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18/30

ベヘモスに挑む忘我の戦士/アルブラ発売日+5日 金曜日の放課後

「よう。いま帰りか?」

 その日の放課後、帰宅中の俺は、前を歩く横瀬を見つけて駆け寄った。どう見ても帰りなのは明白なのに、我ながら間抜けな声の掛け方だ。

「後ろから近づいてくるのが中村さんだということは、分かっていました」

「……? 足音に特徴でもあるのか?」

「いいえ。磁場とでもいますか、雰囲気のようなものに特徴があるんです。とても安らげる雰囲気が、後ろから近づいている感じがして……」

「して?」

「気持ちが……良かったです」

 そう言って、横瀬は顔を赤らめた。

 釣られて俺も顔が熱くなった。

「あぁ、それは……ありがとう」

 なんて返答だ! 俺は頭を抱えたくなった。

 でも、自覚していない部分を褒められても、反応が難しいのだよな。

「今日はなにかいいことがありそうな気がします」

 そう言って横瀬は路傍にしゃがみこむと、カバンから遁甲板取り出し、水溜まりに浮かべた。

「そんな汚い水でいいのか?」

「構いませんよ。水は水ですから」

 水質を気にしながら、遁甲板に異を唱えない俺を、不思議に感じない俺が不思議だ。

「南南東です。南南東にいいことがあると出ました」

 すくっと立ち上がった横瀬が、おそらく南南東である方向を指差した。

「南南東ねえ……」

 この街の道は東西南北に整備されているので、南南東に向かうには道をジグザグに歩かなくてはならない。

「……真っ直ぐ行くのは難しそうだけど、行ってみるか?」

「一緒に行ってくれるんですか?」

 今日は金曜日で、快晴で、気持ちのいい風も吹いている。

 こんな日に女の子に、それも、かなりかわいい女の子に水を向けられたら、どんな聖人君子だって話に乗るだろう。

 乗らなきゃ男じゃない。というか、生きてる意味がない。


 道を斜めに渡り、塀を登り、小川を飛び越え、そうして俺たちは、苦労の末〝タコ公園〟に到着した。到着したというより、あの水溜りから南南東の方角にこの公園が広がっていただけなので、単なる通過点の可能性もある。

 タコ公園というのは、広場の中央に巨大な蛸の形をした遊具があるため、便宜上そう呼ばれているだけで、たぶん正式名称ではない。

 正式名称は公園の入り口に書いてあるはずだが、わざわざ確認しても仕方がない。〝タコ公園〟で万人に通じるのに、好き好んで通じない名で呼ぶこともないからだ。

 だから当然、家が近所の俺も知らない。

 この公園が正式名称で記されているのは、役所の公文書とゼツリン社の地図くらいじゃないだろうか。

 公園の遊歩道を歩いていると、遊歩道の両側に並んでいる木立の向こうから、なにやら怒鳴り声と叫び声が聞こえてきた。

 声のするほうに向かって歩いていくと、公園の隅のゲートボール場で人だかりができている。どうやらここが騒ぎの元のようだ。

 さらに近づいていくと、そのうちの何人かがスティックを振り回していた。詳しいルールを知らない俺でも、それがオーソドックスなゲートボール風景でないことはわかる。

 恐らく、手玉を飛ばされた短気なじいさんが暴れでもしたのだろう。 

「あ、おじいちゃん!?」

 横瀬がコートを指差して叫んだ。

「え? どの人?」

 ゲートボールコートに向かって駆けだす横瀬。

 該当人物が暴れているじいさんだったら嫌だなぁ、なんと挨拶したものだろう。

 などと考えながら続く俺。

 しかし、横瀬は人だかりの横を通り過ぎ、コートのラインそばで立ち止まった。

「ここです。ここ!」

 横瀬はゲートボールコートの脇にむかって、誰かを紹介するように手を広げたが、例によって誰もいない。ああ、そういうことだったのねと、妙に納得している俺。もう大概のことでは驚かないぞ。 

「……すまん。悪いけど、俺にはぜんぜん見えない」

 横瀬は少し考え込むふうなポーズをとると、

「おじいちゃん、ちょっと我慢してね」

 と、カバンから巾着袋を取り出した。

 そして、口紐を緩めて手を入れると、灰のようなものを一握り、少なくとも俺には何も見えない空間に向かって吹きつける。

 灰が空中に留まり、少し腰の曲がった小柄な老人の姿になった。

 サーフェイサーをスプレーしたガレージキットのような、といえば分かりやすいだろうか。分かりにくかったらすまん。

「これが……この人がおじいちゃんか?」

「そう。いいことって、おじいちゃんに会えるってことだったんだね!」

 灰色の老人の顔がピクリと動いた。どうやら微笑んだようだ。

「あの、なんと言いますか、最近ちょくちょく真美さんといろいろやってます。中村勝馬といいます」

 煮え切らない感じの自己紹介をすると、老人がぺこりと頭を下げた。

 灰はおじいちゃん全体に満遍なく付着しているわけではないので、あちこち透明な部分がある。このおじいちゃんに驚かないばかりか、〝なんだかポリゴン欠けみたいだなぁ〟などとのんきに考えている自分に驚く。

