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17/30

実の妹でもOKになったと聞いた/アルブラ発売日+5日 金曜日の朝

 部屋のドアが開く音で目を覚ますと、もう朝だった。

 目の前を、波型の布が上下に走っている。

 一瞬、自分の目の前にあるのがなにか分からなかったが、すぐにカーテンの下端だということに気付いた。

 カーテンがこんな角度で見えるということは、ここは窓際だ。

 どうやら、ベッドから落ちて窓際まで転がってしまったらしい。寝相はいいつもりだったのだが、ベッドから落ちたときに打ち所が悪かったのか、胸がきりきり痛む。

 起き上がって辺りを見回すと、テレビが変な感じで床に転がり、周囲に秘蔵コレクションが散乱しているあたり、すでに寝相がいいとか悪いとかいう次元を超越した出来事が起こっている気がするが、どうも思い出せない。

 なにか、二回続けて恐ろしい目に遭ったような気がするのだが。

 緩慢な動作でコレクションを回収していると、再び部屋の入り口あたりで物音がした。

 振り返ると、ドアの隙間から顔を出した海羽が、眉間にしわを寄せ、いぶかしげに俺を眺めていた。

「……プレイ?」

「いや、そうじゃなくてな、これには……」

 わけが、と言いかけて、自分でもどういったわけでこうなっているのか分かっていないことを思い出し、俺は言いよどんだ。言い訳のしにくい状況であるうえに、自分でも何が起こったのかわからないのだから如何ともしがたい。

 床に散乱した秘蔵コレクションの上で大の字になっているところを妹に見られたとなると、これはもう、一生モノの重い十字架を背負うことになるだろう。

 大いに泣いてくれ,全米。

 暗い未来図に、また胸が痛んだ。

 無口なことで知られる海羽が、この件に関してのみ饒舌になるとは考えにくいが、寡黙であると同時に海羽は変わり者だ。安心はできぬ。

 総合的に鑑みて、俺は答えた。

「プレイだ!」

「……ここにこんなにかわいい妹がいるというのに、なぜこのような猥褻図画にうつつを抜かすのやら……」

 猥褻図画て……。

「妹相手にうつつを抜かすよりマシだろ」

「最近、実の妹でもOKになったと聞いた」

「そんな話は初耳だ。一体誰に聞いたんだ? ……聞かなくても分かる気はするが」

 海羽の手がすっと持ち上がって、窓の外を指差し、家族以外にはめったに開かれることのない口から、

「みずほ」

 と、予想通りの名前がまろび出てきた。

 あのヤロウ、ただでさえ扱いの難しい海羽に、あまり余計なことを吹き込まないでもらいたいもんだ。

「……たぶん、それはエロゲーの話だ。あいつの言うことをまともに聞くとは、おまえらしくないな」

「ふふふ、照れずともよいのだぞ、兄者。イザナギ、イザナミの昔より、妹に萌えるのは日本男児としてあらまほしき姿ぞ。存分に萌えるがよい」

 言いながら、こげ茶色のスカートをヒラヒラさせる。

 こいつはどこまで本気なんだ?

 ……まぁ、どこまでだろうが対象外ってことには変わりないんだが。

「ははは、その場合の妹とは年下の婦女子全般を指すのであり、今で言う妹とは違う。残念だったな」

「では、どうして名前が似ているのか。四文字のうち三文字が同じ。そこまで似ていればセットで命名されたと考えるのが適当ではないのか?」

 また妙なことを言い出したな。

 確かに実の兄妹、それも双子のようなネーミングだが、〝まんが日本の歴史〟で得たような、薄っぺらい知識しか持ち合わせていない俺を、これ以上攻めてくれるな。

「では、小野妹子はどうして男なのか?」

「次々と面倒なことを言うな!」

 とは言え、確かに不思議な話だ。

 どうして〝妹子〟なんだ? 

 その当時なら〝子〟は男女問わず、むしろ男の名前に多く使われていた文字だからまだいい。しかし、〝妹〟は、現在の意味と違うとは言え、女偏がついてるくらいだから、当時から女を指す言葉であったことは間違いないだろう。

 なのに、なぜ敢えて男の名前に妹の字を使ったんだろう?

 もしかして元祖命名権の濫用か?

 子供のころ苛められたんじゃないのか小野妹子。平安時代の役所は産後ハイの親に忠告してくれなかったのか小野妹子。かわいそうだぞ小野妹子。

「兄者、妹をネタに妄想に浸るのは結構だが、早く朝ご飯を食べないと遅刻するぞ」

 そう言って海羽はきびすを返した。

 二階に上げられて梯子を外された俺は、どこかの血管がみぢっと音をたてるのを聞いた。


 自席について教室内を見回したとき、みずほはまだ登校していなかったが、二列離れた席の宇山が、俺のほうを向いていることに気付いた。

 眉をハの字にして、なにか言いたげな顔をしている。

 なんだその顔?

 しばし見詰め合う。

 なんだか分からなかったので首をかしげると、宇山は矢庭に立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。ほんとにもう、なにがなんだかだ。

 そのうちみずほも登校してきたが、妙によそよそしい。なにか企んでいるのか?

