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最期の晩餐  作者: 中め
3/5

煮しめ

「何、この鯵。ふわっふわ。うんまー」


 昼休み、今日も四人で林田さんが作ってくれた賄いを頂く。因みに今日は、アジフライだ。


「なのに、衣はサックサク。何で一人一枚なのー?」


 美知さんも林田さんのアジフライを絶賛。


「せめて二枚よねー。全然足りないわー」


 森山さんが美知さんと私の目を見て同意を求めるから、三人で「ねぇー」と共感した。


「育ち盛りか、ばかやろう」


 と言いつつも、喜んで食べる私たちの様子が嬉しいのか、林田さんはまんざらでもない顔をした。そんな林田さんが、


「あのよぉ、この前テレビで見たんだけどよ、なんかどこかのホスピスで、患者さんがいつでも自由に食べられるように、ファミリーキッチンにアイスを常備してるところがあったんだよ。クックチルも入れたことだし、この際ウチでもアイスの提供しないか?」


 オーダー食同様、テレビの情報を元にアイス提供の提案をしてきた。


「クックチルとアイスの関係性も、この際がどの際なのかも分かりませんが、それ良いと思います‼ 早速院長に相談してみますね、林田さん」


 美知さんは、グッドアイデアを出す人間に親指を立てるのが癖なのか、今日も林田さんに向かってピーンと親指を伸ばした。


「クックチルを入れて保存が利くようになったから、食材ロスも少なくなったし、その分の予算をアイスに当てられるかもしれないですね。患者さんだけでなく、スタッフのみんなも疲れた時とか手隙の際に食べられるようにしたら喜ばれるかも」


 私も両手の親指を直立させる。


「私たちも食べられるの? それは嬉しい‼ アイスは業者から仕入れるの? ウチで作るの? 誰か作れる?」


 森山さんが喜びの拍手をしながら私たちを見渡した。が、美知さんと私は目を逸らす。


 アイス作りは難しくないから、作れないことはないとは思うが、作ったことがない。アイスは、私にとって(多分美知さんにとっても)作るものではなく、買って食べるものなのだ。


「昨日、試しに作ってみた。なるべく身体に優しいアイスにしようと思って、上白糖とか使わなかったから、ちょっと物足りないかもしれないけどな。今冷凍庫に入れてあるから、昼飯食い終わったら試食してくれ」


 林田さんの思わぬ発言に、


「何、今日デザートあるの⁉」


「やだもう‼ 早く食べちゃいましょう‼」


「食後にアイスとか、幸せかよ‼」


 女三人のテンションが爆上がり。「林田さんが運んでる最中にお昼ご飯食べ終わるから、さっさと持って来て」と、ひとり一枚しかないアジフライをさっきまで大事にチビチビ食べていたくせに、急に大口を開けてバクバク食し始めた女三人に、「その食への執念は、職業柄なのか、元からなのか」と林田さんは呆れた目をしながら冷凍庫へ自作のアイスを取りに行った。


「執念だってー」「いやーねー」「関心って言ってほしいわよねー」と喋りながらも、難なく食べ物を胃に落とし込める自分たちを、食のプロフェッショナルだと思う。


「ホラ、持ってきたぞ。……て、本当に食い終わってやがる」


 お盆にアイスを乗せて戻ってきた林田さんが、右手にスプーンを握りしめてアイスを待ち構えていた私たちにドン引きした。


「バニラとチョコと抹茶のアイスを作ってみた。味の種類は患者さんからの要望で徐々に増やしていこうかと……」


「私、チョコー‼」


 林田さんの話を最後まで聞かずに、ハイエナのようにチョコアイスを確保。


「アンタねぇ。先輩から選んで貰うのが筋でしょうが。森山さん、何味がいいですか?」


 私を注意しつつ、目線がバニラアイスに固定されている美知さんに、


「私は抹茶を頂くわ。抹茶、大好き。大人の味。大人は抹茶よ‼ ていうか、二人とも林田さんの話聞いてた? 患者さんからのリクエストがあれば、フレーバー増やすんだって」    


