終演
絢子の決別宣言を合図に、チーム・サレ妻陣営は立ち上がり撤収の準備を始める。
「……待ってよ! 慰謝料減らしてくれるんでしょ! ちゃんと話したらそうするって言ったよね?」
へつらうような笑みを貼り付けた由衣に、みのりが大きくため息を吐いてみせる。
「減らすじゃなくて考慮する、だから。今聞いた内容で金額決めたら、弁護士から連絡する。あ、公正証書にする予定だから」
「そんなの話が違う! 減らしなさいよ!」
どうせ公正証書がなんなのかもわかっていないくせに、由衣は目先のことばかりが気になって仕方がないらしい。ただの一度もまともな謝罪すらしなかったくせに、減額の要求だけは声高に叫ぶ図々しさに弥生がため息を吐き出した。
「高額ですもんね。不安なんでしょうが、それがあなたのしでかした罪のお値段なんですよ。ふふっ、終始遊びだって騒いでましたけど、その遊びの代償って意外と高いでしょ? それだけの価値はありましたか?」
弥生に微笑まれ顔を歪めた由衣に、小野田が割り込むように声を上げた。
「慰謝料もですけど、皆さんは別の心配もしておきましょうね? 忘れてるみたいですけど会社の福利厚生を虚偽申告して、公序良俗に反する行いをしたんですよ?」
呆然と座り込んでいた夫たちが、ぴくりと反応し顔を上げた。
「あ……小野田さん……言わ、ないよね……? 慰謝料だってちゃんと払うから……会社に言ったりしないよね?」
「いや、慰謝料を払うのは当然のことでしょう? 会社にだって報告しますよ? こんだけのことされて、謝罪もなかったし。正社員はともかく、アルバイトと派遣は確実に席はないでしょうね。身の振り方よく考えておくのをお勧めします」
「……言わないで! 働けなくなったら私……!」
青ざめて俯く留美の隣で、理香子も涙目になって小野田に縋る。小野田は呆れたように肩を竦めた。
「これだけの大騒ぎですよ? 私が言わなくても報告が言って調査されます。それなら当事者の私から報告をあげる方がまだマシですよ。心配いりません。これからは皆さんの得意分野でそれぞれ頑張ればいいんですよ!」
「何言って……」
「誰もが夢中になるほど可愛い容姿なんですよね? 縋られて困るほどのプロ並みの技術なんですよね? ぜひ生かして頑張ってください。そうすれば高額慰謝料の支払いもすぐですよ。どうせ会社はクビです。開き直っていきましょう!」
青くなって押し黙った由衣と留美に、小野田はニヤリと口元を歪めた。
「これだけのことをやってのける倫理観ですし、そういうお仕事きっと向いてますよ。よかったですね。今までの経験を活かせるなら、惨めに捨てられて、ただひたすらバカを見ただけになりませんし」
ここぞとばかりに言い捨てた小野田に、詰め寄っていた不倫女たちは項垂れた。
「……離婚、したくない! 謝るから! みのり、頼む! みのりと子供と一緒にいたいんだ!」
「弥生! 離婚なんてしないよな? 俺のこと愛してるもんな?」
「絢子、もう二度としないから……」
小野田とのやりとりで危機感を煽られたらしい夫たちが、再び縋りつき始め絢子は弥生とみのりと顔を見合わせた。長丁場の舞台でもう疲れている。
「やり直すことはありません。次に会うときは弁護士事務所です」
弥生も疲れているのか、投げかけた返答はかなりぞんざいだった。
「自分がウチの立場だったらさー、許せた? そういうことちゃんと考えてから喋ったら?」
うんざりしたようなみのりに、大地は勢い込むように身を乗り出した。
「俺なら許すよ! なんならみのりも浮気してもいい! それで許してくれる気になるなら耐えてみせる! 離婚だけはしたくない!」
「……はぁ?」
みのりの言う通り、大地は脳みそを通して言葉を発するべきだ。とにかく離婚だけは回避しようとする大地の脊髄反射の返答は、ますますみのりを怒らせるだけだと気づきもしていないらしい。
