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譲れないから自衛ブロック


以前書いたものを加筆修正しており、キャラクターの名前など変更したため表記ゆれが見つかった場合教えていただけますと幸いです。


 

 耳に真珠をぶら下げた少女のくるりとした瞳は、何か言いたげだった。


 学部入り混じるこの大食堂。知り合いに似てると思っても声をかけるのはなかなかためらわれる。

 けれど彼に限っては簡単だ。

 私は自信を持って、フェルメールの傑作を背負う彼に声をかけた。


「やっぱイカしてるね、そのTシャツ」

「……ん?」


 いぶかしげな表情でこちらを振り返ったのは、稲葉くん。同学年他学部他サークルの男の子。


「……ああ、木島さんか。久しぶり」


 彼は「もし兄弟がこういう顔立ちなら友達に自慢するかもしれない」と思わせる爽やかな童顔青年。

 ……謎の絵画Tシャツを、ネタではなく真面目に着こなしているあたり、美的センスも他と一線を画していると言ってもいい。


「いや~、本当に久しぶりだね。向かい座っていい?」

「どうぞ」


 彼の正面に腰かけて、ほんの少し後悔することになった。


 大学生あるある。

 空きコマの食堂で友達Aとお喋りしていたら、Aの友達のBが登場!なし崩しに三人でのお喋りが始まり、なんとなく仲良くなれたような気がする!――でもAがいなくなり、Bと二人きりになると「あれ、なんだか気まずい?」というアレ。


 稲葉くんは私にとってBだ。やかましいギャルゲーオタA……相沢玄太郎がいない今、話題がなければ沈黙がつらい。


「……木島さん、今日は授業?」


 いけない。稲葉くんに話題をしぼりださせてしまった。私から同席を願ったというのに。


「ううん、図書館の本を返しに来たの。稲葉くんは?」

「僕は2限にゼミ。……今は相沢の3限が終わるの待ってるんだ」

「そっか、相沢待ちか。あいつ寝てそうだね」

「お腹いっぱいになった~……とか言ってね」

「だよね~……」


 再び、沈黙。少しつらい。

 じゃあなんでフランクな挨拶をぶちかまし、同じテーブルについてしまったのかって? 大学は3年生後期にもなると登校回数が減って、他人との交流が恋しくなるもんだからだよ。

 仕方ない、スマホでもいじって適当なところで帰るか、と鞄を探っていると。


「……あのさ、木島さん、今から少し時間ある?」

「大丈夫だけど。どうした?」


 話を切り出した稲葉くんは、やけに暗い声のトーンだった。今、巷で話題のインターンシップとかの話だろうか。

 そうであったら、悪いけど急な腹痛で帰らせてもらおう。


「女性の立場から、話を聞きたいことがあって」


 ゴクリと唾をのみこんだ。恋の相談だろうか。それも私は管轄外だ。

 けれど好奇心が勝って、私は力強くうなずいた。


「わかった。力になれることなら」

「……とても、失礼なことを言うかもしれない。その辺の善悪の判断が、今の僕はできる状態じゃないんだ」


 重い重いため息を挟みながら、稲葉くんは呟く。

 気圧で動けなくなったときの私みたいに、頭痛とか吐き気とか怠さとかこの世すべての憂鬱と戦っているみたいに、彼の目は死んでいた。


「……害悪な腐女子を駆除するには、どうしたらいい?」


 ………………ほう?

 ………………なるほどなるほど、私らは害虫か?


 そんな言葉を口に出さなかった自分を褒めたい。


 そう、彼は大の腐女子嫌い。

 そして私は、そんな彼が嫌う腐女子なのだ。


 さてさて。今更な話ではあるが、これはコテコテのオタクたちがその厄介な性格をこじらせているだけの物語である。そういう類が苦手な方、オタク文化に疎い方、共感して羞恥心を煽られてしまう方はブラウザバック推奨である。

 なんて、心の中でいもしない読者に注意喚起などしてみる。

 そのくらい内心パニックなんだってば!