優しい森山さんは、クスクス笑いながら抹茶アイスを手に取り、林田さんの話を拾った。


「美味しい‼ 全然物足りなくないじゃないですか、林田さん」


 にも拘わらず、美知さんは早速口にしたバニラアイスの味に感激し、


「チョコもヤバい‼ ビターな感じ‼ オシャレな味がする‼ オシャレに無関心そうな林田さんのアイスから、オシャレな味がする‼」


 私も私で、「一口食べてみて‼」と、美知さんと森山さんにチョコアイスの回し食いを勧めて大はしゃぎ。


「喧嘩売ってんのか、コラ‼ お前らに食わせるためのアイスじゃねぇんだよ‼」


 林田さんがアイスを取り返そうと手を伸ばしたが、三人とも華麗に身を翻して死守。


「えぇー。職員も食べられるようにしましょうって話だったじゃなーい」


 森山さんが頬っぺたを膨らませてプリプリと怒る。


「そうですよ‼ 患者さんだけじゃなく、職員のリクエストも聞くべき‼」


 美知さんが森山さんに加勢。


「はーい‼ 私、チョコバナナ味が食べたいでーす‼」


 私は右手を高く挙げ、職員代表としてフレーバーのリクエスト。


「いいねぇ‼」「食べたーい‼」


 美知さんと森山さんが【賛成】の拍手をくれた。


「他の職員の要望は聞いても、お前らのは受け付けん‼ ……でも、味は悪くないんだな?」 


 自分勝手な私たちに腹を立てながらも、自分が作ったアイスが喜ばれたことは嬉しいらしく、林田さんは少しだけ口の端を上げた。


「悪くないっていうか、めっちゃ美味しいです。アイスって、口の中で溶けて水分になってくれるから、ゼリー食の患者さんにも楽しんでもらえると思います。林田さんの提案、滅茶苦茶いいと思います‼ 院長もすぐに了承してくれると思います」


 美知さんが「あーあ。もう食べ終わっちゃった」と空にになったアイスのカップを林田さんに見せながら笑った。


「じゃあ、美知さんはアイスの稟議書作成をお願いします。私たちは明日のオーダー食の打ち合わせをするので」


 患者さんのためにも自分たちのためにも一刻も早くアイスを取り入れたいがために、美知さんを一旦通常勤務から外す。


「ほーい。後は任せたー」


 私たちに手を振って、美知さんは栄養管理室へと戻って行った。


「……さて、明日のオーダー食の聞き取りの結果ですが……」


 クックチルを導入したからといって、人手不足であることは変わりないため、アイスの話はそこそこに仕事に戻る。


「えー。下川さんがとんかつで、楠木さんがお母さんのハンバーグで……あ、今回は少し大きめに作って、お子様ランチみたいに爪楊枝の日の丸の旗を立ててください。で、岡村さんが……」


「岡村さんが?」


 患者さんのオーダー食のリクエストを纏めたメモを読み上げていると、森山さんと林田さんが【岡村さん】にピクっと反応した。きっと岡村さんが前に、二人にとっては謎の食べ物であるサモサをオーダーしたからだろう。


「今回、岡村さんは……」


「岡村さんは?」


 森山さんと林田さんが私の次の言葉を待つ。


「なんと……」


 二人の様子が面白くて、無意味に正解を引っ張ってみる。


「なんと?」


 ドキドキ感を隠さずに私の目を見る森山さんを、本当に素直でかわいい人だなと思う。


「…………煮しめでーす」


「さんざん焦らして煮しめかーい‼」


 森山さんが分かり易くズッコケた。


「よーしよしよし‼ 派手な煮しめ作ってやるぞ‼ 正月気分にさせたるぞ‼ まだ五月だけどな‼」


 林田さんがガッツポーズをしながら肩を回した。何度も作ったことのある料理名でホッとしたのだろう。


 そんな自信たっぷりの林田さんの煮しめだったが……。


「…………これ、煮しめですか?」


 翌日、岡村さんの元にオーダー食を運ぶと、岡村さんが器の中身を見て首を傾げた。


「……違いますか?」


「あ、ううん。いいんだいいんだ。妻が作ってくれた煮しめとは随分違うなと思っただけ。気にしないで」


 岡村さんはそう言うが、気にしないでいられるわけがない。ホスピスに入院中の患者さんの一食一食がどれほど大事なものなのか分かっているから。


「奥様の煮しめって、どんな感じのものなんですか?」


「多分郷土料理なんだと思う。妻、新潟出身だったんだけど、この煮しめにも入ってるけど、もっとたくさん里芋が入ってて、とろみがあって……あと何が入ってたっけな。とにかく具沢山で凄く美味しかったんだよ。妻が亡くなってから全然食べてないなーと思って。急に食べたくなっちゃってさ。頼んだ本人がうろ覚えの料理を作ってくれっていうのが無理な話だよね」


