しわよせのくつ/アルブラ発売日+4日 木曜日の自宅
家に帰り、みずほに借りたソフトをケースから取り出すと、ディスクには黒の油性ペンで〝みずほ〟と書いてあった。
しばし固まる。
「……ちっ、何食わぬ顔でヤバい方を返してやろうと思っていたが、読まれていたようだな。悪知恵だけは働きやがる」
むしろ、悪知恵を働かせていたのは俺のほうなのだが。
「ディスクに名前を書くとは、小学生か。しかも平仮名で……」
ぶつぶつ言いながら元々入っていた俺のディスクを取り出し、〝みずほ〟と書かれたものと交換する。ちなみに、みずほの名前は戸籍上も平仮名表記なので、これは単なる言いがかりである。ああ、言いがかりだとも。悪いか。
パワスタ2のスイッチを入れると、異変はあからさまに起こっていた。
以前説明したとおり、俺は一時間ごとにセーブする主義であり、アルブラⅧに関しても宗旨替えはしていない。
アルブラを開始してから今日で五日目だから、十時間以上プレイしていることは確実である。となると当然、セーブデータは上限の十個あったはずだ。
しかし、メモリーカードの中に残っていたデータは一個だけで、いちばん進んだデータだけしか残っていなかった。
つまり、異変はソフトではなく、セーブデータのほうに起こっていたというわけだ。いや、ソフトで起こった異変が、データにセーブされたのか?
とにかく、データにも影響があると考えてしかるべきだったのに、そこに思い至らなかったのは不明としか言いようがない。
仕方なくそれをロードすると、パーティはなぜか、みずほが〝みっつ先の街〟と言っていたファナにいた。移動の呪文〝マルーロ〟を使おうとしたが、ミドランドとファナの間にあるはずの街だか村だかが表示されない。
つまり、かつま一行は、ミドランドから直接ここに来てしまったということだ。
そんなことがあり得るのか?
さらに、とんでもないことに所持金のウインドウには9が八個並んでいた。
つまり、九千九百九十九万九千九百九十九カッパー。レベル99はたまにやるが、所持金のカンストなんて、裏技以外じゃ見たことがない。
かすみはというと、兜、鎧、盾、剣と、天使シリーズをすべて身にまとっており、すでに最終決戦のいでたちである。
一方、ピアチェの装備はすべて呪われたものになって、ご丁寧にも〝しわよせのくつ〟という運のよさがゼロになってしまうアイテム、〝ひつじのくび〟という敵の攻撃を受けやすくなるアイテム、〝どくましそう〟という毒に弱くなるアイテムまで持っていた。ちなみにガラムは完全にスルーされていたようで、変化なしだった。
ひつじのくびは、本来は呪われたアイテムなので、入手次第売り払ってしまうか、道具袋に放り込んでしまうのが普通である。
だが、防御力の高いキャラに持たせて、弱いキャラの盾になってもらうために使用することもできる。しかし、どちらにしろパーティの最後尾が定位置である魔法使いに持たせるなんてあり得ない。
一瞬、海羽が俺のいない間にゲームを進めたのかとも思ったが、海羽がRPGをやっているところなんか見たことがない。それに、最初に異変が起こった日、俺が食事をするために階下に下りて、再び二階に上がるまで、海羽はずっと一階に居た。
そもそも、ここまでの間に売っていないアイテムをどうして持っているのか。
売ってないものを買うなんてことは、普通の人間には不可能だ。
まるで、アルブラがおかしくなったことに俺が気付いて、色々善後策を練っていることを知って、開き直ったみたいじゃないか。
だから、やり直しができないように、古いデータを全部消したんじゃないか?
知った?
開き直った?
誰が?
しかも、このピアチェの扱いの酷さときたらどうだ。
俺がピアチェを優遇したから、嫉妬でもしているみたいじゃないか。
嫉妬した?
かすみが?
