表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マブイロスト  作者: カーシュ
第1章 影の島への帰郷
31/31

第31話 刻まれたもの

 ゴーヤーチャンプルーの皿が空になるたび、キッチンからフライパンの音が返ってくる。


「はい、まだあるよ。食べなさい」


 由美の声だけが飛んだ。


 璃子が立ち上がって皿を受け取り、陽翔の前に遠慮なく盛る。


「にぃにぃ、今日はちゃんと食べとき。最近、顔が怪しい」


「怪しくない。普通」


「普通の人は、たまに頭押さえそうな顔しない」


 陽翔は反射でこめかみに指をやりかけて、途中で止めた。

 確かに疲れはある。でも、今日はまだ大丈夫だ。

 あの“景色がゆっくりになる”やつを使った後みたいな、重い不調は来ていない。


 真帆が箸を止めて、陽翔をじっと見た。


「陽翔、今日はまだ平気?」


「平気。今日はちゃんと平気」


「“ちゃんと”って言うのが逆に怪しい」


 美琴が真面目な顔で頷く。


「怪しいです」


「美琴ちゃん、即断すぎ」


「観察結果です」


 玉城先生が湯呑みを置いて、口元だけ笑った。


「いいね。今のやり取りだけで、俺はご飯が進む」


「先生、性格悪い」


「褒め言葉だろ」


 その瞬間、玉城先生のスマホが短く震えた。

 画面を見て、先生の目が少しだけ鋭くなる。


「……久高から」


 真帆が息をのむ。


「ナミさん?」


「そう。夜の警戒担当」


 先生は通話に出て、スピーカーにした。


『玉城先生ね。今、そっち備瀬?』


 ナミの声は落ち着いている。だからこそ、嫌な予感が増す。


「備瀬だ。そっちは?」


『久高の森が落ち着かんさ。影の濃さの波がある』


 璃子が口を押さえた。


『それでね、北の方向。島から見て北側の方向に強い影の気配を感じるわけさ。』


「北部へ寄る、ってことか」


『そう。久高だけの話じゃないよ。そっちも気をつけて。今夜か、近いうちに、何かが来るかもしれん』


 先生が軽く返す。


「了解。こっちは若いのが多い。俺の先に胃がやられる」


『先生は胃だけで済むならいいさ』


 ナミがさらっと刺した。


『無理しないでね。特に、無理がきくうちほど危ないさ』


 名指しじゃないのに、陽翔は自分のことだと分かる。


「ありがとう。何かあったらすぐ連絡する」


『うん。じゃあね』


 通話が切れた。


 キッチンから由美が出てきた。手は布巾を持ったまま。心配そうな顔をしている。


「……また変な話? 大丈夫なの?」


「大丈夫にする」


 玉城先生が即答した。軽い口調にして、重さを隠す。


 由美は陽翔を見た。


「陽翔。無理してない? 顔、固いよ」


「大丈夫。心配しすぎ」


「心配するよ。母親だもん」


 由美は真帆と美琴、璃子にも目を向けた。


「夜、外に出るなら近くで。ひとりで行かない。分かった?」


「了解」


 美琴がきっちり返す。


「了解でーす」


 璃子が明るく言って、由美が少しだけ笑った。


「先生も、あんまり夜更かししないでね。若い子に合わせすぎ」


「俺も若い」


「先生は先生です」


 由美は言い切って、廊下の先へ向かった。


「先に休むね。何かあったら起こして」


 襖が閉まる。


 家の中の音が、一段だけ減った。


 ちゃぶ台の脚の影から、黒猫がすっと出てきた。

 オッドアイが月の光を拾っている。


「……またいる」


 璃子が小声で言った。


「久高でも見たし、来る途中でも見たし、ここでも出る。何匹いるの、多すぎ」


 黒猫は返事もせず、縁側のほうへ歩いていく。外を見て、耳が一度動いた。


 真帆が縁側を顎で示す。


「……今のうち、ナミさんから習ったあれ、やろう」


「また“あれ”」


「確認だけ。できるかどうかわからないけど、ナミさんがやっていたことをまねてみんなのマブイ、つなげて乱れを見たい」


 玉城先生が椅子にもたれたまま言う。


「ほら、やってみろ。初めての実験は、だいたい笑える」


「先生、性格悪い」


「現場で笑えないこと起きる前に、笑っとけ」


 縁側に並ぶ。

 月が明るく、浜の白さがはっきり分かる夜だった。


 真帆が掌を開いた。


 淡い光の粒子が、掌の周りに薄く広がった。


「……え」


 璃子の声が漏れる。


「見える。え、これ見えるの?」


「見えるっていうか……見えちゃった」


 真帆自身が一番驚いていた。

 光は強くない。ただ、粒子がそこにあるのが分かる。


 美琴が身を乗り出す。


「光です。粒みたいに……浮いてます」


「美琴ちゃん、今めっちゃテンション上がってない?」


「上がってません。確認しています」


 確認と言いながら、目が少しだけキラッとしている。


 玉城先生が手を叩きそうになって、やめた。


「おい、すげえ。俺には何も見えんけど、反応が面白い」