 岡村さんが、林田さんが綺麗に飾り切りした花の形の人参を箸に挟み、「凄く綺麗。でも、こんなに豪華じゃなくて、もっと質素な感じなんだ」と眺めると、一口食べて「この煮しめも美味しいよ」と申し訳なさそうに笑った。


 楠木さんの【お母さんのハンバーグ】だって再現出来たんだ。岡村さんの【奥様の煮しめ】だって、作れるはずだ。岡村さんに喜んでもらいたい。


 岡村さんの食べたかった煮しめを出せなかった悔しさを、拳を作って握り締め、調理場へ戻る。


「岡村さんの煮しめ、不正解でした‼」


「なーにー⁉」


 林田さんが歌舞伎の見栄を切るかのように振り向いた。


「亡くなった奥様が作ってくれた新潟の煮しめが食べたかったそうです。あんな【どうだ‼ 俺の技を見ろ‼】的な飾り切りの人参なんか入っていない、質素な煮物だそうです。希望していたものとは違うけど、味は美味しいって言ってましたので、どんまいです林田さん」


「イチイチ癇に障る女だな」


 林田さんが私に聞こえるように、わざとらしく大きな音で「チッ」と舌打ちをした。


「林田さんをイジるにはまだ早いわよ。奈々未、まだ林田さんとそこまでの関係築けてないじゃん」


 美知さんが笑いながらツッコミを入れると、


「そう? 私には仲良し親子に見えるけど」


 森山さんが「微笑ましいわ」と目を細めて笑った。


「勘弁しろよ、ウチの家系にこんな性格の捻じ曲がった人間いないぞ」


 林田さんが森山さんの言葉を、私への悪口を織り交ぜて否定。


「しっかり家系にいるじゃん。自分の性格がひん曲がってることに気付いてないの?」


 林田さんに向かって『お前だよ』とばかりに人差し指を向けると、


「人を指で指すな」


 林田さんに再度舌打ちをされた。


「あら、申し訳ない」


 と言いつつも指を指し続けると、


「申し訳ないと思うなら指を仕舞え、このやろう」


 林田さんに強制的に人差し指を折り曲げられた。


「ほらね、仲良し」


 林田さんと私のやり取りを、森山さんが笑った。


「はいはい、くだらない喧嘩はそこまで。今ね、新潟の煮しめを検索してみたんだけど、関東とそんなに変わりなさそうなのよ」


 美知さんが【新潟 煮しめ】で検索した画面を映したタブレットを私たちに見せた。


「あるじゃねぇか、あるじゃねぇか‼ 新潟の煮しめにも、飾り切りの人参さんがよぉ‼」


 林田さんが「ほら見ろ」と人差し指と中指でわざわざ新潟の煮しめを拡大した。


「本当だー。ねぇ、岡村さんのリクエストって本当に煮しめだった?」


 森山さんが私の聞き間違いを疑う。


「さすがに煮しめは聞き間違えないですよ」


 口を尖らせ「聞き間違ってないもん」と拗ねるが、


「煮こごりとかじゃなかった?」


 美知さんまでも私を信じてくれない。


「ちゃんと岡村さんに詳しく聞いて来い、ばかやろう」


 林田さんには「出直して来い」と顎で追い払われるし。


 岡村さん自身もよく覚えていない料理を、本人にこれ以上どう詳しく聞けと言うんだ。


 ネットで調べてもヒットしない新潟の煮しめに頭を抱えながら、とりあえず喉でも潤そうかと自販機に行くと、


「お? どうした? 難しい顔して」


 自販機の近くのベンチでココアを飲んでいた楠木さんに出くわした。


「何にも考えてなさそうで、私も考え事くらいするんですよ。ココア、美味しそうですね。真似っこしちゃおう」


 自販機のボタンを押し、ココアを取るべく、しゃがみこんで取り出し口に手を突っ込む。


「悩み事? 暇だし、聞くよ」


「……うーん。大丈夫。何とかする」


 ココアのプルタブを開けながら『何ともなる気がしなけど』と心の中で呟く。


「病人だから、頼りにならないってか」


 楠木さんが「フッ」と不快感を滲ませた顔をしながら笑った。


「イヤ、そうじゃなくて。楠木さんって、お金をお支払い頂いて入院してもらってるわけで、患者さんでもあるけど、私たちにとってはお客様でもあるわけですよ。お客様に仕事の悩みを聞かせるってどうなのかなと思って」