バカバカしい。
そう思いながらも、思い切れない。
普通なら、こんな気持ちの悪いゲームは即刻売りに行くところだが、今の俺は一味違っていた。ほんの一時間前の高揚感がまだ残っていたため、世界一有名な配管工が星を食ったときのような、かりそめの無敵状態だったのだ。
天使シリーズすべてを身にまとい、すでに生ける最終決戦兵器と化しているかすみに、
「おまえが持ってろ」
と因果を含めて〝ひつじのくび〟を渡し、何の役にも立たない〝しわよせのくつ〟〝どくましそう〟は投げ捨てた。売ったところで二束三文だし、そもそもカッパーはカンスト状態なので、売ってもまったく意味はない。
続いて、かわいそうなピアチェが全身にまとっているその他の呪われた装備を外そうとしたが、呪われているので外せない。
しかし、幸いカッパーは錆びるほど持っていたので、教会に行けば簡単に取り払ってもらえた。地獄の沙汰も金次第とは、よく言ったものだなぁ。
素っ裸になったピアチェを連れて武器屋と防具屋をハシゴし、残りの金で最高の装備を買い与えても、所持金は上二ケタの数字が変わらない。
カッパーでカジノのコインを買って、スロットマシンで増やすこともせずにそのままレア物の武具と交換するなどというお大尽をしたというのに、やはり上一ケタの数字が変わらない。なんなんだこの金額。
ゲームは桁外れのカッパーのせいで完全にバランスが狂い、俺はお金があればすべて解決できるということを覚えた。
結局世の中金だ。大人になんかなりたくねぇもんだ。
かつまとガラムにも最高の装備を買い揃え、意気揚々と街の外に飛び出したところ、ひつじのくびの霊験あらたかで、ほとんどの攻撃が先頭のかすみに集中するため、他のメンバーはほぼ無傷である。
かすみはかすみで、天使の兜のおかげで毒や麻痺といった状態異常になりにくくなり、天使の盾のおかげで回避率が上がっているためほとんどダメージを受けない。
たまさかひとケタ台のダメージを受けても、天使の鎧が持つHP回復能力により、すぐに回復してしまう。
まだ中盤だというのに、通常なら終盤でないと手に入らない武具を装備しているのだから当然だが、モンスターどもも攻撃の甲斐がないことだろう。
さらに、俺のパーティは先日ミドガルドにいたときと同じレベルのまま、みっつ先のファナまで来てしまっている。本来なら全滅してもおかしくないくらい、敵モンスターとのレベル差があるのだが、天使の装備やレア武具のおかげで互角以上の戦いが行えている。そのせいでレベルが面白いように上がる。
俺は、このあたりでも十分戦えることが分かったので、街の人から話を聞こうと考え、街に引き返すことにした。
しかし、もう二、三歩で街に入るというところで、画面が暗転し、勇ましい曲が流れ始めた。モンスターが現れたのだ。
もう少しで安全地帯だったのにと忌々しく思いつつ、コントローラーを握りなおしたとき、俺はついに、先日来の違和感の正体に気付いてしまったのだ。
敵に遭遇したり、町に入ったりしたとき、ほんの一瞬、画面が暗転する。
そのとき、暗いところから明るいところの様子はよく分かるが、逆に、明るいところから暗いところは見えなくなるという、要するにマジックミラーと同じ原理で、テレビ画面は鏡のようになる。
クリスマスの夜にギャルゲーをやっていて、ローディングの暗転中に朧げに部屋の様子が映り込み、こんな日に無聊を託っている自分の姿に、むなしさを覚えてコントローラーを投げるってこともよくある話である。
やっぱりゲームをするのは表面がすりガラスみたいになった、映りこみの少ない液晶画面が精神衛生上適当であると思い知る瞬間なわけだが、先に述べたように、俺のテレビはテレビデオで、テカテカのブラウン管だから部屋の様子がよく映る。
落ち着いて聞いてほしい。
いや、さっきから訳の分からないことを言って気を紛らわせようとしているのは俺のほうで、落ち着かなくてはならないのも俺なのだ。
総毛立つとはこういうことを言うのだろう。
俺は、暗転したテレビ画面の中で、俺の周りでふわふわと、白い塊のようなものが浮遊しているのに気づいてしまったのだ。
座っていなければ、腰が抜けてしまったに違いない。
気のせいかと思っていた、というか思いたかったわけだが、決して気のせいなどではなかった。なぜなら、画面が暗転するたびにその白いなにかは、居場所を変えているのだ。
あるときは俺の頭の上に、あるときは窓際に、またあるときは俺のベッドの上に。
その、退屈で堪らなくなった猫のような動きから、白いそれはなにかしらの意思を持っていることは明白である。よって、白いなにかではなく、白い何者かと呼ぶべきだろう。
しかも、白い何者かが俺のひざの辺りに映っているときに、白い何者かに気付かれないように、視線をひざの辺りに移してみたが、白い何者かの姿は見えなかった。
つまり、白い何者かは画面にしか映らない。つまり、画面の反射を通してでないと位置を把握できないということなのだ。
直接には見えないが、反射させると見える。
そんなもの、どう考えてもマトモな存在ではありえない。
恐ろしくなった俺は、コントローラーを投げ捨てたくなった。
なにしろ、フィールド上をウロウロして敵に遭うたびにその白い何者かが画面に映り、その度に居場所を変え、気のせいではないことを主張するのだ。
やればやるほど怖くなるような作業を、なんでわざわざ続けなくてはならんのか。
しかし、ここでコントローラーを投げ捨ててしまうと、俺がその白い何者かに気付いたことを白い何者かに気付かれてしまうだろう。
そのときその白い何者かが、おとなしく消えてくれるとは限らないのだ。
〝女騎士かすみが怪しい〟と気付いただけであの有様だ。
その異変の本体。確証はないが、俺の周りでフワフワしている〝これ〟。
恐らくこれが異変の元凶だろう。俺がこいつに気付いていることを気付かれたら、こいつはなにをしでかすか分かったものではない。さっきは消えたのがデータだけで済んだが、今度は俺の命が消えることだってありえる。
まさに、“コントローラーを捨てるなんてとんでもない!”
