ねんがんのアルブラⅧをてにいれたぞ!/6月のとある日曜日の午前・路上
「へぇ、勝馬ってば、横瀬ちゃんと知り合いだったの?」
と、心安らかに未来への一歩を踏み出した俺の背後から無遠慮に声をかけ、終わったと思っていたザコイベントを蒸し返そうとしているのは、穂積みずほであった。
穂積みずほもまた俺の同級生で、同じクラスでもある。
しかし、俺の家の隣に、少なくとも十八年前から住んでいることと、俺がこいつの苗字よりも名前を先に覚え、未だに名前のほうで呼んでいることから鑑みて、同級生よりも幼馴染に分類するほうが正しいと思われる。
家でも学校でも漫画ばっかり描いているくせに、タクラマカン砂漠の中心に裸で放置しても平気で生還しそうな強靭な肉体と小麦色の肌をしていて、〝虎が強いのは元々強いから〟を座右の銘とする、粗忽かつ乱暴なる者だ。
「いいのか? ここは学校じゃないぞ?」
「いーじゃない。硬いこと言わないの」
「……硬いこと言ってんのは、おまえだろ」
みずほとは、普段なら頻繁に遊びに行ったり来たりという関係なのだが、今日から数日間は、特別な事情があって、学校でしか話すことができない。
隣の家に住んでいる幼馴染に学校でしか話しかけられないとは、なんてお寒い関係なんだと思われるかも知れないが、誤解しないで欲しい。
俺とみずほの関係は、雪舟が絵に描いて一休さんが縛り上げたような清く正しく美しい理想的な幼馴染関係であり、〝どさまぎメロディアス〟のゲーム開始当初の藤坂沙織と主人公のごとく、家が隣同士でありながら〝一緒に帰るのは恥ずかしい〟などと断じられてしまうような寂しい関係ではないのだ。
〝普段なら〟と前置きしたことを覚えてくれているだろうか。
みずほの家には下手な漫画喫茶以上の漫画が所蔵されている関係で、俺は、普段なら、週に三回は遊びに行っている。みずほも笑って迎えてくれるし、美中年で変人という使いづらいキャラの立ち方をしたみずほの父親ともいい関係だ。
その関係を一時的にしろ崩壊させた元凶は、おいおい分かっていただけるものと思う。
「……なんだその顔。別に知り合いなんかじゃねぇよ」
俺は首だけを回して、チェシャ猫のようにニヤニヤ笑いながらついてくるみずほを確認して答えた。
「おまえこそ、〝横瀬ちゃん〟とか呼んでるし、知り合いっぽいんじゃねぇの?」
「だって、ちっちゃくてかわいいじゃない? 割と胸も大きいし。ちびっ子で胸の大きな巫女さんて、萌えるよねー」
さて、みずほのこのセリフから、賢明なる諸兄はふたつのことを感じ取っていただきたい。
ひとつは、こいつが身長百七十センチを超えるデカ女で、胸は関東平野だってもっと起伏に富んでるぞと 思うほど平坦であるために、それらにコンプレックスを抱いていること。
もうひとつは、腐女子のアビリティを備えた女オタだということである。
なお、横瀬の胸は、俺が思うに、そんなに大きくはない。いいとこ標準だ。
みずほの大きさ基準は、身長も胸も自分を一としているので、ほとんどの女性は〝ちっちゃくて胸が大きい〟というカテゴリーに入るのである。
「巫女さん? あいつは巫女さんをやってるのか?」
みずほは小走りで俺のそばまで駆け寄ると、俺と歩調を合わせて歩き始めた。
「それはあたしの妄想。なんかそれっぽいでしょ。見た目とか、言動とか」
なるほどと納得した俺は、先ほどの横瀬とのやり取りを簡単に説明した。
「くくっ。そいつぁヘヴィだね。聞くところによると、横瀬ちゃんは本物だって話だし」
「本物? 本物ってなんだよ? おまえの妄想じゃなかったのかよ?」
「本物は本物だよ。巫女さんはやってないけど、本物なんだってさ。あんたの精神の平安のために、主語は言わないでおいたげる」
激しく癖のある極ショートヘアの頭を俺に近づけ、にひひと笑うみずほ。
こいつの髪はデッキブラシのような剛毛で、カリスマ美容師がハサミを投げたほどのクセっ毛なので、十センチ以上伸ばすと大変なことになるのだ。
「で、どっちなんだ?」
「どっちって?」
「本物のサイコさんか本物のイタコさんかで、対応を変えなきゃならん。どっちだ?」
「ああ、そういうこと」
みずほは得心がいったように数回、小刻みに頷き、そして答えた。
「ん……、まぁ、後者かな」
「そうか。安心したぜ」
「安心?」
みずほはいぶかしげに、眉間に皺を寄せた。