 首を左右に振って楠木さんの言葉を否定すると、


「客が聞きたいって言ってるんだから話せ」


 楠木さんが、今度は意地悪っ子の顔をして笑った。


「オイオイオイオイ、お客様は神様じゃないぞ」


「私、自分のことお客様だと思ってないもん」


「ついさっき、客ヅラしたばっかじゃん」


 コロコロ変わる楠木さんの話にツッコミを入れながら、楠木さんの隣に腰を下ろす。


「ここの入院患者って、私と近い歳の人いないじゃん? ななみんって多分私と同じくらいの歳でしょ? 私の中ではななみんは友だち」


「ななみん?」


「倉橋奈々未でしょ? 名前」


 楠木さんが私のネームプレートを指さした。


「私だけ楠木さんの個人情報を知ってるのはフェアじゃない気もするのでバラしてしまうと、同い年ですよ。だから楠木さんと話すとき、うっかりタメ語になっちゃうことがある。すみません」


 ペコリと頭を下げると、


「むしろそれが嬉しかった」


 楠木さんがニッコリ微笑んだ。でも、どこか切なそうな楠木さん。家族が誰もいない中、ひとりでここに入院しているのは、淋しいに違いなかった。


「……じゃあ、聞いてもらっちゃおうかな。隣、座らせて」


 楠木さんに親しみを持ってもらえることは嬉しいし、楠木さんの淋しさを少しでも緩和出来るならと、楠木さんの横に腰を掛けると、


「聞く聞くー」


 楠木さんが身を乗り出した。


「他の患者さんの個人情報を口にするわけにいかないから、【誰が】とかは伏せるけど、毎週末のオーダー食に【新潟の煮しめ】をリクエストした人がいてね、お正月に出てくる一般的な煮しめを出したら『これじゃない』っていう楠木さんのハンバーグ状態になっちゃって。ネットで調べても、新潟も関東も別に変わらない作り方で、何がどう違うのか……。里芋がたくさん入っててトロトロしてるっていうヒントしかもらえなくてさー。友よ、何か知らないかい?」


 縋るような目で楠木さんを見ると、


「それ、【のっぺ】じゃね?」


 楠木さんが着ていたカーディガンのポケットからスマホを取り出し、のっぺを検索して「これじゃね?」と見せてくれた。


「あら、美味しそうな煮物。新潟の人ってのっぺを煮しめって言うの?」


 食欲をそそる画像に、口内の唾液量が増す。


「おばあちゃんが新潟出身でよく作ってくれたんだけど、それがめちゃめちゃ美味しかった。ウチのおばあちゃんはのっぺって言ってたけどね。煮しめとは言ってなかったな」


「じゃあ、違うじゃーん‼」


 期待を瞬時に打ち砕かれ、思わずベンチから足を投げ出す。


「【ウチのおばあちゃんは】って言ったでしょうが。おばあちゃんに『新潟の一部でのっぺを煮しめと呼ぶ地域がある』って話を聞いたことがある。おばあちゃんが、友だちの家に遊びに行ったとき『夕飯煮しめでいい?』って聞かれて、お正月のあの煮しめを想像してたら、のっぺが出てきてちょっと驚いたってことを笑いながら話してくれたの覚えてる」


「じゃあ、それじゃん‼」


 体制を立て直し、「ナイス、楠木さん‼」と両手で楠木さんの手を握ると、


「喜ぶのは早いと思うけどなー。のっぺだとしたら、かなり大変よ? のっぺって、各家庭によって具材も作り方も結構違うらしい。かまぼこ入れる家もあればナルトのところもあるらしいし、煮物として出す家庭と、汁気を多くして汁物として出す家もあるらしいし。イクラは煮て白くさせるのか、後乗せで赤のままにするのかとか。里芋だけのトロミか、片栗粉を足すのかとか。あ、温かいまま食べる家と、冷やしてから食卓に出すところもあるらしい。おばあちゃんののっぺがあまりにも美味しいから、おばあちゃんに作り方を聞いたことがあるんだけど『これはあくまでもおばあちゃんののっぺであって、これがのっぺの正解か? って聞かれたら、私にも分からない』って言われたし」


