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抱いて始まる恋心

以前書いたものを加筆修正しており、キャラクターの名前など変更しております。

表記ゆれが見つかった場合教えていただけますと幸いです。


 

「エロゲーを教えてほしいのですが」


 木島さんがかしこまった口調でそう切り出したのは、他愛のないオタク話をしていた昼下がり。

 カフェインが足りないと駄々をこねる相沢に連れられ、食堂の裏手にある自販機コーナーに向かっている最中のことだった。

 今季放送中のアニメの話で盛り上がり、ふいに会話が途切れた。その若干の静寂を狙った行動。

 僕は昨日見たばかりの新作アニメについて語ろうと開きかけていた口を固く閉じた。への字型に。

 一方、相沢はというと。


「……もちろんだとも。来いよ。クレバーに説いてやる」


 と、腰を落とし、手を叩いて大きく広げる――某寿司チェーン店の社長のポーズをして見せた。

 なるほど。頭痛が痛いってこういう状況?

 これから登場するであろう品のない会話の群れを想像した僕の心は、まさに台風の暴風圏。早く帰りたいな、なんて思う僕の肩に、相沢の腕がのしかかる。


「お前も付き合えよ、相棒」

「……はーい」


 どうやら僕たちはまた、この手の話をしなければいけないらしい。



「ちなみにこれは、別におすすめのエロゲーを紹介してもらいたいとか、そういうのじゃないからね」

「おいおいちょっと待て話が違うじゃねえか?」

「エロゲーのソフトを教えてとは言ってないでしょ?」

「言って……ないな、うん」


 相談者である木島さんは、相沢と同じゼミの学生だ。そのつながりをきっかけに僕と彼女は知り合い、たまに会えば話すような仲になった。

 木島さんは以前「オタクとしか仲良くなれないんだよー。アニメとかゲーム以外に会話のネタが見つからなくて」とぼやいていたが、まさに僕もその通りの人間。シンパシーを感じざるを得なかった。

 高校時代を男子校で過ごした僕にとっては数少ない女友達だ。


 飲み物を調達した僕らは食堂に戻った。昼時のピークは越えたとはいえまだ人の気配が多くざわついているここでは、静寂を気にして声を抑える必要はないだろう。

 僕ら3人が席に着いたところで、木島さんは話し始めた。


「私の最近ハマったラノベ作家の前職が、エロゲーライターだったの。そうなるとその作品も追いたくなるのがオタク心ってやつでしょ? でも、ちょっと抵抗があって……」

「ええー? 木島、18禁コンテンツに抵抗があるんか?」


 と、尋ねたのはもちろん相沢だ。

 ……いくら相手がオタク友達で、木島さんが下ネタに乗っかってくる(むしろ自分から提供する)タイプといえど、女子に対してもざっくりとこういう話を振れる相沢のことを、僕はある意味では尊敬している。


「全然平気。漫画とかボイスドラマは普通に買うし。ただ、ゲームはやったことないから未知数かな」


 それに顔色一つ変えず答える木島さんも木島さんだ。誰に対してもこうというわけではないだろうけど。それも相沢の人徳というか、オールラウンダーオタクな彼の馴染みやすさというか。



「へえ、それってやっぱBL?」

「エロゲー好きを公言してる恥知らずとは違うんで。そこは乙女の秘密ですわ」

「……ん? 恥知らずって俺のこと?」


 この会話のテンポすら、むしろ羨ましいまである。と、微笑ましく見守っていたのだが。相沢の厭味ったらしい表情が目についた。

 今のは木島さんを誘導し、BLアンチである僕の地雷を踏ませようとしていたらしい。相沢のおもちゃにされてしまうほどROM専を極めていたようなので、ちゃんと会話に参加することにした。


