりと『怪しい』と言葉にして、隼人と美知さんの仲を疑った。


「何て声を掛けたら良いか分からないけど、ドンマイ」


 隼人のお父さんにニヤニヤしながら、ポンと肩に手を置かれたことにより、午前中のモヤモヤが再燃。


「何て声を掛けたら良いのか分からないなら、声掛けなきゃいいじゃないですか‼」


 隼人のお父さんの手を振り払いながら「やはり、コイツら」と、隼人と美知さんに、怒りの籠った疑念の目を向ける。


「またかよ。ここでもかよ」


 額に手を当て、下を向く美知さん。


「何もない、何もない‼」


 突然疑いを掛けられ、両手を振りながら焦る隼人。


「慌ててやがる。益々怪しい」


 睨みながら隼人に詰め寄ると、


「急に変な疑惑持たれたら誰だって慌てるでしょ‼ 美知とはまじで何もない。普通に友だち‼ 美知が付き合ってたのは俺じゃなくて、侑汰‼」


 焦りまくった隼人が、美知さんの元彼を暴露していまい、


「オイ‼」


 美知さんに大声で怒鳴られてしまった。


「侑汰くんって、隼人の友だちの女遊びの激しい、あの侑汰くん? え? 大丈夫だった?」


 散々疑っていた美知さんを、今度は心配しだす隼人のお母さん。


「……大丈夫じゃなかったですよ」


 苦々しい顔で答える美知さん。


「何て声を掛けたら良いか分からないけど、ドンマイ」


 今度は美知さんの肩に手を置く、隼人のお父さん。


「だったら、黙ってれば良いと思います」


 案の定、隼人のお父さんの手は美知さんにも払われた。


「落ち込む美知さんを、隼人が慰めて、その後……」


 隼人のお母さんがありがちな展開を口にする。


「えぇ―‼ ヤダヤダヤダヤダ‼」


 思わず隼人のお母さんの胸に飛び込む。


「ナイナイナイナイ‼ だって俺、『何で「アイツはやめとけ」って止めてくれなかったの⁉』って滅茶苦茶美知に罵られたもん‼ ちゃんと言ったのに。『侑汰は面白い奴だけど、女に超だらしない』って何回も言ったのに、『そんなことない‼』って聞く耳持たずに痛い目に遭った後、俺がどれだけ当られたたか……」


 弁解の為にどんどん美知さんの過去をバラしだす隼人に、


「それ以上喋ったらぶん殴るからね」


 美知さん激怒。美知さんに拳を振り上げられ、


「ごめんごめん‼ だって、こんな話になると思わなかったからー」


 両手を擦り合わせて謝る隼人。


「何て声を掛けたら良いか分からないけど、ドンマイ」


 隼人の肩にまで手を置きだした隼人のお父さんに、


「しつこいよ。何度やっても面白くないよ、それ。しかも俺はいいけど、女子の肩に気安く手を置くんじゃないよ、変態だよ。」


 隼人が遂に、笑いのセンスのなさを通達。


「あははははははは」


 一連の流れに、隼人の母さんが笑い出した。


「私、やっぱり転院して良かった。来た途端にもう楽しい」


 お腹を抱えてケラケラ笑う隼人のお母さんの姿は、美知さんの怒気を消し去ってくれたのか、美知さんもしょっぱい顔をしながら笑うから、隼人も隼人のお父さんも私も釣られて笑顔になった。


 笑うことは、やはり身体が元気になるらしい。キツイ抗がん剤をやめたこともあり、隼人のお母さんは、失くしていた食欲を取り戻し、転院初日から一般食を平らげた。


 明るく、社交的な隼人のお母さんは、翌日には他の患者さんと仲良くなり、一緒に合唱をしたりボッチャをしたり、元気いっぱいだ。


「あんなに楽しそうに笑って元気にしてる姿を見ると、『母さんの病気、治ったんじゃないか』って勘違いしちゃうよね」


 お見舞いに来ていた隼人が、談話室で他の患者さんとトランプをしながら盛り上がっている隼人のお母さんを眺めながら呟いた。


「……そうだね」


「治療をやめたことで、母さんの命の期限は短くなってしまったかもしれないけど、俺はこれで良かったと思う。ずっと、病院で辛そうにしてる姿しか見てなかったから、あんなにいい顔で笑う母さんを見られて良かった。俺、母さんの転院を後悔することはないと思う。……父さんがどう思ってるかは分かんないけど」


 楽しそうにしている母親の邪魔をしたくないのか、隼人は談話室に入ろうとはせずに、母親の笑顔を焼き付けるかのようにじっと見つめていた。


「俺は、これでもう母さんの病気が治る可能性がなくなったことには納得がいっていないけど、母さんが納得してここを選んで楽しそうにしていることには、満足してる。あんな顔を見てしまったら、俺の納得なんかどうでもいいことだよな。母さんが納得してるなら、それでいい」


