ハンバーグ
「温泉、最高だったー。お休みありがとうございましたー。お土産でーす」
有休を三日取り、家族旅行を満喫した森山さんが、お土産の饅頭やクッキーを手に、今日より復帰した。
「やったー‼ 暫くはおやつ買わなくていいね‼ 嬉しい‼ ありがとうございまーす‼」
美知さんと手を取り、二人で小躍り。実は二人とも献立作りが得意ではなく、献立を作っている最中にイライラしはじめ、お菓子を摘ままないとむしゃくしゃしてしまう悪い癖がある。
「これも食っていいぞ。俺は森山さんと違って日帰りだけど、息子夫婦と一緒に海鮮ツアーに行ってきた。魚持ってくるわけにいかねぇから、魚の形したお菓子買ってきた」
林田さんもそっけなく土産袋をテーブルに置いた。
「え⁉ 林田さんも旅行⁉ 他人の有休に厳しかった林田さんが⁉」
驚きのあまり、踊りをピタっと止める。
「よーし、お前は食うな」
林田さんが私から土産袋を遠ざけた。
「ヤダ‼ 嘘嘘‼ 食べる‼ ごめんなさい‼」
土産袋にしがみつき、死守。私の身体はもう、お菓子なしでは仕事が出来ない。
「しかし、優しいお子さんですね。旅行に連れて行ってくれるなんて」
私がうっかり害してしまった林田さんの気分を、森山さんが回復させようと試みる。
「母親に似て、気が利くヤツなんだよ、ウチの息子は」
林田さんが得意気に胸を張った。
「まぁ、それもそうなんですけど、お嫁さんが素晴らしいって話ですよ。こんな堅物な林田さんとの旅行を快諾するなんて。出来た嫁ですよ」
馬鹿な私は、森山さんの気遣いをアッサリ無碍にする。
「よーしよーし、お前は絶対に食うな。お土産返せ、このやろう‼」
林田さんが土産袋を取り上げようとするから、
「やめろ‼ 渡すものか‼」
取られてたまるかと抱きかかえる。
「ふたりとも‼ そんなことより、楠木さんのハンバーグ‼」
美知さんが『いい加減にしろ』とばかりに大声で林田さんと私のやり取りを遮った。
「楠木さんのオーダー食のリクエスト、またハンバーグかぁ」
林田さんが「参ったなぁ」と頭を掻いた。
「これで三回目?」
森山さんが尋ねると、美知さんが「はい」と項垂れた。
「楠木さんって、ハンバーグ好きなんですね。若いから、やっぱ肉なんでしょうね」
楠木さんは私と同じ二十六歳の女性患者さんだ。
「楠木さんのリクエストは、正確には【お母さんのハンバーグ】なのよ」
森山さんが「ふぅ」と小さく息を吐いた。
「過去二回、『美味しいけど、お母さんの味じゃないんだよな』って。『これじゃない』って不正解を叩きつけられてて。楠木さんのご両親は離婚されてて、お父さんとは連絡つかないし、お母さんは亡くなってるし、母方の祖父母も他界されてるから、正解を知っている人がいないのよね。『小さい頃、お母さんは看護師をしていて忙しかったから、普段はおばあちゃんが作ってくれる料理を食べてたんだけど、たまにお母さんが作ってくれたハンバーグが忘れられない』って言っていて。何とか再現したいんだけど、ヒントがなくて……。珍しい食材も入ってなくて、凝ったこともしてない、豚と牛の合挽き肉の普通のハンバーグだったらしいんだけど……」
美知さんが頭を抱えた。
「いい加減そろそろ成功させないとな。時間に余裕が……あるわけじゃないからな」
林田さんがしょっぱい顔をしながら「うーん」と唸った。
普通の、お母さんのハンバーグとは一体……。
「うーん」
久々に彼氏の部屋に来ているというのに、私の頭の仲は楠木さんのハンバーグのことでいっぱいだった。
「どうしたの? そんなに怖い顔して」
隼人が私の頭をポンポンと撫でた。
久々にやってきたしかめっ面の彼女にとても優しい出来た彼氏の隼人は、小学校の教諭をしていて、生徒に人気どころか、保護者にもモテモテらしい。
美知さんに隼人を紹介してもらった時、「隼人はみんなに優しいから、凄くモテる。いい子にしてないと他の女に取られるからね」と言われたが、教師たるもの浮気などするわけがない‼ と、私は隼人を信じている。
「ウチのホスピス、週一でオーダー食っていうのやっててね」
「うん。知ってる。美知に聞いたことあるよ」
いつでも優しい隼人は、仕事で疲れているだろうのに、嫌な顔をせずに私の悩み事に耳を傾けてくれる。
