あの有名な白いライオンだ/アルブラ発売日+3日 水曜日の朝
例によって俺は、みずほの席周辺にいた。
「んー、昨日は新しい街にたどり着いたところでダウンしちゃったんだよね。街の名前は、確か……ファナだったと思う」
俺の理論でいくと、それはとてもいい終わらせ方だ。
「俺、そこまだ行ってない。ミドガルドって、お城のある国」
「ああ、昨日あたしがいた,みっつくらい前の国ね」
いくら俺がレベル上げやってたからって,昨夜は俺より早く寝たくせに、どうして差が開いてるんだろう?
「でも,結構進んだじゃない。じゃ、もうあたしが言った〝いいこと〟ってのがなにかは分かったわけだ」
「ああ、女騎士かすみのことだろ。あれで一気にパーティが強くなったよな」
「そうそう、あざといくらいにね。いいこと教えたげる、この後ね……」
「またかよ」
制しようとした俺の手を素早く避けたみずほは、ニヤリと笑って続きを言いかけ、その顔が固まった。
「……どうした?」
「かすみって言った? ミドガルドで仲間になんのは……えと、だれだったけな。少なくとも〝かすみ〟なんて和風の名前じゃなかったよ?」
「かすみだったって」
と反駁しながらも、なにかひっかかる。
「違う違う。常識的に考えてみ? ガルドだよ、ガルド。どう見ても北欧風じゃないのさ? そこにかすみなんて、ありえないでしょ?」
「人によって違うんじゃないか? ほら、Ⅱにあったみたいな、主人公の名前によって他のキャラクターの名前が変わるっていうヤツ。あれにも“マリコ”とか “カクサン”っていう、和風な名前が入ってただろ?」
アルブラシリーズはリメイクを繰り返しているため、旧作でも現行機で遊べるものが多い。俺がプレイしたⅡも、当然スープラ・ファーコン、通称スーファに移植されたリメイク版だ。
「違うって。ちゃんと取説に〝女騎士ナントカ〟って書いてあったでしょ。そういうシステムなら、〝四人目の仲間〟とか書くはずだから、名前まで書くはずないわよ」
確かにみずほの言う通りだ。
こうなると、二宮金次郎作戦を採らなかったことが悔やまれる。
「取説なんて読んでねーよ。アルブラは取説読まなくても……」
「あー、なんだったかな。思い出せないっ。イライラする! ちなみに二人目と三人目の名前を言ってみ?」
「ピアチェとガラ……」
俺がそこまで言ったとき、みずほは、おかしな呪文を詠唱し始めていた。
「あああいあうあえあおあかあきあくあけあこあさあしあすあせあそ」
振り逃げかよ。
「……ああ、なるほどね。偶然でもなんでも、とりあえず頭の二文字を口にしたら、芋づる式に思い出すってのは、よくある話だからな」
誰かこの現象に名前をつけてくれないか“頭の二文字を口にしたら芋づる式に思い出す現象”では学会で発表しにくいからな。
「いかいきいくいけいこいさいしいすいせいそいたいちいついていと」
しかし、いつまでやるつもりなのか。……思い出すまでだろうなぁ。
「……ところでおまえ、すごく漫画描きたい気分になったりしてねぇ?」
「いらいりいるいれいろなんで分かった? 昨日の夜、急に漫画が描きたくなっちゃってさ!」
ブオンという音がしそうな勢いで顔を俺に向け、みずほは言った。横瀬の説得どおり、漫画の神様はみずほに憑いているようだ。
「ねぇ、なんで?」
「ああ、いや、簡単な推理だよみずほ君。アルブラ始めて三日目だし、そろそろ漫画の虫が騒ぎ始めてるんじゃないかと思ってね」
「そうそう、あんたの漫画描きたい病が伝染っちゃったのかもね。昨日はずっと漫画描いてたよ。なんか急に変わった絵が描けるようになっちゃってさ」
そう言ってみずほは、さらさらとライオンの絵を描き始めた。そう、漫画の神様作の、あの有名な白いライオンだ。
「ほら、なんて言ったっけ、このライオン。ああ、ライオンキン……」
「それは違う!」
ていうか、横瀬はともかくとして、おまえまで間違えるなよ! 推薦者の俺の立場がないだろうが!