 仕事終わりの隼人のお父さんが背後からやって来て、隼人と一緒に隼人のお母さんを見つめた。


 二人の視線に気づいたのか、ふとこちらを見た隼人のお母さんが、


「なんだ、来てるなら入ってくればいいじゃない‼ 一緒にトランプしましょう。人数多い方が楽しいでしょ? 奈々未ちゃんも一緒にやろう‼」


 私たちに手招きをした。


「私、仕事中なのでごめんなさーい。この二人、負かしちゃってくださーい」


 隼人と隼人のお父さんの背中を押して、談話室に押し込むと、


「任せとけー‼ 病人の底力見せたろうぜ‼」


 隼人のお母さんは私にガッツポーズを見せ、他の患者さんたちとスクラムを組んだ。


「病人だろうと容赦しないからなー‼」


 隼人が笑いながら隼人のお母さんの方へ向かった。隼人のお父さんも一緒に行くと思いきや、


「この前は、失礼なことばかり言って申し訳なかった」


 急に謝罪をしてきた。


「私、根に持つタイプですけど、謝ってもらえれば気が済む人間なので、許しまーす」


 隼人のお父さんの背中を「一緒にトランプしてきてください」と再度押すと、


「母さんが奈々未さんを好きな理由が何となく分かるわ。母さんと奈々未さん、ちょっと似てる」


 隼人のお父さんが『ククク』と笑った。


「惚れないでくださいよー。振るの面倒なので」


「百パーない」


『振ります』宣言をした私をバッサリ振って、隼人のお父さんもトランプに混ざりに行った。


 因みにこの日、隼人と隼人のお母さんは、隼人のお母さんと患者さんたちにボロボロに負かされたらしく、隼人から【悔しいです。父さんと一緒にトランプの練習しようと思う】というLINEを頂戴した。散々練習しまくった隼人と隼人のお父さんが翌日お見舞いに行くと、隼人のお母さんに「今日は麻雀をやりましょう。私の時間は限られてるんだから、トランプばかりやってられないわ」と言われ、ふたりの努力は儚く散った。そして、役の種類をあまり知らなかった隼人と隼人のお父さんは、やっぱり負けた。


 ここのホスピスは急性期病棟と違い、面会時間に制限がない。何時に来て、何時に帰っても良い為、隼人と隼人のお父さんは毎日やってきて、隼人のお母さんが寝る時間まで居る。


 さすがに隼人のお母さんも「お見舞いに来すぎじゃない? ちゃんと食べてるの? しっかり寝てる? 家のことは大丈夫なの? 荒れ放題だったりしないわよね?」と心配しだした。「心配しないで」と言う隼人に「心配よ。お見舞いに来てくれるのは凄く嬉しいんだけど、居過ぎなのよ。お父さんと隼人が長居すればするほど、心配で死ぬに死ねない」と隼人のお母さんが顔を顰めた。その言葉に「それはそれで好都合」と笑う隼人のお父さん。


 この幸せな時間がずっと続けばいいのに。と誰もが願うが、絶対に叶わないことを全員知っている。幸せとは、こんなに切ないものなのか。




「遂に明日ね、お待ちかねのオーダー食‼」


 オーダー食を翌日に控え、患者さんたちのリクエストを聞きまわっていた昼下がり、隼人のお母さんの病室に入ると、隼人のお母さんが「待ち遠しかったわー」と、拍手をしながら私を迎えてくれた。


「食べたいもの、もう決まっていそうですね」


 隼人のお母さんのリクエストを書き留めるべく、白衣のポケットからメモ帳とペンを取り出す。


「隼人が小さいの頃に家族で行った遊園地のパフェが食べたいの。どんなパフェだったか全然覚えてないんだけど、見れば思い出せる気がする。確か、その時の写真が家にあるはずだから、隼人に見せてもらって。あの遊園地で初めて隼人にパフェを食べさせたんだけど、あの子、目をキラキラさせて大喜びして……。遊園地自体も初めて連れて行った日だったから、重ね重ねの初体験に、隼人が大興奮でねー。可愛かったー。本当に楽しかった思い出。あ、隼人のことは、今も可愛い息子だと思ってるわよ。でももうあの頃の無邪気さはないじゃない? あったら逆に怖いし。パフェ食べながら、三人であの時の思い出話がしたいんだ」


 懐かしそうに目を細める隼人のお母さんの話を聞きながら【隼人が初めて遊園地に行った時のパフェ】とメモる。


 あぁ、良かった。写真があるなら見た目の再現はそう難しくなさそうだ。全く同じ味には出来ないだろうが、二十年も前に一度食べただけの味をしっかり覚えているとは思えず(だって、どんなパフェかも全然覚えてないわけだし)隼人のお母さんにとって重要なのは、【思い出のパフェを食べる】ことではなく、【パフェを食べながら思い出に浸る】ことなのだろう。


