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マブイロスト  作者: カーシュ
第1章 影の島への帰郷
32/32

第32話 月夜の戦い

 浜の先に、人影が立っていた。

 フードで顔を隠した相手だ。月明かりの下でも、表情が読めない。


 距離は二十メートルほど。

 波の音が近い。砂は冷たい。


 相手の周りに、白いものが浮いていた。


 最初は紙のように見える。

 薄い白が、ふわりと止まっている。風に流されない。


「……なに、あれ」


 璃子の声が落ちる。いつもの勢いがない。

 陽翔の肌に、嫌な汗がにじんだ。


 玉城先生も目を細めた。


「紙? いや、夜目のせいでそう見えるだけかもしれん」


「紙が浮くわけ、ないですよね……」


 南風原美琴が真面目に言う。

 あの真面目だからこそ、余計に怖い。


 数秒見つめていると、目が慣れてくる。

 白いものの端が、まっすぐに見えた。折り目みたいな陰もある。


「……札っぽい」


 真帆が小さく言った。言い切りじゃない。そう見える、という距離感の声だ。


「札って、あれ? 神社とかの?」


 璃子が聞き返す。


 陽翔はフクギ並木の方向を意識した。

 その先にツルの家がある。守るべき場所が、すぐ近くにある。


 前に真帆。

 右に美琴。

 陽翔は二人の少し後ろ。

 璃子と玉城先生は、さらに後ろで並木寄り。


 久高島の森がよぎる。

 あの時はナミさんと玄武さんがいた。怖くても、どこか安心感があった。


 今は、自分たちだけだ。


 真帆が、ふと足元へ目を落とした。


 砂に混じって、貝殻や珊瑚の欠片が転がっている。

 いつもの浜だ。なのに今夜は違って見えた。


 欠片の表面に、ほのかに光っている。

 この状況じゃなきゃ、神秘的なイルミネーションの浜に感動してたかもしれない。今はその余裕はない。


 文字みたいな形。

 読める言葉じゃない。


 ふと、幼い頃の記憶がよみがえる。

 ツルおばぁが縁側で、貝や珊瑚に何かを刻んで、ぼそぼそ呟いていた。

 それを「遊び」だと思って、家の周りに積んだり、浜にばらまいたりした。


 今なら分かる。残していったものだ。


 真帆が顔を上げる。


「……みんな、ちょっと……」


「なに?」


 陽翔が低く返す。


「私だけかもしれないけど……浜、光って見える。貝とか珊瑚とか、文字みたいな形で」


 璃子が身を乗り出す。


「真帆ねぇねぇ、それ! どれ!? 私も見たい!」


「璃子、前に出るな」


 陽翔が抑えるように言う。


 美琴も真帆の足元へ視線を落とすが、首を小さく振った。


「私は……見えません」


 玉城先生が肩をすくめる。


「俺も見えん。見えないほうが幸せな気がしてきた」


 その時、フードの相手が、ゆっくり片手を上げた。


 ひらり。


 白いものが一枚増える。

 二枚、三枚。点々と宙に留まる。


 次に見えたのは、その真下だった。


 砂の色が、ふっと変わる。

 そこだけ月明かりが吸われたみたいに、黒い染みが広がった。


「……砂、黒くなってない?」


 璃子の声が震える。


 黒い染みは、白いものの数だけ点々と生まれていく。

 白い札の真下。


 美琴が低く言う。


「近づかないほうがいいです。理由は説明できませんが」


 玉城先生が乾いた声で返した。


「説明できないのが一番嫌なんだが」


 フードの相手が、指先で印を結ぶ。

 動きは小さいのに、宙の白がぴたりと揺れる。


 黒い染みが一斉に反応した。


 ぬるり。


 砂の表面が裂けたみたいに見える。

 黒さが、地面から立ち上がった。


 一本目。

 二本目。

 三本目。


 腕の形。先が指みたいに分かれ、爪みたいに尖っている。