「推し作家の原点を知るためエロゲーに手を出そうとしてるってことだよね。それで相沢玄太郎先生にぜひご教授いただきたいこととは?」

「よせやい稲葉。エロゲーマスター相沢玄太郎先生だなんて照れるね」

「いやそこまで言ってないけど」


 馬鹿はさておき。

 ここまでプレイ意欲が高いのに何か問題があるとすれば、パソコンのスペックの問題だろうか。だいぶ前に発売された作品で移植版やリメイクもない場合、OSが古くて対応していない可能性もある。

 そうであれば、機械に強いわけでもない僕たちは門外漢なんだけど。


「そうだね、本題に入るか。私が教えてほしいのは、どうやったらヒロインの切り替えができるかってこと」

「そりゃあまず、1人めのヒロインのエンディングを迎えるだろ? 共通ルート終了後に任意のキャラを選択できるのもあるけど。決められた1人めを攻略しないと2人めが解放されないってことも――」

「違う違う。私が言いたいのはそういうことじゃなくて」


 そんなことわかってる、と言いたげに木島さんは素早く手を振った。


「私は、ルートによって攻略対象が変わることが受け入れられないんよ」

「それは――」


 そもそも、恋愛シュミレーションゲームというコンテンツそのものに向いてない性格なんじゃない?

 と、口からこぼれかけた言葉を飲み込む。

 今回、彼女は数多のエロゲーギャルゲーを攻略してきた相沢に相談しているわけで。未経験者の僕は口を出せる立場ではない。けれど、いつもは陽気で機転のきく相沢の反応が遅い。

 それが気になってちらりと隣を見やると。


「……相沢?」


 視線が安定してない。唇はわずかに動きするものの、音は発しない。何か言いたくて、でも何から言ったらいいか戸惑う――半ばフリーズ状態の相沢が、そこにいた。


 中学時代、同級生が部活で青春しているころにはギャルゲーをやりこみ、周りが大学受験で苦しむころ、18歳の誕生日を迎えたというのにエロゲーを買えない自分の歯痒さに苦悩していたと語る男、相沢玄太郎。

 そう。彼はヒロインや作品だけでなく、恋愛シュミレーションゲームという文化に対する思い入れも強いのだ。

 これは場つなぎが必要かなと判断し、僕は再度木島さんに向き合う。


「木島さんは、ハーレムが苦手ってこと?」

「うーん……一応ハーレムも受け付けがたい要素ではあるんだけど、問題はそこではないかな。好きなハーレムラノベとかアニメはあるし」


 慎重に言葉を選びながら、彼女は続ける。


「……同じ世界観、同じ時間軸なのに、少しきっかけが違うだけで愛し合う相手が変わる、ってこと自体がまず理解できない。自分、相手左右固定カプ厨なもんで」

「……アイテサユウコテイカプチュウ?」


 聞き慣れないけど嫌な予感しかしない単語に、僕は首を傾げる。


「簡単に言えばAが攻めでBが受け。それが逆転することは許せず且つペアの片方が違うキャラと関係を持つのは無理っていうカップリング固定腐女子のことです」


 もはや僕に聞かせる気もないほどの早口、そして真顔。この上ないほど気を使われているのは一目瞭然だ。

 アイテサユウコテイが何たるかを理解できまいまま、僕は適当にうなずく。


「……界隈特有の概念っておもしろいよね」

「ごめん稲葉くん……私はいつも君を不快にする」

「気ニシナイデー」


 さて、そろそろ相沢も再起動できたころだろうか。と、彼の方に視線を向ければ、肘をついて何やら考え込んでいる。まるで、会議中トイレに行きたくなったけどタイミングを逃して行けなくなった人、みたいな顔で。


「……左右表記の概念については俺もおねショタとショタおねについて小一時間語りたいものだが」

「おお! 私もそれは、いろいろ思うことがあるんだ。主導権がどちらかって話ね? ついでに女攻めの話もしない?」

「僕のいないときにお願いします」

「ああ。もちろん。今日の議題はそこじゃない。それはまたの機会だ」


 僕のいないときにお願いします。本当に。

 っていうか女攻めって何? ……いけない。これ以上考えても、いいことはない。


「これまでも多くの話を交えてきた俺たちだがな、木島。今日ほど話し合いで決着がつかないと思ったことはない」

「……実は私も、諭された程度でどうにかなるものだとは思ってない。だからこそ、相沢に頼んでるんだ。エロゲーを教えてくれって。相沢ほどのエロゲーマスターなら、こんな私の考えすらも吹っ飛ばしてくれるんじゃないかってね」