「任せてください‼ バッチリ再現しますから‼」


 胸に拳をぶつけ、高らかに宣言したというのに……。






「…………」


 隼人のお母さんのリクエストを、隼人と隼人のお父さんに伝え、就業後に隼人の実家に集合し、隼人の幼少期のアルバムを開きながら、三人絶句。


 遊園地で笑顔の幼き隼人の写真は何枚もあった。パフェを食べている隼人もちゃんといた。でも……、


「……普通、食べる前に撮りません?」


 あったのは、ほとんど食べ終わり、口の周りをクリームで豪快に汚した、満面の笑みを浮かべる隼人の写真だった。


 テーブルに突っ伏し項垂れる私の背中に、


「普通撮るのは【美味しそうでしょ?】の写真であって、【美味しかったでーす】って空の器を撮るのはフードファイターくらいだよね」


 隼人が手を置き、慰めるように摩った。


「コレ撮ったの、母さんだぞ。母さんの悪口言うな。母さんにとって、主役はパフェじゃなくて隼人に決まってるんだから、隼人がいい顔をした瞬間を狙ったらこうなったんだろ。この時の母さんが、まさか二十年後にこのパフェを食べたくなるなんて予想しないだろうし。母さんを悪く言うんじゃない」


 ガッカリを包み隠さない隼人と私に、隼人のお父さんがキレる。


「別に隼人のお母さんを悪くなんか言ってないじゃないですか」


 隼人のお父さんに、『ガッカリしている時にキレられると、異常にウザイからやめてくれよ』という視線を飛ばす。


「間接的に、遠回しに批難しただろうが‼」


「深い意味などない言葉に、隼人のお父さんが過剰反応して、勝手に別の意味で捉えただけでしょうが‼」


 短気で心の狭い私は、受け流すことが出来ない性分で、キレる隼人のお父さんにキレ返してしまう。


 隼人のお父さんの発言は、隼人のお母さんを大切に思っているからこそだということくらい、ちゃんと分かっている。でも、オーダー食は明日。パフェ以外の論争をしている時間などない。


「あぁ、もう‼ 母さんも隼人も、何でこんな口の悪い女を気に入っているんだ。俺は亜子さんの方が良かったと思うぞ。気立てが良くて、優しかった」


 それなのに、やめるどころか全く分からない話をし出す、隼人のお父さん。


「亜子さん?」


 首を傾げる私に、


「隼人の元カノだよ。本当にいい子だったのに」


 隼人のお父さんが勝ち誇ったかのように笑った。


「やめろよ、父さん‼ 亜子は何の関係もないだろ‼」


 今度は隼人が怒り出し、ここにいる三人全員がイライラしている最悪な状況に。


「……ほーう。亜子さんねぇ。美知さんの次は、亜子さんねぇ。ほーう」


 今まで信じ切っていて、気にもしなかった隼人の女事情が耳に入るようになってきて、私の神経を刺激する。


「だから、美知は本当に友だちなんだって‼ 亜子とは確かに付き合ってたけど、別れてから一度も会ってないから‼ ごめんね、奈々未‼」


 臍を曲げた私を必死に宥めようとする隼人。


「何の 【ごめんね】? 『元カノがいてごめんね。モテモテでごめんなさいねー』ってこと?」


 つっかりたくなどないのに、隼人の言葉がいちいちいちいち引っかかる。


「そういうわけじゃ……」


 私と違って短気でも勝気でもない隼人は、すぐに怯む。


「私は今日、隼人のお母さんが食べたがっているパフェを確認したくて来たのに、なんで聞きたくもない、知る必要もない隼人の元カノの話を聞かされなきゃいけないの? じゃあ、私も話しましょか? 手足が長くて顔が小さくて、頭が良くてスポーツマンだった超イケメンの元彼の話、詳しくしましょうか? お金持ちで物腰が柔らかくてジェントルマンだったその父上の話も合せてしましょうか?」


 もちろん、そんなハイスペックな元彼などいた試しがない。故にその父親も架空。


「明日、隼人のお母さんに昔の彼氏の話を聞いて、隼人のお父さんにも教えて差し上げましょうか?」


 わざと隼人のお父さんに厭味ったらしい笑顔を向ける。


「母さんに変な話をさせて負担を掛けるな」


 私の嫌味に隼人のお父さんが顔を赤くして憤慨。


「負担になんかならないでしょ。恋愛話と男女のいざこざは女性の関心事ですからね。隼人と美知さんの仲を疑ってる時、めっちゃ楽しそうだったじゃないですか、隼人のお母さん」


 私は意地が悪い。やられたことは、相手が謝るまでやり返す。


「~~~酒買ってくる‼」


 私と同じ空気を吸っているのが嫌になったのだろう。隼人のお父さんが拳を握りしめながら立ち上がり、リビングを出て行った。玄関のドアが『バタン』と閉まる音を確認すると、


「やり過ぎたー」


 隼人のアルバムの上に突っ伏す。私は本当に性格が悪い。言い過ぎ・やり過ぎは、加減が分からなくてやっているわけではない。最中にしっかり気付いているのに、やり続けてしまう。譲らなくとも少し引いて、最後に「でもやっぱり隼人のお父さんが悪いですよ」とサラっと対応すれば良いものを、相手の悪意を感じ取ってしまうとそれが出来ず、降参するまで攻めてしまう。