「俺はそれだけみのりを愛している! やり返されても耐えられるだけ愛してる! 最初からやり直したい! 許せないなら顔見知りからでもいい! だからどうか離婚だけは……!」
「……顔見知りですか」
弥生の呆れ果てた呟きに、絢子もうんざりと返事を返す。
「まあ、友達程度だったなら許してやり直しも可能かもしれませんね」
絢子の言葉にパッと夫たちは無駄に顔を輝かせた。
「でも友達ではなく夫だったんですよね。この世でたった一人の……」
小さく微笑んだ弥生に、絢子とみのりが頷いた。
「あなたたちにとって遊びだった行為は、私たちにとってはこの世でたった一人の夫に愛を伝えるものだったんです。あなたたちが誰にでも気楽に囁ける愛してるは、私たちにとってたった一人のための言葉でした」
「やり返しても耐えられるだっけ? それがあんたなりの愛なんだとしてもさ、ウチらにとっては違うの。一度でもあり得ないの。特別なことなの。普通に無理。どうしてもというなら別人に生まれ変わってきて」
「愛していたから許せないし、許さない。わかりましたか? もうそろそろ理解してください。どんな言葉を並べようが、裏切ったその瞬間にこの結末だと決まってたんです。なので次に会うのは弁護士事務所。離婚手続きの席です」
俯いてやっと静かになった夫たちに背を向ける。
「……待ってるから。家で……絢子が帰ってくるのを、ずっと待ってる……」
祈るようにかけられた哲也の声に振り返る。絢子はにっこり哲也に向かって笑みを浮かべて見せた。
「……そう。でも荷物はもう初日に引き上げたの」
「そ、んな……嘘だろ……」
「もう二度と帰らないわ」
「……それでも……それでも待ってる……! 二人で暮らした家で、絢子が帰ってくるまで……」
背中に縋る哲也の声に、もう絢子は答えなかった。二人で暮らした箱庭は、一人で暮らすには広すぎる。それでも待つなら、好きにすればいい。慰謝料も理由も手に入れた。そして思いがけずかけがえのない戦友にも出会えた。もう哲也になんの未練もない。部品に戻ることはない。
「……やっと終わりましたね」
「うん! あとは離婚手続きだけだね!」
「みのり、お腹大丈夫? 辛くない?」
「うん! 平気! むしろ肩の荷が降りてよくなったまである」
「皆さん、本当にお疲れ様でした。おかげで泥沼劇を最前列で鑑賞できました」
「いえいえ、小野田さん、皆さん、私たちこそ本当にお世話になりました」
「いやー、笑えたね。すごい楽しませてもらいましたよ」
「弥生さん、俺、これからも弥生さんの手足として頑張らせてもらいます! なんなら一生涯こき使ってください!」
キラキラする健人が弥生に無視され、その場に笑いが沸き起こる。貸切になっている別館を出ると、あたりはオレンジ色に染まっていた。全員が足を止めて長丁場の舞台を終えた身体を、ぐっと伸ばして満足そうな吐息を吐いた。空を朱に染め上げて、ゆっくりと沈む太陽を見上げる。
(終わったんだわ……)
浮かんできた思いに、心を塞いでいた荷物から解放された気がした。
「はぁー、お腹すいたぁー」
「今日の夕飯何かな?」
「あれ? 絢子さん?」
再びゾロソロ歩き出した一団から、弥生とみのりが立ち止まったままの絢子を振り返る。
「……弥生さん、みのりさん。ありがとう」
絢子は振り返った二人に、今どうして伝えたくなった言葉を伝えた。弥生とみのりが顔を見合わせ、やがてとびっきりの笑顔で絢子に向けた。
「「こちらこそ!」」
その笑顔に釣られるように、絢子も笑みを浮かべて歩き出す。まだ全てに幕引きができたわけではない。後始末を終えた未来の方が長いのだから。夫たちがいないこの先の未来を幸せに生きる。きっと本当の意味での復讐だ。
でも今は共に戦い抜いた戦友と、肩を並べるこの時間を噛み締めていたい。自分だけでなく二人も望む結末を。そうして戦い抜いてきたチーム・サレ妻は、今大切にしてきた愛を手放し、長い長いもの思いにゆっくりと幕を下ろした。
※※※※※
もうちょっと続きますよー