 人は自分に理解できないもの、嫌悪感を抱くものを攻撃し、排除しようとする傾向にある。

 一介の大学生である私が検証するまもなく、学校におけるいじめにも、人種、性別、収入などの差別意識などにも、世界中あちこちで顕著に表れているはず。


 それらとは比べ物にならないほどちっぽけで、くだらないことだけれど、私たち――いわゆるオタクも、日々そんな葛藤と戦っている。

 ネットの、特にSNSの世界は常に戦争だ。

 自分には理解できないもの、嫌悪感を抱くものを晒し上げ、声高に「奴を許すな」と叫び、ギャラリーはおもしろ半分にそれを拡散する。


 ネットはそれが、指先ひとつで容易にできてしまう。それで自ら命を絶つ人もいるし裁判沙汰にもなっている。

 ……さっきは「ちっぽけ」「くだらない」なんて卑下をしたけれど、やっぱりこれはあってはいけない、抑えなくてはならない人間の衝動だ。


 もしも稲葉くんが一時の感情で、自分の大嫌いな人を傷つけたいというのならば、私はそれを止めなくてはいけない。

 けれど、付き合いが浅いながらも私は知っている。

 稲葉くんの人となりを。だから、まずは彼の言い分を聞くことから始めようではないか。




 僕が今一番ハマってるソシャゲ、二年くらい前まではセルラン上位にいたこともあるんだけど、今はすごく過疎ってて。

 サ終告知がいつ来てもおかしくないね、なんてファンの間で言われてるくらいなんだ。

 それがなんか悔しくて、とりあえず、身近な友達に布教するための実況動画を始めて。

 チャンネル名? それは……わかった、わかった! ……『いなさくのゲーム』。

 中学のときのあだ名だよ。気にしないで、今は誰も呼ばないから。

 じゃあURL送るから……って、あ。LINEの友だち登録まだだったっけ。僕がQRコード読み取るね。


 ……で、狭いジャンルだからさ。見てくれてたのはリア友とか、ゲームのフレンドさんだったんだけど。

 うん。それでよかったんだ。それで楽しかったし、目的は有名になることじゃなかったから。

 でもいろいろやってみたいなって気持ちは出てきて。

 他の実況も始めたんだ。

 ……人気ソシャゲのガチャ大爆死動画が結構バズって。――うん、そう。それだけ、やけに再生回数伸びてるでしょ。

 いや、見なくていいから。

 本当、マジ、鬱になるからやめた方がいい。フォロワーに消費者庁行けって言われたレベルだから。

 ……ともかく、ありがたいことにそれがきっかけで僕の動画を見に来てくれる人も増えたわけ。その増えた中に、害悪腐女子がいて、僕に変なコメント送り付けてくるから、そいつをどうにかしたいって話。以上。



「はあ……稲葉くんなかなかすごいことしてらっしゃる……」

「動画投稿してることは、金輪際会話に出さないでね。オタクのオンとオフってあるでしょ」

「わかるよ。約束する」


 話の概要は理解した。でも最後が駆け足で、大切なことが見えてこない。

 そこに、彼の悩みの本質が隠れているはずなのに。


「稲葉くん」

「なに」

「ソロはホモになんないよ」

「韻踏んでうまいこと言ったつもり?」

「……ふざけてごめん」


 気を取り直して。私は顔の前で手を組み、それはそれは言いにくそうに、話を切り出した。


「腐女子……に限らず、オタクに関するトラブルの解決ってさ、コンテンツの知名度、規模、ファンの年齢層……考慮することはいろいろあるじゃん? 私、いろんなジャンルの炎上見てきたから、事情がわかれば力になれると思うんだ。……何があったか、詳しく聞かせてくれない?」

