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マブイロスト  作者: カーシュ
第1章 影の島への帰郷
17/31

第17話 つながりの場所

 翌朝。


 久高島の空は、昨日より少し白っぽかった。

 陽射しは強いのに、どこか薄い幕をかけられたみたいな感じがする。


 ナミの家の座敷には、今日もちゃぶ台が出ていた。

 湯のみの数は同じでも、空気には昨日より少しだけ緊張が混ざっている。


「はい、全員座ったね」


 ナミがちゃぶ台越しに、一人ずつ顔を見た。


 陽翔、璃子、真帆、美琴、玉城。

 部屋の隅には、いつものように玄武が腕を組んで座っている。


「昨日はマブイの話、“頭”で聞いてもらったさね。

 今日は、“体”で確かめる日」


「実技編きた」


 璃子が小声でつぶやく。


「絶対楽しいやつだよ、これ。

 チュートリアル終わって、最初のステータス振り直しみたいな」


「いちいちゲームで言い直すな」


 陽翔が額を押さえた。


「まずは簡単なところからね」


 ナミはちゃぶ台を軽く叩く。


「自分のマブイが、今どこをよく通ってるか。

 “今の体の真ん中の流れ”を見つけるだけ」


「昨日の、『真ん中に通路を作る』って話のやつですか?」


 真帆が確認する。


「そう。

 頭のてっぺんから喉、胸、腹、その下まで。

 ひとつの太い流れが通ってる感じを思い浮かべて」


「復習編だ」


 玉城がうなずきながら、こっそりメモ帳を開く。


「先生、それもメモるんですか」


「“マブイ実習ログ・第一日”ですよ。大事です」


「あとで変な論文にしないでくださいよ」


 真帆が釘を刺すと、ナミがくすっと笑った。


「紙に書くのは先生のマブイの流れだから、まあ好きにしなさい。

 ただ、ここで聞いた他人の話は外に漏らさんこと」


「了解です」


 玉城が真面目に頷く。


「じゃあ、息のほうは宮城に任せるさ」


 ナミが顎で合図すると、玄武が少し背筋を伸ばした。


「目を閉じろ」


 低い声が座敷に落ちる。


「鼻からゆっくり吸う。

 口は軽く閉じて、肩を上げるな。

 胸じゃなく、腹のほうに空気を落とす」


 陽翔は言われたとおりに息を吸い、ゆっくり吐いた。


 一回。

 二回。

 三回。


 昨日より少しだけ、数えるのが楽になっている気がする。


「頭のてっぺんから、真ん中に太い通り道を作るイメージをしろ」


 玄武が続ける。


「頭、喉、胸、腹。

 そのまま腰のあたりまで、一本でつながってる」


 意識を、その通り道に沿って下ろしていく。

 通るたび、呼吸の感触がはっきりしていく。


「今の息は、その中を行ったり来たりしてる。

 “整えよう”とか考えなくていい。

 ただ、どこが一番よく動いてるか、眺めてろ」


 座敷が静かになった。


 障子の向こうで、誰かが遠くを歩く足音。

 冷蔵庫の小さなうなり。

 潮の匂い。


 陽翔は、胸のあたりでふと違和感を覚えた。


 そこだけ、呼吸が通るたびに、薄い膜に触れるような感じがする。

 時々、細い糸がぴんと張って、すぐ緩むような。


「……にぃにぃ、眉間しわ寄ってる」


 璃子の声が、小さく届いた。


「目閉じてろ。集中切れる」


 玄武が静かに制した。


「すみません」


 璃子が小さく謝る気配がする。


「何か感じたやつから言え」


 しばらくして、玄武が言った。


「順番気にするな。気づいたもん勝ちだ」


「はい」


 最初に声を上げたのは、美琴だった。


「さっきと似てるんですけど……やっぱり胸のあたりが一番はっきりしてます」


「胸のどのへん?」


「えっと……肺の真ん中あたりです。

 そこだけ、息が一回“ふわっ”と広がってから、下に落ちていく感じで」


 言いながら、自分でも首をかしげているような声。


「外の風を一度ここで受け止めてから、体の中に流し込む、というか……」


「うん、それね」


 ナミが楽しそうに頷いた。


「風寄りの人は、そこがよく動く。

 音とか、人の気配とか、空気の変化、全部そこで受け止めて巡らすタイプ」


「巡らせる、って言われると、なんか責任重大な感じがします」


 美琴が苦笑する。


「責任っていうより、性質さ。

 気になるなら、ちゃんと自分で扱い方覚えればいいよ」


 ナミは、そこで真帆のほうをちらりと見る。


「真帆は?」


「私は……喉と胸の境目ですね」


 真帆が、喉元にそっと手を当てた。


「そこだけ、息が引っかかる感じがします。

 言葉を出す前に、いったん溜める場所、というか」


「溜める?」


