10
唇を離した後に見たハーピスの顔は真っ赤だった。
「……え?ええええええ?」
わたわたと忙しなく手を動かし、狼狽えながら俺を見たり天井を見たりするハーピスは
「ううううそ、ほ、ほんとに?」
と、まだ俺の言葉が信じられないようだった。
そりゃ俺本人がこの国に来るまで自覚していなかったことをこいつが知っているわけがないのだから、それも致し方のないことではある。
俺自身でさえ信じられなくて苦しんだんだから。
「本当ですよ」
俺はハーピスの慌てる姿に逆にだんだんと冷静になり、ついくすくすと笑いながらそれを肯定してしまった。
「絶対嘘だ!そうやって笑って、俺のことからかってるんでしょ!?」
その態度が却って不信感を煽り、さらにハーピスを頑なにしてしまう。
でも俺はもう誤魔化さないと決めたんだ。
だからハーピスが理解してくれるまで何度でも教えてやろう。
俺の決意を。
「嘘じゃないですよ。だからこれからは『三根』じゃなく、ちゃんと『ネージュ』として貴方の隣に立とうと思っています」
なんとか笑いを引っ込めて、真摯な表情でハーピスを見つめる。
真っ直ぐに逸らさず、ちゃんと伝えるという意志を込めて、正面から。
「……ネージュとして?」
それに「うっ」とたじろぐ彼にまた笑いが込み上げてきたが、ぐっと堪えて俺は話を続ける。
「はい。だから手始めに、これからは言葉遣いもこれで統一します。男言葉はもう使いません」
そして仕草もそれらしくするために、俺は体の前で手を組み、意識してできるだけ嫋やかな笑みを浮かべた。
「それから、できるだけお淑やかにします。スノーリットの王女として恥ずかしくないように」
そのままさらに背筋を伸ばし、その分近くなったハーピスのヘーゼルの瞳をしっかり見て、
「人間とエルフの友好の証として、貴方に嫁ぐに相応しい姫として振る舞いましょう」
今まで否定しか返さなかった言葉に対する初めてのイエスを彼に返した。
「そういえばネージュはどうしてここにいたの?」
あの後、俺の言葉が本当で、過去の自分のプロポーズが今成功したことを理解したハーピスは、まさかのまさかで泣き出した。
そんな展開になるとは思わず、俺は彼の涙が治まるまで待ってから帰ろうと提案し、結果俺たちはまだ祭壇の前にいた。
そして5分ほどかけてようやく落ち着いてきたハーピスは、冷静になったらそんなことが気になったらしい。
「ええと、森に入ったら急に城から離れた場所に出て、暗くなる前に洞窟みたいなところを探そうと思って歩いたらここがあって、人も来なそうだし丁度いいから夜の間お邪魔しようかな、と」
突然の疑問に戸惑いながら、俺は森に入ってからここに来るまでのことを思い出しながら簡単に説明した。
木の棒を倒して方向を決めたと言ったらなんだか馬鹿にされるか怒られそうな気がして、そのことは伏せておいた。
「んー、ネージュ、もしかして呼ばれたりした?」
ハーピスは俺の説明にやや不審気に眉を顰めると目の前の祭壇を見上げた。
すっかり涙の乾いた瞳でじっともの言いたげに見上げ続けるが、何も変化は起こらない。
「…呼ばれた?」
なんとなく一緒に祭壇を見上げた俺はふと思い当たる。
ここに着いた時、あの声は何と言っていた?
『…そういえばここに人間の客人を招待するのは初めてであったな。訪ねてくる時間も種族も常識外だが、我はそなたを歓迎しよう』
そう言っていたはずだ。
あの時は何とも思わなかったが、『招待する』という言葉は『招いた』ということで、つまりここに来るよう俺を導いたのはあの声の主だったということではないのか。
例えば俺が持った棒を北西に向けて倒したりして。
俺が神様おじさんの知り合いだとは知らなかったみたいだけど、ハーピスの関係者としては知っていたみたいだし。
だからそれを『呼ばれた』と称するのならば。
「そうですね。きっと呼ばれました」
あの誰よりもハーピスの幸せを願っていたのだろう声の主に。
「そっか…」
ハーピスはため息を吐くと、くるりと視線を俺の方へ向ける。
「レイフェルドに気に入られたんだね。ご愁傷様」
そして何故か慰めるかのように俺の肩にそっと労わるように手を置いた。
その行動の意味も『ご愁傷様』の意味も問いたいが、
「……レイフェルド?」
どうしてここでハーピスがかつて口にした『偉大なるエルフの王』とやらの名前が出てくるのか問わずにはいられなかった。
まあ、どうしたもこうしたも、答えは一つだろうが。
「あの声の人、レイフェルドだったんですか?」
道理で威厳があって偉そうな声だと思った。
声の主は実際に偉かったのだ。
と、いうことは?
「もしかしてここ、レイフェルドの霊廟、とかでした?」
だから誰も来ていなさそうな割には綺麗で頑丈で祭壇なんかがあったのだと、俺はようやく自分がいた建物について知った。
「そうだよ。その感じだと結構会話とかした?」
ハーピスは肩を竦めて俺の言葉を肯定する。
『ほんと、これだからネージュは』とでも言いたそうな顔だが、不可抗力だと言いたい。
「しました。なんか無駄に賢しいって言われて、お説教みたいなことも言われました」
声の主、レイフェルドとの会話を思い出しちょっとだけイラッとしたが、大事なのはそこではないと思い直し、俺は彼の言葉をハーピスに伝える。
「それから、ハーピスのことを信じろって言われましたよ」
俺は再び祭壇に目を転じると、天井のすぐ下辺りに人型の像を見つけた。
今まで気がつかなかったそれは、きっとかつてのレイフェルドの御姿。
「我が愛し子のことを頼む、とも」
そう言った俺はその像に向けて微笑み、目礼をする。
まさかエルフの始祖だという初代国王に助言をもらっていたとは思わなかったが、彼のお陰で俺は心を決めることができた。
『俺』は『私』として、これからもハーピスと一緒にこの世界で生きていく。
自分でも認められなかった気持ちも、頭のどこかでまだゲームの世界と思っていたことも、全てに心の折り合いをつけられた。
それは間違いなくここに来られたからだ。
俺はすっきりとした気持ちで目を開け、下から上まで祭壇を見上げる。
やはりどこにも彼の気配はないが、ここにいればレイフェルドに声が届くような気がして、彼に向かって「これでよかったのかな?」とぽつりと呟いた。
『うむ』
「へぇ!?」
だから気がしただけで応えを求めていなかったから、本当にただの独り言のつもりだったそれに突然返事を返されて、驚きすぎた俺は間抜けな声を上げてしまった。
読了ありがとうございました。