「……僕もごめん、言い方きつかったね。あとは見てもらう方が早いと思う。去年の12月24日配信のやつ、それが始まり」


 稲葉くんの細い指が私のスマホの上をすべる。表示された動画のタイトルは、『いなさくのゲーム実況/ベルベルバウ/アオと一緒』だ。


 ベルベルバウ――私も知ってる。フリーのホラーゲームだ。

 クリスマスイブ、好奇心旺盛なカップルが廃教会で結婚式ごっこをしていたら、謎の儀式に巻き込まれて怖い絵本の世界に飛ばされてしまう、とかなんとか……そういう内容だった気がする。


「12月


 動画を再生して、適当なところまで飛ばしてみる。すると男2人の声が、そこそこの音量で放出された。

 あ、やべえ。授業中にやったら人権死ぬやつ。


 稲葉くんからの視線を感じながら、あわてて音量を下げる。どうやら顔出しはせず、ゲーム画面と声だけの配信スタイルらしい。

 それにしても、稲葉くん――いなさくじゃない方のこの声。聞き覚えがあるどころか、馴染みのある……。


「ねえ、アオって誰?」

「……配信未経験のリア友」

「もしかしなくてもあいつ?」

「さあね」


 わかるでしょ、と言わんばかりの態度。それがもう答えなんだよな。


「クリスマスイブに一緒にゲームやる仲だしよっぽど仲良しなんだろうね。授業終わるまで空きコマ待つくらいには」


 私の探りには触れもせず、稲葉くんは話を続ける。


「……この日だけはアオと一緒にゲームの実況配信をした。配信当日のチャットには変なコメントはなかったんだけど、後からアーカイブを見たらしい腐女子に目をつけられて……その」

「カップリングされたってわけか」

「ゔぅっ、」


 稲葉くんがえずいちゃった。「大丈夫かー?」と適当に心配して、他の動画に寄せられたコメントに目を通す。

 彼の言った通り、12月24日の配信チャットログは平和だった。

 平和というかさすが弱小チャンネル、過疎ってただけなんだけど。


 問題は、24日以降に稲葉くんがソロで上げた実況動画のコメント欄だ。


 ここで私は、稲葉くんを誤解していたことに気がつく。

 彼はさっき『害悪腐女子』と言った。

 あれは腐女子を嫌う彼が、腐女子という存在を敵に回す意味で放った言葉だと思っていた。

 でも、違っていた。


 稲葉くんは本当に『害悪な腐女子』に悩まされていたのだ。


『もっとアオさんとの絡みが見たいです! 次の配信予定はいつですか?』


『午後の授業中、ずっといなアオのこと考えてたw 全然いなアオ供給なくてつらみ……_(:3)∠)』


『友達にもいなアオ動画布教しました! 待っているファンが増えたので、これからもっとアオさんを呼んで動画撮るのはどうですか? 金なら(月千円のお小遣いから)出すぜ……?( ・`ω・´)キリッ』


 以上、すべて同一アカウント『☆るりあ☆@テスト期間低浮上』から投稿されたコメント(一部抜粋)だ。


「ああ、あ、あ、ああ~~~……???」


 痛い。めっちゃ胸が痛い。痛いっていうかもう、つらい。やっぱ痛い。

 胸やけに似た症状を抱えながらも、私はスマホのサイドにあるボタンを長押しした。画面に表示されたアイコンを横にスライドする。


「ちょっと、どうしたの!?」

「こんな痛々しくて若々しいイキりオタク、三秒見れば十分だよ! 女、中学生、たぶん、以上!」

「き、キレないでよ……」


 稲葉くんが若干おびえて――いや、引いていた。いけないいけない、情緒のコントロールがド下手くそ。もう、これだから腐女子は。って言われるぞ。


「本当にどうしたの木島さん、過去の自分を見てる気分になった?」

「違うっ! 私はこんな重症じゃなかった……!」


 と、思う。たぶん。


「別に、こんなふうにネットに書き込んだ経験はないけどさ、なんか共鳴しちゃって。『もしかしたら自分も過去に似たような行為をしていたかもしれない』っていう幻覚、『こいつは神絵師に「推しカプ以外のツイートは投稿しないで」って凸るタイプのオタクだ』って嫌悪、『同じ腐女子としてTPOをわきまえない後輩が大変申し訳ございません』っていう謎の責任感で恥ずかしくなって悶えてる女オタクがここにいます……」

