プロローグ④|ポーカー先生、オールインに負ける
大会は佳境に差し掛かっていた。そして、サトシは順調に生き残っていた。
ついに入賞が見えてきたところで、運命のハンドが配られた。ディーラーが配ったカードをそっと確認すると、エース2枚が見えた。
(ここで来るか……)
エースが2枚配られるのは、プレイヤーにとって、いつだって最高の瞬間だ。ただ、相手も強いハンドだった場合、オールインにならざるをえない。降りられない状況で、カードを引かれて不運に負けることが、しばしばある。
入賞は目前、今飛びたくない。だから、リスクの高い激しいアクションは望まない。それでも、チップはきちんと稼ぎたい。サトシの頭の中は、様々な思いがうずまいているが、もちろん、そんなことは表情に出さないようにしている。
先にアクションした人がレイズし、それに対して、チップ量が多くないプレイヤーが、チップを前に押し出した。
「オールイン」
そして、サトシの前にアクションする、大きいスタックを持つプレイヤーも、それに続いた。
「オールイン」
サトシにも、迷う理由はない。確かにリスクは負いたくないが、目指すのは、入賞ではなく、優勝だ。ここで降りるなんて選択は無い。
「コール」
サトシもチップを前に押し出し、三者オールインとなった。テーブル上に、全員のカードが開かれた。チップの少ないプレイヤーが開いたのは、5のポケット、もう一人のプレイヤーは、10のポケットだった。
圧倒的にサトシに有利。サトシのチップ量は、ここで勝てれば、全体1位になるかならないかという状況だった。また、仮に5のポケットに負けたところで、10のポケットに勝てれば致命傷は負わない。
10のポケットにさえ勝てれば問題ない、そう思えてサトシは少しだけホッとした。しかし、フロップが開いた時に、絶望が待っていた。
5♣ 10♠ 8♦
(嘘だろ……)
テーブルに並んだカードを見た瞬間、サトシの心は凍りついた。ターン・リバーで、エースが出ない限り勝てない。ただ、残り2枚のカードがめくられても、エースは落ちなかった。
目の前の全てのチップが、底引き網のように、10のポケットを持っていた人の下へ移動していった。運びきれなかった2~3枚のチップが、名残惜しそうにサトシの前に転がっていたが、それもすぐに、対戦相手の下へと移動していった。
――
勝負事は時に、想像しないような展開を、急に迎えることがある。サトシの敗退も、まさにそんな感じで、入賞直前に急に訪れた。運命のいたずらか、それとも、これがまさに運命といったところか。
ただ、サトシはわかっていた。ポーカーは、いつだってそういうゲームだ。エース2枚で負けることも、何度も経験している。今日のような敗退も、普段から起きていることに過ぎない。
サトシはホテルに戻った。心臓の鼓動はまだ速い。何を考えているのか分からない、何も考えられていない。重たい体を引きずってベッドに倒れ込み、突っ伏した。ベッドに突っ伏したところで、涙が出てきた。
悔しいのか、悲しいのか。あの1ハンドに負けたことに対する感情か、ポーカーというゲームに対する感情か。
ただ、1つ、受け入れなければならないことがあった。そう、ポーカープロを目指さないということだ。
ポーカーなんて、もう二と度やらない!と悪態をつきたいところだが、ここには悪態をつかせてくれるような相手はいない。
この悔しさが薄れた頃、きっとまた、ポーカーがやりたくなるだろう。でももう、ポーカーに人生は捧げない。そういう決意で、この地に降り立ったことだけは、誤魔化せない。
――
飛行機の中、時間が静かに流れていた。ヘッドホンで映画を観る人、本を読む人、ただ眠る人。周囲の乗客たちはそれぞれの時間を過ごしていた。
サトシは、浅い眠りから目を覚ました。そして、静かにこれまでの時間を振り返った。 最初にポーカーを知ったあの日から、全てを捧げた日々。初めて準優勝した日、様々なハンド、悔しかったプレイ、そして最後の敗退。
ヘッドホンをかけていたが、音楽は全く頭に入ってきていなかった。
また、いつか……とは思うものの、海外の大会に参加するためには、資金と、長い休みが必要だ。また来る日があるのか、ないのか。今のサトシには全く想像ができなかった。
サトシは、ふと思った。
「2つの大事なオールインに、俺は負けたんだな……」
サトシは再び窓の外を見つめた。そこには、無限とも思われるような空が広がっていた。