未来へ
スッと立ち上がった哲也の気配に、大地はしょんぼりと顔を上げた。
画面の上条に今にも殴りかかりそうな哲也に、大地は小さくため息をつく。引き際は出て行った直樹の方が、マシだったようだ。
「……仕方ないんすよ」
「…………」
「俺らは、それだけのことをしたん……」
「ふざけるな! 仕方ない? お前らが俺を巻き込んだんだろうが!! 俺はお前らとは違う! 絢子は……! 絢子は……!」
激昂した哲也に胸倉を掴まれ、顔を歪めながら大地は反論した。
「最終的にどうするかを決めたのは哲也さんでしょ。直樹さんも俺も強制なんてしてないですよ。人のせいにして言い訳してたら、なんとかなると思ってるんすか? いい加減にしてくださいよ……」
「黙れ! お前らみたいなゴミクズと一緒にするな! あいつだって……ニヤつきながら絢子にブーケを渡した、あの男だってお前らと同じに決まってる! 俺はもう同じミスは絶対に犯さない! 絢子にはわかってる! あいつは完璧だから!」
「……本気ですか!? なんで捨てられたのか理解できてるんすか? いいから離してくださいよ!!」
胸倉を掴む哲也の手を思いっきり振り解き、大地はかつては憧れだった先輩を睨みつけた。
「浮気をしたから捨てられたなんて思ってますか? 違いますからね? 俺らは浮気をするような人間だったから、見切りをつけられたんです! ヘラヘラ笑って裏切って、顧みることもしない頭の悪さを軽蔑された。その上みっともなく縋り付いて呆れられたんです!」
理由がなんであれ最終的に選んだのは、妻を傷つけないことではなく「自分」で「保身」だった。だから捨てられた。いらなくなった。それを本当に哲也は理解できていないのだろうか。
「人のせいなら許してもらえると? しでかしたことが無かったことに? ならないんですよ! やらかしを直視してそれを恥じて、見切られた過去の自分とは違うってわかってもらえなきゃ、永遠に復縁なんてあり得ないんですよ! ゼロどころかマイナスなんです! 嫌われてるんです!」
「俺とお前とは違う!」
「どう違うってんですか! 人のせいにしてる時間なんてないことすらわかんないから、いまだに軽蔑されたままなんですよ!」
「子供までいて捨てられるような奴が、知ったようなことを言うな!」
「哲也さんだって子供いても間違いなく捨てられてましたよ! 教育にもよくないっすもん。自分が楽するために人を踏み台にして、浮気までして操る奴なんて! ハナからまともに努力する気のない奴は、浮気しなかったとしても捨てられてましたよ!」
「それは使えないお前のバカな嫁の話だろ!? 絢子を一緒にするな!!」
「よくも……!! ドクズで天文学的なバカはお前のくせに!! 取り消せよ!! 何が悪いのかすらわかってすらいない分際で! 俺のみのりをばかにするな!!」
「ウチはあんたのものじゃないけど?」
哲也に掴みかかった大地が、割り込んできた声に動きを止めて振り返った。
「え、あ……み、みのり……!」
「絢子……!」
呆れたように腰に手を当てて瞳を眇めるみのりと、能面のような無表情の絢子に大地と哲也が掴み合っていた手を慌てて離した。
「ご、ごめ……大人しくしてるって約束したのに……」
「絢子、もう終わったのか! じゃあ……」
大地は気まずそうに俯き、乗り出すように絢子に踏み出しかけた足を哲也が止めた。上条から受け取っていたブーケを睨みつけ、責めるように絢子を睨む。
「……絢子、直樹さんは帰らせた……もう付き纏うこともないと思う。披露宴が終わったなら、約束通り……」
「……哲也、あなた、三年も時間があったのに、本当に何も変わってないのね」
哲也の言葉を遮るように、絢子はにっこりと笑みを浮かべた。そのにこやかな笑みに、みのりはうわぁと表情を強張らせて視線を逸らした。