「ごめん、なんて?」


 やばい。過呼吸っぽくなってきた。深呼吸をして、気持ちを整える。


「断言できる、こいつは給食の放送の時間にキャラソンとかボカロ流してキャッキャしてる放送委員だ」

「あー……いるよね、そういう子……」


 稲葉くんの学校にもいたんだろうな、キャラソンボカロ放送委員。

 実は私もそのタイプの害悪オタク放送委員だったんだけど。今となっては反省してるしトップ3に入るレベルの黒歴史なので許してほしい。


 冷たくなっていくはずだった私のスマホ。ごめんね取り乱して。私は電源ボタンを再び長押した。


「ちゃんと話したからね。それで、彼女の撃退法は」

「……これはあくまでも私個人の意見だし、『☆るりあ☆』とは世代が違うから対処として適切かはわからないけど」


 きちんと前置きした。害悪は何を注意したって害悪なのだ。それを撃退しきれなかったことを私のせいにされてはたまらない。


「わかった。とりあえず、意見を聞かせてほしい」

「お気持ち表明動画を作る。たとえば……『ある時期から、僕の動画に要望コメントを送っている方がいます。応援していただけることは嬉しいのですが、こちらは趣味の延長で配信しているので、すべてにお答えすることはできません』……みたいな」


 稲葉くんは首をひねった。


「それを伝えたい相手は一人だけなのに、わざわざ一つの動画を作るのか……って感じではある」

「それはそう」


 オタクノリ肯定コメントが出てしまった。咳払いをして続ける。


「あと、腐向けコメントをやめろって露骨にいうのを避ける場合は、『ほかの視聴者が不快になるような表現はお控えください』って言うのが一番なんだけど……腐向け=不快って認識がない腐女子は意外といる。特に幼い世代はね。『自分がカップリングされるのは不愉快だからやめろ』って腐女子本人に直接言わない限り、自分が他人を傷つけてるってことを自覚できないと思うよ」

「本人に直接……できるかな」

「まあ、難しいところではあるよね」


 私も稲葉くんも唸った。『☆るりあ☆』の無意識の暴力に傷ついているのが事実でも、『あなたは人を傷つけています』という言葉も、凶器になってしまうから。

 私も中学生のとき、アニメにハマったばかりで歯止めがきかず、ネットでもリアルでもやらかしたことはある。

 私の場合、汚超腐人である母(本人は腐っていることを否定しているがバレバレなのである)がしっかり注意してくれて、早いうちに自分の愚かさに気づけたから幸いだったけれど。