「気にしなくていいよ。今のは父さんが悪い。奈々未は何も悪くないから」


 隼人が「よしよし」と私の髪を撫でた。


「だよね⁉」


 ガバッと上半身を起こし、隼人に顔を向けると、


「『だよね⁉』って……。まぁ、そうなんだけど、嘘でも『そんなことないよ』くらい言って欲しかったかも」


 隼人が困った顔で笑った。


「えぇー」


 唇を尖らせて面倒臭そうな顔をしながら拗ねる。


「建前とか忖度とか好きじゃないもんね、奈々未は。そういうとこ、何だかんだ俺は好きだけどね」


 隼人がハグをしながら「機嫌直してー」と私の背中を摩った。隼人の体温で心が落ち着くと、


「さっきのは隼人のお父さんが悪いのに、隼人にまで嫌な思いをさせてごめんね。お察しの通り、手足が長くて顔が小さくて、頭が良くてスポーツマンだった超イケメンの元彼ななんかいないよ、私。虚しい嘘吐いてごめんなさい」


 素直に謝る気になる。


「そっか、良かった。太刀打ち出来ない相手だったら辛いもん。……元カノ、確かに優しくて気立てもいい、とっても良い子だった。でも俺は、奈々未といる方がずっとずっと楽しくて幸せだよ」


 隼人がキザな台詞を言うから、嬉し恥ずかしで、


「そこは嘘でも『クソみたいな女だった』って言って欲しかった」


 隼人の脇腹を擽り攻撃。


「あははははははははー。やめてやめてー‼」


 脇腹の弱い隼人は、ハグしていた最愛のはずの私をすぐさま引き離し、笑い悶えた。それでもしつこく隼人の脇腹を攻撃し続けていると、


「もう勘弁してー。笑い過ぎて吐くって‼ こんなことしてる場合じゃないでしょ‼ 母さんのパフェ‼」


 隼人が私の手首を掴んだ。


「それな‼」


 散々脱線して、よううやく本題を思い出す。


「パフェの写真がないなら、ネットで調べよう。遊園地の名前、何?」


 ポケットからスマホを取出し、検索画面に切り替える。


「えぇー。覚えてないよ。だって俺、この時六歳だよ? どこの県なのかも分かんない」


 隼人が「どこかに遊園地の名前写ってないかな」と写真を隅々見だした。


「頑張れ、隼人‼ 記憶を辿れ‼ 思い出せ‼」


 私も写真の端から端まで汲まなく凝視していると、


「【ハッピーパラダイス】って名前の遊園地だ。でももうないぞ。その遊園地、廃業することが決まってて、母さんに『なくなる前に行っておきましょうよ』って言われて三人で行ったんだよ。その写真の三日後に潰れてる」


 お酒を買いに行っていた隼人のお父さんが戻ってきた。


「すごいネーミングセンス」


 遊園地の名前のダサさに噴き出す。クツクツと肩を揺らす私の傍に、


「さっきは悪かったね。母さんのこととなるとどうも冷静になれなくて」


 隼人のお父さんが「飲む?」とレモン酎ハイの缶を置いた。


「すぐ謝ってくれるのは、隼人のお父さんのいいところなんですけど、どうせ謝るんだから余計なことを言わなきゃいいのに。まぁ、私は心が広いからアッサリ許しますけどー」


 隼人のお父さんに「ありがとうございまーす」と言いながらレモン酎ハイのプルタブを開ける。


「心が広い? 逆だろ。めちゃめちゃ短気じゃないか。すぐキレるし」


 隼人のお父さんが真顔で「はぁ?」と首を捻った。


「はーいー⁉」


 拳でテーブルを『ダーン‼』と叩いたところで、


「ちょっとちょっとー‼ 奈々未も父さんも一言多い‼ 【すぐに謝る素直な父さん】【すぐに許す優しい奈々未】でいいじゃん‼ 無駄に喧嘩しないでよ‼ そんなことよりパフェでしょ‼ 【ハッピーパラダイス】検索したけど、建物の外観とかは出てきたけど、さすがにパフェまではヒットしないわ」


 隼人が、私と隼人のお父さんの間に身体を滑り込ませた。


「ダメかぁー」


 レモン酎ハイを一口飲み、「くぅー」と唸る。


「ヒントがないなら、桃のパフェを作ってくれないか? 母さん、桃が好きだから」


 隼人のお父さんが早々に【隼人のお母さんの思い出のパフェ探し】に見切りをつけた。


 確かにもう、時間も見つかる気配もない。


「じゃあ、隼人と隼人のお父さんの好きなものも入れましょう。明日は三人分作るので、家族三人でパフェを食べながら思い出を語らってください。隼人のお母さんはきっと、隼人と隼人のお父さんが好きなものを美味しそうに食べる姿も見たいんじゃないかと思うので。隼人のお母さんは、遊園地のパフェが食べたいとうよりは、その時の思い出を振り返りたいんだと思うんです。三人で、『あの時はああだったね。こうだったね』って語り合えたら、隼人のお母さんの願いは叶うんじゃないかと……って、この時の隼人のお父さんが着てるベスト、ヤバイですね。【鞄なんか持つものか‼ 全部ベストに収納してやる‼】ってくらいポケットくっついてますね。何個あるんですか? 背中にもくっついてました? 今も持ってたりします?」