「……あなたはまだ私が完璧な女だなんて妄想から抜けられないみたいね?」
「……妄想じゃないだろ! 絢子より完璧な女は現にいない」
不穏な笑みを刻む絢子に、哲也が慎重に答えを返してくる。
「みのりさんのこと、使えないバカな嫁呼ばわりしてるのに? なら悪いけど私も使えないバカな嫁よ? 同意見だもの。完璧なんかじゃないんだから、復縁なんてあり得ない。二人で話す必要もないわ」
「違う……絢子は……!」
「黙んなさいよ! たとえ子供がいたとしても離婚してたわ! 浮気してまで女に寄生しないとまともに仕事もできないくせに、よくも人に対して使えないなんて言えるわね! 未だに人のせいにして反省も省みることもしないくせに。そうやってまともな努力もしない、哲也のような人こそ使えないって言うのよ!」
常に冷静な絢子が激昂して声を荒げる姿に、哲也が驚いたように目を見開き宥めるように口角を歪めた。
「あ、絢子……落ち着けよ……さっきのは……」
「もともと復縁する気なんて微塵もないわ! 大地さんの言うように、浮気が理由なんかじゃない! その人間性があり得ないの! 今日だって今後は連絡をしないように伝えるつもりだったわ!」
顔色を変えた哲也が、絢子のブーケを睨みつけて怒鳴り返してくる。
「……嘘つくな! そのブーケを渡されたから、乗り換えようとしてるだけだろ!」
「乗り換える? 勝手な誤解で失礼なことを言わないで! 上条さんはただ……!」
「絢子さん、本当に知らなかったから。勝手な誤解で好き勝手言わないでもらえる? 価値観ぴったりで絢子さんを、幸せにしてくれそうな男がいるのに、絢子さんが鈍くてさっぱり気づかないから、ウチらがちょっとサポートしたの」
「えっ……みのりさん?」
「乗り換えようとか、絢子さんはそもそも気づいてすらいなかったから。今日やっと二年越しの片思いを、伝えたばっかりだし」
「ちょっ!! みのりさん! そんなこと言われてないですって!!」
「いや、花嫁のブーケを渡しながら「あなたがまた幸せになろうと思える日を待っています」って言うのは、そういう意味でしかないからね?」
「え……上条さんはきっとそんなつもりじゃ……」
「なら、本人に聞いてみたらいいよ」
赤くなって俯いた絢子に、みのりがニヤリと笑い哲也に顔をあげた。
「そう言うわけで誤解だから。絢子さんはぴったりな相手と幸せになるから、いつまでも宇宙語繰り返すばっかのクズは母星に帰れよ」
バカにし切ったみのりのセリフに、絢子は噴き出しかけ哲也は怒りに瞳を血走らせた。大地が警戒するように哲也を睨み、そっとみのりを庇うようににじり寄る。
しばらく無言でみのりと睨み合っていた哲也は、ふっと息をつき表情を改めて絢子に向き直った。
「絢子、騙されるな。あの男だって大差ない。でも俺は違う。絢子の価値をちゃんと理解してる。何よりも心から愛してる。帰ってきてくれ、あの家に。もう二度と傷つけるようなことはしないから」
潤ませた瞳で縋るように絢子を見つめる哲也を、絢子も真っ直ぐ目を逸らさずに見返した。そうして何度も自分に確かめて、出た答えをゆっくりと言葉にした。
「……完璧を目指すことを否定はしないわ。できることが多ければ、自分も誰かも守る力になるから。でもそれは正しい努力で目指すべきで、誰かを利用し踏み躙って解決すれば、また誰かを利用して踏み躙らないと解決できない」
「……正しい努力をするよ。絢子が認める方法で……だから……」
「その努力の過程を支え合うことが夫婦だと思ってる。目指す理想が違うなら、お互いに納得できるよう擦り合わせながら……」
「絢子……じゃあ、俺と……!」