「そうだ稲葉くん、ツイッターは? いなさく名義でツイッターやってたら、そっちで凸られたりしてない?」

「アカウントは一応あるけど……ゲームのフレンドしかいない鍵垢だけ」

「チャンネル告知用は?」

「ない」


 なくて正解だったかもしれない。ツイッターにも凸られてたらしんどいことになってた気がする。

 さて。ここまでの会話を振り返ってみると、何も進展していないことに気がついた。さてさて。どうしたものか、と悩んでいると。


「よお稲葉、待たせたなー!」


 背後から不意打ちに現れた影に、思わず肩を震わせる。こ、この声は……。


「お? 木島もいんのか。珍しいな」


 私のゼミ仲間で稲葉くんの親友――アオこと相沢玄太郎だ。

 相沢は稲葉くんの隣、私から見て正面左の席に腰かけた。


「まあ……ね。珍しく稲葉くんと話し込んじゃった」

「相沢が来るまでの暇つぶしに、付き合ってもらってたんだ」


 相沢が来た。ということは、もう3限の終わる時間。ずいぶん話し込んじゃったもんだ。……何も進展はないんだけど。


「そっかぁ~2人がそんな関係だったとはな……俺知らんかったわ。お邪魔だった?」

「何の関係でもないが?」

「いや友達でしょうよ」


 目を丸くした稲葉くんと目が合う。肩組み過ぎちゃったか。腐女子なんかと友達になりたくないよな。なんて思っていると、稲葉くんはそっぽを向いて言った。


「ごめん、友達だよね」

「……え。急にデレないでよ、こっちが照れるから」

「デレじゃないし。勝手な妄想で僕をキャラクター化して萌え消費するのやめてほしいな」

「ヒューヒューお2人さん熱いねえ」

「相沢にも言ってんだけど!」

「あー、そうだ稲葉ぁ」


 相沢は大きな声ではぐらかし、稲葉くんの背中を叩く。

 男の子のやり取りって飽きずに見ていられるよなあ、と女子高出身の私が目の前の光景を堪能していると。


「俺ん家行く前に、薬局寄っていきたいんだけど――」


 俺ん家? 薬局? な、ナニを買うんだ?

 思考が歪曲する前に、私はテーブルにキッスした。


 ……待て待て待て。そういうんじゃない。誤解しないでいただきたい。私は別に、何も、同級生同士のナマモノBLを楽しんでいるわけではなく、男子大学生Aの家に、男子大学生Bが遊びに行く事実に興奮しているわけで。そんで薬局で買うものっていったらアレでしょ、みたいな腐女子というか男子高校生みたいな脳内ピンクの人格が勝手に計算して答えも出しちゃいました、みたいな。こればっかりはしょうがなくない? ねえ全国の腐女子の皆様?


 ニヤケ顔から無表情への変化を完了してから、顔を上げる。こちらに険しい表情を向けた稲葉くんと目が合う。私はにっこりを作り笑いを浮かべた。


「……あえて聞くけど、僕たちで変な想像してないよね?」

「うん」


 間髪入れず答える私に、稲葉くんはため息をつく。

 相沢はいない。稲葉くんの「先に用を済ませてきて」という頼みにより、一時退席して薬局へ向かったからだ。

 瞑想中もきちんと話を聞いてえらいな、私。


「木島さん……一応言っとくけど、相沢は冷えピタとエナドリを買いに薬局へ行っただけだからね。今日徹夜でゲームするから、その眠気覚ましの――」

「お泊りっ!?」


 しまった。声に出しちゃった。野太い腐女子の声が出ちゃった。

 また怒られるだろうか。恐る恐る彼の方へと視線を向けると。


「……ごめん」


 私の口から、自然に言葉が出た。

 彼は力なく首を振り、「いいよ」と笑う。その表情を見たらなおさら、『るりあ』をなんとかしないといけない、そう思った。


「稲葉くんたち、今日は配信するの?」

「するつもりはないけど……。うちの親厳しいから、夜勤のときにしか配信できなくて。そもそも僕がゲームにドハマりしてること自体知らないんだよね」


 衝撃の事実。オタクって親に隠せるんだ。

 うちはオープン過ぎるから推しキャラのイメージカラーと誕生日を母に把握されているというのに。


 お家ギャップが表情に出ないよう、「そっか」と素っ気なく返して続ける。


「えっと……もし可能であれば、今日も配信するのはどう? もし配信NGなゲームだったら、少しだけラジオみたいに雑談するとか」

「それって、『るりあ』の要望に応えるってこと?」

「応えるというより……知ってもらうのが一番かなって。稲葉くんと相沢の空気感を」

「それって、火に油注ぐだけじゃない?」


 それを言われると反論できない。私も推しコンビの絡みは尊いなと思ってしまう以上、否定できない。


「……別に僕は、僕自身の人気のためにゲーム配信してるんじゃない。配信は布教目的だから」


 今日一番苦しげな息を吐き出し、稲葉くんは続ける。


「……撃退したいって言ってるくせに矛盾するような、めちゃくちゃなこと言ってるのはわかってる。でもどの動画も、楽しく見てもらいたいって思いがあるから……ありかもしれない」

