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謎の声に一方的に告げられた内容について聞きたかったのに、すでにその気配は遠のいていて、今は全く感じることができない。
あーもー!エルフ(かどうかはわからないが、きっとそうだろう)ってのはどいつもこいつも、人の言うことなんか聞きゃあしねぇのな!!
ファンタジーだと『森の賢人』とか『叡智ある者』みたいな扱いで魔法と弓が得意な物静かな種族ってイメージだったのに、この世界のエルフたちってイメージと違い過ぎない!?
あれか、ハーピスが基準になってるからか!?
つまりは、やっぱり俺のせい!?
あああああー失敗したー!!、って、ん?
なんかさっき『ネージュ!!!』って声が聞こえたような?
しかもなんか、すごく聞き覚えのある声だったような…?
頭を抱えていた俺はそろりと後ろを振り返る。
「…ネージュ、だよね?」
するとそこには予想通りハーピスが立っていた。
ほっとしたような、なのにどこか悲しそうなその顔にズキリと胸が痛む。
あの時は逃げたくてたまらなくてつい城を飛び出してしまったけれど、落ち着いて考えればそれは酷い悪手だとわかってしまう。
きっと皆に心配をかけたし、『スノーリット王国の第一王女である自分がエルフ族の城で行方不明になる』ということがどういうことか、ちょっと考えればわかることだったのに。
そして、ハーピスがその原因をどこに求めるかも。
「ハーピス…」
俺は彼の確認に答えるように彼の名前を呼んだ。
「よかった、見つかって」
そう言って小さく笑って俺を見た顔にはまだ悲しそうな色が残っていたが、今は安堵の方が強い。
ハーピスは俺の方へ歩いてくると、「帰ろう」と言って手を差し出してきた。
「嫌かもしれないけど、一旦城へ帰ろう。その後、ネージュが帰りたい場所にちゃんと帰してあげるから」
「…え?」
俺はその手を掴もうとして、しかし聞こえた言葉に驚いて動きを止める。
彼は今、帰りたい場所に帰してあげると言った。
果たしてそれはどこのことだろうか。
「ごめんね。無理やり連れてきて。逃げ出すほど嫌がってたことにも気づかないで、なんだかんだ言いながら傍にいてくれることに浮かれて」
俺のその行動をどう解釈したのか、ハーピスは苦笑を浮かべようとしたにしては苦みが強すぎる顔でそう言いながら、彼に向けて差し出しかけていた俺の手を掴まえる。
逃げ出してきた理由をやはり勘違いされていると気がついたが、言葉を発する前に手を促されるように引かれたため、俺はまずそれに従って立ち上がることにした。
「と、ととっ」
けれどずっと石の上に座っていたからか、思いの外うまく動かない足が縺れてしまう。
サブレを供えた後さっさと立ち上がればよかったのに、あの声が変なこと言うから立ち上がるタイミングを逃してしまった結果がこれである。
タイミングって大事。
「大丈夫?疲れてるなら運ぼうか?」
ハーピスがたたらを踏む俺を咄嗟に抱きとめてくれたお陰で転倒は免れたが、まだ足は言うことを聞かない。
今支えを失えば床に逆戻りしてしまいそうだが、かと言って城へ帰るためにおんぶされるのもお姫様抱っこされるのも恥ずかしいから拒否したい。
どうしようかと迷っていると、不意に抱きとめてくれていたハーピスの手がするりと背に回り、俺の身体がその腕の中に納まった。
「ちょ、ええ?」
きゅっと、弱くはないが強くもない力で回される手に、勝手に顔が熱くなる。
ハーピスには見えていないだろうが、赤くなってしまったこと自体が堪らなく恥ずかしかった。
抱きしめられたくらいでこんなことになっていては、もうどうやったって誤魔化せないじゃないかと、誰にともなく悪態を吐く。
「……あーあ、やっぱり離したくないなぁ」
内心で酷く慌てふためきつつ、身体は固まったように動いていなかった俺の耳に、小さくハーピスの呟きが届く。
「初めて好きになった人なのに、なんでその人は俺のことが好きじゃないんだろうね」
「…っ!!」
思わず変な声が出そうになった。
だがそれを堪えてしまったことで結果何も言葉が発せない。
「初めは『ああ、また誰か来たな』ってしか思ってなかったんだよね。でも、司祭のおっさんを身を挺して守る姿をかっこいいと思ってから、なんとなくネージュを目で追うようになってさ。それから自分が倒れた直後なのにバッシルを気遣っている姿を綺麗だと思った。その後で美味しそうにカニやウニを食べる姿を見て可愛いと思った。そして、頑なだったドーパや双子の心の壁を壊してあいつらを救う姿を見て、…柄にもなく希望を持っちゃったんだよ」
「ハーピス?」
「初めて誰かに期待した。でも途中でネージュが怪しく思えて、やっぱり違うんだって思った」
