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第2話 ツルの遺言と親族の謎

 沖縄の夜は、湿気を含んだ風が静かに流れ、遠くから波の音がかすかに響いていた。


 陽翔、璃子、真帆、そして母・由美の四人は、曾祖母の家の仏壇の前に座っていた。仏壇の前では、線香が静かに煙をくゆらせている。


「これ……おばぁが残した手紙。」璃子が、古びた封筒を手にして言った。


 由美はじっとそれを見つめながら、深く息をつく。


「開けよう。」陽翔が静かに言った。


 璃子は頷き、封を切った。中から出てきたのは、一枚の便箋。黄ばんだ紙には、ツルの力強く、それでいてどこか温かみのある筆跡が並んでいた。


 璃子がゆっくりと声に出して読み上げる。


 ***

 陽翔へ


 おばぁは、もうここにはおらんはずね。

 けど、マブイは風に乗る。

 心配せんでいい。私は、どこにでもいるさ。


 影に引かれるな。

 振り向くな。

 足元を見ず、前を見なさい。


 迷ったら、風の声を聞きなさい。

 波のささやきに耳を澄ませなさい。


 お前が行くべき場所は、もう決まっているよ。


 母を責めるな。

 あの子は、お前を守るために、選んだ道を歩いた。


 見えるものがすべてじゃないよ。


 それだけさ。


 じゃあ、私は先に行くね。


 ツルより

 ***


 静寂が降りた。


 部屋の空気が変わったように感じた。まるで、ツルがそこにいて、皆を見守っているかのような気配が漂っている。


「……おばぁ……」璃子の声が震えた。


 陽翔は黙ったまま、便箋を受け取り、何度もその文字をなぞるように目を走らせた。


「影に引かれるな……振り向くな……」


「おばぁは、何を伝えたかったんだろう……」璃子がぽつりと呟く。


「沖縄の伝承には、人のマブイを奪う『影の存在』が語られてることがある。ツルさんは、それを警戒しろと言っているのかもしれない」真帆が静かに言った。


「影……?」陽翔は眉をひそめる。


「迷ったら風の声を聞け、波のささやきに耳を澄ませろっていうのも気になる。まるで、何かに導かれるような言葉……」璃子が考え込む。


「実際、沖縄では風には特別な意味があるのよ。」真帆が少し考えながら言葉を選ぶ。「特に久高島では、風は神の声を運ぶものとされている。」


「神の声?」陽翔が聞き返す。


「そう。久高島は琉球開闢かいびゃく伝説において、神が最初に降り立ったとされる島。だから、あの島では昔から風を読む文化があったの。風の流れや強さ、向きによって吉凶を判断したり、神の意志を知るってね。」


「久高島の風が……神の意志?」璃子が驚いたように言う。


「うそみたいな話かもしれないけど、実際に久高島のノロ――つまり神女たちは、風の動きを見ながら神の意志を感じ取ると言われているの。」


「じゃあ、ツルおばぁが『風の声を聞け』って言ったのは……」陽翔が手紙を握りしめる。


「久高島へ行けってこと……?」璃子がそっと呟く。


「その可能性は高いわね。」真帆が頷く。「ツルおばぁがあえて風と波を例えたのは、久高島のことを示唆しているんじゃないかしら。」


 そのとき、不意に由美が声を上げた。


「……おばぁちゃんは、あのときからずっと、こうなることをわかってたのかもしれない……」


 三人の視線が、由美に集まる。


「『母を責めるな』って……」由美の指が、便箋の文字をなぞる。


「母さん……おばぁが言ってるのは……?」璃子が戸惑いながら尋ねた。


 由美は、震える声で答えた。


「私が……お前たちに話してこなかったことがある……お前たちの父さんのこと……」


 陽翔は息をのんだ。


「……お父さんのこと……?」


 陽翔は息をのんだ。璃子も言葉を失い、じっと母の表情を見つめている。


「母さん……お父さんのことって……」


 由美は視線を落としたまま、唇を噛みしめる。


「あの日の夜中に、ふと目が覚めたのよ。」


 由美はぽつりと呟く。


「なんだか息苦しくて……胸がざわざわして、変な感じがしたの。最初は夢を見ているのかと思ったけど、目を開けても、その感じが消えなかった。」


「それで?」璃子が小さく息をのむ。


「ふと横を見ると、隼人がもう布団から起き上がっていたの。」


「起きて……何をしてたの?」璃子が不安そうに尋ねる。


「玄関の方へ向かっていたわ。でも……その歩き方が、普通じゃなかったの。」


「普通じゃない?」陽翔が眉をひそめる。


「そう。まるで……誰かが手を引いているみたいに。」


 由美は声を震わせながら続ける。


「足元はしっかりしていたのに、体がどこか傾いていて……焦点の合わない目で、ただまっすぐに玄関へ向かっていった。まるで……どこか別の世界を歩いているみたいだった。」