「エロゲーマスターなんてよせよ、俺はお前が期待してるほどできた人間じゃない。……イヤホントにやめて自称するのはいいけど言われるのなんかめっちゃはずい」


 茶番に付き合いきれない僕は、ソシャゲのデイリーミッションをこなすべくスマホを取り出した。


「今から言うことはあくまで俺個人の意見だ。世の中のエロゲー好きの総意じゃない。……しかしだな。木島の、エロゲーへの抵抗が軽減される第一歩になると信じて言おう」

「……よろしくお願いします」


 やっと、相沢先生のありがたいアドバイスの時間だ。ローディング画面を意味もなく連打しながら、僕も意識は相沢の方へ向ける。


「どうにもならん。歯ぁ食いしばってやれ」

「「へ?」」


 根性論教師のような言葉に、2人分の素っ頓狂な声が飛ぶ。


「どうにもって……せめて、なんか気が楽になるようなアドバイスとかもらえません?」

「うーん……。木島がやろうとしてんのってストーリー重視型? それともヌk……アダルトなグラフィックに力入れてるお色気特化型?」


 お色気特化って。予期せぬ表現に噎せたが、こいつなりに、この場にふさわしい全年齢向け語彙を選んだんだろう。


「ストーリー重視だね。いわゆる泣きゲーってやつ」

「だったら、なおさらだ。身を裂かれる思いをしながら、攻略中のヒロインだけを愛し続けろ」


 相沢は一呼吸置いて、眼光を鋭く光らせた。


「ルートに入った瞬間から、たった1人の女を愛する男になれ」


 木島さんがハッと息を飲む。握りしめたこぶしを、胸に当てる。まるで、宇宙空間を戦うロボットのパイロットに任命された少年のごとく。


 ぶっちゃけな、と相沢は眉を下げて続ける。


「前のヒロイン引きずるプレイヤーなんて、珍しくないぞ? 1人めのルートを攻略中、1人めのヒロインが『お似合いだね』なんつって応援してきたり、明らかに主人公のこと好きなのに距離置いてフェードアウトしたり……情緒ぐちゃぐちゃになるんだよ。むしろ制作側は、そんなふうに苦しむ俺たちを見てにやにやしてんだろうし。……だからお前がやることは、腹をくくってゲームをやるってこと。俺から言えるのは以上だ」

