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マブイロスト  作者: カーシュ
第1章 影の島への帰郷
33/34

第33話 黒猫

 次の瞬間。


 黒猫が跳んだ。


 影の腕の先端へじゃない。腕の根元へ。


 浜に点々と浮かぶ白い札。そのうち、並木寄りに近い一枚へ、一直線。


 月明かりの下で、黒猫の体が一瞬だけ輪郭を持つ。


 オッドアイが光を拾い、鍵しっぽが短く揺れた。


「猫っ……!」


 陽翔の声が遅れて出た。


 黒猫の前足が札に届く。


 爪が走る。


 バリッ。


 紙が裂ける音が、はっきり鳴った。


 札が二つに裂けた。


 裂けた瞬間、家へ伸びていた影の腕が止まった。


 先端が縁側の板に触れる直前で、固まる。


 そして。


 腕の形が崩れ、砂の上に落ちるように消えた。


 璃子が息を吸う音が、後ろから聞こえた。


 玉城先生の声も、少しだけ浮く。


「……今の、札を裂いたのか」


 陽翔は目を動かす。


 札が裂けた場所。


 影の腕が消えた場所。


 つながっている。


(やっぱり、札が元……!)


 正面の影の腕は止まらない。


 真帆の光の守りへ叩きつけてくる。


 ゴンッ、ゴンッ。


 硬い音が続く。


 光の面に、ガラスみたいなひびが増える。


 ひびは細い。けれど増えるのが早い。


「真帆!」


 陽翔が叫ぶ。


「大丈夫……!」


 真帆が返す。声が震える。


「守れてる。守れてるのに……怖い」


 怖い。


 その言葉どおり、ひびが一瞬だけ広がりかけた。


 真帆が息を吐く。


 肩が落ちる。


 ひびが少し細くなる。


 真帆は自分で驚いた顔のまま、歯を食いしばる。


「今、落ち着いたら……戻る。戻る感じがする……!」


「できる。吐いて、落ち着け」


 陽翔は短く言った。


 説明は後だ。今は守りを残す。


 美琴が右から風を走らせる。


 砂が舞う。


 影の腕の角度がずれる。


 真帆の守りをかすめて、砂を深くえぐった。


「今の風は、当たりにくい角度にできました」


 美琴の声は落ち着いている。


 でも目は鋭い。札と影の腕を、ずっと見ている。


 黒猫が着地する。


 裂けた札の破片が、ひらひら落ちる。


 黒猫は振り返らない。


 次の札へ走る。


 その動きに、浜の先のフードが反応した。


 首が少しだけ動く。


 顔は見えないのに、視線だけは黒猫へ向いたのが分かる。


 届かない距離で、フードの口元が動いた。


 言葉は聞こえない。


 その代わりに、空気が変わる。


 札が揺れた。


 陽翔の耳の奥が、キーンと痛む。


 嫌な予感が、音より早く来る。


 そして、頭の中に、声が混じった。


 誰かの声。


 男か女かも分からない。


 近いのに遠い。


 ――まだ、そこじゃない。


「……っ」


 陽翔は歯を食いしばった。


 今の声も、意味がはっきりしない。


 でも、体が勝手に反応する。


「美琴!」


 陽翔が叫ぶ。


「札、増えるぞ。来る!」


「分かってます」


 美琴は短く返した。


 フードの相手が片手を上げた。


 その手の動きは小さい。


 けれど、宙の札が一斉に動く。


 届かない距離で、フードが小さく呟いた。


式札招来しきふだしょうらい


 言葉は風に消えた。


 陽翔たちには聞こえない。


 代わりに、見える。


 札が増えた。


 袖のあたりから、白い札が次々と現れる。


 一枚ずつ、空中で止まる。


 増え方に迷いがない。


 並びも早い。


 十枚。


 十五枚。


 二十枚ほど。


 浜の上に白が散る。


 札の真下の砂が黒く変わり、点が増える。


「……増えた」


 璃子の声が後ろで落ちた。


 玉城先生の声が続く。


「二十くらいか。無限じゃないのは救いだが、救いになってないな」


 黒い点が一斉に反応する。


 影の腕が次々と伸びた。


 今度は真帆の正面だけじゃない。


 左右からも、低い角度でも、同時に来る。


 真帆の光の守りが揺れる。


 ガラスのひびが走る。


 ひびが増えるたび、真帆の顔色が変わる。