「……別の世界?」璃子の喉が鳴る。


「私は慌てて『どこへ行くの?』って声をかけた。でも、隼人は何も言わなかった。振り向きもしなかった。ただ……まっすぐに、迷いなく玄関の扉を開けたのよ。」


 由美の指が、小さく震える。


「その瞬間、ものすごい風が吹き込んできたの。」


「風……?」璃子が身を乗り出す。


「でも……変だったのよ。」


 由美は思い出すように、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「風なのに、音がしなかったの。」


 部屋の空気が、一瞬張り詰める。


「……音がしなかった?」陽翔が眉を寄せる。


「ええ。まるで、何かが息を潜めているみたいに。音のない風が、隼人の背中を押すように流れ込んできて……。」


「それで?」璃子が急かすように言う。


「……風の中で、何かが囁いたのよ。」


 由美の声が、一段と小さくなる。


「誰かの声……いや、声のようなもの。でも、人の言葉じゃなかった。ただ、“おいで”とでも言っているような……そんな感じがしたの。」


「おいでって……誰が?」璃子の声がかすれる。


「分からない。でも、確かに“何か”が隼人を呼んでいた。私は怖くなって、隼人の腕を掴もうとしたの。でも……」


 由美は小さく息を吸う。


「動けなかったのよ。」


「動けなかった?」陽翔が低く問いかける。


「ええ。恐怖で足がすくんだとかじゃない。体が鉛みたいに重くなって……見えない何かに押さえつけられているような感じだったの。

 それに、頭の中で“ザーッ”っていう耳鳴りがして……何も考えられなくなった。」


「……何も?」璃子が震える声で聞く。


「そう。考えること自体、止まったみたいな感じだった。

 何が起こっているのか分からなくて……ただ、隼人の後ろ姿が闇に消えていくのを、見ていることしかできなかったの。」


「それで、朝になってから、おばぁを起こしたの?」陽翔が尋ねる。


「ええ。でも……」


 由美は言葉を詰まらせた。


「おばぁは、私の話を聞いた後、ただ黙っていたのよ。そして、“隼人のことはもう考えなくていい”って……それだけ。」


「……おばぁは、母さんには何も言わなかったの?」璃子が息をのむ。


「何も……。」由美は目を伏せる。「私は何度も聞いた。でも、おばぁは決して口を開かなかった。ただ、私の手を握って、“もう考えなくていい”って……。」


「でも、それって……」陽翔が考え込む。


「まるで、すでに答えを知っていたみたいだった。」由美は静かに言う。「でも……私は、教えてもらえなかった。」


「でも……おばぁは俺にはこの言葉を残した。」陽翔が手紙を握りしめる。


「影に引かれるな。振り向くな。」


「……なんで?」璃子が小さく呟く。


「おばぁは、母さんには影のことを話さなかった。でも、俺には伝えた……」


「……じゃあ、これは……」璃子が不安そうに呟く。「にぃにぃに“影と向き合え”って言ってるの?」


「……たぶん、そうだ。」陽翔は深く頷いた。「これは、俺たちに真実を追えってことなんじゃないか?」



 室内の静寂が、じわりと肌に染み込む。


「にぃにぃの父さんのことがそんなに不自然なら……もしかして、璃子の父さんも?」


 陽翔がそう言うと、璃子は驚いたように顔を上げた。


「……え?」


「そうよ。」由美が重い口を開く。「璃子の父さん、仲宗根誠司は……失踪したの。」


「失踪……?」璃子が呆然と呟く。


「前に言ってたよね?」陽翔が慎重に言葉を選ぶ。「璃子の父さんは、“家を出て行った”って。」


「……そう。でも、本当は違うの。」由美は静かに首を振った。「誠司は、ある日突然、姿を消したのよ。」


「突然?」璃子の声がかすれる。


「ええ。前日までは普通だったのに……朝起きたらもういなかった。」


「荷物とかは?」真帆が尋ねる。


「ほとんど残ってたわ。財布や鍵も家に置いたまま。着替えすら持って行ってなかった。だから、最初は“すぐ戻るつもりなのかも”って思ったの。」


