魔女と商人
遅くなって申し訳ございません。
ちいさな村に、ちいさな魔女がやってきました。
ちいさな魔女は空き家を借りて、お店をはじめました。
売っているのは、村で手に入る食材で作った保存食です。
彼女の料理の腕は確かで、瓶詰の保存食は美味しいと評判を呼び、遠くの街からもお客がやって来るようになりました。
ちいさな魔女は、魔女なのに、とても素直でまっすぐな性格をしていました。
――本来魔女は人間を騙す側なのに、彼女は簡単に人間に騙されてしまうのではないだろうか。
人の良い村人たちは、嘘のつけないちいさな魔女のことをとても心配していました。
店にお客が増えるにつれて、村人たちの心配は現実のものとなりました。
「またお金をもらえませんでした」
お店の前でしょんぼりと座り込んでいた魔女は、駆け寄ってきた隣に住む農家のおばさんに、途方にくれた顔でそう言いました。
「だから、先にお金をもらってから商品を渡せといつも言っているだろうっ」
それをきいたおばさんは腰に手を当てて、目を吊り上げて怒りました。騒ぎに気付いた村人たちが店の前に集まってきます。
「今回はどのくらい取られたんだい?」
「十個くらい」
体を丸めてさらにちいさくなる魔女を見て、村人たちはため息をつきました。
「先に荷車に積ませてくれと言われたの」
「だからねぇ……」
再び怒鳴りつけようとしたおばさんの肩を、隣に立つ女性が軽く叩いて首を横に振りました。
「……誰か、しっかりした人を雇った方がいいかもしれないねぇ」
その言葉に全員がその通りだと思いましたが、みんな自分の畑仕事が忙しくて魔女の店を手伝う時間がありません。
「泥棒ってこいつ?」
そんな声がして、村人たちが一斉に振り返りました。月に一度、少し離れた街から魔女の瓶詰を大量に買い付けに来る商人が立っていました。大きな荷車を引いたロバを連れています。荷車の中には、瓶詰が十個乗ったちいさな荷車と目を回した男が乗せられていました。
「なんかものすごく慌てた様子で村から逃げてゆこうとするから、おかしいなと思って」
「あーっ」
魔女が男を指差して大声を出しました。こいつか……と、村人たちが荷車を取り囲みました。
「どうしてくれようか」
「目を覚ますまで、そこの木にでも縛り付けておいたらどうですか?」
商人の提案に、村人たちは一斉に頷きました。
盗まれた商品は商人が店内に運んでくれました。
戻って来た瓶詰が割れていないかを確認しながら、魔女はお礼を言いました。
「ありがとうございました。おかげで取り戻せました」
村人たちが、泥棒を木にロープで縛り付けています。その傍らで、ロバがのんびりと草を食べていました。
「ずっと前から聞こうと思っていたんだけど……魔女さん、使い魔はいないの?」
躊躇いがちにそう尋ねられて、ちいさな魔女は思わず手を止めて俯きました。使い魔は魔女のお手伝いをしてくれる魔物のことです。魔女は大抵見習いの内に、師匠の魔女と使い魔になってくれる魔物を探すのです。
「僕は色々な街に行くから、他の魔女のお店も知ってる。作るのは魔女で、売っているのは使い魔ってところが多いから……」
商人の言葉に、ちいさな魔女はため息をつきました。
「私、出来損ないの魔女なので、使い魔になってくれる魔物がいなかったのです……」
「そうか。ごめんね……」
魔女が落ち込んだ声でそう言うと。商人は大慌てで謝罪してくれました。
「大丈夫です。お約束通り、ご注文の品はちゃんと揃えてありますよ」
魔女は努めて明るい声でそう言うと、店内の片隅に積み上げられた木箱を指差しました。
瓶詰を二グロスと、乾燥させた棒のような形のパンも同じだけ。毎月毎月これだけの量を商人は注文してくれます。
「では、来月も同じだけ。同じ日に取りに来るから」
そう言って商人は、注文票と金貨数枚をカウンターの上に乗せました。
あまりに量が多くて材料費もかかるだろうと言って、彼は商品代金をいつも前払いしてくれていました。
魔女は人間を騙すものですから、先にお金を払うのはとても危険なことです。持って逃げるかもしれないし、いい加減なものを作って渡すかもしれません。そういう悪い魔女もたくさんいるのです。商人はたくさんの魔女と取引をしているのだから、ちゃんとわかっているはずです。