 これで姿は見えるようになったが、今度は声が聞こえない俺のために、横瀬がおじいちゃん語を通訳する。いたれりつくせりだな。

「横瀬のおじいちゃんは、ゲートボールが好きだったのか?」

「はい。それにとても上手かったようです。バックスピンスパーク・エアレイド・裏という技を編み出したのは、おじいちゃんだそうです」

「なんだそれ。名前でぜんぜん想像できん。ゲートボール界では有名な技なのか?」

「私にも分かりません。その技のせいで寿命が縮んだと言っているだけで……」

 ますます想像できん。

 裏があれば表もあるんだろうが、あえて知りたいとも思わない。

「話は後にして、とりあえず、あの人たちを止めて来いって言ってます。放っておくと、こっちに来ちゃうからって」

 あの人たちとは、もちろんケンカしている老人たちのことであり、こっちとは、もちろんあの世のことである。

 あまり知られていないことだが、ゲートボールは、傍で見て思うほどほのぼのとしたスポーツではない。勝敗を巡ってケンカになることは日常茶飯事と言われている。

 一見、ゴルフの簡単版のようにも見えるが、さにあらず。

 ゴルフにない〝スパーク〟というルールが、このスポーツのキモであると同時に、プレイヤー間の人間関係を破壊する元凶なのである。

 スパークとは、自分のボールを他のプレイヤーのボールに当てたとき、同じチームなら有利な位置に、相手チームなら不利な場所に弾いてゲームを有利に進めることができるというルールである。

 勝負というのは、自チームが有利になったら相対的に相手チームが不利になるものである。しかし、俺の貧しいスポーツ知識のなかで、意図的に相手チームを不利な状況に導くようなルールを採用し、相手チームの邪魔をすることが主目的になっているスポーツなど、ゲートボール以外に知らない。

 考えてもみろ、サッカーのオフサイドトラップが常態化したらどうなるか。

 野球のインフィールドフライルールがなければ何が起こるか。

 そんな陰険で危険なスポーツの主たるプレイヤーが、血圧が高くなり、脳の血管が脆くなった老人たちなのである。これを流行させた人物には、なにか別の意図があったのではないかと、下衆のナントカと言われようが勘ぐらざるを得ない。

 現に、今ここでも、血気盛んな老人たちがハイカーボン製のスティックを振り回している。鬼に金棒、ナントカに刃物、老人にゲートボールスティックってヤツだ。

 聞くところによると、俺の前の前の前の席の大峰の祖父は、ゲートボール場に乱入してきた体重百二十キロのイノシシとひとりで戦い、遂にはそれを討ち滅ぼし、牡丹鍋にして老人会で食べたらしい。

 その姿はあたかも、いと大きい者ベヘモスに挑む忘我の戦士ベルセルクルのようであったと、……俺が勝手に妄想しているだけなんだが、とにかく、それほどまでに老人プラスゲートボールスティックというのは危険な組み合わせだということだ。

 俺は、〝スティックって言うけど、あれはハンマーだろ?〟とか、〝あんなの止めに行ったら、代わりに俺があっちに行っちゃうぞ?〟などという穏やかならぬ心中の叫びを視線に載せて光通信で横瀬に送ったのだが、どうやら彼女にはデコーダーが内蔵されていないらしく、小首を傾げてにっこり笑っただけだった。

 視線を灰色のおじいちゃんに移すと、灰色のおじいちゃんは微動だにせず、悲しそうな顔で俺を見ている。

 見ている。

 じっと見ている。

 その灰色の視線に耐えられなくなった俺は、カバンを投げ捨てると、ままよとばかりに渦巻く砂塵の中に飛び込んだ。

 

 三回以上は殴られた気がするが、なんとか騒ぎは収まり、奇跡的にケガ人はひとりだけで済んだ。

 もちろん俺だ。

「大丈夫ですか?! 中村さん!」

 足を引きずりながら帰って来た俺に、横瀬が駆け寄ってきた。

「まぁ、あっちに行かない程度には」

「よかった」

 そう言いながら横瀬は、カバンから大き目の救急絆創膏を取り出した。便利なカバンだな、なんでも出てくる。

「おじいちゃんが、いい若者だなって言ってます」

「そうか?」

「いい素質を持っているそうです!」

「……………………は?」

 高校三年の夏という微妙な時期である。

 〝将来大成する素質がある〟などと言ってもらえると非常にありがたいのだが、この場合、間違ってもそんな素質ではないだろう。

「……何となく分かる気はするんだけど、一応聞かせて貰えるか。何の素質だ?」

「霊能者の素質です!」

「やっぱりかー!」

「凄いです! 分かってたんですか?! 私もこの前の除霊のときから、そんな気がしていたんです!」

 〝誰でも分かるわ!〟と思ったが、口には出さなかった。灰色のおじいちゃんがニヤリと笑った。気がした。 


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