「でも私は哲也に対して、そうするだけの原動力がもうないの。譲り合って話し合って、一緒に人生を歩いていこうとはもう思えないの。裏切られて騙されて、枯れ果てたの。三年たっても枯れたまま、戻ってはこないみたい。だから……」
言葉を区切って小さく息を吸い込んだ絢子に、哲也は怯えるように唇を震わせた。
「絢、子……いやだ……許してくれ……! 今じゃなくてもいい……待つから……もう一度一緒に歩けと思えるまで、いくらでも待つから……!」
「もうちゃんと終わりにしましょう。連絡も今後は受け取らない。あなたももう先に進んで」
「絢子! お願いだから……!」
泣き出した哲也に、絢子は幸せになってと言おうとした言葉を飲み込んだ。
かつて心から愛した人。でも今ここで完全に切り捨てる。辛うじて繋がっていた縁も、断ち切るのなら口にするべき言葉ではない気がした。幸も不幸ももう一切、哲也の人生には関わらないのだから。互いにその先を知り得ない人生を歩いていくのだから。
「絢子……絢子……いやだ……いやだ……」
泣き崩れた哲也に、胸が痛んでも絢子は動かなかった。もう恨んでも憎んでもいない。でも今日を最後に声も言葉も顔も思い出したくはなかった。いつかもっと時間が流れたなら、思い出すことはするかもしれなくても。
「みのりさん、行きましょう……」
気遣わしげに絢子を見つめるみのりを促して、絢子はゆっくりと踵を返した。
「み、みのり……! あの……!」
「……何?」
背中に追い縋ってきた大地の声に、みのりが足を止めて不機嫌そうに振り返る。うっかり大地を忘れていたことに、絢子は気がついて申し訳なくなった。
「あ、ご、ごめん……俺……」
不機嫌オーラに気圧されたように言葉を探す大地に、みのりが大袈裟にため息を吐いてみせた。
「弥生さんの見送りもそろそろ終わって、ウチらこれから二次会なの」
「う、うん……ごめん……そうだよな……忙しいよな……」
「……ひばりの面倒見てくれる? 暇ならだけど……」
「え……?」
「ウチはひばりいるから二次会には、顔だけ出して帰る予定だったけど、あんたがひばりを見てくれるなら最後までいれるし」
「い、行く! 暇だから! 俺がひばりの面倒見てるから! みのり、ありがとう! 本当にありがとう!」
「うるさい。来るなら早く準備してよ!」
「うん! わ、わかった!」
涙目で破顔して、慌てて涙を拭った大地は部屋に駆け戻っていく。
「ふふっ……」
「……なんで笑うの?」
「いいえ、別に」
「言っとくけど、ウチは今どうするかとか考えてないからね! ただ、思ったよりまともに反省してるなって思ったから……」
「そうですね。タイミング的にはひばり君の、小学校入学とかがベストですよね」
「なっ! だからウチは……! もう、ウチより絢子さんでしょ! 上条さんにあそこまでされたのに気づいてなかったとか有り得る?」
「……いつの間にお二人で企んでたんです?」
「ウチと弥生さんだけじゃなくて、健人も一枚噛んでるから!」
「え? 健人さんも?」
「むしろ健人の提案だから! その辺の詳しいことは上条さん本人に直接聞けば? ちゃんと返事しなきゃじゃん?」
「返事って……そう言うつもりではないはずで……」
「だからそれも含めて本人に聞けばって……」
「み、みのり! お待たせ!!」
バタバタと大地が合流し、絢子は置き去りにした過去に背を向け歩き出した。
あの日から三年。淡々と流れてきた時間は、この先も変わらず流れ続けて行くだろう。変わるものと変わらないものを受け入れながら。チーム・サレ妻は傷を乗り越えて、今も支え合いながら、顔を上げて堂々と自分の人生を歩き続けている。
了
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ここまでお付き合いありがとうございました。




