第三話 鍵穴
進学した子供達は皆元気そうに見えた。
俺を見つければ授業中だろうが下校中だろうが手を振ってくれたし、その笑顔のやり取りが俺の心に温かさをくれた。
あの子達がいない教室はぽっかりと穴が空いたようだったが、今は違う生徒が楽しく暮らしている。
自分の中では何かが違う気がしていた。
あれだけ密度の濃い2年を過ごした教室。
そこにいたあの子達。
今、違う生徒が生活している様子を見ると、入れ物と中身が違うような、そんな感覚を覚えた。
そんな感覚も、時間と共にいずれ慣れるだろうと思っていたが、染みついた考えは払拭されないままだった。
言い換えれば燃え尽き症候群、ロスのような状態だったのだと思う。
ここで過ごした日々の様々な思い出が宝箱のように詰まっている。
教師用の机の側でいつも何かを描いていた子。
個人ロッカーの周りで小集団ではしゃいでる子。
自由遊びの時間になると、沢山の友達を誘って遊び場に直行する子。
鏡を見てトイレから帰ってこない子。
いつまでも教師の側を離れない子。
目を瞑れば、今でもあの賑やかな喧騒が蘇った。
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進学後すぐの頃は、七下みずきも例外無く、俺と会えば笑って手を振っていた。俺もそれに応え、彼女に対して月並みなエールを送っている日々だった。
しかし、時間が経つと共に彼女は元の人見知りに戻ったように、恥ずかしそうに足早に去るようになった。
他の子達が俺と何気ない話をしていたり、じゃれあったりしていたりするのを尻目に彼女は前のめりになって、帰路についていた。
彼女らしいと言えばそうだった。
人見知りも、天の邪鬼な様子も。変なところで真面目なところも。
言葉のやり取りは少なかったが、彼女の様子を見ると彼女なりに成長している様子は明確に分かった。
教師生活を長く送っていると、子供達がどんな段階を追って成長していくか、大体のことは分かる。
俺はそれを少し遠くから見守っているだけで良かった。
彼女に伝えるべき言葉は、彼女が俺の元にいる間に十分伝えた。俺の元から巣立った彼女には、俺でない次の誰かが彼女を導いてくれるはずだ。
そんな日々を送っていたところ、どこぞの天の邪鬼とは違ってさゆは相変わらず俺に甘えに来ていた。
1年経っても、2年経っても、変わらずだ。
光田さゆ、彼女は俺の元にいる時から極度の甘えんぼだった。
元々甘えたがりだったわけではない。
むしろ初めは不安が強かった子で、始めてのことに怖がり、教室の隅で泣いている事も多かった子だ。
彼女の不安に寄り添うことで、少しずつ自信を付けて行った。
やがて彼女にとって、俺や、仲の良い友達が居場所になった。そして、そこでの生活自体が彼女の居場所になった。
自分から甘えてくる積極性をもった子では無いが、自分が褒められたこと、認められたことを、一つ一つ噛み締めるタイプだ。
だから、俺が手を差し伸べると彼女はその時を待っていたかのように、好きなだけ甘えた。
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教え子達は皆、新しい環境に身を置いて、その中で新しい居場所を見つけ、そこで生活していくものだろうと思っていた。
送り出した側としたら、教え子達が元気で頑張っている、それだけで良かった。
俺は彼らへの役割を終えて、また新しい生徒を受け入れ、たまに出会う教え子達にエールを送る。
ただただ、普通の事だった。
しかし、送り出して尚、俺のことを求めてくる子が異様に多い気がするのだ。
考えられる理由としては、単に俺と過ごした2年間が楽しくて、まだ好きで居てくれること。または、新しい環境に上手くいっておらず、欠けたピースを埋めるようにこちらに向かってくるということ。
前者は可能性として高いと思う。
手前味噌だが、子供からも保護者からも、俺は人気があった。違うクラスの子達が俺のところへ群がったり、俺のクラスになれなかった子が泣いているのも見た事がある。
後者はあまり考えたくなかった。受け入れた側がどんな状況かは詳しくは知らないが、俺の大切な教え子はどんな環境でもやっていける強さを持っている子に育てたつもりだ。
しかし、同じように育てた子達が、こんな風に俺を求めてくる状況は今まで無かったので、もしかしたら、ということはあるかも知れない。
その二つの仮定が、また俺の呪いの鍵穴を大きくしていた。