「大丈夫だった?」

「ああ、ゲームならほとんど進んでねーぞ」

 なぜか覚えていないが、多分。

「そうじゃなくて。……身体とか、どっこも痛くない?」

「ちょっと胸がズキズキするな。どうもベッドから落ちたみたいなんだ」

「……あ、ああ、ベッドから? そう、ベッドから! あはは。ベッドからね。気をつけなさいよ~、大事な時期なんだから~」

「……なんか知らんが、今日はえらく優しいな」

 極悪人が死ぬ前にいいヤツになるみたいなモンとか? 

 あり得んな。中年になった西浦が想像できないのと同じくらい、こいつが死ぬところも想像できない。おおかた、悪いものでも食ったんだろう。 

「それはそうと、今度デートしてみよっか?」

「なにをいきなり」

 とは言ったものの、デートとは。なんと心躍る響きだろう。

 多くの青少年にとって未知の領域のそれは、話に聞いたことはあっても経験したものはごくわずかである。

 多くの場合は〝友達の友達が〟などという接頭語をつけて語られるほどで、ほぼ都市伝説扱いされている。初めて経験したときには、思わず〝すごいや、ほんとにデートはあったんだ!〟などと叫んでしまうのだ。

 ……というのは言い過ぎかも知れないが、特に女の子とふたりでオゼニーランドなど、男子高校生の本懐と言っても差し支えあるまい。

だがしかし。

「断る。おまえとデートっていったら、本屋、画材屋、ジャンク屋くらいだろ。そんなところへ行っても、俺は楽しくない」

 俺はすでにみずほや海羽とデートぽいことをしたことはあるが、はたしてあれを、デートと呼んでいいものかどうか。

 断じて否である。デートとはもっと甘美なものであらねばならぬ。

 みずほとデートしたところで、男子高校生の希求である色っぽい出来事など、起こるべくもない。海羽とでは起こるほうがおかしい。

 とにかく、このふたり相手では男子の本懐は遂げられぬ。

「あァら、ご挨拶ねェ。別に相手が……」

 目の前のメスゴリラが無理やり搾り出した、洋画のセクシー美女を真似たような言葉をさえぎって、俺は続けた。

「本屋に行ったら〝穂積文庫〟に入れるための大量の漫画を買って、当然のごとく俺が持たされた。俺も穂積文庫には週三くらいのペースでお世話になっているから、これはまだいい。許容範囲だ。しかしな、画材屋でトルソーと筋肉のつき方を比べるから上半身裸になれとか言い出すんじゃない。ICとマクソンとディレーターそれぞれの特色とか、9Hの鉛筆の使いみちとか、コンテパステルを水で溶いて使ってるヤツがいて驚いた話とか聞かされても意味が分からなくて困るんだよ。それから、ジャンク屋でなんか変なものを手にとって、〝これをパソコンにセットすれば性能が数倍にアップする〟とか言っていたから、〝ほう、そうなのか〟と答えたところおまえはそれがお気に召さなかったようで、〝ネタにマジレスカッコ悪い。そこは「みずほさん、こんな古いものを……。酸素欠乏症になって……」と返さなきゃダメでしょ、プゲラッチョ〟とか言いやがっただろ。わかんねぇ。パソコン持ってない俺にはわかんねぇんだよ、おまえが手に取ったそれが古いものなのかどうかなんてよ。あと、プゲラッチョってなんだ。ラップか?」

 と、長セリフを一気にしゃべっている間に、俺は妙なことに気づいた。

 十秒くらいかけて写真の一部がゆっくり変化していって、さてどこが変わったでしょうっていう間違い探しみたいな脳トレがあるが、どんなものかお分かりいただけるだろうか。

 ちょうどあんな感じで、俺の視界の隅に映っていた宇山の顔が、ゆっくりと、どんどん赤くなって行ったのだ。

 リプレイはできないし、ややみずほの方を向いているから表情は分からないが、その頬は、最初に比べて確かに赤くなっていた。

「だから相手は……」

 と、みずほが何事か言いかけた。

 宇山の赤い頬を注視していた俺は、反射的にみずほの顔に視線を移す。俺と目が合ったみずほが、一瞬宇山を見遣り、視線を俺のほうに戻した。

 その顔が、なにかとんでもないものを見てしまったかのように、〝ぎくり〟とした形で固まる。みずほは、ゆっくりと、表情を確認するように、宇山の顔を二度見した。

 今度は気づかなかったが、いつの間にか宇山は完全にみずほの方を向いていた。

 俺に背を向けた宇山の、サラサラの髪から左右に突き出した耳朶が異常に赤い。よく見ると、なにやら小刻みに首を左右に振っている。

 みずほもまた、宇山の顔に視線を向けたまま、どんどん、情けないような、腹立たしいような、とにかく変な顔になっていく。

 いったいなにが起こっているんだ?

「起立!」

 前に回り込んで宇山の顔を見るべく、立ち上がろうとしたとき、西浦の声が響いた。


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