「私と同い年の患者さんが【お母さんのハンバーグ】をリクエストしててね、普通のハンバーグらしいんだけど、過去二回出した普通のハンバーグは「美味しいけど違う」って言われててね。その患者さんのお母さん、亡くなってるからどんなハンバーグか分からなくて……。隼人の家のハンバーグって、どんな感じ?」
考えるほどに【普通】が何なのかが分からなくなってきて、彼氏の普通をリサーチすることに。
「二十六歳でホスピス……。若いのに……」
心優しい隼人はまず、ハンバーグではなく患者さんに思いを馳せた。
「ウチの母さんのハンバーグは、大概チーズが入ってた。俺が好きだから。テストの点数が良かった時は、それに目玉焼きが乗っかってたり……。懐かしいな」
隼人のお母さんは今、乳がんを患って入院中だ。
暫く母親の手料理を食べられていない隼人に、無神経な質問をしてしまったかなと、後悔しながら隼人の背中を摩ると、隼人が私の肩を掴んで抱き寄せた。
「食べさせたいね、お母さんのハンバーグ」
「うん」
隼人の胸に顔を埋める。
「奈々未と同い年ってことは、給食とかお菓子とか、俺らと同じようなものを食べてきたってことだよね」
「そうだね」
「その患者さんのお母さんって、何されてた人?」
「看護師さんだったらしい」
「忙しかっただろうね」
「そうだね」
「…………」
隼人がテーブルに置いてあったスマホを手に取り、何かを調べ始めた。そして、
「これ、使ったんじゃないかな?」
隼人がスマホの画面を私に見せた。
そこには、いろんな会社が出している色々な種類のハンバーグの素が映し出されていた。
「俺らが子供の頃に発売されて、今でも販売してるのはこの三種類だけっぽい。その中で一番美味しかったヤツが、【お母さんのハンバーグ】なんじゃないかな。今から買いに行こう」
スクっと立ち上がった隼人が、「ほら、行くよ」と私の腕を引っ張りあげた。
「イヤイヤイヤイヤ、根拠は⁉」
「看護師さんで忙しかったお母さんは、手早く美味しい料理が作りたい。作り直す時間もないから失敗出来ない。だとしたら、間違いなく美味しくなる市販の素を使ったんじゃないかな。思い出補正もあるかもしれないけど、そんなに美味しいハンバーグだったとしたら、販売終了にならずに今も売ってる素なんじゃない?」
隼人が「急げ急げ‼ 遅い時間だと素は売ってたとしても、肉が売り切れる‼」と私を急かす。
「たーしーかーにー‼ 隼人、天才‼ 行こう‼」
二人で仲良く手を繋ぎ、近所のスーパーへとダッシュ。無事にひき肉とハンバーグの素を購入し、隼人の部屋に戻って、ハンバーグを三個作成。フライパンで「じゅうじゅう」と良い音を鳴らせながら焼いていると、
「三種類のハンバーグを食べ比べなんて、子どもの頃なら考えられない贅沢だわ」
隼人が背後からひょこっと顔を出した。
「今日は【隼人様、ナイスな閃きありがとうの会】だから、遠慮なくたんとおあがりくださいな」
焼きあがったハンバーグをお皿に乗せ、隼人に『どうだ‼』とばかりに見せると、
「楽しみー‼ 美味しそう‼ 早く食べよう‼」
隼人は子供のように燥いだ。
「いただきまーす‼」
ふたりで元気よく唱和し、いざ実食。
こんなにハンバーグを口の中で転がしたことなど、今までなかったわ。というくらいにしつこく噛んで味を確認。
ハンバーグを食べ終わると、二人で目を閉じ一番美味しかったハンバーグを指差すことに。
「せーの‼」
二人が指さしたハンバーグは、同じものだった。
「やっぱ、これだよね?」
「だよね⁉」
見事に意見が一致し、翌日、二人が認めた日本一美味いハンバーグの素を鞄に忍ばせ出勤した。……が、
「俺に市販の科学調味料を使えと?」
林田さん、ブチ切れ。料理人として、それは認められないらしい。
「見た目が普通で凝ったこともしていないのに美味いハンバーグなんて、料理人でない人間が市販のものを使わずにどうやって作ったと思いますか? 逆に」
しかし、どうせ他に手などない。これで行ってみるしかない。
「何の逆なの。でも、そうかもしれないね。忙しいお母さまだったんだもの。市販のものを使うなんて当然のことよね」
主婦である森山さんは納得がいく様子。
「ウチも普通に使ってましたよ。市販のものをバカにされると、ウチの母親を否定された気がして嫌なのでやめてください。今回は奈々未の案で行ってみましょう」
