君が忘れるまでッ! 殴るのを止めないッ!/アルブラ発売日+6日 土曜日の自宅
十分後、香澄は、出て行ったときと同じようないきなりさ加減で帰ってきた。
「なんか、チャイナさんがふたりいた。声を出して漫画を読んでた!」
一瞬、香澄が何を言い出したのか分からなかった。
「……ああ、みずほか」
「あの子、地黒で貧乳で筋肉質で髪が短いから、声を聞かなかったら、なんか男が女装してるみたい。もう一人の子はエロいね。色白で胸でかいし。ありゃ上玉だわ」
俺が決して口に出せないような恐ろしいことを、サラリと言いやがった。モノの言い方ひとつで、命を落とすこともあるんだぞ。
しかし、落ち込んでいた俺がバカみたいに見える、この香澄の明るさはどうだ。本心かどうかは分からないが、とりあえず助かる。
「おとといはメイドで今日はチャイナか」
もうひとりは多分、あの黒メイドの子だろうな。
だが、おとといのセクシーポーズといい、ふたりでいったいなにをやってるんだ?
コミぱのリハーサルとか?
「みずほじゃない方は、名前はなんて言ってた?」
みずほに聞くのが一番手っ取り早いだろうけど、〝あの子誰?〟なんて、絶対聞けねぇ。
〝君がッ! 忘れるまでッ! 殴るのを止めないッ!〟とか言って、本当に記憶喪失になるまで殴られそうな気がする。
この前鉄山靠を食らったとき、メイド服のみずほは靴下を履いていた。
フローリングに靴下だったから、踏ん張りが利かないおかげで気絶で済んだようなもので、素足なら即死しそうな気がする。チャイナ服ならきっと素足だろう。
ゲームで覚えたような技で殺されるのはごめんだからな。
「確か、ルナとエラって呼び合ってた。隣の子がルナだって」
「なんだそりゃ? ペンネームか?」
「キャラ名……かも?」
俺が覗くのを警戒して偽名……ってこともないだろうから、たぶん、日常的にそう呼び合っているんだろうな。
「もう一回行ってくる」
そう言うと香澄は、カーテンと窓ガラスをすり抜けて部屋を出て行こうとした。俺は慌てて呼び止めようとして、思い切り窓ガラスにぶつかる。
「痛えー!」
「なに? なにかあった?」
出て行ったと同じところから香澄が戻ってきた。
「もう行かなくていい。気持ちだけもらっとく」
「……ふぅん?」
腑に落ちないといった顔で香澄は首をかしげる。
そりゃ、あの子の正体が分かればありがたいが、それを女の子に頼むのは、例え相手が幽霊だといっても、よくない気がした。特に、今の香澄にはそんなことはさせられない。
などと考えていると、突然、香澄が、
「あたし、勝馬とデートしたい」
と言い出した。
前振りなし、脈絡なしでデートに誘うのが最近のトレンドなのか?
「なにをいきなり?」
「遊園地かテーマパークに行きたい」
理由説明は無しですかい。
「……どこに行きたいって?」
香澄の要望は、知らない人はいないであろう超有名超巨大テーマパーク、夢の国オゼニーランドだった。
みずほや海羽と比べたら、なんとまともなチョイスだろうか。心が洗われるようだ。
しがない高校生にとって、ゲームソフトが一本買えてしまうほどの高額な入場料はかなりの負担だが、オゼニーランドで同級生とデートなど、男子高校生の本懐である。
いかに負担が大きかろうとも、“やまいだれ”や“りっしんべん”のよく似合う健康で善良な男子高校生を阻むことはできないのだ。
しかし。
「そこに、ひとりで行けと? そんで、マネーマウスとツーショット写真でも撮ってこいと? ……なんかもう、すごくイヤな光景が目に浮かぶんだが」
ただし、本懐を遂げられるのは、相手が生身の女の子であった場合だ。
なにしろ、香澄は俺にしか見えないし、声も聞こえないのだ。いつも通りにふるまえば傍目には脳内彼女と話すアブナい奴にしか見えないだろう。
「ひとりじゃないってば。デートなんだから」
「主観的にはそうだけどな。客観的には、紛れもなくひとりだ!」
大概のことは我慢できる忍耐力を身につけていたつもりだったし、かわいそうな幽霊少女の頼みだから、できる限り聞いてやりたいと思うが、この申し出には返答を躊躇せざるを得ない。
「じゃ、こうしよう。勝馬さ、女の子の写真とか持ってない? 一緒に写ってるやつ」
「……妹とか、隣のみずほとかのならあるけど、どうするつもりだ?」
「今すぐ百円ショップにでも行って、フォトスタンド買ってきて。できるだけ地味で黒っぽいヤツね」
なんとなく魂胆が分かってきたが、最後まで聞いてやることにする。
「……それで?」
「女の子とのツーショット写真を入れる」
さーて、拒絶の準備でもしようかね。
「…………それで?」
「アトラクションとか乗るとき、悲しそうな顔でその写真を抱いてたら万事解決。ひとりごと言ってても怪しがる人なんかいないし、だれも隣になんか座ってこないよ」
「嫌だ! ダメだ! 断る! もってのほかだ!」
そんな悲しい役回りは嫌だ。ていうか、縁起でもない。
「百万歩譲って、俺がいいとしても、死に役の子に申し訳ない」
「仕方ないでしょ。ほんとは私の写真がいいんだけど、新しく撮りなおすことなんかできないし、私の家に取りに行くこともできないし」
そもそも、オゼニーランドは隣の県だが、俺の家からはわりと近い。
そんな惨めな姿を知り合いにでも見られたら、俺のなけなしの社会的地位は地に落ちる。一生白眼視される。もうこの街にはいられない。
……ちょっと大げさか?
「一生のお願いなのになー」
もう一生終わってるくせに、一生のお願いはないだろ。
そんな貸し作ったって、どう見ても不良債権化しそうな物件じゃないか。
「あ、いいこと思いついた。俺は妹かみずほと一緒にオゼニーランド行くから、おまえはそれにくっついてこい」
「だめ! それじゃ、私とのデートになんないもの」
一瞬イラっと来たが、これは確かに香澄の言うとおりだ。
「……そうか。そうだな」
音は聞こえなかったが、香澄がポンと手を打った。
「写真のことだけどさ、彼女は死んだんじゃなくて、振られたって設定にしとけばいいんじゃない? それだったら縁起でもあるでしょ?」
「俺に、そんな惨めな男の役をやれと?」
これだったら遺影を抱いているという設定のほうがよっぽどマシだ。
あと、おかしな日本語を作るな。
「別に設定を明かす必要はないのよ。ただ悲しそうな顔してたら勝手に周りが解釈してくれるから、勝馬は心の中で〝俺はこいつに振られただけ。こいつは死んでない、死んでない〟って思ってればいいの。なら、写真の子にも申しわけが立つし、勝馬のプライドも傷つかないでしょ?」
「……ちょっとまて。だんだん頭が混乱してきた」
本当にそんなことでいいのだろうか?
「だから、一生のお願いなんだってば」
「ううう……。わかったよ……」
俺は、香澄に押し切られる形で、デートを嫌々、渋々、不承不承に承諾した。
しかし、〝生身の乱暴者や妹と画材屋やジャンク屋や心霊スポット〟と、〝かわいい幽霊とオゼニーランド〟って、本当に究極の選択ってやつだよな。