みぎさがり司の絵で工作自衛隊/話アルブラ発売日+2日 火曜日の放課後
「これは……凄いですね」
その日の放課後、例によってひとりで帰宅する俺の傍らに、例によって横瀬が駆け寄ってきた。来るなり横瀬は、俺の右肩の直上二十センチ辺りを眺めて、感心したように言った。それが先の言葉だ。
横瀬真美は、野山を住処とする民、山窩の比丘尼である。
十になるかならぬかの時分に、一族の娘の中から、類まれなる霊力によって選ばれた。
その小さな身体には、千年に喃々とする一族の記憶と、どんな男でもとりこにする閨房術が受け継がれている。
……って、まだ続いてたのかよこの症状。
「な……なんだ? またなにか居るのか?」
無視作戦はもう止めだ。命にかかわるからな。
「いいえ。今日は、よい霊とご一緒ですよ」
俺は辺りを見回したが、やはり誰もいない。
昨日のことがなければデンパ娘のたわごととして処理しているところだが、今となっては認めざるを得ない。
「そんなの、日によって変わったりするのか?」
「いつも憑いている方もいますし、日替わりの方もいます。今日の日替わりは凄いですよ!」
まるで飲食店での会話だ。しかし、そんなところに引っかかってる場合じゃない。
「だ、誰なんだ?」
誰も立ち聞きなどしてはいないだろうし、聞かれたところで何の支障もないだろうが、横瀬は口に手を当てて、〝耳を貸せ〟のジェスチャーをした。いかに横瀬でも空中浮遊のアビリティは持ち合わせていないだろうから、その願いを叶えるには、俺が身をかがめなくちゃならんのだよな。
俺は歩みを止め、中腰になって顔の高さを横瀬に合わせた。結構腰に来るんだからな。四十センチの身長差を甘く見るなよ?
「ごにょごにょ……」
俺の耳朶に触れるか触れないかの至近距離で横瀬の唇から発射されたのは、やんごとなき、極めて破壊力の高い名前だった。
「ええっ?! そんな方が? ……漫画の神様じゃねぇか。道理で、朝から無性に漫画が描きたいと思ったよ……」
実は、授業中にぐねぐねと落書きをして、自分の画才のなさを再認識したところだ。
「描きたいものがまだまだたくさんある……と仰ってます。さぞかしご無念だったのでしょうね」
そう言って横瀬は目を伏せた。
「ん? そこにいるってことは、漫画の神様は成仏してないってことなのか? 描き残したのが無念で、迷ってるとか?」
俺は自分の肩の辺りを指差して言った。
「迷っているのとは違います。亡くなった方々が一旦成仏して、そのなかでも特に力を持った方々が、現世の人々に力を貸すためにやってくるのが守護霊です」
横瀬がジェスチャーを交えて説明する。
「同じように平日の昼間にブラブラしてても、無職のヤツとたまたま休暇中のヤツ、定年退職者がいるみたいなモンか?」
「……まぁ、そのようなものでしょうか」
横瀬は苦笑いして、後を続けた。
「このまま居てくださったら、あの名作の続きが描けるかも知れませんね。〝よろしく〟とか……」
「それは続編じゃない!」
俺は慌てて横瀬の口を押さえた。
「しかし、なんで俺なんだろう?」
「漫画が好きそうな若者のところを回っているのだそうです。最近までしばらくタナカさんという方のところにいて、力を貸していたと仰ってます」
タナカさんって言っても多いからな。日本で三番目くらいか?
「まぁ、確かに漫画は好きだけど、俺が好きなのは読むほうだぞ? つまり読み専」
「そうなんですか?」
「……あのさ、その方に、他の所に行ったほうがいいって、言ってくれるか? 確かに漫画は大好きだけど、俺は残念ながら読むほうの専門だ。授業中の落書きで神様にも分かったんじゃないかと思うけど、図画工作と美術は2以上貰ったことがない。いくら漫画は画力がすべてじゃないと言っても、画力がないと描けるものが限定されちまう。みぎさがり司の絵で工作自衛隊描いたってムーヴメントは起こらん。そんなわけで、俺じゃ、あの方を背負うのは文字通り荷が重い。あの方だって張り合いがないだろう。まったく、勿体ないやら、恐れ多いやらだ」
国際A級免許を持っていても、車軸の曲がった車じゃ素人にだって勝てまい。
「わかりました。では、そうしますね」
そう答えて、俺の肩の辺りに向かってなにごとか言いかけた横瀬は、再び視線を俺に向けた。
「……再度申し上げておきますが、私は、祓うのはそこそこ得意なのですが、憑かせる技は持ち合わせておりませんので、一期一会ですよ? いくら中村さんが憑かれやすい体質だといっても、同じ方にもう一度憑かれる確立はきわめて低いですよ?」
「んぐ……」
そう言われると惜しくなってくるのが人のサガ。
なんでこう、〝限定〟とか〝一生モノ〟って類の言葉は、耳に心地いいんだ。
「……そうだ、俺ン家の隣の……」
実に都合がいいことに、歩いている間に俺の家の近くまで帰って来ていた。昨日もこの辺りで別れたから、どうやら横瀬の家は、学校から見て俺の家と同じ方向にあるらしい。
「そう、そのむこうのチョコレート色の家。そこに漫画が三度の飯の次に好きな親子が住んでる。親父は読み専だけど、娘は描くほうもやってるから、依代としては最適だと思う。居心地よかったら使ってやって。……と言ってくれ」
ただし、女オタで腐女子だが。
横瀬が俺の肩の辺りに向かい、口をぱくぱくさせる。
俺の、というか人間の耳に聞こえない言葉で説得しているらしい。
涼しい風が吹き、微かに肩が軽くなるような感覚と共に、急速に漫画熱が冷めていった。どうやら漫画の神様は俺から離れてくれたらしい。
コリコリと肩を回しながら、ふと考える。
「……しかし。なんか、やっぱり残念だったかも」
「一期一会ですからね?」
念を押すように横瀬が言った。