美知さんも賛同し、賛成過半数で奈々未案(本当は隼人案)は可決された。
そして夕食時、立案者として責任をもって、奈々未案のハンバーグを楠木さんへ配膳しに行く。
「どれどれ、今回のハンバーグは成功ですかね?」
楠木さんがテーブルに置かれたハンバーグを覗き込んだ。
「今までを失敗みたいに言いなさんな。味が希望と違っただけで美味しかったでしょうが」
ツッコミを入れると、楠木さんが「ははは」と笑った。
「では、実食しましょうかね。いただきます」
丁寧に手を合わせた楠木さんが、箸でハンバーグを一口大に切り、口へ運んだ。
「…………」
ゆっくりとじっくりと咀嚼する楠木さん。
「……どうですか?」
楠木さんの反応を伺う。
「……お母さんのハンバーグが食べられるまで絶対に死なない。死んでたまるかって思ってたの。……明日死んだらどうしてくれるのよ」
楠木さんが「すっごく美味しい」と言いながら泣いた。
「このハンバーグ、どうやって作ったの?」
楠木さんは、謎だったお母さんの味の正体が気になるらしく、ハンバーグに顔を近づけてまじまじと見つめた。
「ハンバーグの素を投入させて頂きました」
遂に楠木さんの答えを叩き出せたことに大満足し、胸を張って答えると、
「……何だよ。お母さん、愛情ないなー。手抜きじゃん」
楠木さんは、急に白けた顔をして箸を投げるようにコロンとトレーの上に転がした。
「どこが? 愛情たっぷりやん」
楠木さんが手放した箸を掴み、「具合が悪いわけじゃないなら、もう少し食べましょうよ」と楠木さんの手を取り、握らせた。
「どこが? 愛情があったら市販の素なんか使わずに下味から全部自分でやるでしょ」
しかし、楠木さんは食べようとしない。
「楠木さんのお母さんって、看護師さんだったんですよね? 忙しくて料理をする時間の確保が難しい。でも、愛する娘に自分の手料理を、尚且つ美味しいものを食べさせたいって思ってハンバーグの素を使うのは、手抜きかな? 愛情ないかな? 私は楠木さんのお母さんは滅茶苦茶素敵なお母さんだと思うけどな」
楠木さんと自分の愛情の受け取り方の違いに「そういう考え方もあるのね」と考えさせられながらも自分の考えを述べると、
「そっか。なるほど。そういう受け取り方もあるんだね」
私と同じ感想を持った楠木さんが、クスリと小さく笑い、もう一口ハンバーグを口に入れた。
「……美味しい。本当に美味しい。懐かしい」
うんうんと頷きながらハンバーグを味わう楠木さん。
「……私ね、癌になってもう治せないって言われた時、『まだ二十六なのに。何で私が?』って嘆いたし怒ったし絶望もしたんだけど、『でもこれでお母さんに会えるじゃないか』って、自分に言い聞かせてそういう気持ちを宥めてきたのね。私、お母さんのことが大好きだったからさ。やっぱり死ぬのは怖い。死にたくない。でもさ、向こうに行って、お母さんと再会して、時間に追われる生活から解放されたとしても、やっぱりお母さんにはこのハンバーグを作って欲しいなって思う。お母さんの味は、これだから」
ライスや他のおかずには目もくれず、ハンバーグだけを黙々と食べ続ける楠木さん。
「もう少し、大きく作れば良かったですね。ハンバーグ」
ホスピスにはなかなか思うように食べられない患者さんが多い。だから、食べられる患者さんにはモリモリ食べて欲しい。
「来週のオーダー食もこのハンバーグにして。死んでなかったらだけど」
冗談っぽく笑う楠木さんの言葉は、冗談というわけではない。
このホスピスの患者さんは全員、自分の命の期限が迫っているのを知っていて入院している。辛い治療をせず、苦しまずに穏やかに、QOLを上げた生活をしながら最期を迎えるのを目的とした人たちの場所だ。
だから、楠木さんに「死ぬなんて言わないでくださいよー。頑張って生きましょうよ」と返すのは違う。ここは頑張って生きるのではなく、心地よく生きる所だから。
「じゃあ、来週はハンバーグ二段重ねにして爪楊枝の日の丸の旗でも立てちゃおうかな」
悪戯っ子のように笑い返すと、
「楽しみにしてるわ。でも、さすがに二段は食べられないから一段でいいや」
楠木さんが最後の一口のハンバーグを右頬に蓄えながらニカっと笑った。