 楠木さんが「まぁ、頑張れ」とニヤニヤしながら私の手を握り返した。


「質素な煮物って聞いてたのに、イクラ入るんかい。つか、画像見る限り簡単そうな煮物なのに、何だよ、その奥深さ。」


 楠木さんに握られていた手をスルリと抜き取り、額に当てると「くぅー」という変な声をあげながら天を仰いだ。【のっぺ】なんて親しみ易いネーミングをしておきながら、超難しそう。


「もし、のっぺを食べたがっている人があんまり料理が得意な人じゃなかったら、紙かなんかにのっぺの具材を書きだして、入っていた具材に〇してもらった方がいいかもね。何種類も入ってるから、料理しない人に『何が入ってましたか?』って聞いても、ポンポン答えられないと思う。選択肢を予め書いてあげた方が、『あぁ、これも入ってたかも』って思い出し易いじゃん?」


 意気消沈の私に、それでもアドバイスをくれる楠木さん。なんて優しいんだ。


「なーるーほーどー。それ、使わせて頂くわ。早速のっぺの具材リストを作りに行ってくる。ありがとうね、楠木さん」


 ココアを飲み干して立ち上がり、缶をゴミ箱に放り投げた。


「お役に立てて何より」


 楠木さんがヒラヒラと手を振りながら笑った。楠木さんに手を振り返し、栄養管理室へ向かおうとして、立ち止まる。


「調べるよ、ちゃんと自分でも調べるよ。でもさ、楠木さんっておばあちゃんからのっぺの作り方聞いてるんだよね? 因みになんだけど、楠木さんのおばあちゃんののっぺの作り方、教えてくれないかなー?」


 両手を合わせながら、クルリと身体を翻す。岡村さんの奥さんののっぺとは違うだろうが、確実に美味しいのっぺの作り方を知っている楠木さんに聞かないなんて、勿体ない。


「図々しいな。私はお金を払って入院してるお客様だぞ」


 楠木さんが呆れながら笑った。


「友だちって言ってくれたじゃーん‼」


「嘘だって。いいよ、教える。おいで」


 楠木さんが手招きをしたので、さっきまで座っていた場所に戻り、白衣のポケットからメモ帳とボールペンを取り出しながら、楠木さんの説明を書き取る。


「本当にこんなに具入れるの? 多すぎじゃね?」「あ、面倒臭いなとか思ってるでしょ。サイテー」「思ってないよ‼ ただ、大変だなって思っただけじゃん‼ どっちかって言うと、楠木さんのお母さんのハンバーグを探し出す方が苦労したからな‼」「お? 私に対する文句か?」「違うよ‼ 患者さんのリクエストに応える為にめっちゃ頑張ってるんだぜ‼ っていう恩着せがましいアピールだよ‼ 褒めろよ‼ ていう要求だよ‼」「褒めのカツアゲしようとすんな」などという脱線トークをして笑いながら、無事に楠木さんのおばあちゃんののっぺレシピの取得に成功。


 楠木さんと仲良くなれて嬉しい。楠木さんとのお喋りは楽しい。でも、楠木さんの余命はそんなに長くはない。鼻の奥がツンとする。


 栄養管理室で楠木さんのおばあちゃんのレシピを参考にしながら、ネットでのっぺの具材を調べて書き出し、せっせとのっぺリストを作成。


 岡村さんは料理に詳しい方ではないので、具材の他に、片栗粉が入ってたかどうかまでは分からないかもしれないなと、【トロミは強かったか、弱かったか】【汁気は多かったか、少なかったか】【温かかったか、冷たかったか】【イクラは赤かったか、白かったか 】の項目も追加した。


 出来たリストを早速岡村さんの病室へ持って行く。


「すいません岡村さん。ちょっと手間なんですけど、このリストの該当するものを〇で囲んでもらえませんか? 覚えている限りのもので大丈夫ですので。煮しめ、リトライさせてください」