 久高島で見た影の触手とは違う。

 久高の影は、境界に触れたら牙をむく類だった。

 だが今夜は、境界なんて関係ない。フードの相手がこちらを選び、こちらへ向けて腕を放ってくる。殺意が、真っ直ぐだ。


 陽翔の喉が乾く。


 まだ断定するな。

 相手が敵だと決めるには早い――そう言い聞かせた瞬間。


 腕が、まっすぐこちらへ向いた。


 真帆が一歩だけ前へ出た。

 逃げるためじゃない。ツルの家と、みんなを守るために。


 真帆は両手を胸の前に寄せ、掌を重ねた。


 思い浮かべたのは、あの影のマブイをまとった相手から、みんなとツルの家を守りたいという祈り。

 守らなきゃいけない。守りたい。今ここで折れたくない。今ならなぜかできる気がした。


 足元の貝殻と珊瑚の欠片が、ひとつ、ふたつと淡く灯る。

 真帆にだけ見える文字が、砂の中まで連なって、浜を静かに縫っていく。


 その光に引っ張られるみたいに、真帆の中のマブイの流れが強くなる。

 いつもなら掴めない感覚が、今ははっきり分かった。これが自分のマブイの流れなんだと。


 掌の中心がじん、と痺れる。

 押し返されるみたいな圧が生まれて、指の間から淡い光が滲んだ。


「……お願い、みんなを守りたい」


 祈りに近い声が落ちた瞬間、光の扇子が一枚、生まれた。

 続けて二枚、三枚、四枚。


 薄い。けれど縁が強く光る。

 動くたびに淡い軌跡が宙に残る。


「うそ……私、出してる……?」


 真帆自身が驚いている。

 出た、というより、呼んだら応えてくれた感触だった。掌の奥が熱い。指先に、確かな手応えが残っている。


 四枚はゆっくり回り、端と端が寄る。

 ぴたりと合わさって円の形になる。


 円の内側に、薄い光の面が張られた。


「……これ、何?」


 真帆が呟く。


 陽翔も、言い切れない。

 守りなのかどうかも分からない。使い方も分からない。


 だから、美琴が一歩近づいた。


「触ります」


「美琴、危――」


 陽翔が止めるより早く、美琴は慎重に指先を伸ばした。

 光の円の縁へ、そっと。


 指が触れた瞬間、美琴の目がわずかに開く。


「……硬い!?」


 次に、二度だけ軽く叩く。


 コン、と澄んだ音。

 ガラスを指ではじいたみたいな音だった。


「熱くない。痺れない。触っても平気です。……でも、押し返してくる感じがあります」


「押し返す?」


 璃子が聞き返す。


「近づくと、空気が張ってるみたいに圧がある。……守りとして使える可能性があります」


「可能性って言い方、逆に怖い!」


 璃子が叫ぶ。

 でも、笑いにはならない。


 その時、フードの相手がまた指先を動かした。

 宙の白が、ゆっくり並びを変える。


 黒い腕が動いた。


 真帆の円へ、まっすぐ。

 避ける余地はない。


 ゴォン!と乾いた音。

 円の表面に光の波紋がぱっと広がる。


 腕は刺さりきらない。

 面の手前で狙いがずれ、薄い光に沿って滑った。


 ずる、と横へ。

 方向を失った黒さが砂へ落ちるように消えていく。


「止まった……!」


 璃子が息をのむ。


 真帆は目を見開いたまま、声が遅れて出た。


「……今の、止めたの……私……?」


 円は残っている。

 けれど、円の光がわずかに弱くなったように、陽翔に見えた。


 気のせいじゃない。

 受けるたびに、薄くなる。


 陽翔の胸の奥が冷えた。


 防げている。

 確かに、防げている。


 でも今のは「止めた」じゃない。「受けた」だ。

 守っているだけでは、この状況をひっくり返せない。


 円が受けるたび、光が少しずつ落ちる。

 円が消えたら、その瞬間に終わる。


 久高島なら、ナミさんがいた。玄武さんがいた。