「……っ」


 真帆が息を詰めかける。


 ひびが広がりそうになる。


 真帆は自分で自分を止めるみたいに、息を吐いた。


 手の力を少し抜く。


 肩を落とす。


 ひびが、細くなる。


 ひびの端が、光でふさがる。


「今……戻った」


 真帆が言った。


 言いながら、自分でも信じられない顔をしている。


「その調子。怖くても、手を固くするな」


 陽翔が言う。


 美琴が札を取り出す。


 動きは速いのに、無駄がない。


 札を指で弾く。


 風が札に沿って走る。


 風が見える形になる。


 白い札が空中で一瞬だけ揺れ、風がその線をなぞる。


 影の腕がその風に触れた瞬間、先端の角度が変わる。


 真帆の守りに当たるはずだった爪が、少しだけ外に流れる。


「当てるだけじゃ足りません。風に形がいる」


 美琴の声が淡々としたまま、速い。


「形なら……俺が見る。札の位置だ」


 陽翔は札の並びを追った。


 さっき黒猫が裂いた札と同じように、並木寄りに近い札がある。


 家へ抜ける角度を作る札が、二枚、三枚。


「真帆、右!」


 陽翔が言う。


「右から抜ける腕が来る!」


「分かった!」


 真帆が返す。


 四枚の光が一瞬だけ重なり、右側へ角度を変える。


 守りが動く。


 動くたび、光の端に小さな軌跡が残る。


 影の腕がぶつかる。


 ゴンッ。


 ひびが走る。


 真帆が息を吐く。


 ひびが少し戻る。


 黒猫がまた跳ぶ。


 今度は二枚目の札へ。


 爪が札へ走る。


 ズバッ。


 札が裂ける。


 その真下の影の腕が一瞬止まる。


 止まった腕が、すぐ崩れる。


「……効いてる!」


 陽翔の声が上ずった。


 戦いが、やっと一段動いた。


 フードの相手が、また首を動かした。


 黒猫へ視線を向けたまま、手を上げる。


 届かない距離で、フードが呟く。


「守札・黒衣しゅふだこくい


 言葉は聞こえない。


 でも、空気が一気に重くなる。


 札の周りに、黒い霧が集まった。


 札を包む。


 球みたいにまとまって、札の位置が見えにくくなる。


 ただし、真帆は違った。


 黒い霧の流れが見える。


 札へ向かう黒さが、障壁みたいに張りついていくのが分かる。


 黒猫も、動きが止まらない。


 霧の球へ飛び込む。


 爪が走る。


 ズバッ。


 ……裂けない。


 爪の勢いが、霧のところで落ちる。


 黒猫の前足が押し返され、砂を蹴って体勢を立て直す。


 黒猫が低く唸った。


 声は小さいのに、怒りが分かる。


「守られてる……!」


 真帆が叫ぶ。


 顔が青い。けれど目は逃げていない。


「札が、守られてる!」


 美琴が札をもう一枚弾く。


 風が走る。


 霧の球の表面が揺れる。


 でも破れない。


「風だけでは裂けません。押し返されます」


 美琴が言う。


 言い切る声だ。試して、結果を見た。


 陽翔の耳の奥が、またキーンと痛む。


 さっきより強い。


 今度は痛みと一緒に、あの声が混じる。


 ――見えたら、終わる。


 陽翔は息を吸って、吐いた。


 何のことか分からない。


 でも、体が冷える。


 浜の先のフードが、手元に何かを集める動きをした。


 白い札とは違う。


 小さい。


 金属の光が一瞬だけ月を返した。


 璃子が後ろで小さく息を吸う音がした。


 玉城先生の声が低くなる。


「……金属」


 陽翔は見た。


 フードの指の間で、小さなものが揺れる。


 円い。


 金属。


 鈴。


 陽翔の耳の奥が、さらにキーンと痛んだ。


 今夜一番、嫌な痛みだ。


 真帆の守りに、細いひびが残っている。


 美琴の札が尽きる前に、何かを変えないといけない。


 黒猫は霧の球を見上げ、鍵しっぽを短く揺らした。


 フードが、鈴を持つ指を少しだけ上げる。


 次の瞬間に何が来るのか。


 陽翔は、まだ名前を知らない。


 でも、頭の中の声だけが、同じ言葉を繰り返した。


 ――見えたら、終わる。

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