 ふいに、ポケットだらけのベストを着ている写真の中の隼人のお父さんが目に入って笑ってしまった。


「二十年も前のベストなんかもうねぇわ。俺のセンス、バカにしてるだろ」


 本人も『なんだ、このベスト』と内心思っていたのだろう。隼人のお父さんが耳を赤くした。


「してないですよ。何ていうか……アバンギャルドだなと」


「アバンギャルド‼」


 私のやる気のないフォローに大笑いの隼人。


「イヤ、無限ポケットベストをめっちゃ笑ってますけど、隼人だって相当なモンよ? 柄物の原色Tシャツに真っ赤なハーフパンツとか……目がチカチカする。子どもだからまだ可愛く見えるけど、大人がやったら結構ヤバいコーデだよ」


 写真を指さし、六歳の隼人の服装を指摘。


「絶対俺の意思じゃない。父さんか母さんが選んだ服を着せられたんだよ」


 隼人が「俺はこんなセンスしてない‼」と抗議。


「絶対隼人のお父さんじゃん。このコーデは無限ポケットベスト着るくらいの人じゃなきゃしないよ」


 そうでしょ? とばかりに隼人のお父さんに視線を送る。


「俺じゃない。母さんが『もし隼人とはぐれてしまっても、すぐに見つけられるように』って選んだんだ‼ 母さんのセンスをバカにするな‼」


 しかし、正解はまさかの隼人のお母さんだったらしい。


「俺の無限ポケットベストは何を言われてもいいが、母さんのセンスをバカにする奴は許さない‼ 的な? 隼人のお母さんのセンスは揶揄しません。ちゃんと理由があったから。隼人のお父さんは、どんな理由であの無限ポケットベストを着てたんですか?」


 隼人のお母さんのセンスは流せるが、やっぱり隼人のお父さんの無限ポケットベストは流せない。まじで何なの、このベスト。


「俺のベストを【無限ポケットベスト】って呼ぶな」


 当時の自分が、どうしてこのベストを良しとしたのか分からないのであろう隼人のお父さんが、質問の趣旨とは違う返事をした。


「父さんのベスト、どうでもいいよ‼ 母さんのパフェの話しようよ‼」


 またもや逸れてしまった話を、(私が逸らしてしまったのだけど。だって見過ごせないよ、あのベスト)隼人が戻した。


「そうだったそうだった‼ 隼人の好きな食べ物って……果物だったらシャインマスカットだよね? 隼人のお母さんの好きなものをたくさん入れたいから、隼人と隼人のお父さんの好物はそれぞれひとつずつね。あ、隼人のお母さんは桃の他に何が好き? 味は何系がいいのかな?」


 今度こそ無駄話をすることなくパフェの話を詰めようと、真面目に話すことに。


「俺、ブラウニー好きだから、ブラウニーを乗っけてくれてもいいんだけど、場所取って母さんの好物が入らなくなりそうだから、シャインマスカットにして。母さんはシンプルな味が好きだから、バニラ系のパフェがいいと思う。あと、ベイクドチーズケーキが好きだから、小さいのを作って乗っけて欲しい。父さんは? メロンにする? 父さん、メロン好きだよね?」


「そうだな。俺のメロンはグラスの淵にでもぶっ刺しておいてくれればいい」


 隼人のお父さんが、隼人に『うんうん』と頷いた。


「桃、シャインマスカット、メロン、ベイクドチーズケーキ。で、バニラ味……。確実に予算オーバーだから、後で追加請求しますのでご了承お願いしますね」


 メモりながら『とんでもなく豪華なパフェだな。いくらするんだよ』と笑ってしまった。


「いくらでも来い‼」


 隼人が拳で胸を叩くと、


「ケチらなくていいから。母さんが喜ぶパフェを作ってくれ」


 隼人のお父さんが「楽しみにしてる」と笑った。


 明日作るパフェは決まった。でも、このパフェは隼人たちが遊園地で食べたパフェとは全然違うものだろう。こんな豪華なパフェが出てくる遊園地なんか、見たことも聞いたこともない。


 遊園地に纏わるものが何かひとつでも入れられたらいいのに。と、写真を再度眺める。……あ。いいこと思い付いた。でも、今言うとふたりがごちゃごちゃ五月蠅そうだから明日まで黙っておこう。




 翌日、林田さんと力を合わせて絢爛豪華なパフェを作成して隼人の家族が揃うのを待つ。


 フロントには『隼人たちが来たら、病室へは通さずにそこで待機させて』と朝にお願いしおいた。そのフロントから、隼人たちの到着の連絡が入り、隼人たちの元に急ぐ。


「はい、支度して」


 昨日思い付いたことに使うものが入った紙袋を隼人と隼人のお父さんに手渡すと、


「ヤダヤダヤダヤダー‼」


「断る」


 ふたりとも拒否した。


「隼人のお母さんの為ですよ‼」


 それでも紙袋を押し付けると、


「母さんの為……」


 隼人がしぶしぶ受け取り、


「母さんの為、母さんの為」


 隼人のお父さんは、自分を納得させるように繰り返し呟いた。


 パフェをトレーに乗せ、支度をし終わった隼人と隼人のお父さんと共に、いざ隼人のお母さんの病室へ。ドアを開けた瞬間。


「あははははははー‼ 何、その恰好。ダッサ‼ 酷ーい‼」


 隼人のお母さんが、隼人と隼人のお父さんの姿を見るなり、お腹を抱えて大笑いした。


「実は、パフェの写真が残ってなくて同じものを作るのが難しくて……。なので、あの頃のふたりを再現してみましたー‼」


 昨日、隼人のアルバムからこっそり拝借していた、ダサい恰好をした隼人と隼人のお父さんの写真をポケットから取り出し、「なかなかの一致度でしょ?」と、隼人のお母さんに翳す。