 リストを岡村さんに手渡すと、


「うわぁー。こうしてもらえると答えやすい。この回答、明日でもいいですか? 今日の夜、ゆっくり思い出しながら〇付けたいから」


 岡村さんが嬉しそうにリストに目を通した。


「もちろんですとも‼ よろしくお願いします‼」


 今度こそ、岡村さんの希望に近い煮しめが作れるかもしれない。岡村さんの病室を出ると、ウキウキでついスキップしてしまった。


「奈々未、病棟でスキップしない‼」


 まんまと美知さんに見つかり怒られた。


「すみませーん」


 この仕事は好きだ。転職して良かったと思う。ただ、喜びをスキップで表現出来ないのが唯一残念なところだ。




 翌日、岡村さんから回答済みのリストを受け取ると、調理場へ。


「岡村さんが食べたがっていた煮しめの件ですが、新潟の郷土料理であるのっぺの可能性が高いです。のっぺは、各家庭によって入っている具材などがだいぶ違うらしいので、岡村さんに思い出せる限りの具材をピックアップしてもらいました。そして、作り方はこちらです」


 岡村さんのリストと共に、画面にのっぺの作り方が映されたタブレットを調理台の脇に立てかけた。


「具の量、すげぇな」


 林田さんがリストを見ながら少しビックリしていた。


「具材は私が切りますよ。クックチルが入ったおかげで時間にゆとりが出来たし、これくらい何てことないわ。材料、買い出しに行ってきまーす」


 森山さんが「任せなさい」と右手の肘を曲げ、二の腕に筋肉の山を見せた。森山さんは今日もお茶目でかわいい。


「良く調べたね、奈々未。偉いぞ」


 美知さんはカツアゲしてもないのに褒めてくれた。でも、


「実は、楠木さんに教えてもらいました」


 自分の手柄にするのは忍びなくて、正直に白状すると、


「……大丈夫なの? 患者さんとあんまり親しくなっちゃうと……辛くなるよ」


 美知さんが心配そうに、遠巻きに『患者さんとは距離を保った方がいい』という旨を目で訴えてきた。


「…………」


 美知さんの言い分は理解している。今の時点でも切ない想いがあるのに、楠木さんがいなくなってしまったらと思うと怖くて、苦しくて、辛い。


でも、自分の接し方が間違っているとはどうしても思えない。この考え方を、後悔することになってしまうのだろうか? 後悔なんか絶対にしたくない。楠木さんにとても失礼なことだから。


 だけど、楠木さんはいずれいなくなる。私は取り残される。悲しい想いをするのは自分であることは分かりきっている。


回避できない事柄への対処の仕方が分からない。


 美知さんに返事が出来ずに下を向いていると、


「ボサっとすんな、手ぇ動かせ」


 林田さんが私の背中を軽くど突いた。


「パワハラ超えて、暴行罪だぞ」


 林田さんに鼻息を吹き散らかすと、


「距離を置くのも、親身になるのも正しい。正解を当てれば辛い想いをしなくて済むかって言ったら、全部が全部そうじゃない。正解が複数あるなら、他人の回答じゃなくて、お前が選んだ答えでいいと思うぞ」


 林田さんが私だけに聞こえるように、ボソボソ小声で喋った。


 大切な奥さんを亡くした経験のある林田さんの言葉は説得力があり、スッと私の中に入ってきた。


「暴行罪、見逃します」


 まだ起きてもいない悲しい事態を想像して嘆くのはやめよう。


今は、のっぺ作りに全集中。楠木さんに教わったのっぺのレシピを確認しつつ、買い出しに行った森山さんが戻ってくるまで、夕食作りに専念した。


暫くすると、買い物を済ませた森山さんが戻ってきて、素早くのっぺの材料をカットしてくれた。それを林田さんが味付け。そして、私と美知さんが味見。


「これがのっぺか‼ めちゃくちゃ美味いじゃん‼」


「新潟県民、やるな‼」


 美知さんと目を見合わせ、「ご飯が欲しいー」と嘆くほどに、のっぺに感動。


 これならイケる気がする。きっと岡村さんも喜んでくれるはず。


 夕食時、自信満々ののっぺをトレーに乗せ、岡村さんの元へ運ぶ。


「うんうん。これだ‼ 見た目が同じ。凄い再現度‼」


 岡村さんがお椀の中ののっぺに目を輝かせた。


 岡村さんの奥様ののっぺは、汁気の多い温かいタイプだったそうなので、本来出す予定だった汁物をのっぺに変更させてもらった。のっぺには野菜はもちろん、鶏肉も鮭も入っている。変更したところで栄養が不足することはない。……カロリー計算はね、目を瞑った。


