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そこになんの違いもねぇだろうがと言われても、違うのだ!/アルブラ発売日+7日 日曜日の夕方1

 俺が電車で小春日駅まで戻ってきたのは、午後四時過ぎだった。

 香澄はどこかに行ってしまったままなので、もちろん今は俺一人だ。

 季節は夏、夏至を少し過ぎたくらいなので、まだまだ日は高い。

 駅を出て、早足で家に向かう。

 香澄が“先に帰る”と言って消えてから、外見的には俺ひとりであることに変わりないものの、気分的には随分違った。

“俺はひとり。こんな場違いな場所に、野郎がひとり”

 今まで、ある程度受け流せていた視線が、容赦なく突き刺さってくる気がした。

 例えるなら、創作の題材としてのグラビア雑誌を買うときは胸を張れるが、秘密の用途として買うのは腰が引ける、みたいなものだ。

 そこになんの違いもねぇだろうがと言われても、違うのだ!

 〝先に帰る〟と香澄は言ったが、なんとなく、まだ家に帰りついていないような気がした。だから、香澄が戻ってきたとき、笑って迎えてやりたいと思った。

 そのためには、香澄より先に家に帰り着いていなければならない。

 学校を過ぎ、ゲームショップゲロを通り過ぎ、いつも横瀬と会う辺りまで来たとき、当たり前のように電柱の陰から横瀬が現れた。

「こんにちは。中村さん」

「あ、ああ。どうしたんだ? こんなところで……」

 思わず周囲を見回したが、幸いというべきか、当然というべきか、香澄の気配はなかった。

「中村さんを、お待ちしていたんです」

「……また、お祓いか、退魔行か? 悪いけど、今日は勘弁して欲しい気分なんだがな」

 なぜか日曜日だというのに、横瀬は制服を着ていた。そう言えば、先週の日曜日に会ったときも制服だった。それ以外の服を持っていないのか?

 などと考えていると、横瀬の口から驚くべき言葉が飛び出した。

「単刀直入に言います。……彼女を救いにきました。彼女はどこですか?」

「か、彼女って、誰のことだ?」

 と、半オクターブ高い声で俺。落ち着き払った横瀬とは好対照だ。

「正直に言ってください。危ないんです。彼女はもう……」

 そこまで言うと、横瀬はかっと目を見開き、ゆっくりと振り返った。

 なぜ横瀬が言葉を切ったのかは、俺にも分かった。

「……現れましたね」

 横瀬の背後に現れた香澄は、〝さっきのことなんか忘れちゃったよ〟とでも言わんばかりの、悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。