「何か言いかけて飲み込んだとき、そこに“塊”が残る感じが昔からあって……

 今呼吸してみても、そのあたりが一番ざわざわしてます」


 自分で言いながら、苦笑する。


「人と話したり、昔の話を引っぱり出したりするときも、

 いつも最初に重くなるのがその辺りなので……」


「言葉と縁の線が集まる場所、だね」


 ナミが静かに言う。


「さっき話した“繋げるマブイ”は、そこが動きやすい人が多い。

 人と人の話も、昔と今の話も、とりあえず喉の前で一回受け止める」


「なんか、ますます胃もたれしそうな役割になってきたんですけど」


 真帆が肩を落とす。


「溜めっぱなしにしなければいいさ。

 誰と誰を近づけるか、どの話を流してどれを止めるか、自分で選べばいい」


「選べてる自信がないのが問題なんですよね……」


「にぃにぃ関連だけ選び方おかしいしね」


 璃子が、ここぞとばかりに突っ込んだ。


「たとえば?」


 ナミが面白そうに乗ってくる。


「たとえば、にぃにぃがちょっと優しくすると、

 ねーねーの喉のあたり、絶対今みたいにざわざわしてる」


「してません!」


 即答した真帆の声が、少し裏返った。


「ほらね」


 璃子が勝ち誇った顔をする気配がする。


「りこ、あんまり人の流れを面白がるな」


 陽翔が頭を抱えた。


「だって気になるし。

 にぃにぃ、泉より恋愛フラグのほうが事故率高そうなんだもん」


「どこ見てそう判断してるんだ」


「全体ログ」


「ログ取るな」


 わいわいしたやり取りに、座敷の張りつめた空気が少し緩む。


「はい、次」


 玄武が、半ば呆れたような声で促す。


「璃子はどうだ」


「え、私?」


 璃子が目を開けかけて、慌てて閉じ直した気配がする。


「なんか……お腹のあたりだけ、ずっとざわざわしてます」


「それはただの空腹では」


 陽翔が即ツッコむ。


「違うってば。

 ぐーぐーってより、チャプチャプしてる感じ。

 落ち着かないっていうか、走り出したくなるっていうか」


「ふむ」


 玄武がわずかに顎に手をやる。


「感情が動いたとき、一番先に反応するのがその辺なんだろ」


「え、そうなの?」


「昨日から見てれば分かる」


 ナミが横から口を挟んだ。


「怖いときも楽しいときも、璃子は先にお腹から声が出る。

 笑うのも、怒るのも早い。

 そういうのは、水みたいにすぐ形を変える流れをしてる」


「私、水っぽいんだ」


 璃子がぽん、と自分の腹を叩く。


「にぃにぃがぐるぐる悩んでるとき、

 “とりあえず今お腹空いてるよね?”って話に変えちゃうの、そういうやつ?」


「だいたいそういうやつだな」


 陽翔が苦笑する。


「それ、結構助かってます」


 美琴がそっと付け足した。


「暗い話になりかけたとき、りこちゃんが急に『アイス食べよ』って言うの、

 正直ありがたいので……」


「でしょでしょ」


 璃子が胸を張った。


「もっと私を崇めていいよ、みんな」


「崇めはしないけど、頼りにはしてる」


 ナミが、あっさりと言う。


「水っぽい人がいると、場が腐りにくいからね」


 璃子は「腐るって言い方やめて」と抗議しつつも、どこか嬉しそうだった。


「玉城先生は?」


「え、私もですか」


 玉城が目を瞬かせる。


「一応、一般枠として」


 ナミがさらっと言う。


「一般枠……」


 若干ショックを受けた顔をしながらも、玉城は真面目に答えた。


「ええと、僕は……頭のあたりですね。

 額の裏側と、目の奥がやたら忙しい感じがします」


「考えすぎタイプの典型だね」


 ナミが即答した。


「頭で全部説明つけようとして、そこで流れが渋滞してる。

 足元とか腹のあたり、あんまり気にしたことないでしょ」


「図星です」


 玉城が素直に認める。


「でも、頭の中で整理してくれる人も必要さ。

 ただ、泉の前では、頭ばっかり使うと足すくわれるからね。

 たまには腹側の流れも思い出したほうがいい」


「はい……

 “考える前に息を整える”っていうのを、今日からの標語にします」


「それができたら、かなり優秀な一般人だよ」


 ナミが笑った。


「じゃ、最後」


 玄武の視線が、陽翔に向く。


「ハルトは?」


「俺は……」


 陽翔は言葉を探しながら、胸のあたりに手を当てた。


「胸の奥で、流れがたまに“ぷつっ”て切れかける感じがする」


「切れかける?」


 璃子が思わず口を挟む。


「うん。

 でも、完全には切れない。

 細い糸が一瞬張りつめて、ちぎれそうになるけど、

 すぐどこかから別の流れがつながってくる、みたいな」