 守りの後ろで、攻めの手が出せた。


 今は、自分たちだけだ。


 守るだけじゃ勝てない。

 じゃあ、どうする。


 陽翔は目を凝らした。

 腕の出どころ。宙の白の位置。フードの相手の指先の動き。


 気づけ。

 この状況を崩す鍵を。


 黒い腕は一本だけじゃない。


 二本目が横へ薙ぐ。

 三本目は上から爪を落とす。

 さらにもう一本、低い角度で足元を薙ぐ。


 攻撃が変わった。

 一本ずつじゃない。組み合わせてくる。


「来る、続く!」


 陽翔が叫ぶ。


 真帆の円が回る。

 四枚の扇が動き、光の軌跡が弧を描く。

 下へ寄せて受ける。間に合う。


 ゴォン!


 光の波紋。

 円の明るさが、また一段落ちる。


「……っ」


 真帆が小さく息を詰めた。


 次。横薙ぎ。


 ドォン!ドォン!

 腹に響く衝撃が連続する。


 円の縁が一瞬だけ薄くなる。


「真帆!」


「大丈夫……崩さない……!」


 真帆は声を絞り出す。

 円の光はまだ残っている。けれど、強くはない。


 上からの爪が落ちる。


 美琴が一歩、砂を踏み込んだ。

 体をひねり、腕を横へ振り抜く。


 突風が走る。


 砂が面で持ち上がり、黒い爪の角度がぐいっと反る。

 触れた瞬間、黒さが嫌がるみたいに揺れた。


 陽翔は目を見開く。


 ただ吹き飛ばしたんじゃない。

 美琴の風には、黒い腕に触れた時だけ出る反応がある。


「美琴、今のいいぞ! もう一回いけるか!」


「回数は分かりません。でも、やれます!」


 玉城先生が後ろでぼそっと言う。


「なあ、俺だけ話についていけないんだが」


「先生、今はついてこなくていい!」


 璃子が叫ぶ。

 声が震えているのに、叫び方だけはいつも通りで、陽翔は少しだけ救われた。


 フードの相手が、わずかに首を傾ける。


「……ふふっ」


 届かないはずの声が、妙に響いた。


 宙の白が増える。

 左右へ。並木寄りへ。点々と広がる。


 陽翔は歯を食いしばる。見えてきた。


「……あれの真下だ」


「え?」


「腕は、白いものの真下から出てる。並木側にも増えた!」


 並木寄りにも黒い染みが生まれた。

 そこから腕が伸びる。


 真帆の円へ向かわない。

 円を避けて、ツルの家のほうへ角度を取ってくる。


「抜ける気だ……!」


 陽翔の肌が冷える。


「真帆、回せるか!」


「……回す、回すけど……!」


 真帆は円を動かす。

 だが正面からの圧も増えている。


 前から叩き、横から滑らせ、下で足を薙ぐ。

 分かっていても、手が足りない。


 美琴の突風が走る。

 でも、並木側へ抜ける腕までは届かない。角度が足りない。距離もある。


 陽翔の体が勝手に前へ出た。


 止める手段がない。

 なのに足だけが踏み出す。


 久高島なら、ナミさんがいた。玄武さんがいた。

 守ってくれる人がいた。


 今は、ない。


 真帆の円が、また叩かれる。


 ドォン!


 光が、目に見えて薄くなる。


「真帆ねぇねぇ……!」


 璃子の声が裏返る。前へ出たくて出られない声だ。


 並木側の腕が、家へ伸びる。


 もう少しで、抜ける。


 陽翔は足を止められない。

 美琴の風も届かない。

 真帆の円は正面で押し込まれ、回せない。


 終わる。


 そう思った瞬間。


 並木の影が動いた。


 砂の上を、黒い影が駆ける。

 音がない。月明かりの縁だけを切り取ったみたいな黒。


 あのオッドアイの黒猫だ。


 黒猫は、家へ伸びる腕の進路へ――迷いなく飛び込んだ。


 陽翔の喉が、音にならない。


 次の瞬間。

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