それでも彼は、「魔女さんは嘘がつけないからね」と笑って、気前よく商品代を先に払ってくれていました。
ちいさな魔女はその信頼に応えるために毎日一生懸命瓶詰を作り、パンを焼きました。
「僕は魔女さんが出来損ないだとは思わない。あなたの瓶詰はとても評判がいいからね。……でもそうだなぁ、お客さんも増えたし、そろそろ、住み込みでお手伝いをしてくれる人を探してみたら? ひとりではもう大変でしょう? 信用できるお客さんに紹介してもらうのはどう?」
商人の言葉に、魔女はそれもいいかもな、と思いました。
魔女の店にお客さんが増えたのは、商人が魔女の瓶詰を色々な街で一生懸命宣伝してくれたおかげでした。でも、そのせいで泥棒が増えてしまったと彼は申し訳なく思っているのです。
ちいさな魔女は、出来損ないでも魔女だったので、そのことに気付いていました。だから、商人に心配をかけないためにも、お手伝いの人を誰か探そうと心に決めました。
ちいさな魔女と商人が木箱を手分けして荷車に乗せていると、木に縛り付けられている泥棒が目を覚ましました。泥棒は自分の前で箒を構えて立っている村人たちを見て、再び目を回してしまいました。ちいさな魔女と商人は顔を見合わせて笑いました。
ちいさな魔女はその夜、夢をみました。
夢に出て来たのはとても綺麗な顔をした男でした。真っ白い、だぶだぶの服を着ています。
見渡す限りの草原。満点の星空の下で二人は向かい合って立っていました。
「ねえ、ちいさな魔女さん。僕とゲームをしよう」
その言葉で、魔女はすぐに男が夢に入り込んできた魔物だと気付きました。
「簡単なゲームだよ。僕の後ろにあるこの砂時計の砂が落ち切るまでに、君が僕の正体を当てるだけ」
魔物がパチンと指を鳴らすと、ぼんっと背後で白い煙が湧き上がって、魔物の身長の五倍はありそうな巨大な砂時計が出現しました。新雪のような砂が上から下へ流れ落ち始めました。
「この砂が下に落ち切るまでに、僕が何であるか当てられたなら君の勝ち。君は何も失わない。でも、当てられなかったら君の負け。不正解の度に、僕は君からひとつ記憶をもらう」
魔物はとても楽しそうに目を眇めました。
「勿論、ただでゲームに参加してくれなんて言わないよ。参加してくれるなら、この使い魔を君にあげる」
魔物が右手を握ってパッと開くと、手の中に白い鳩が現れました。鳩は羽ばたいてちいさな魔女の目の前まで飛んでくると、優しそうな女の子に姿を変えました
「はじめましてご主人さま」
女の子はスカートを広げて持つと、足をクロスさせて深々とお辞儀をします。
「ほら、名前をつけてあげて」
優しい声で唆されて、ちいさな魔女は思わず、
「ルールー」
ずっと昔から、自分の使い魔につけようと決めていた名前を口に出してしまっていました。はっと両手で口を押えてももう手遅れです。
「かしこまりました、ご主人さま」
女の子はとても嬉しそうに笑いました。その瞬間に、魔女と魔物の契約は結ばれてしまったのです。
ちいさな魔女の店は、可愛らしい女の子が店番をするようになりました。
この村からすこし離れた街の孤児院から引き取った子だと魔女は村人に説明しました。
明るくて礼儀正しい働き者のルール―は、すぐに優しい村人たちに受け入れられました。
ルールーの身長はちいさな魔女と同じくらいなのですが、彼女は魔女よりもずっとしっかり者でした。その日から魔女の店は商品を泥棒されることがなくなりました。
一方の魔女は、夕方になると窓の外を見て物憂げにため息をつくようになりました。
ちいさな魔女の夢には毎晩白い魔物が現れました。その背後にはいつも大きな砂時計が聳え立っています。上の砂はまだたいして減ったように見えませんが、いつかはすべて下に流れ落ちてしまうのです。残された時間がどれくらいなのか、魔女には見当もつきません。
砂時計の前に白い丸テーブルと椅子が置かれ、魔物は優雅に紅茶を飲んでいました。いい香りが少し離れた場所に立つ魔女の元にも漂って来ました。