「でも、戻らなかった……?」璃子が喉を鳴らす。


「そうよ。」由美は深く息をついた。「私はずっと思ってたのよ。誠司が突然いなくなったのは、何か大きな理由があるんじゃないかって……。」


「警察には?」陽翔が尋ねる。


「もちろん捜索願は出したわ。でも、どこにも見つからなかった。目撃証言すらなかったの。」


「まるで、消えたように?」璃子の手が小さく震える。


「……そうね。」由美は複雑な表情を浮かべる。「誠司は、夜遅くまで何かを調べていたのよ。古い資料を読んでいたり、誰かと電話で話していたり……。」


「誰と?」真帆が慎重に尋ねる。


「分からないわ。でも、一度だけ、電話を切った後、すごく険しい顔をしていたのを覚えてる。」


「険しい顔……?」陽翔が眉をひそめる。


「そう……。まるで、何か重大なことを知ってしまったような、そんな顔だった。」


 部屋の空気が重くなる。


「……おばぁは、そのことも知ってたのかな?」陽翔が呟く。


「分からない。でも……」由美はゆっくりと息をついた。「おばぁは、誠司のことも“考えなくていい”って言ったのよ。」


「……え?」璃子が驚いたように顔を上げる。


「同じだったのよ。誠司がいなくなったときも、宮里隼人が亡くなったときも……おばぁは“もう考えるな”って言ったの。」


「……。」


「でも……私にはもう、考えないなんてできない。」璃子は拳を握りしめた。「私の父さんは、どうして消えたの? にぃにぃの父さんは、どうして亡くなったの?」


 その問いに、誰も答えられなかった。



「由美さん……誠司さんが失踪する前、他に何か変わったことはありませんでしたか?」


 ふと、真帆が口を開いた。


「……変わったこと?」


「例えば、特定の場所に行くことが増えたとか……。」


「そういえば……」由美は少し考えてから言った。「ある時期から、よく久高島に行くようになったわ。」


「久高島……?」陽翔が反応する。


「ええ。仕事の関係だとは言ってたけど、詳細は話してくれなかった。帰ってくるたびに、少しずつ様子が変わっていって……。」


「様子が変わった?」璃子が不安げに尋ねる。


「最初は、ただ考え事が増えた程度だった。でも、次第に夜眠れなくなって、夢見が悪いと言うようになったのよ。」


「夢見が悪い……?」陽翔が身を乗り出す。


「ある日、誠司が言ったの。『風の音がうるさくて眠れない』って。」


 その言葉に、全員が息をのんだ。


「……風の音……?」璃子が震える声で聞く。


「ええ。でも、その夜、外は無風だったの。」


 部屋に、じっとりとした静けさが落ちる。


「……おばぁの手紙にあった“迷ったら風の声を聞け”って言葉……。」真帆が呟く。「誠司さんは、風の声を聞いていたのかもしれない。」


「つまり……?」璃子が真帆を見る。


「影の正体を知るためには、風の声を聞けってことよ。」


 その言葉に、陽翔は深く息を吸った。


「……行こう。久高島へ。」


 陽翔の決意のこもった言葉に、璃子と真帆も静かに頷いた。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


 第二話では、ツルの遺言を手がかりに、陽翔と璃子が家族の過去と向き合い、隠された真実を探ることになりました。

 宮里隼人の死の謎、仲宗根誠司の失踪、そしてツルが「考えるな」と言い残した意味――すべての点が繋がり始める中で、陽翔たちはある決断を下します。


 しかし、それがどんな答えを導くのか、まだ誰にも分かりません。


 次回、「久高島への決意と真帆の異変」――

 陽翔たちは新たな一歩を踏み出しますが、その背後には、まだ解き明かされていない影が潜んでいるかもしれません。


 次回もぜひ、お楽しみに!

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