 俺と横瀬の会話を聞いてやろうという、単なる好奇心だったのだろう。

 俺は後悔した。

 香澄にとって最大の脅威の、横瀬という優秀な霊能者について話しておかなかったことを、俺は激しく後悔した。

「なんで出てくるんだバカっ!」

「え?」

 成り行きが分からず、たじろぐ香澄。

「待て、横瀬っ! あいつは……!!」

 俺は、香澄に向かっていこうとした横瀬を羽交い絞めにした。

「逃げろ香澄っ!」

「逃がしません!」

 横瀬は羽交い絞めされたまま二本指を立て、くるりと指先だけで円を描いた。

 先日見た光のバリア、あれの小型版のようなものが指先に形成される。

「説明は後で! それが中村さんと、彼女の為なんですっ!」  

 横瀬がそれを指先で弾くと、香澄はしびれたように動かなくなった。

「か……勝馬……?」

「香澄っ!」

「………………………………」

 横瀬が聞いたことのない呪文を唱え始めた。

「え?!」

 突然、羽交い絞めにした横瀬の首の後ろから光が広がり始めた。

 その光はまるで、バラエティ番組に出てくる巨大風船のように、広がるにしたがって俺と横瀬の間を押し広げていった。

 俺は、引き離されまいとして横瀬の腕にかけた手に力を込める。

「あう……、くっ!」

 横瀬の口から悲痛な声が漏れた。

 思わず手の力を緩めてしまった俺は、一気に横瀬の背中から引き剥がされてしまった。

「ぐあっ!」

 路傍の植え込みに吹っ飛ばされた俺を、横瀬は一瞬振り返ったが、すぐに香澄に向き直り、呪文をいつものものに切り替えた。

「やめろ、横瀬っ! やめてくれっ!!」

 止めようとして再び接近を試みるが、流れるプールを逆回りに歩いたときのように、横瀬から生じる光に圧され、近づくことができない。

 その間にも呪文は緊迫感を深め、それに呼応するように光も増していく。

「香澄っ! 逃げろっ!」

「だ……だめ……動け……ない……」

 横瀬は俺を振り返ると、首を横に振った。

 そして動けなくなっている香澄に歩み寄って言った。

「……今まで苦しかったですね。でも、もうこれで苦しむこともなくなります」

 菩薩のような顔をして、数珠を巻いた左手を振り上げた。

「やだっ……あたし、まだ……」

「……彷徨える魂よ、在るべき処に還れ!」 

 叫びと共に、数珠を巻いた手を香澄の胸に突き入れた。

 磁気にさらされたブラウン管のように、香澄の姿が歪む。

「ああっ!」

 横瀬に突かれた胸の部分から、次第に香澄の姿が薄くなっていく。

「香澄!」

 一歩踏み出すと一歩分足が地面を滑り、押し戻される。

 もがいてもあがいても、その場からまったく前に進めない。

「ちっくしょおぉ!」

「か……つま……」

 香澄の声が、消え入りそうにか細い。

 香澄の伸ばした手に向かい、俺も手を差し伸べた。

しかし、俺と香澄との隔たりは、それくらいで埋められるようなものではなかった。

「香澄いぃ!」

 横瀬の肩越しに、香澄と目が合った。

 その瞬間、なぜか香澄が笑ったように見えた。

「あああああああっ!」 

 香澄の断末魔。

 同時に膨大な光が生まれる。

 まるで、電球のフィラメントが切れる直前のように。

 弱弱しく燃える命の炎を、いちどきに燃やし尽くすように。

 次の瞬間、光はだしぬけに消滅した。


 押し返す力が急に消えたため、俺はつんのめるように、横瀬の傍らまで進み出た。

 俺の気配に気付いた横瀬が振り返って、何ごとか口にしようとした。

 左の肩に、俺が羽交い絞めにしだときできたであろう血の染みがあったが、それを気遣う心の余裕は、そのときの俺にはなかった。

 横瀬を脇に押しやり、さらに前に歩み出たが、そこに香澄の姿はない。

 そのかわりにあったのは、膝くらいの高さで輝く、ソフトボールほどの大きさの光の球だった。

 球は明滅を繰り返しながら、それでも確実に光を減じていった。

 これは、香澄か? 香澄の光なのか? 

 俺はその光をおし抱くように、光を漏らさぬように、掌に包みこんだ。

 以前、香澄と重なったときのように、柔らかな温もりが感じられた。

「香澄……」

 やがて、俺の体温と同化するように、手の中の温もりが感じられなくなった。

 そのとき恐らく、光は輝きを失ったのだろう。

 その実感が俺の胸に訪れたが、手を開くことはできなかった。それを確認したとき、本当に香澄がこの世から消えてしまうような気がした。

 拳を握ったまま呆然としていた俺は、〝じゃらり〟という数珠の音で我に返った。

 立ち上がり、ゆっくりと横瀬に向き直る。これほど誰かを憎いと思ったことはなかった。

「……何てことするんだよ! あいつは、悪い幽霊じゃなかったのに!!」

 おびえる横瀬の肩を掴んで揺する。

 それは、血の滲んだほうの肩ではなかったが、横瀬の傷を慮ってのことではない。俺の右手には、香澄が握られていたからだ。

「違うんです! あの人は……」 

「何が違うってんだよ! あいつが俺を殺そうとでもしてたってのか?!」

「そうじゃなくて、その、聞いてくださいっ!」

 思い切りかぶりを振る横瀬。黒い髪が舞った。

「うるせえっ! 殴られないうちに、俺の前から消えろっ!!」

「あっ……!」

 俺は横瀬の肩を突き飛ばした。横瀬は、転びこそはしなかったが、その勢いで数歩後退りし、電柱に背中をぶつけて止まった。

 本気で、このまま横瀬の顔を見ていたら殴ってしまいそうだった。

 そのときの俺は、鬼の形相だっただろう。横瀬のおびえた顔がそれを俺に教えていた。これ以上話を続けるのは無理だと悟ったのか、横瀬はぺこりと頭を下げて走り去った。

 それをぼんやりと見送った後、俺は路傍に座り込んで頭を抱えた。


「香澄……。香澄……」

 俺は泣きながら香澄の名前を何度も呼んだ。

 香澄とはたった三日一緒にいただけだったし、触れ合うこともできなかったし、好きだったのかどうかも分からない。

 でも、面倒くさいとか、邪魔だとか思うことも少しはあったけれど、香澄がそばにいると楽しかった。安らいだ気持ちになれた。香澄も俺のそばは居心地がいいって言っていたから、きっと同じ気持ちだったんだと思う。

 そう思えば思うほどに、ふつふつと横瀬に対する憎しみが湧いてきた。

 しかし、横瀬を憎む気持ちのほかに、これで良かったんだという気持ちもあった。

 人間と幽霊の関係に未来はない。そう言ったのは俺だったんじゃないか。死者が成仏できないままにこの世に留まり続けるっていうのは、絶対にいいことじゃない。

 横瀬は、成仏していない霊は悪霊化しやすいと言った。

 香澄も、今は人としての記憶を保ってはいても、いずれは自分の不安定な立場に耐えられなくなって、あの〝顔〟のように、精気を吸うような悪霊に変化したかもしれない。

 横瀬だって、そう思ったからこそ、無理にでも香澄を成仏させたんだろう。

 横瀬が言った〝彼女はもう〟というのは、多分、そういうことだ。

「……でも、泣けてくるんだよ。おさまらねぇんだよ……!」

 香澄との生活を思い出すたびに、それは文字通り思い出になり、過去のものとなってゆく。思い出なんか欲しくない。欲しくないのに。

 じゃあ、悪霊化したらどうするつもりだったんだ? 

 どこかの俺が問いかけてくる。

 そんときはそんときで、横瀬に頼むってか? 

 自分になつかないペットを保健所に送るように?

 ふざけんなよ俺!

 そんな自分勝手なこと、できるかよ! 

 幽霊と一緒に暮らすってことは、精気を吸われても我慢するってことだろうが! 

 たとえ命に関わるようなことがあっても!

 そんな覚悟は俺にあるのか? 

 いや、あったのか? 

 今ならなんとでも言えるだろう? 

 十分前にその覚悟があったって言えるのか?


 ……言えない。

 言えるわけがない。


 自分の命をくれてやっても後悔しないと思うほど、俺は生きちゃいない。

 うまいもんも食いたいし、行きたいところ、見たいものもある。

 背筋をムカデが這いまわるようなもどかしい恋もしたいし、仕事に熱中して燃えるような充実感ってやつを味わったりもしたい。

 アルブラの9だってやりたい。

 8だってまだ終わらせちゃいないんだ。

 俺は生きたい。

 生きたい。

 生きていたい。


 香澄、ごめん。

 俺はまだ、生きていたいんだ……。

 俺の目から、また新たな涙がこぼれた。


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