魔物が片手に乗せていた賽子をテーブルの上に落としました。
「今夜は三だね」
魔物はそう言って優雅に微笑みました。
ちいさな魔女は、恐怖に体を震わせながら声を絞り出しました。
「クマ」
「違うよ」
「オオカミ」
「違う」
「キツネ」
「残念」
魔女は絶望的な気分になりました。
「はい、今夜はもうおしまい」
パチン! と魔物が指を鳴らすと、朝がやってきてちいさな魔女は目を覚ますのでした。何を奪われたのかわからないまま、のろのろと魔女はベッドから体を起こすのです。
「大丈夫ですか? ご主人様」
ため息をつきながら朝食を食べるちいさな魔女を、向かい側に座るルール―が心配そうな顔をして見ていました。
ルールーは気遣いのできる優しい娘でした。いつも笑顔で魔女のお手伝いをしてくれました。毎日一緒に過ごしていく内に、いつしかルールーはちいさな魔女にとって、代わりの利かない大切な存在になっていました。
魔物の正体さえ当てることができればちいさな魔女は何も失わないで済みます。でも、当てられなかったら魔女はすべてを失ってしまうのです。
魔女はすでに沢山の記憶を失ったはずなのに、自分が何を忘れてしまったのか全くわかりませんでした。忘れたことすら忘れてしまうのです。
毎日夜はやってきます。魔物の問いに魔女は答えなければなりません。
強い力を持つ魔女なら、相手の瞳を一目見ただけで正体を見抜いてしまうでしょう。でも、ちいさな魔女は保存食を作ることしかできない出来損ないでした。どんなに長く生きていても薬ひとつうまく調合できず、他の魔女たちに馬鹿にされ笑われ続けてきました。
相手はちいさな魔女よりずっと力の強い魔物です。臆病な魔女は恐ろしくて魔物の目をまっすぐに見ることすらできないのです。
ああ、何故あの時自分は、使い魔に名前をつけてしまったのでしょう。
……でも、あの時名前をつけたから、ルールーはかけがえのない家族としてちいさな魔女の傍らでにこにこ笑っていてくれるのです。
夜が来るのが恐ろしい。いつしか魔女は夕方になると作り笑いを浮かべるようになりました。
ルールーが魔女の店にきて半年が過ぎようかという頃、砂時計の砂の半分が下に流れ落ちてしまっていました。
「六だね」
魔物の言葉にちいさな魔女は逆らえません。「リンゴ」「ブルーベリー」「ノイチゴ」思いつくまま口に出した果物の名前はすべて不正解でした。心臓が嫌な感じでどきどき走り出していました。
「あと三つだよ」
優しく労わるように魔物はちいさな魔女にそう言いました。でも顔はとても意地悪く笑っているのです。
「スグリ」
「違う」
「ラズベリー」
「違うね」
「オレンジ」
「残念でした」
ちいさな魔女は泣くこともできずに、茫然と立ち尽くしていました。
「じゃあ今夜はこれでおしまい!」
パチンと指を鳴らす音がして、魔女は目を覚ましました。ベッドの上で魔女は両手で顔を覆って泣きました。
「ねえ、最近様子がおかしくない?」
ちいさな魔女にそう尋ねたのは、月に一度やってくる商人でした。
ひとつの木箱に瓶詰が一ダース。注文は二グロスなので、木箱は全部で二十四個。三人で手分けして店から外に置かれた荷車まで運びます。ロバはいつもの場所で草を食べています。
「数カ月前くらいから様子が変だなとは思っていたけど、先月よりやせたよね。顔色もあまり良くないよ?」
心配そうに尋ねてくる商人に、ちいさい魔女はどぎまぎしながらも、作り笑いを返すことしかできませんでした。
「なんか、おかしいんだよね……」
商人がしきりに首を傾げています。
「ああ、今月も来たんだね?」
畑から戻って来たとなりのおばさんが、親し気に商人に声をかけました。
「ねえ、おばさん。魔女さんやせたよね。顔色も良くないよね?」
男が尋ねると、おばさんは不思議そうな顔をしました。
「わたしにはいつも通りにみえるよ? 気にしすぎじゃないかい? 口説くんだったらもう少しましな言葉を使いな」
そう言っておばさんは豪快に笑って通り過ぎて行ってしまいました。
「……やっぱりおかしい」
商人は難しい顔をしてぼそりと呟きました。
ちいさな魔女は何も聞こえないふりをして店に戻りました。