「ああ、本物のサイコさんなら、これ以上興味を持たれないようにするくらいしか打つ手はない。しかし、おまえの目から見ても横瀬はかわいいって言ってたよな? それは俺も同感だ。認めようじゃないか。だが、俺の理論では、かわいい女の霊能者なんて、存在しえないってことになっている」
「……なにその、キュウリじゃなければサンマ、みたいな謎理論は?」
「まぁ聞け、メディアに登場する女の霊能者は、俺が知る限り百パーセント容姿が不自由だ。ここまではいいか?」
「……まぁ、確かに、美人霊能者ってのは、創作物の世界でしか見たことないわね」
そう言ってみずほは、眉間の皺をさらに深めた。
「そうだろう? だから、男から声を掛けられることもない。そうやって孤独に過ごしている間に、誰かに声を掛けられることへの憧憬が、超えてはならない一線を越えさせ、聞こえるはずのない声を聞いてしまうような事態を引き起こすんだよ!」
俺の頭の中に、〝な、なんだってー!?〟という数人の男の声が聞こえた。気がした。
だが、世界中に発表したいほどの法則なのに、みずほの反応は冷ややかだった。
「……その、屁がみっつくらい付きそうな理屈で勝馬の気が済むんなら、あたしは別に反論はしないけどね」
「俺としちゃ、相対性理論並みに確かな理論だと思ってるんだがな」
なおも食い下がる俺。
「でもさ、もしも横瀬ちゃんがニセ霊能者なら、霊能者でもないのに憑き物だのなんだの言っている時点で、サイコさんってことになるんじゃないの?」
「…………あれ?」
「使えない理論だこと。相対性理論並みが聞いてあきれるわね」
そう言ってみずほは、実際あきれたように舌を出した。
そこまで話したとき、俺たちはゲームショップに到着した。
扉に付いた長方形のボタンに手を触れると、軽い機械音とともに扉が開き、中から涼しい空気が流れ出してきた。そんなに暑いとは思っていなかったが、こういうとき、もう夏なんだと感じる。
普段なら、店に入ると店内をぐるりと回って掘り出し物を探したり、他店と値段を比べたりするのだが、今日ばかりはレジに直行だ。
俺はアルブラの予約券と代金をカウンターに置いた。
「お客さん、今夜はお楽しみですね?」
馴染みの店員は、アルブラⅠの宿屋のセリフをもじって、ニヤリと笑うと、屈んで、足元に置かれたダンボール箱からあらかじめ紙袋に入れられていたアルブラを取り出た。
「ほらよ、中村さん!」
と言ってカウンターに置く。
こんな味な対応をされると、いやがうえにも気分は高まってくるってもんだが、まさか、すべての客にもれなくやってるんじゃなかろうな。だとしたらご苦労なことだ。
カウンター裏のダンボール箱には、紙袋がまだ大量に入っている。
予約者には、日曜日でも仕事をしている人がいるだろうから、この後、夜にかけて、そういった客が引き取りにくるのだろう。
様々な想いと、期待を抱いて。
オンラインゲームならまだしも、会ったことも、顔も見たこともない。
この先話をすることもないであろう数百万人が、ただ同じスタンドアローンのゲームをするというだけなのに、想像するだけでワクワクする。
繋がっているって気がする。
今夜は日本全国でアルブラ祭りだ。
さて、今日から数日間、みずほの家に遊びに行けない理由が、アルゴンブラストだということがそろそろ分かっていただけたと思う。
お察しのとおり、みずほもアルブラプレイヤーであり、ネタバレを防ぐためと、単に邪魔だと言う理由により、俺は、プレイ中は面会謝絶を言い渡されているのである。
本来、スタンドアローンのRPGはひとりプレイが普通だが、ああでもないこうでもないと、ワイワイ言いながらやるのは、実に楽しいモンなんだがな。
「ねんがんのアルブラⅧをてにいれたぞ!」
俺に続いてアルブラを買ったみずほが、とあるゲームのセリフをもじって叫んだ。
そのセリフは死亡フラグが立つ恐れがあるので縁起が悪い。帰りに殺されて奪い取られないように気をつけろよ。
……まぁ、こいつが簡単に殺されるようなタマなら、俺も苦労はしないんだがな。
「また来てくれよなっ!」
という店員の声を背に受けながら、みずほとともに店を出た。
「じゃ、あたしは友達の家に寄ってから帰るから。気をつけて帰んなさい」
「おまえは他人に危害を加えないように気をつけろよ?」
みずほは振り返ると、軽くあかんべえをして学校の方向に歩いていった。