第15話 マブイの基礎講義
昼下がりの久高島は、やたら眠気を誘う。
ナミの家の座敷には、潮と畳とお茶の匂いが混ざっていた。
ちゃぶ台の上には湯のみと黒糖。窓の外からは、遠くの波の音。
「はい、それじゃあ今日の授業始めるよ」
具志堅ナミが、ぱん、と手を叩いた。
「言いましたねナミさん、授業って」
玉城がうれしそうに身を乗り出す。
「フィールドワークに座学。これは単位が発生してもいいのでは」
「先生、ここで単位の話するのやめて」
真帆が呆れ、隣の璃子がにやりと笑った。
「大丈夫だよ先生。このパーティ全員、マブイ単位フル単狙いだから」
「マブイ単位って何だよ」
陽翔がツッコむ。
ちゃぶ台を囲むのは、陽翔、璃子、真帆、美琴、玉城。
部屋の隅には宮城玄武が、壁にもたれて静かに座っている。
「まず確認ね」
ナミは湯のみを持ち上げた。
「マブイって言葉自体は知ってるさね?」
「さすがに」
「『マブイ落とした』は、子どもの頃めっちゃ聞きました」
「親戚のおばぁがよく言ってました」
璃子、真帆、美琴がうなずく。
「ツルおばぁも言ってたな。
『そんな急に飛び出したらマブイ落とすさ』って」
「それそれ」
ナミが指をぱちんと鳴らす。
「沖縄のマブイは、ヤマトの魂や霊に近い言葉だけど、少し違うさ」
「違う、というと?」
真帆が身を乗り出す。
「ヤマトの“霊”は、どっちかと言えば“死んだあとの何か”ってイメージが強いさね。
外から来て取りつくもの、みたいな」
「ですね。除霊とか憑依とか」
「外国の魔法も、神様の力を“借りて撃つ”話が多いさ。
でもマブイは、“撃つ”ためのもんじゃない」
ナミは湯のみの水面を、指でとん、とつついた。
「マブイは、生きてるものが最初から持ってる命の流れ。
心臓が動くとか、息が出入りするとか、嬉しいとか怖いとか。
その全部を動かしてる“元の流れ”さ」
「元の……流れ」
美琴がゆっくり復唱する。
「じゃあマブイの力って、その流れを動かす力なんですか?」
「そう。
外から何かを足すんじゃなくて、もともとの流れにちょっと手を添えるだけ」
ナミは、胸のあたりに手を当てる。
「びっくりしたら“マブイが落ちる”って言うさ?
あれは、自分の流れがショックで一瞬どこかに飛んでしまう感じ」
「だから、魂抜けた顔になるんですね」
真帆がうなずく。
「そういうときに、マブイグミする」
ナミは、手ですくう動きをして胸に戻して見せる。
「『マブヤーマブヤー ウーテクーヨー』。
あれは魔法の呪文じゃなくて、
『ここがあんたの場所だよ』って、流れに教え直してるだけさ」
「自己回線の再接続、みたいな」
璃子が言う。
「どっかに繋がりっぱなしになってるラインを、
『ホームサーバーこっちです』って戻す感じ」
「例えはうるさいけど、大体合ってる」
陽翔が苦笑した。
「でね。ここから大事な話」
ナミは湯のみを置き、指を組んだ。
「マブイの力には、“燃料切れ”はないさ」
「え、ないんですか」
真帆が目を丸くする。
「ゲームだと、MPとか霊力ゲージが減っていきますけど」
「マブイは、“流れ方”が乱れることはあっても、ゼロにはならん。
ただ、心がぐちゃぐちゃになったり、怖さで固まったり、
影に引っ張られたりすると、動きにくくなる」
そこで玄武がぽつりと言う。
「酔っぱらって真っ直ぐ歩けるかどうか、みたいなもんだ」
「酔っぱらい例え」
「体力が残ってても、足元ふらついてたら走れん。
マブイも同じ。