「……違うって、なにが?」
「いいから、あんまり失礼なことを言うな!」
「失礼って、誰にさ?」
俺の頭皮から粘度の高い嫌な汗がどっと流れ始めた。なんかもう、どんどん墓穴を掘っている感じがする。
「そそそそれよりおまえ、ゆうべは漫画描いてたんだろ? アルブラはどうやって進めたんだ?」
「え……?」
みずほの動きが止まった。苦し紛れの話題変更に、思わぬ手ごたえ。
「……いやー、まぁ、ながらで?」
「なんで疑問形なんだ?」
面白い。これは形勢逆転のきっかけになるかも知れんな。
「ゆうべはおまえの部屋の明かり、俺が寝るころにはもう消えていたぞ?」
「……省エネだから、明かりは消してたのよ!」
明らかに怪しい答弁。無意識に置いたぷにょが偶然大連鎖を引き起こしたような感じだ。なにを隠しているのか知らんが、これで詰みだろう。
「ほほう、おまえは明かりを消して漫画が描けるのか?」
返答はなかった。腹に強烈な掌打を受けたところまでは覚えているが、その先の記憶がない。どうやらみずほの得意とする白虎双掌を食らったようだが、そこで俺の意識は飛んでしまった。
「そうだ! サマディだ!」
その叫びによって俺が意識を取り戻したとき、最初に見たのは板書している古文の渡辺の背中だった。
今日の古文は……、ええ? 三時間目? 二時間も寝てたのか俺?
反射的にみずほの方を向くと、ヤツは両手を握り締めて立ち上がっていた。
釣られて俺も立ち上がる。
「そうだよ! サマディだったんだ!」
俺たちは互いを指差した。
続いてその指を定年退職寸前の老教師の背中に向け、おもむろに振り返ろうとしている状況を確認すると、その視界に入る前に着席した。
このパフォーマンスじみた行動に対し、周囲からは失笑が漏れた。
いつもなら照れ笑いくらいは返し、〝まだやってたのかよ!〟と突っ込むところだが、今はそれどころじゃない。
俺はすべてを思い出した。
なんで忘れていたのか、なんで変わってしまったのか分からないが、仲間にしたときは確かにサマディだった。それが、晩飯から帰ったらかすみになっていたんだ。
「……はぁ?」
休み時間、事情を説明した俺に返したみずほの返答がこれだった。
「なによそれ。バグ? 呪い? S.オニータイマー?」
「分からん」
分かるはずがない。
聞くところによると、製品化前に削られたイベントがあった場合、そこを削除するとプログラム全体が狂う恐れがあるから、リンクだけ切って、データはそのまま残しておくってことがあるらしい。
よく、プログラムコードは番地に例えられるが、削られたイベントは、例えるなら出入り口のない家のようなものだ。
そこには誰も入らず誰も出てこないのなら、そんな家は無いも同然だからだ。
その家の壁が崩れ、中から幽閉された〝かすみ〟が迷い出てきたってのか?
昔読んだ〝黒猫〟とかいう小説の、壁の中から死体が出てくるシーンが思い浮かんだ。
「気持ち悪いわね」
「気持ち悪いんだよ」
横瀬が言った〝憑かれやすい体質〟という言葉が、ちらりと頭をよぎった。
「単刀直入に言うぞ。おまえのソフトと替えてくれ。おまえそういうの好きだろ? データはメモリーカードに入ってるし、問題ないんじゃないか? でなきゃ俺が漫画に描く」
媒体がロムカセットだったら、そうはいかないところだ。
「ぜんぜん脅しになってないじゃない。あんたが描きたいって言うんなら、あたしは止めないけど」
ニヤリと笑って後を続けるみずほ。
「……でも、そうだわね。漫画のネタに使えるかも」
「そうだろうそうだろう。良かったら二、三本コンテ切ってやろうか?」
漫画の神様はもう抜けてしまったが、才能の残滓くらいは置いていってくれているかもしれない。なんといっても、俺はもう必死なのだ。
「だが断る。そこそこ怖い話は好きだけど、マジにヤバそうなのはお断りだ」
きっぱり言い、俺の目の前に手のひらを広げた。