「先生、面白がらないで」


「面白いものは面白い」


 陽翔は粒子を見て、背中が少しぞわっとした。

 久高でナミが見せた“あれ”の、もっと控えめな版。そういう感じがする。


 真帆が咳払いして、わざと落ち着いた声を作った。


「……じゃ、いくよ。初めてだから、失敗する前提で」


「失敗宣言やめて」


「失敗したら笑って誤魔化す。これも技術」


「それ先生の教え?」


「うん、だいたい先生のせい」


 玉城先生が肩をすくめる。


「責任は取らん」


 真帆が陽翔に掌を向ける。


「陽翔、嫌なら止めて」


「止めない。来い」


 真帆の掌の前、陽翔との間の空間に粒子が集まった。

 縛られる感覚はない。押される感覚もない。

 散りやすい箇所だけが、はっきりする。


「……そこ、って感じがする」


 陽翔が言うと、真帆が頷く。


「うん。今、そこが不安定。今日はまだ大丈夫だけど、放っておくと増える」


「増えるって、怖い言い方」


「怖いのは事実だから。はい次、璃子」


 璃子に向ける。


「うわ。胸の奥が、ちょい嫌」


「抵抗しない。嫌って思うと余計に乱れる」


「今それ言うの、逆に嫌」


「分かる。でも言う」


 美琴にも同じように触れる。

 美琴は真顔で頷いた。


「私は乱れは少ないです。陽翔さんが一番目立ちます」


「目立つって言うな」


「事実です」


 真帆が粒子を少し広げ、四人をまとめてつなげる形にした。


 その瞬間だった。


 真帆だけが、柱の根元に光るものを見た。

 木目の上に、見たことのない文字が浮いている。


「……え?」


 真帆が立ち上がる。


「みんな、ここ……何か見える?」


 璃子が柱に顔を近づける。


「柱しかないけど」


 美琴も首を振った。


「私も見えません」


 玉城先生が軽く笑う。


「真帆専用の隠し要素か。ずるいな」


「ずるくない。怖い」


 真帆は視線を動かした。

 仏壇の横の床。敷居の端。梁の角。窓枠の内側。

 家のあちこちに同じ文字が点々と浮いている。


「……私だけだ」


 璃子が顔をしかめる。


「結のマブイの資質がある人だけに見えるやつ?」


「たぶん。で、これ……触れると分かる」


 真帆が掌を文字へ近づける。


 粒子の集まり方が変わった。散りが減って、まとまりが増える。

 真帆の掌だけじゃない。家の周りの空間まで、少しだけ整う。


「何の効果かは分からない。でも、マブイの流れが強くなる。ここにいると、力が出やすい気がする」


 陽翔も分かった。

 今日はまだ不調はないのに、体の中の引っかかりが減る感じがある。


 陽翔の脳裏に古い記憶が浮かぶ。


 小学生の頃。ツルが縁側で貝殻やサンゴに何かを刻んでいた。

 陽翔と真帆はそれを「遊び」だと思って、家の周りに積んだ。浜にも置いた。


 璃子はその頃、まだ赤ちゃん。由美の腕の中で、貝殻に小さな指を伸ばしていた。


「……思い出した。貝殻、刻んでた。浜にも置いた」


 真帆がすぐ頷く。


「私も覚えてる。並べた。怒られなかった」


「笑ってた」


 璃子がむっとする。


「私それ覚えてない」


「一歳だ」


「今の私に謝って」


「後でな」


 そのやり取りの最中、黒猫が立ち上がった。


 外を見て、耳が動く。

 次の瞬間、家の外から、嫌な気配がした。


 陽翔が顔を上げる。


「……来た?」


 美琴が真面目に頷く。


「外のほうがはっきりします。行きましょう」


 玉城先生が上着を掴む。


「近くで。勝手に走るなよ。これは命令じゃない。お願いだ」


「先生、急に優しい」


「優しくしないと死ぬだろ」


 五人と一匹が庭へ出る。


 月が明るい。フクギ並木の影が地面に落ちている。

 並木を抜けると、浜が開けた。白い砂が月光を返して遠くまで見通せる。


 浜の先に、人影が立っていた。


 フードを被り、顔の部分は闇に覆われて見えない。

 距離はある。けれど視線だけは、まっすぐ刺さる。


 そのとき真帆が息をのんだ。


 あの人影のまわりに、黒いものがまとわりついている。

 服の布じゃない。影の濃さとも違う。身体の輪郭に沿って、まとっている。


「……影のマブイ」


 真帆が小さく言う。


 璃子が真帆を見る。


「え、分かるの?」


「分かる。あれ、まとってる。普通じゃない」


 美琴が一歩前に出かけて、真帆が腕で止めた。


「まだ。距離、保つ」


 玉城先生が口元だけ笑った。


「よし。予習は終わったな。次は実技だ」


 黒猫が一歩、砂へ出る。

 陽翔は前を見たまま、拳を握った。


 家に浮かぶ文字が何なのか。

 それはまだ分からない。


 分からないまま、夜の浜に立つ人影だけが、じっとこちらを見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