第十二話 不器用な賢さ
最悪の金曜日を終えて、土曜日は何をしたか覚えていなかった。
みずきに会えないという思いが、絶望が広がっている。
驚いた顔、刹那に逃げ出す姿。
あの時、きっとチャンスは一度きりだった。
そのチャンスをものに出来なかったのは、ただ俺が不甲斐ないからだ。
3年の間、何度でも素直にみずきに話しかけるチャンスはあっただろう。
それを、放ったらかしにしていた罰だ。
これ以上みずきを追えば不審がられるのは明確だ。
俺の気持ちが、みずきへの思いが、不審なものだと思われるのは癪だった。
もちろん、自分で気持ち悪いのは分かっている。もう行っては駄目な部分にすら足を突っ込んでいる気がする。
ふいに、瀬下あずさの顔が頭に浮かんだ。
みずきにあと一歩のところで、瀬下あずさから名前を呼ばれ、俺はチャンスをふいにした。
しかし、瀬下あずさのせいにしたり、攻めたりするつもりは無い。
彼女もまた、七下みずきや光田さゆと同じ頃教室で過ごした大切な教え子だ。
一際賢くて、大人びた子だった。
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「なぁ、あずちゃんって、人生何週目?」
「は?先生何言ってんの」
「いや、絶対何回か経験してるでしょ」
「初回だよ。初回限定。」
6歳の女の子が吐く言葉とは思えずに、当時の俺は吹き出した。
このくだりを何度やったか分からない。
何をさせても優秀な成績を残し、かつ友達にも優しく接することができるリーダー。それがあずさだった。
しかし、自分で旗を作って友達を巻き込んで行進したり、自分の作った歌を周りに歌わせようとしたりするなど、時折見せる子供っぽい姿もあった。
そのギャップがおかしくて、俺も子供達も笑ってしまうような、クラスの中心にいた子だった。
そんなあずさの唯一の弱点は、幼稚園で泣いたことが無いことだった。
怪我をしても、寂しくても、あずさは一度も泣いた事が無かった。
泣く事を我慢していたのだろう。
5〜6歳の子は感情の表現が未熟だ。
泣きたくなくても涙出る事なんてザラにある。
それが、彼女には出来なかった。
彼女の賢しさや、プライド、意地が彼女の涙を堰き止めていた。
あずさは泣かなかったのではない。泣けなかったのだ。
俺はそんな彼女の心を見抜いていたし、あずさもきっと俺に見抜かれていることは百も承知だっただろう。
でも、そんな姿をあずさは人前では出せなかった。だから彼女は人目を盗んで、俺に甘えた。
俺が何かをした時ではなく、自分が甘えたい時に甘える、そういう事がよくあった。
「あずちゃん、どうしたの?」
「なんでもない。何も聞かないで。」
「そうか。でもこの状態では、先生は歩くことも出来ない。」
「歩かなくていい。このままいて。」
「そうか。分かった。」
猫のように、自分の欲望のまま彼女は俺に抱きついた。
俺の足にしがみつく彼女を、俺はしゃがんで抱きつき返した。
「先生、それはちょっと恥ずかしい。」
「そうか。じゃあ恥ずかしがらなかったらいい。」
「ちょ、ちょっと痛いよ。はは…痛いって。」
「あずちゃんから抱きついて来たんだろ?先生も、抱きしめたいから、こうする。」
あずさはまるで、教師の仮面を被った俺と同じだった。
子供の仮面を被った、子供。
自分がどうあるべきかを、理解してしまっている子供。
そんなあずさが、一度だけ泣いた事があった。