「……相沢くらいやり込んでるオタクもしんどい思いしてんなら、それはしょうがないことなんだね」


 木島さんは静かにため息をつく。


「……固定厨の自分が完全に納得したわけじゃないけど。オタクとして、推しライターの過去作を読みたいって気持ちで押し切ってみようかな」


 声のトーンはけして明るくはなかったが、その表情は思いのほか晴れ晴れとしていた。


「帰ったら即購入するわ。ありがとう相沢。勇気出た」

「どういたしまして。……まあ、なんだ。偉そうな持論ぶちまけたけどさ。俺は1人でも、素直にゲームを楽しめるオタクが増えてほしいだけなんだよな」


 相沢が大きく伸びをしたことで、張り詰めていた空気が少し緩む。一件落着、らしい。なんだか僕も安心した。


「ま、ぶっちゃけ主人公のことは、棒だと思え、とか言おうと思ったけどさ。それはヌキゲーの話だからなー」


 結局言っちゃうんだ、それ。さっきの配慮の意味とは。


「それは……」


 言葉を詰まらせる木島さん。ほら、いくら彼女だって直球すぎる下ネタはNGだって、


「ぶっちゃけ、覗いてみたいという気持ちはある」


 予想に反して引きもしていない。それどころか、むしろ食いついている。僕が若干引いた。


「稲葉くんは?」


 そんな彼女の好奇心に満ちた瞳が、僕に向けられる。


「稲葉くんはやんないの?」

「いや、僕は……」

「駄目よぉ、木島ちゃん。この子ったら奥手だから、まずソフトのパッケージを見ることすらできないのよ?」


 ねっとりとした裏声が耳元に近づき、相沢の腕がするりと僕に絡んできた。咄嗟に振り払い反論しようとして――時が止まったような錯覚に陥る。

 僕たちのちょうど正面に座する木島さんから向けられるまっすぐな視線。ぶるぶると震える唇。

 何かおぞましい感情を向けられていることだけは、理解できた。


「稲葉ってさ、いつも俺の話をうんうんはいはいすごぉーいって頷くだけ、そうやって未経験のまんま生涯終えるつもり?」

「……そんなアホの子みたいな全肯定してないし。っていうか放してくれない?」

「そうは言っても、俺のエロゲー話はちゃんと聞いてくれてるし。愛を感じるな!」


 木島さんが机に突っ伏した。苦しそうな吐息のはざまで、「営業BLには屈しない……」と聞き取れた。

 なんだ、これは木島さんへのサービスか。

 僕は遠慮なく相沢の脇腹を肘で突いた。妙な悲鳴を上げながら腕をひっこめた相沢から逃げる。


「バスの時間もちょうどいいし。僕先に帰るから」

「ちょっと待て。まだお前らに言いたいことが」

「手短に」

「……すべての道はエロに通ず、これが俺の持論なわけ」


 何を言ってるんだこいつ。顔をしかめる僕とは対照的に、木島さんは愉快そうに声を上げて笑う。


「なるほど! 続けて?」

「木島の推し作家みたいに、同人でエロ描いてた漫画家が全年齢向けで商業デビューしたり、人気アニメの原作がエロゲーだったり、そういう話って少なくないだろ?」

「ああ、家庭にビデオデッキが普及したのも、アダルトビデオの登場がきっかけだとか一説には言われてるよね」


 神妙な面持ちで木島さんが続く。……そういう情報、どこから手に入れてるんだろう。


「そう。つまり俺は、すべての娯楽はエロから生まれたと言っても過言ではないと思ってる」

「は?」

「ほほう?」


 頭の上に疑問符を浮かべる僕。興味深そうに身を乗り出す三縞さん。


「すなわち原初であるエロを知らずして、全年齢の娯楽を享受できず、っていう木島のスタンスは正しいってことよ」


 ……ドヤ顔している相沢先生には悪いんだけれども。

 おそらく「すべての道はローマに通ず」になぞらえたさっきの言葉。そもそも「出発点がどこであれ、目的が同じなら行き着く先はローマ」という意味のことわざのはず。

 相沢の持論だと「どんなコンテンツでも最終的にはエロに到達する」って意味になるんじゃないの? 

 そんな口を挟もうと思ったけど、さすがの僕もこの浮ついた空気の中でマジレスのできる男ではなかった。


 それに、なんだか「すべてはエロに帰結する」という主張もあながち間違いではないような気すらして――……駄目だ駄目だ。エロゲー脳に毒されるな。


 僕が悶々と考えている間も、木島さんは大爆笑しながら相沢を褒めたたえていた。

 ――こんな、くだらない話を大真面目にする大学生活が終わらなければいいな、なんて。ふと幸せを感じるときに客観視してしまうものだから、時折僕はいつも楽しそうな相沢が、まぶしく見える。


 さてと。そう言って木島さんも立ち上がった。


「帰ったら美少女抱くゾ~」

「まず恋しなよ」


 彼女までエロゲー脳にまでなってしまったら、果たしてどこまで暴走してしまうんだろう。

 木島さんのエロゲー攻略レポートが逐一僕ら3人のグループLINEに送られてきた後日談については、僕の頭痛が悪化するばかりなので省略しよう。


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