“酔ってない状態”を保てるやつほど、よく動かせる」
「つまり、霊力残量より“流れの安定度”なんですね」
真帆がまとめる。
「そうそう。
だから訓練は“必殺技”の前に、落とさない・乱さない・乱れたら戻す、が基本さ」
「チュートリアル長いやつだ」
璃子がぼやき、玉城が笑う。
「でもそのチュートリアル飛ばした学生ほど、フィールドで派手にコケますからね」
「先生、現実の愚痴混ぜないで」
笑いがひとしきり広がり、少し落ち着いたところで、
ナミはちゃぶ台の真ん中に黒糖を一つ置いた。
「で、その“流れ”には癖がある」
「来た、属性の話でしょ」
璃子が嬉しそうに前のめりになる。
「先に言うな」
陽翔が押さえ込み、ナミがくすっと笑った。
「火、水、地、風、影、光。
それから、“結ぶ”」
指を一本ずつ立てながら、ナミは続ける。
「昔の人はね、自分たちの命の流れを、身の回りの現象や気持ちに重ねて、
分かりやすい名前をつけたわけさ」
「現象と、感情……」
美琴がメモ帳を開く。
「腹が立ったとき、『胸の中で火がつく』って思った。
涙が出るとき、『自分の中にも海みたいな水がある』って思った。
畑を踏む足の重さは、地の落ち着きに重ねた。
噂話やため息が、風みたいに人から人へ飛んでいくのも見てきた」
ナミは指先で黒糖をころりと転がす。
「そうやって、『これは火っぽい流れ』『これは水っぽい』って、
暮らしと気持ちに名前をつけたのが、属性さね。
本当は全部混ざり合ってる。でも、ざっくり分けたほうが、
自分の今の状態を掴みやすい」
「ステータス画面か」
陽翔が言うと、璃子がすかさず乗る。
「『火多め、水そこそこ、影ちょっと』みたいなね」
「なんでもゲームにするな」
「イメージしやすいのは大事です」
美琴が小声でフォローした。
「影と光は、特に分かりやすく説明しとくね」
ナミの声が少し低くなる。
「影は、本来の流れが弱ったときに入り込む“逆流”や“停滞”。
怖さや諦め、欲ばりすぎた気持ちもそこに混ざる。
楽なほうへ、考えないほうへ、そっと押してくる」
「“楽になるよ”って言いながら、逆に引きずり込んでくる系のやつですね」
玉城が苦い顔をする。
「そう。
光は、正義とかじゃなくて、“向き”さ。
『こっちへ行きたい』『これを大事にしたい』っていう、気づきと祈りの明かり。
流れの先を照らす力」
「明かり……」
真帆が胸元を押さえる。
「光が強すぎても、人を焼く。
影も、本当は“休ませる暗さ”って役目がある。
ただ泉みたいなところでは、その影が腐って、
人の流れを逆向きに引っ張る」
座敷の空気が少し冷えた。
「結ぶ、は?」
陽翔が尋ねる。
「結のマブイは、流れと流れを繋げて、撚り合わせて、
乱れた向きを本来のほうに整える力さ。
火と水をいい具合に混ぜて“湯”にしたり、
地の流れが弱ってる人に、ちょっと風を足してあげたり」
「泉みたいに、影で逆流しかけた流れも……?」
「弱ってるぐらいなら、まだ戻せる。
でも、泉みたいに底からぎゅうっと引っ張ってる場所だと、
結ぶほうが先に切れるさ」
ナミは黒糖を皿に戻した。
「影はね、『楽になるさ』『もう考えなくていいさ』って、
甘く囁きながら、命の流れを逆向きに染めていく」
誰も、すぐには言葉を返せない。
備瀬の海で、ぼんやり歩き出しかけた母の背中が、
陽翔の頭に浮かんだ。
「影に飲まれるかどうかは、マブイの強さだけじゃなくて、
普段どう流れを保ってるかにもよる」
玄武が静かに言う。