 そう、私は昨晩、ネットを検索しまくり、あのクソダサいベストと原色柄Tと赤のハーフパンツに似たものを高速便で注文し、それをふたりに着せたのだ。


「隼人のお父さんの無限ポケットベストがなかなか見つからなくて、徹夜しましたよー」


 隼人のコーデは割とすぐに揃えられたのに、隼人のお父さんのベストがなかなか見つからず、『自分でポケット縫い付けてやろうか』と過った。あって本当に良かった。


「あははははははー‼ 無限ポケットベストって……。ククク……。面白すぎるわ。涙が出てきた。笑いすぎてパフェが食べられないかも」


 隼人のお母さんが、右手でお腹を摩りながら、反対の手で目尻の涙を拭き取った。


「何が母さんの為だよ。無理矢理着せやがって。パフェを食べられなかったら本末転倒じゃないか‼ 脱ぐ‼」


 隼人のお父さんが無限ポケットベストを脱ごうとするが、


「ダメよ。何言ってるのよ。パフェを食べ終わるまで着てなきゃダメ‼」


 隼人のお母さんが阻止。隼人のお母さんにそう言われては、拒否出来るはずもない隼人のお父さん。


「これ着て外に出ろって話じゃないんだからさ」


 原色柄Tの隼人が、隼人のお父さんの背中をポンポンと叩いた。ふたりのやりとりを、パチパチと何度も瞬きをしながら見ている隼人のお母さんに、


「大丈夫ですか?」


 と声を掛けると、


「隼人のうるさい配色の服装に目がチカチカして仕方がないけど、面白いから大丈夫よ」


 隼人のお母さんが、親指と人差し指で目頭を押さえながら笑った。


「じゃあ、私はこの辺で失礼しますね。後は家族水入らずで楽しんでください」


 トレーに乗っていたパフェをテーブルに移し、隼人のお母さんの病室を出ようとすると、


「奈々未ちゃん、ありがとうね。美味しくいただきます」


 隼人のお母さんが両手を合わせて微笑んだ。


「どういたしまして。美味しく召し上がれ」


 ペコっと頭を下げて病室を後にする。ドアを閉めた後、病室から楽し気な笑い声が聞こえて来て、何だか心がほっこりした。


 隼人の家族には豪華パフェを提供したが、帰宅後に私が食べた夕食はというと、冷蔵庫の余りもので作ったチャーハンと、なけなしの野菜で作ったスープだった。「何、この違いは」と呟きながらも、自分の為に料理を頑張る気になれず、でも野菜はしっかり採っているから、管理栄養士的には合格‼ と、自分を過大評価しつつ、風呂上りに糖分と脂肪分たっぷりの、林田さんお手製のものとは全く違うアイスを喰らいながらテレビを見ていると、テーブルの上に無造作に置いていたスマホが震えた。ディスプレイの【隼人】の文字を確認し、電話に出る。


「もしもーし」


『何してた? 今、電話大丈夫?』


「うん。ちょっと怖くてカロリー確認出来てない、超甘ったるいアイスを、あとはもう寝るだけで消費する術もないのに食べてるだけだから、全然大丈夫」


『それは大丈夫なの?』


「イヤ、もう後の祭りだよね。食べちゃってるし」


『それは、大丈夫って開き直ってるだけじゃん』


「私の【大丈夫】は【電話OK】の大丈夫であって、体系維持問題への大丈夫じゃない」


『あ、なるほど』


「で、どうしたの?」


『あ、今日のパフェなんだけど……』 


「うん」


『母さんがね、『正解を全く覚えてないけど、このパフェがあの時食べたものとは全く違うことは、はっきり分かる』って言ってた』


「……でしょうね」


『でも、『滅茶苦茶美味しくて、みんなで楽しく食べられて、最高に幸せだった』ってさ。ありがとうね、奈々未』


 嬉しそうな隼人の声に、


「喜んでもらえて良かった」


 こちらも嬉しくなる。


『母さんがね、奈々未にお礼がしたいんだって。だから、明日時間がある時にでも母さんの病室に顔出してもらえないかな?』


「隼人のお母さんの病室に行くのは構わないんだけど、お礼とかいらないよ。私は自分の仕事をしたまでなんだから」


『お礼って言っても、母さん病人だから大そうなこと出来ないだろうし、遠慮しないで気軽に受け取ってやってよ。断られる方が悲しんじゃうと思うからさ』


「……そっか。じゃあ、有難く受け取らせてもらおうかな」


『うん。ありがとう、奈々未』


「こっちがありがとうでしょ。お礼を貰う立場なんだから」


『お礼を貰ってくれて、ありがとう。じゃあ、おやすみ』


「うん。おやすみ」


 と、電話を切っておきながら、寝ようともせず残りのアイスを食べ続ける。いいんだ、いいんだ。豚になる覚悟は出来ている。


 しかし、隼人は本当に良い彼氏だ。感謝の気持ちをすぐに伝えてくれて、何度もありがとうと言ってくれる、本当に優しい人間だ。こんな、豚になることも厭わない私と、何故付き合っているのだろう? 亜子さんとやらは、何で隼人と別れたのだろう? 隼人、顔だって悪くないし、性格も温厚でめっちゃいい奴なのに。『やっぱり隼人じゃなきゃダメなの‼』とか言いながら今更よりを戻しにきたりしないよね?