「え、それって」

「配信。たしかに、ちゃんと僕たちのこと知ってもらうのも大事だよね。さらっとコメントについて言及できればなお良し、って思うし」


 彼の表情は笑っていたけれど、諦めのような、何かに耐えているような苦さがあった。


 ――やっぱり稲葉くんと私は、かかわらない方がいいのかもしれない。

 自分は礼節をわきまえているオタクだと自称しているくせに、失言で何度も彼を傷つけてしまったし、そもそも私は彼の嫌悪する腐女子だし。

 ……なんて卑屈に思ってしまうのは、すぐそこにまで近づいてきた就活に向け、自己分析をしたせいだろうか。


 その日は相沢が奢りで買ってきてくれたアイスをいただいた後、彼らは相沢の家に向かい、私は帰路についた。



 後日談。

 結局、かの害悪腐女子を、私たちがどうにかすることはできなかった。

 何もできないまま。強いて言うなら様子見だとか、無視だとか。そういう結果になった。


 それから、2ヶ月後のこと。ついに始まる4年前期の履修登録のため、久々に大学へ向かう途中。

 ふいにあの日のことを思い出し、稲葉くんのチャンネルを見てみたのだ。


 投稿は止まっていた。

 彼が動画配信を始めたきっかけであるソシャゲのサ終が発表されたらしく、それに伴い稲葉くんも『私生活が多忙のため動画投稿は卒業します』と更新を停止していた。


 なんだ、ひとことくらい私に言ってくれればよかったのに。少し腹が立ったが、目を見張ったのはスクロールして現れた動画だ。

 更新停止の告知動画1つ前に投稿されたもの。稲葉くんのゲーム配信最終回を飾っていたのは、いなさくとアオのゲーム実況だった。

 それをタップすると、ふいに笑みがこぼれた。

 コメントは0件。

 別に、私たちが彼女の性根をどうこうしてやる必要なんてなかったんだ。オタクってのは、日々いろんなコンテンツに触れるし、そして離れていく。そういうもんだった。

 定期更新をしない配信者ならなおさらか。なんて、他人事のように冷たく分析する私がいる。他人事なんだけど。


 イヤホンからは、妙にテンションの高い男子たちの声が絶え間なく流れてくる。

 このゲーム、楽しそう。私もやってみたいな。なんて思って。


 稲葉くんの目指していた、楽しく見てもらいたい動画っていうのがこれなんだ。わかったよ、伝わったよ、稲葉くん。あの日はたくさん無神経なこと言ってごめん。いつか、直接謝らないと。



 人は自分に理解できないもの、嫌悪感を抱くものを攻撃し、排除しようとする傾向にある。

 でもそんな自分の衝動は抑えなければいけない。他人に寛容になる心を持ち、どうしても気に入らないなら無関心でいればいい。結果的に、今回もそうして時間が解決してくれたわけだし。


 動画の続きは家で見ることにして、ツイッターで推しカプ巡回でもしましょうかね。……なんて穏やかな気持ちでタイムラインをチェックしていると。


 ……あれ、推し絵師が鍵かけてる。え、ちょっと待て……アンチに攻撃された? ……ふざけんなよ、おい。


 ――インターネットで生み出される理不尽に無心でいること。それはけっして容易なことじゃない。

 それなら誰にも聞こえないように胸の内で、文句を言ってみればいい。鍵アカで愚痴るとか、ね……?

 やっぱりこの世から、争いが消える気配はないらしい。


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