「魔女さんあと三つです」
ルールーが箱を抱えながら笑顔で店から出てきました。その言葉を聞いた途端、ちいさな魔女は思わず顔を強張らせてしまいました。
「ねぇ、ルールー。魔女さん最近やせたよね。顔色もよくないよね?」
商人は同じことをルールーにも尋ねています。
「そうですね……最近食欲もないようで、とても心配です」
ルールーはそう答えて悲しそうに目を伏せました。ちいさな魔女はルールーに心配をかけていることを申し訳なく思いました。
「ルールーがいるから大丈夫だと思うけど、二人とも何か困ったことがあるなら言ってね」
商人は来月分の代金を払うと、「また来月同じ日に来るから」と言って浮かない顔のまま帰ってゆきました。
……そして、夜になると魔物がちいさな魔女の夢に現れます。砂時計の砂はもう残り僅かです。
「今日は四」
賽子を投げた魔物は楽しくて仕方がないという様子でした。ちいさな魔女はもう恐怖すら感じません。ただすべてを諦めた目で、何の感情もこもらない声で、思いつく言葉を並べてゆきます。
「ドレス」
「違う」
「鏡」
「違うね」
「櫛」
「不正解」
「髪飾り」
「残念ちがうよ。今夜はここまで!」
魔物は上機嫌でパチンと指を鳴らしました。ちいさな魔女はもう涙も出ませんでした。
魔女の店の商品は少しずつ種類が減ってゆきました。それに従ってお客も減ってゆきました。
魔女が何かを忘れると、周囲の人々も魔女のことを忘れてゆくようでした。
だんだん村人はちいさな魔女のことを気にかけなくなりました。道であっても声をかけられることが少なくなりました。
意地悪をしているのではなく、村人は魔女の存在を忘れ始めていたのです。ちいさな魔女は自分が透明にでもなったような気分でぼんやりと店の前に座っていました。
店の棚からとうとう商品がすべてなくなり、店には誰も来なくなりました。村人たちが魔女に話かけることもありません。魔女はすべてを忘れてしまいました。村人たちも魔女のことを忘れてしまいました。
商人はとても嫌な予感がしていました。
今日は魔女の店を訪れる約束の日でした。それなのに、商人は、それをすっかり忘れてしまっていたのです。気付いたのは夜になって月が輝き始めてからでした。
毎月同じ日に、ちいさな魔女の店に注文しておいた瓶詰を取りに行く。
それが魔女との約束でした。
魔女はいつも約束を守って注文の品物を作って待っていてくれました。
ちいさな魔女と出会って、最初に約束をした日からもう何年経ったでしょう。
どんなに忙しくても、この日の事を一度も忘れたことなどなかったのに……
商人は、大切な約束の日を忘れていた自分が信じられませんでした。
ちいさな魔女の店はもう閉まっているに決まっています。魔女もルールーももう眠っているでしょう。それでも、商人は居ても立ってもいられず、誰もいない夜道を歩き続けました。
――魔女が自分をずっと待っている気がしたのです。
魔女の住む村に到着したのは、深夜でした。静まり返った村の中を走り抜けて、ちいさな魔女の店の前に辿り着くと、店の扉は開け放たれていました。
店中は空っぽでした。随分掃除もしていないようで床に埃がたまっています。
店の奥へ続く扉を開けて、商人は息を切らしながら奥の工房に駆け込みました。
竈の前で、ちいさな魔女が、満月の光を浴びながら立っていました。……出会った時と同じ姿のままで。
「さて、これが最後。僕の正体は何だろう」
どこからともなく、楽し気な声が聞こえてきました。
ちいさな魔女に向かって手を伸ばした商人の目の前で、
「……私?」
と、彼女はちいさな声で答えました。そして、商人を見て寂しそうに微笑みました。
「不正解!」
パチンと指を鳴らす音がして、ちいさな魔女の姿は白い煙と共に消え失せてしまいました。
ちいさな魔女が立っていた場所には、砂時計が落ちていました。それは、彼女が瓶の消毒をする時間をはかるために、いつも使っていたものでした。
商人が拾い上げると、砂時計の中は空っぽでした。ガラスは割れていないのに、時間をはかるための白い砂は全部、消えてしまっていたのでした。