「あぁー。美味しい。美味しいなぁ」


 岡村さんが嬉しそうにのっぺを口に運ぶ。


「今回の煮しめは成功ですかね?」


 岡村さんのジャッジや如何に。


「……正直ね、妻の煮しめとはやっぱりちょっと違う。でもね、それは妻に会った時に妻に作ってもらうからいいんだ。ここまで再現してもらえて、本当に嬉しかった。今回の煮しめは大成功‼ 星三つです‼ ありがとう」


 岡村さんが一旦お椀をトレーに置き、パチパチパチと拍手をしてくれた。


「よぉーっしゃあ‼」


 両手の拳を天に突き上げ、会心のガッツポーズ。倉橋選手、この喜びはまず……、


「星三つ、頂きましたよ、楠木さん‼」


 楠木さんに伝えたくて、食事中の楠木さんの病室へ。


「おぉ‼ 良かったじゃん‼」


「楠木さんのおかげだよー。本当にありがとうね。ってことでね、楠木さんのおばあちゃんののっぺも作ってみたんだけど、どうかな?」


 本来の献立にはないのっぺの入った小鉢を指さす。


実は、林田さんの横で、私も楠木さんに出す用に、楠木さんのおばあちゃんのレシピで、岡村さんののっぺとは少し違う、汁気の少ないのっぺを作っていたのだ。


楠木さんには多大なる協力をして頂いたわけで、お礼をするのは当然だ。


「うん。美味しいよ。美味しいけど……」


 箸を止め、小鉢を見つめる楠木さん。


「やっぱ、おばあちゃんには敵わないかぁ」


 箸の進まない楠木さんに、苦笑いするしかない。


「イヤ、遜色ない。ただ、私……もうダメかもしれない」


 急に湿気を帯びた涙声になった楠木さんに、


「……え?」


 苦笑いのまま顔が固まってしまった。


「……トロトロになった里芋を飲み込むのが精いっぱいだった。一般食はもう、無理かもしれない」


 泣きだしそうな顔で唇を噛む楠木さん。


「明日からの食事は、医師と相談してからになるから今は何とも言えないけど、例えミキサー食になっても、ゼリー食になろうとも、めっちゃ美味しく作るから‼ ウチには林田さんっていう、物凄く腕がいい料理長がいるからね‼」


 楠木さんに釣られて泣きそうになるのを必死で堪え、根性で笑顔を作る。涙など見せてはいけない。患者さんに悲しい想いをさせてはならない。不安にさせたり同情なんかしてはならない。患者さんには穏やかな気持ちで過ごして欲しいから。


「めっちゃ美味しく作るの、ななみんじゃないんかい」


 楠木さんが「フッ」と小さく笑った瞬間、目から涙を零した。


「私も作るけど、主に作るのは調理師さんだから。私は管理栄養士だから、献立作ったり、食材発注したり、栄養指導したり……他の仕事が結構あるんだよ」


 楠木さんの涙を、【何でもないこと】であるかのように、素気なく箱ティッシュを楠木さんの近くに置いた。


『大丈夫?』なんて言いながら、楠木さんの背中を摩って大事にしたくなかった。一般食が食べられなくなることを、【悲しいこと】にしたくなかった。


「忙しいんだね、管理栄養士って。……美味しいならいっか。ゼリー食だって何だって。でもさ、さすがにもうハンバーグは無理だよね。ハンバーグはゼリーに出来ないもんね」


 楠木さんが何事もなかったかのように、ティッシュで涙を拭きながら笑った。


「イヤ、あるよ。ゼリー食のハンバーグ」


だから私も、何事もなかったかのように話を続ける。


「え⁉ あるの⁉」


「うん。なんなら、ムースもある。ここのホスピスではムース食やってないけど、私が前に働いてた給食センターではムース食も作ってて、介護福祉施設とかに出してたよ、ハンバーグのムース」


