月下の告白
「はぁ…今日は楽しかった」
温泉に入浴しながら美羽が言う。今は予約していた宿の温泉に入っている。
「ああ、いい経験になったぜ」
「ええ、連理ったらかっこいいのに、いつもあんなんだから…」
「おいおい、あんなんってなんだよ」
「…?………………え?」
え?なんだなんだ
「どうした俺の顔になんか付いてんのか?」
裸の美羽が俺の顔を見つめている。
「ど、どうして連理がいるの?なんで?どうして?」
「なんでって温泉なんて滅多に入る機会ないだろ?」
「そういうことじゃなくて…どうして私が入ってるのに連理も入っているの?」
そりゃ一緒に入った方が効率が良いからだ。
「飯まで時間無いし」
「ば.....」
「ば?」
「ばかっっ!!!!!!!!!」
がこーんっ!!!
「な、なんだってんだ...」
風呂桶が脳天に突き刺さる。
。
「本当あり得ない!なんで連理ってこんなに乙女心が分かってないの!?このえっち!すけべ!」
今や正座で説教だ。せっかくの旅行なのにな。
「がみがみがみがみがみがみがみがみ」
エロース…それは性愛を意味する。性…それは盲目であり、人類の本能。子を残すと言う本能も元は性愛からだ。俺が美羽にそれを感じているかは別だとして、俺だってそう言った欲望は有る。決して表に出さないし、自分で制御も出来る。すけべになったつもりもない。むしろたまに着替えを覗く美羽の方がスケベだろ…と思うが決して口には出さない。
「聞いてるの!?全く連理はいつもいつもがみがみがみがみがみがみがみ」
「ああ、俺は今ハンバーグの気分だ」
「聞いてないじゃない!!!」
それから夕飯まで美羽の説教が続いたのであった。
。
「ねぇ連理。連理ってさ…記憶が無いんだよね?」
何だ急に。俺が目の前に出されたご飯に手を付けようとした時に美羽から飛んでくる。
「あ?まあ、そうだな。二年より前の記憶は無い」
二年前、目覚めたら”下”の奥地に居た。そりゃ当時は焦ったし辛かったが、俺には生きていく力があった。元の俺がどういう生活をしていたのかは知らんが…まともでは無かっただろうな。背中の傷だってっそうだ。
「連理って不思議…何考えてるのか分からないし、なんか滅茶苦茶強いじゃん?」
元の俺がどういう人生を送っていたのかは俺も気になる所ではあるな。
ただ…人格の乖離が及ぼす影響がどうなるか…と考えてしまう。もしかしたら美羽に危害を加える可能性がある。
「はん。別に強かねぇよ。銃でも撃たれりゃ死ぬ」
「前は死ななかった。それに…”下”に行くときの連理はもっと強い」
基本的に”下”に行くときは切り替えている。俺一人ならばその必要も無いが、美羽も居る。安易に気を抜くと美羽が死ぬ可能性だってある。
「生理だ生理」
「もう!ふざけないでよっ!」
しんみりした雰囲気が一気に崩れる。飯の時間にこんな話するのもなんか嫌だろ?
「もういいっ。連理何てしーらない!」
怒って黙ってしまった。
ま、飯がくえりゃ俺はなんだって良い。
「お、中にチーズが入ってる」
。
。
一日目が終わった。この一日は刺激が強く、満足度が高かった。とくにお化け屋敷の件は俺の中で特別な経験となるだろう。
「はっ、らしくねぇな。俺が人生の何を知ってるってんだ」
経験だとか、そんなものは付加価値でしかない。”上”に来て考え方が変化してきたのか?それこそお笑い草だな。その程度で変化する価値観など無いに等しい。
「連理…起きてる?」
隣の部屋から美羽が覗いてくる。
「なんだ?一人でトイレ行くのが怖いか?」
「ち、ちがう!!」
違ったか…俺の予測だと昼間のお化け屋敷の影響で寝れないと思ったんだが…。
「そっち行ってもいい...?寝れない」
「やっぱ怖いんじゃねぇか。良いけどよ、俺の隣でいびきはよしてくれよ」
「し、しないわよ!!」
怒りつつも俺の布団に入ってくる。
「連理に話すつもりは無かったんだけど…この際に話すね」
「なんだ畏まって、らしくねぇな」
いつもならもっと溌溂に話しかけてくるんだが、今日はやけにしんみりしてる奴だな。
「私のパパとママについて」
そういえば…美羽のもとに来てから一か月は経ったが、美羽の父親と母親を未だに目にしたことが無い。
仕事で忙しいのかとも思ったが…この感じ違うらしいな。
「…話したくなければ話さなくていい」
「ううん…連理には知っていてほしい」
ったく、別に知りたい訳でも無いんだが。
「パパとママ、今警察に捕まってるの」
なんだと?確か、烏丸はこの”上”の支配階級の中でも屈指の家柄だった筈。
確かに捕まるような犯罪をした可能性はあるだろうが…拘束されているのは腑に落ちない。
そこまで重罪なのか?
「何故だ?お前の家に借りがある奴なんて五万といるだろ?」
特に資産家は烏丸の援助を受けることが多い。
その伝手があれば警察本部を脅すことも出来た筈、俺の考えが甘いのか?警察が勧善懲悪の組織でどれだけ世界に貢献しようと、一度犯罪を犯せば拘束…そんな劇画の世界があるだろうか。
「理由なんて無かった…ただ狡猾で卑劣な仕組まれた劇、許せない…」
冤罪…無実を晴らすことが出来なければそれは犯罪者と同じになる。
多分だが…学園の奴らが特によそよそしく無いのはまだ出回っていないからだろう。
だがその事実が出回ればどうだ?才色兼備、容姿端麗のお嬢様が早、犯罪者の娘となり下がる。
学園の奴らや民衆にとってはな。
「だからあんなにも必死に指輪を探してるのか」
「…あれはお母様が代々受け継いできた指輪。烏丸にとっての家宝…だから」
全く、なんてものを盗まれてんだコイツ。
「その指輪があれば冤罪を晴らせるって訳か?」
「どうだろ…ただ、気休めでも私にできることが有ったらしたい」
美羽らしいな。誰かの為、自身を擲ってまで幸福を願う。
汝隣人を愛せよ…か。美羽にはそれが良く似合う。
「はっ、良いじゃねぇか。その旅俺も付き合ってやる」
退屈しなそうだしな。決して美羽の泣き顔が観たくないとかそんなんじゃないから!
「ふふっ…。やっぱ連理ってツンデレ。でももとよりそのつもりでスカウトしたしね!」
はっ!流石お嬢様、意外と強かだぜ。
「もう寝るね…。おやすみ」
後ろから寝息が聞こえる。
「…らしくねぇな」
ぽつりと独り言が漏れる。そのつぶやきは深い暗闇の中、唯一輝く月だけが聞いていた。
読んでいただきありがとうございます。因みにタイトルの月下の告白は中原中也の詩から。
自分の好きな作品の一つである風のスティグマの三巻も月下の告白です。