「……そんなの許さん‼」


 人はどうして怒るとお腹が減るのだろう。勝手な妄想にブチギレて、勢い余って二個目のアイスに手を伸ばし、最早半分豚化している私を、【可愛い子豚ちゃん】と思って、どうか捨てないでくれ、隼人。


 結局この日は二個目のアイスもしっかり完食して就寝。そして翌日、栄養指導を兼ねて隼人のお母さんの病室を伺う。


「失礼しまーす」


「待ってましたー」


 明るく出迎えてくれた隼人のお母さん。


「お元気そうですね。朝食をあまり食べなかったようなので心配してました。昨日のパフェで胸やけしちゃいましたか?」


 ここに来る前にした食べ残しチェックで、隼人のお母さんが今日、朝食を半分も食べていないことを確認していた。


「ううん。違うの。治療をしてないんだから、そりゃあ病気も進行しちゃうわよね。ここに来て一時的に食欲が戻ったことが奇跡なだけよ。転院前の食べられない状態に戻っただけ。心配しないで」


 隼人のお母さんが淋し気な目をして笑った。


「固形物が飲み込みづらかったりとかはありませんか?」


「うん。だから一般食のままにして。流動食みたいなのだと、更に食欲が減退しちゃうから。……なーんか不思議な感じ。息子の働いてる姿は見たことないのに、バリバリ働いている息子の彼女の姿は見られるなんて」


 隼人のお母さんが、タブレットに隼人のお母さんの状態を打ち込んでいる私をぼんやり眺めた。


「イヤ、見たいのはお前じゃなくて息子だよ‼ って感じですよね。でも、児童の保護者でもないのに小学校には行けないですよね」


「ううん。奈々未ちゃんが働いてる姿を見るの、凄く好きよ。カッコイイな。羨ましいなって、ちょっと憧れてる」


 隼人のお母さんに褒められ、妙に照れてしまう。


「憧れられるほどキラキラしてないですよ。裏では料理長とたまにやり合ってますもん。あ、その料理長が隼人のお父さんとちょっと似たところがあって、とりあえず自分の意見を通そうと圧を掛けてくる人で。まぁ、正論で言い返せば折れてくれるんですけどね。だから上手くやって行けてはいるんですけど」


 隼人のお母さんが私を過大評価していそうだったから、裏事情を暴露してみる。


「だから、お父さんの扱いが上手いのか。奈々未ちゃんがいてくれるから、私がいなくなった後も安心だわ」


 しかし、私の評価は下がらなかった。


「いやぁ……。私に隼人のお父さんを託されましても……」


「あ、そうね。ごめんなさい。これじゃあ、『嫁に来い』って脅迫してるようなものよね。死にゆく人間の言葉って変に重みがあるから、軽々しく発しちゃだめよね。結婚云々は奈々未ちゃんと隼人が決めることだから、口を挟む気はないわ。でも、末永く隼人と仲良くしてやって欲しい。奈々未ちゃんといる時の隼人、凄く幸せそうだから」


 隼人のお母さんが、ゆっくり頭を下げた。


「イヤイヤイヤイヤ、こちらこそ‼」


 頭を下げられる展開になるとは思っていなかった為、どうして良いのか分からずに、隼人のお母さんより更に深く頭を下げると、


「そんなことより、昨日のお礼に何をしたらいい? 何でもいいわよ。貯金もわりとあるのよ、実は。欲しいもの、何でもプレゼントしちゃう。お金はあの世に持って行けないからね」


 ガバッと頭を上げた隼人のお母さんが私の肩を掴み、私の折りたたまれた上半身を元に戻した。


「気持ちだけで結構ですよ。お金は隼人と隼人のお父さんに残せばいい」


 隼人には『有り難く受け取る』などと言ってしまったが、そもそも患者さんから何かを貰うなんて規則違反だ。


「それじゃあ私の気が済まないわ。そんな寂しいこと言わないでよー」


 全然引かない隼人のお母さん。


「……じゃあ……」


 隼人のお母さんはこの日、私のお願いに応えた後に容態が急変し、深夜に天国へと旅立って行った。


 通夜は自宅で行われるとのことで、元気であるはずのない隼人と隼人のお父さんを心配しながら、隼人の実家へ足を運ぶ。


 明るくて楽しくて社交的だった隼人のお母さんの人柄を思わせる、たくさんの参列者の数に、『これだけの人から愛されるって、やっぱり隼人のお母さんは凄いな』と尊敬しつつその分悲しみも多いことに胸が苦しくなった。