「ハンバーグがムースに⁉ 何それ、ちょっと興味あるわ」


 ハンバーグがゼリーやムースになることに驚いた楠木さんの目から涙が引いた。


「今度のオーダー食、ハンバーグのゼリーにする? ムースでもいいけど」


「イヤ、お母さんのハンバーグ以外のハンバーグは、食べなくていいや」


 楠木さんが胸の前で両腕をクロスさせ、×を作った。


「そうだよね。そこは拘るよね」


 右手で「失敬、失敬」と手刀を切る。


「あ。今、【食う気もないのに、何の興味だよ。かったりぃな】って思ったでしょ」


楠木さんが私の手刀を真剣白刃取りした。


「思ってないよ。揺るがないな。意思が強いなと……」


「いらないよ。接客業特有の無理矢理なポジティブ変換」


 楠木さんが「ククク」と笑った。


「ていうか、今更かったるいとか思うわけないじゃん。ウチラ調理隊が、楠木さんのお母さんのハンバーグを再現するのに、何回ダメだしくらったと思ってるのさ」


私も釣られて「ふふふ」と声を出して笑ってしまった。


実際、ダメだしを受けたのは私以外の三人であって、入社したての私は一度もくらってないけれど。


「あのさ。もし、固形物を飲み込むのがキツイだけで、口に入れるのは問題ないのなら、噛み出し食にすればいいよ」


 やっぱり楠木さんにお母さんのハンバーグを食べて欲しくて、噛み出し食を勧める。


「噛み出し食?」


「その名の通り、噛んだ後に飲み込まずに吐き出すの。ハンバーグの触感と味を楽しんだら、口から出せばいい。だから今まで通り、お母さんのハンバーグのリクエストOKだよ」


 人差し指と親指でOKサインを作ると、


「……え。それはダメなヤツでしょ。一昔前にユーチューバーがそれやって炎上してたやん」


 楠木さんが、私のOKサインのOの穴に自分の人差し指を突っ込んで横にスライドさせ、私の人差し指と親指の接着部分を剥がし、OKサインをCKサインにした。


「それは、たいして食べられもしないくせに大食いを装って、吐いてるところを編集でカットしなかったおバカさんだからでしょ。故意に食料を無駄にしたからでしょ。でも、楠木さんは違うじゃん。そんなおバカさんと同じ括りにしてくれるなよ」


 めげずに再び親指と人差し指をくっつけてOKサインを作り直す。


「……イヤ、でもなんか、バチ当たりそう。天国行けなそう。地獄に堕ちるとか絶対に嫌なんですけど」


 しかし、楠木さんは噛み出し食に難色を示し続けた。


「まぁ、やりたくないなら無理強いはしないけどさ。でも、『やっぱりどうしてもハンバーグを味わいたいな』って思ったら噛み出し食をして、後々そのことを神様か誰かに咎められたら、『倉橋奈々未にやらされました。アイツが「やれ‼」って言ったからやりました』って言えばいいよ」


 もし、楠木さんが本当は噛み出し食をやってみたいのに、罪悪感で出来ないのであれば、取り除いて気兼ねなくやって欲しいと思った。


「見縊んなよ。私は友だちを売るような女じゃないんだよ」


 楠木さんが唇を尖らせた。


「楠木さんだって、神様を見縊るんじゃないよ。神様はそんなに小さい人間じゃないんだよ。……人間かどうか知らんけど」


「神様が何者か知らないくせに、小さくないって良く言えたな」


 そして、目を細めて白ける楠木さん。


「減らず口―‼ 口答えすんな‼」


 ごもっともな楠木さんの反論に負けたくなくて、聞く耳を持たない頑固親父の口癖のような言葉を返す。


「オイ‼ 客だぞ、私は‼ お客様だぞ‼」


「友だちでしょうが‼」


「ずるいぞ‼ 友だちだからって言って、遠慮なしに言いたい放題言いやがって‼」


「友だちだから、遠慮なしに言いたい放題なんじゃん‼」


「……そっか」


 楠木さんが笑いながら折れた。


「そうだよ」


 楠木さんと距離を置くことなんて出来ない。


 だって楠木さんと私は、友だちだから。

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