「同じ泉の前に立っても、すぐ持っていかれるやつと、
なんとか踏みとどまるやつがいる。
生き方とか、土地との縁とか、全部込みの“体質”だ」
「ゲームで言う“耐性”って言ったら怒られます?」
璃子が、おそるおそるナミを見る。
「ギリ許す」
ナミが苦笑する。
「ただ、どんな体質でも、流れに気づけるようになれば、
影の“甘い話”にもツッコミ入れやすくなる」
「にぃにぃは絶対、影に『楽になるよ』って言われたら、
『返済プランは?』とか聞き返すタイプだよね」
「なんでローン前提だよ」
「うん、“慎重な戦術家”ですからね」
真帆がさらっと乗ってくる。
「褒めてるのかそれ」
「褒めてますよ。そういうとこ、好きですから」
ぽろっと出た一言に、自分で「しまった」という顔をする真帆。
瞬間、璃子の目が細くなった。
「まほねーねー、今“光属性の好意”漏れたよね?」
「意味の分からない分類するな!」
「にぃにぃは、私のにぃにぃだからね」
璃子が、ちゃぶ台の下で陽翔の袖を軽くつまむ。
「影にも変な人にも、簡単に持っていかせないよ。
まほねーねーにも」
「なんで私まで“変な人”枠なんですか!」
「まあまあ、仲良く取り合って」
玉城のどうでもいいコメントに、三人が同時にツッコんだ。
ナミはそれを見て、目だけ少しやわらかくなる。
「誰をどう守りたいか、って向きも、
マブイの光の癖に出るさね」
「癖、か……」
陽翔は、自分の胸の奥に意識を向けた。
「まとめるよ」
ナミが全員を見回す。
「属性は、世界の絶対ルールじゃなくて、
人が暮らしと気持ちに名前をつけた、ざっくりした分類。
火・水・地・風は、生活と感情の癖。
影は逆流と停滞、光は向きと明かり。
結ぶは、乱れた流れを本来の向きに撚り直す」
そして、玄武が短く付け足す。
「泉の前じゃ、その癖がどう影に引っ張られるかを、
よく見とけってことだ」
「明日、泉の手前まで行くときね。
“いつもの自分の流れ”を覚えておけるかどうかで、
戻ってきやすさが変わる」
「今、俺を見て言ったよな」
「気のせいさ」
ナミが笑う。
「今日のところは、座敷の上だけでいい。
ちゃんと息を整えて、自分の胸の中にどう流れが通ってるか、
影とか泉とか意識しない“普段の感じ”を覚えときなさい」
「はーい。にぃにぃの“無茶流れ”もチェックしとこ」
「誰が無茶流れだ」
「実績」
璃子の即答に、陽翔は肩を落とす。
「でもまあ、ハルトが無茶しそうになったら、
ちゃんと止めますから」
真帆が、視線を外したまま小さく言った。
「……聞くかどうかは別として」
「聞け」
座敷に笑いが戻る。
「じゃ、今日はここまで」
ナミが立ち上がった。
「このあとは各自、外で風に当たってきなさい。
流れって言っても、座敷にこもってたら分からんからね」
「“命の回線チェック・屋外テスト”ですね」
美琴が、少し慣れてきた口調で言う。
「みこっちゃんも、属性レベル上がってきたね」
「……比喩に慣れてきただけです」
そんなやり取りを聞きながら、
陽翔は、もう一度、自分の胸の奥に意識を沈めた。
ツルの家で感じたざわつき。
久高の御嶽の前で感じた冷たさ。
それとは少し違う、“今ここ”の静かな流れ。
(明日、泉の手前に立ったとき。
これがどう変わるのか、ちゃんと覚えておかないとな)
波の音が、窓の向こうで重なっていく。
命の流れが、影にひっくり返されそうになったとき。
自分は、本当に気づけるのか。
胸のざわめきを抱えたまま、陽翔はゆっくりと立ち上がった。