 受付を済ませ中に入ると、ふたり並んで参列者の対応をしている隼人と隼人のお父さんの姿が見えた。


「この度はご愁傷様でした」


 挨拶をしにふたりへ近づく。


「来てくれてありがとう、奈々未。母さん、座敷にいるから顔見てやって」


 隼人が私の顔を見て、無理矢理な笑顔を作った。笑う元気などあるわけがない。その隣では、隼人のお父さんが目に力を失くし、疲れ切っている表情をしている。


「大丈夫? 手伝うから何でも言って。ちょっと休んだ方がいいよ」


 隼人の二の腕を摩ると、


「ありがとう。大丈夫だよ。母さんの為だもん。大丈夫じゃなくても、ちょっとくらいの無理はするよ」


 隼人が、二の腕を掴んでいる私の手を、ポンポンと優しく撫でながら下に下ろした。その時、隼人のお父さんの身体がグラつき、倒れそうになった。


「大丈夫ですか? 少し休んでください」


 隼人下ろされた手で、隼人のお父さんの身体を支える。


「ここは俺ひとりで大丈夫。父さんは休んでて。奈々未、悪いんだけど父さんを奥の部屋まで連れて行ってくれない?」


 隼人のお父さんの背中を摩りながら「奈々未、お願い」と私に目配せする隼人。


「隼人も少し休もう。少しの時間二人がいなくても大丈夫だよ。ふたりとも、隼人のお母さんの葬儀の準備であまり寝てないんじゃないの? ちゃんと食べてる?」


 隼人のお父さんの腕を自分の肩に回しながら、「隼人も行こう」と隼人の礼服の裾を引っ張った。


「さすがに食欲なくて何も食べれてないけど、俺は平気」


 隼人が「父さんだけ連れて行って」と顔を横に振った。


「それならやっぱり隼人も行こう。私、料理作ってきたんだ。ちょっとでいいから食べて」


 しつこく「行こう行こう」と摘まんだ裾を引っ張り続ける私に、


「……じゃあ、少しだけ」


 根負けした隼人は、隼人のお父さんの背中に手を回し、私と一緒にリビングへと歩き出した。


「ゆっくりね。せーの」


 ふたりで隼人のお父さんをソファに座らせると、


「ちょっとキッチン借りるね」


 鞄の中からタッパーを取りだし、レンジに突っ込んだ。料理が温まったのを確認すると皿に移し替え、隼人と隼人のお父さんの前に置いた。


「……ごめん。本当に食欲なくて……。さすがに今、これはちょっと無理。後で食べるから冷蔵庫に入れておいて」


 目の前に置かれた皿を見て、隼人が顔を歪めた。私がふたりの前にゴロッゴロの豚の角煮を置いたからだ。


「食べなくていい。たれを少し舐めてみて」


「…………」


 強引な私に、優しい隼人は『折角作ってきてくれたのに、断るのは失礼だ』と思ったのだろう。箸にほんのちょっとたれを絡め、口に入れた。


「……これ……。父さん、これ食べてみて。一口でいいから」


 目を見開いた隼人が、隼人のお父さんに無理矢理箸を握らせた。断る気力もない満身創痍の隼人のお父さんが、言われるがまま豚の角煮を口に運ぶ。


「……え。母さんの角煮……?」


 確かめるように、二口三口と食べ進める隼人のお父さん。


「母さんの角煮が、どうして……?」


 隼人のお父さんの目から涙が零れた。


「隼人のお母さんに『パフェのお礼がしたい』と言われて、『それなら隼人と隼人のお父さんが好きな料理の作り方を教えてください』ってお願いしたんです。そしたら『ふたりとも、私が作る豚の角煮が大好物なの』って、丁寧に教えてくださいました。良かった。ちゃんと再現出来てるみたいですね」


 隼人のお父さんに笑い掛ける。


「うん。同じ。母さんの味。……美味しい‼」


 食欲がなくて食べられないと言っていた隼人が、泣きながら肉の塊に噛り付いた。


「ごめんね。これしか引き継げなくて。私、なまじ料理に自信があるから、誰かから料理を教わろうなんて考えたこともなくて。隼人のお母さんの料理は隼人のお母さんのもので、教えてもらわなきゃ作れるわけないのにね。もっと早く気づけば良かった」


 隼人の頭をポンポンと撫でると、


「ううん。ありがとう。充分だよ」


 隼人は、ぐっしゃぐしゃな笑顔見せ、「これなら食べられるね」と隼人のお父さんと笑い合った。


 皿の上の豚の角煮を綺麗に食べ終えた隼人と隼人のお父さんは、少しだけ元気を取り戻し、「そろそろ戻る」とソファから立ち上がった。リビングから出ていく二人の背中を見送り、食器を片すべくお皿と箸を重ねていると、


「奈々未‼」


 何故か隼人がリビングに戻ってきた。


「どうした?」


「奈々未がいてくれて本当に良かった。俺、奈々未のこと滅茶苦茶大事にするからね‼ って言いたかっただけ‼」


 それだけ言って、隼人はまた出て行った。


「何故言い逃げるかな」


 嬉しかった。凄く嬉しかったのに。大事にするって言ってたくせに……。

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