……という状況なのである。
その後俺は、白い何者かに気付いたことを白い何者かに気付かれないよう、コントローラーを離すことができないまま機械のようにゲームを続けた。
MPが底を尽きでもすれば、これ幸いにと宿屋に泊まり、その流れで教会に行って、ごく自然にセーブして電源を切ることができるのだが、生憎、かつまたちは強すぎるのだ。
ぜんぜんHPが減らない。
だから当然MPも減らない。
こんな状態で止めようものなら、絶対に怪しまれる。
気付いていることに気付かれてしまう。
それは身の安全のために避けねばならない。
そんなわけで、そのまま戦い続けること四時間、俺はレベルアップのファンファーレを四人分かける五回で、都合二十回ほど聞き、ゲームバランスはさらに大きく狂っていた。
そのうち、白い何者かに変化が現れた。
あぐらをかいた俺の膝の上で、猫のように丸くうずくまったまま動かなくなったのだ。
いい加減この状況に疲れていた俺の頭の中に、
〝思い切って行動を起こしますか? はい/いいえ〟
という選択肢が表示された。
この選択には命がかかっている。
悪いほうに転ぶくらいなら、現状を維持するべきだろうが、かつまたちがずっと戦い続けられたとしても、俺はずっとゲームを続けるわけにはいかない。
学校もあるし、だいいち眠い。
意を決した俺は、そいつがもっとよく見えるように、テレビをそっと消した。
白い何者かは動かない。
見られていることに気付いていないのだろうか。
白い何者かは、生き物に例えるなら、まるで〝質量がなく、直接目に見えない猫〟だ。
〝まるで〟などと言っておきながらちっとも具体的な例えになっていないのだが、それ以外になんに例えればよいのか。
「……おまえ、なんなんだ……?」
画面で位置を確認しながら手を持っていくと、膝の辺りには生温かい空気がわだかまっていた。
「わっ?」
俺が驚いて手を引っ込めると、白い何者かも慌てて俺の膝から離れ、テレビの画面に映らないところに飛んでいった。
白い何者かも驚いている。
俺はなんとなく、それをかわいいと思った。
〝悪い奴じゃない〟と分かればこっちのもので、……いや、実際はそんな気がしただけで根拠はまったくないのだが、ヤツが隠れたということは、一方的にこちらの立場が弱い訳じゃないってことじゃないか?
とにかく俺は、今まで脅かされていた仇を討つかのように、次第に調子に乗ってきた。必ずヤツの正体を突き止めてやるという、マイセルフな使命感に燃えた。
居場所を探るべく、いろんな角度でテレビの画面を覗き込んだが、そいつの姿は映らない。直接は見えないものの、テレビ画面に映るのなら鏡にも映るのかもしれないが、その保証もないし、そもそもこの部屋に鏡などない。
横瀬じゃないが、俺だってそんなに自分の容姿に興味があるわけではないのだ。
業を煮やした俺は、テレビのコードを引き抜いて、テレビを抱えて部屋の中をあちこち捜すことにした。
しかしその前にやっておくことがひとつある。
この部屋はみずほの部屋と向き合っているため、テレビを抱えて徘徊している姿なんて見られた日には、ヤツはネイティヴアメリカンもびっくりなネーミングセンスを発揮し、俺は〝テレビを抱えて彷徨う男〟などというストレートかつプリミティブな名前を賜ることになるだろう。
下手すると、妙な脚色を施されて、漫画デビューしてしまうかもしれない。
なにしろ、向こうには漫画の神様が憑いているのだ。
素早くカーテンを開けて隣を確認すると、みずほは部屋にいるようだが、カーテンは閉まっており、例によってエアコンの室外機がうなりをあげていた。穂積家は全館冷暖房なので、室外機も桁外れに大きいのだ。
さらに、窓はペアガラスがはまっているから、少々騒いでも聞かれる気遣いはない。
俺は安心(?)してテレビを抱え、白い何者か探しを続行することにした。