一向に俺を離そうとしないハーピスに訝りながらも、その言葉に「ああ、あのターギ司祭が追放された時のことか」と思い至る。
そういえばあの時、ハーピスだけが俺の言葉を疑ったんだった。
「なのにそれも俺の勘違いで」
彼はそう言うとはあ、と重いため息を吐く。
「まさかとんでもない困難を乗り越えて生き残ったスノーリットのお姫様だったなんて、誰が思うかよ」
力なく「想定外すぎるだろ」と呟くその声音に拗ねたような響きを見つけて、俺はついくすりと笑ってしまった。
「それで、話せば話すほど素の性格っていうか、本性みたいなのがにじみ出てきて、気を許されてるんだって思った。ドクトがいるとまだ少し猫を被る癖に、俺だけだとずけずけ言ってくるようになったのが嬉しかった」
「それは、まあ、共犯者だったし」
なにより俺とこいつの性格が合っていたからだ。
バッシルとも仲が良かったのだから、それも当然と言えば当然か。
「で、最後に」
ぎゅうっと、ハーピスの腕の力が強くなる。
「上手くいくかどうかもわからないのに、俺が立てた計画を信じて実行してくれたこと。それが一番嬉しかった。ネージュの中で俺は、信頼に足るって、思われた証、だと思えて」
そう言って言葉を止めたハーピスの声が最後に震えたことには気づいた。
そっか、あの時、お前はそんな風に考えていたんだな。
あの謎の声は幼少期に誰にも理解されないながらも利用されていたというようなことを言っていた。
きっと利だけ求めた人たちはハーピスを信用していても、信頼はしていなかったのだ。
もしかしたらその印象はヒロイン補正もあって彼に都合よく映っていたからそう思えただけなのかもしれない。
けれど、そんなの関係なく『俺』の行動でこいつの心を動かして、救えていたんだとしたら、俺も嬉しい。
「…信じていましたよ?ずっと」
俺はそれまで降ろしていた手をハーピスの背に回し、初めて彼を抱きしめ返した。
びくりとその肩が跳ねたが、俺は力を緩めない。
ハーピスが思っていることを全部言ってくれたなら、俺も言いたい。
ここまで言ってくれた彼に、もう自分の気持ちを誤魔化さない。
ああ言われて喜びを感じる俺は、とっくにこいつが好きだったんだ。
それを今ちゃんと認めて、ちゃんと言おう。
「まあ、初めは適当そうで飄々としていて掴みどころがなくて。そのわりには人のことを良く見ているから油断ならない人だと思っていました」
そして今度は俺がハーピスのことを語る。
「でもターギ司祭のことは大事にしているし、色々と不器用なバッシルに優しいし、グランプとも仲が良くて、人間らしいところもあるんだなと思いました」
「人間じゃなくてエルフだったけどね」
「…そう言う意味じゃないってわかってるでしょう?それで、暗殺者に襲われた私を気遣ってくれてましたね。って、あ、思い出した!」
俺はギリッとハーピスの背に爪を立てる。
あの頃のネージュとして丁寧に話そうと思っていたが、ここだけは今の俺の気持ちからの言葉だから素に戻す。
「てめぇ、あん時服を捲ったセクシーでキュートな俺を見ても全く興味なさそうだったなぁ?ああ?」
「え?ちょ、ま、いた、いたいって、いたたたた!」
「うるせぇ!これはあの時の俺の心の痛みだ!」
実際あの時はちょっと悔しかっただけだったが、今思うとものすごく腹が立つ。
きっと女をとっかえひっかえしていたからあんな姿を見たところで何とも思わなかったんだろうと思うと、余計に芽生えたばかりの女としてのなけなしのプライドがズタズタにされる思いだ。
「いや、違うって!あの時俺、グランプの後ろにいたからなんも見えなかったの!だからよくわかってなくて!てかネージュ、服捲ってたの!?」
「捲ったよ!傷見ようとしただけだったのにドクトにめっちゃ怒られたわ…」
「なにそれ、あいつ絶対超がっつり見てるじゃん!俺も見たかった!!」
「今更かよ!?てかドクトには下心なんかないからいいだろ!」
「ダメだよ!ラッキースケベとかホントずるい!」
ぜーはーと抱き合ったまま息を切らして俺たちは叫び合った。
途中から論点がズレていた気がする。
何だこの時間。
余計なことを思い出したせいで無駄に体力を使ってしまった。
「ごほん。ともかく!その後は貴方と同じようなものですね。私を信じてエルフ族だと明かしてくれたことも、共犯者になってくれたことも、計画を立ててくれたことも、途中から全部を任せてしまえるくらい頼もしくて」
俺は空咳をして軌道修正を図った後、一度叫んだ勢いのまま自棄になってハーピスの抱擁から離れてその綺麗な顔を両手で掴んだ。
「なんか知んないけど、気づいたらいつの間にかハーピスが好きだったらしいんだよ」
自棄、というか血迷ったというか、タイミングというか。
そう言って話している間に回復した爪先に力を入れ伸び上がって、俺は『え』の形に開きかけていた彼の口を己の唇で塞いだ。
読了ありがとうございました。