第五話 偽物の教師
教師というのは人気商売だ。
生徒からの人気、保護者からの人気、同僚からの人気。
もちろん、教養や指導する力もそれなりには必要なわけだが、最も大切なことは、教師自身の人間的な魅力だ。
塾の講師や大学の教授などは魅力だけでは務まらないが、地方の公立の教師にはその力が必要である。
何を学ばせたいかではなく、この先生から学びたい、という気持ちが大切なのだ。
子供達にとって、勉学の内容は個人差はあれど、確実に身に付いてくる。
しかし、この子達が大人になった時に記憶に残っているのは、勉学の内容ではなく、教室で一緒に過ごした、仲間との思い出ではないのか。
あの友達とこんなことをした。先生にこんな風に褒められた。クラスでこんな問題が起きた。
事件の中心にいるのは間違いなく子供達だが、その黒幕は教師にある。
というわけで、俺は俺が考える理想の教師になるべく、自分のスキルを人間的な魅力に極振りした。
しかし、人間的な魅力、と一言で言っても、それは簡単には表現できないものだった。
自分の求める理想的な教師像とは。理想的な人間の魅力とは。そこからのスタートだった、
手探りで始めたが、何度探っても答えなんか出なかった。
だから俺は、結果的に自分の長所を徹底的に鍛えた。幼稚園の先生、という自分の長所を。
コミュニケーション力、人への寄り添い方。ピアノの腕や、子供達が先生に求めている面白さ、可愛さ、器用さ、楽しさ。
結果的にそれは伸びていったんだと思う。
元々人に合わせる性格だったので、人が欲しい言葉や、見て欲しいと思う事柄は理解できていたし、その場に合う言葉も掛けることができた。
短所をなんとかして、パーフェクトな自分になる事も考えたが、短所は短所で放っておいた。
完璧な人間よりも、短所がある方が人間的な魅力がある。
その短所に意外性があればあるほど、不思議と魅力が増すのだ。
こうして、俺の教師としての形は出来上がった。
それは想定してたよりも歪で、キメラのようだったが、子供からも保護者からも人気の先生になった。
でも、それには一つだけ欠点があった。
本当の自分を無くしてしまうことだった。
──────────
夕方16時前、俺は仕事の片付けをしていた。
9月だというのに、まだ水道から出る水が熱い。
しばらく経っても、熱湯からぬるま湯に変わった程度で、待望の秋はまだ足元すら姿を見せなかった。
溜まっていた絵の具のカップ容器を洗い流し、ピンク色に塗装された手洗い場の上に乾かす。
大量に積み上がっていく容器は透き通った小さなピラミッドのようだった。
植木越しに、小学生が談笑しながら下校していく様子が見えた。
背格好から、高学年だろうか。
ピラミッドの隙間から、絵筆の水を切りつつその様子に目を細めた。
仲の良い小集団で、楽しそうに帰っていく。
自分にも、そういう時期があった。
同級生と過ごした、至福の時間だった。
帰ったら、公園に集合な。
そういや、あのゲームもうクリアした?
やべ、俺今日塾だわ。
体操服忘れたかも。
なー、ゲーセン行こうよ。
今日おかん仕事やから小遣いないわー。
学校帰りのはずなのに、学校の話なんか一切せずに、自分達だけの合言葉のように語り合う。
お互いの事を知り尽くしているコミュニティで、何でも無いことをただ話す、それがこの下校時間の至福の時間だった。
それは時代を変えても、会話の内容は大きくは変わっていなかった。
そんな時、ふいに立ち上がった俺は目を見開いた。
七下みずきが下駄箱から校門へ向かっていた。
みずき──
みずきに話したいことがある。
聞きたいことがある。
伝えたいことがある。
それは決して邪な気持ちではなく、元担任から教え子への純粋な気持ちだった。
水を切り終えていない最後の絵筆をもったまま、俺の足はみずきの方へと向かっていた。