 自分で言いながら、妙な言い方だと思った。

 けれど、その感覚が一番近い。


「胸の真ん中から、ちょっと横にずれたところにも、

 薄い通り道が一本あるみたいで……

 呼吸してるとき、たまにそっち側に引っぱられそうになる」


 言い終えると、座敷の空気が一瞬だけ重くなった。


 ナミと玄武が、目を合わせる気配がする。


「戦場の真ん中に投げ出されたような体験があるやつは、たまにそうなる」


 玄武が、ぽつりと言った。


「強いショックを受けたとき、一回流れを切らないと耐えられん。

 そういう癖がついてるマブイは、危ない場所に近づくと、また同じことをしようとする」


 陽翔は言葉を失った。


 久高の拝所。

 黒い“海みたいなもの”。

 そこで、何度も倒れた感覚――


 思い出そうとした瞬間、頭の奥がじんと痛んだ。


「でもまあ」


 ナミが、それ以上暗くさせないように口を挟む。


「切れかけても、ちゃんと“戻ろうとしてる”なら、まだ間に合うさ。

 今、自分で“二本目の通り道がある”って気づけてるのも、悪くない」


「……そういうものですか」


「一番やっかいなのは、自分で変化に気づかん人。

 何も感じないふりしてるうちに、気づいたら別の流れに持ってかれてる」


 ナミは、陽翔の胸のあたりを、空中からそっと指でなぞる仕草をした。


「そこは泉の前で一番狙われやすいからね。

 自覚があるぶんだけ、まだマシ」


「にぃにぃ、変なときに“平気なフリ”しないでよ」


 璃子が口を尖らせる。


「怖いなら怖いって言って。

 泉相手に『大丈夫』って虚勢張ると、絶対ログバグるから」


「ログの心配すな」


 陽翔が苦笑する。


「でも、分かった。

 怖いときはちゃんと怖いって言う」


「はい、よろしい」


 璃子がなぜか満足げにうなずいた。


「よし、目開けていいよ」


 玄武の声で、全員が一斉に瞬きをする。

 座敷の光が、さっきより少しだけ鮮やかに見えた。


「今やったのは、“マブイの現在地確認”さ」


 ナミがまとめるように言う。


「どこがよく動いて、どこが固いか。

 それを自分で知っておくこと」


「毎日やったほうがいいやつですか?」


 真帆が尋ねる。


「できるならね。

 朝起きたときと寝る前に、十回ずつでもいい。

 そうすると、泉の前で“いつもと違う”って早めに気づける」


「マブイ日次ログインボーナスだね、みこっちゃん」


 璃子が横から茶々を入れる。


「今日のボーナス:『自分の流れの癖+1認識』」


「ゲームにされると、悔しいくらい分かりやすいのが腹立ちます」


 美琴が苦笑した。


「今日分かったのはね」


 ナミが指を折る。


「南風原は風寄り。

 璃子は水寄り。

 真帆は、人との繋がり集めるところがよく動くタイプ。

 玉城先生は、頭で整理するのが得意な“ふつう枠”」


「“ふつう枠”って新しいカテゴリー出てきましたね」


 玉城が苦笑いする。


「で、ハルトは」


 ナミがわざと少し間を置いた。


「まだ、はっきり形が見えない。

 だからこそ、余計に気をつけんといけない」


「……了解です」


 陽翔は、小さく息を吐いた。


「見えないから、ないわけじゃないさ。

 昔から、名前もついてない流れ方をする人は、たまにいる。

 そういうのは、とりあえず“今ここ”をちゃんと覚えるところからだね」


「“今ここ”」


「今日息を通した道。

 どこでざわついたか、どこで落ち着いたか。

 それが、あんたの“戻る場所”になる」


 ナミは、ちゃぶ台の黒糖を一つつまんで、ひょいと口に放り込んだ。


「さて。

 午前中はここまで。

 午後は浜に行くよ」


「……いよいよマブイグミ実習ですか」


 真帆が、少しだけ顔を引きつらせる。


「いきなり泉には行かんから、安心しなさい。

 まずは安全な浜で、“ちょっとだけ緩んだ流れ”を、自分たちで戻す練習」


「マブイ落とし体験ツアー……」


 璃子が小声でつぶやく。


「嫌なツアー名つくるな」


 陽翔が即ツッコむ。


 それでも、胸の奥には、どうしようもない緊張と同時に、

 少しだけ“知りたい”という気持ちが湧き上がっていた。


 自分のマブイの流れ。

 人との繋がりが集まる場所。

 泉のほうから漂ってくる、あの反転した気配。


 それらが、どこかで一本につながってしまいそうな予感を抱えたまま――


 陽翔は、自分の胸の真ん中で、まだ少し不安定な通り道を、もう一度そっとなぞった。

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