33 シエラとまつろわぬ者 その5
ジオードは『もの』に『たましい』を与えることができるのだと赤い目の魔物は言っていた。恐らくそれはこの世界でジオードだけが持つ特別な力なのだ。もしかしたら、魔物たちには同族しか扱えない特別な能力みたいなものがあるのかもしれない。
例えばフリュオリネ親子は記憶を抽出することができた、金の獣とセリアナは魔除けの紋を生み出し、足の生えたマンボウは鏡に映った景色を記録として残せるようだった……
――主さまに新しい名前をありがとうございました。これでもうあなたは用済みです。
蝶々夫人(仮称)の声が頭の中で渦を巻く。忘れたいのに……忘れられない。
ジオードにできることは、配偶者であるシエラにもできる……らしい。実際にその力を使って、シエラは消滅を待つばかりだった魔物に『ノヴァ』という新しい名前を与えてしまった。
用済みという言葉を使っているということは、彼女の計画通りに物事が進んだということだ。魔物の時間感覚では、シエラが配偶者になったのはほんの数分前くらいのことだろう。もともとの計画ではジオードに新しい名前をつけさせるつもりだったとも考えられる。
……さて、そのためにはどうするか。
(人質を取って脅迫するとかかが一番手っ取り早い気がする……)
そういえば、似たようなことをやって自滅した魔物がいたなぁと、シエラは思わず遠い目をして天井のを見上げた。嘴から炎でも吐き出しそうなくらいに怒り狂った黒い鳥に髪をむしられていた姿が、鮮明に思い起こされる。……これもまた、忘れたくても忘れられない。
フリュオリネ(兄)はシエラを人質にして、ジオードを『晶洞の森』の外に引きずり出すことに成功した。シエラが自力で檻を破ったために結局はうやむやになったが、彼はジオードに何をさせたかった……?
「たましいを失った空っぽの体に仮初の命を与えて、一時しのぎをしようとした。だいたいそんなところだろうな」
ドアが開いて、甘い匂いのするマグカップを片手に持ったジオードが食堂に入ってくる。
「だから、心を読むのはやめましょう」
言っても無駄だというのはわかっているが、なし崩し的に許容したことにされるのは嫌なので、きちんと抗議しておく。
当然の如く返事はないし、特に期待もしていなかったので、シエラはジオードが差し出したマグカップを受け取る。
小鍋でココアパウダーを丁寧に練り上げて作ったココアには、マシュマロがふたつ浮かべられていた。両手で包み込むように持ってゆっくり口に運ぶ。マシュマロの角が取れてふわふわとした泡になってゆく。唇に触れる泡の感触が心地いい。
「……すごくおいしい。ありがとう。うれしい」
ほうっと息をついてから、シエラはジオードを見上げてお礼を言う。
「そういうとこ律儀だよな、あんたって」
「読まれているいうことはわかっていても、ちゃんと言葉にするのが礼儀だと思うんだよ」
「そういうことじゃない……」
ジオードは苦笑してからシエラの隣に腰をかけ、ココアを飲む様子を観察し始める。
食べたり飲んだりしている姿をじーっと見られるのは結構恥ずかしいものだ。シエラはマグカップをテーブルの上に置いて、抗議の意味を込めて色違いの瞳を見つめ返してみた。そして、ふと気付く。
……そういえば、ジオードは最近女性の姿を取っていることが多い。
「こっちだと、近くに寄ってもあんた気にしないから。男性姿の方だと色々意識するようになってきたのはいい傾向だとは思う。とりあえず中級者コースについての考察がまとまったら教えて」
その言葉はシエラの右耳から左耳へと抜けていった。しばらく室内に沈黙が落ちた。
「どっどどどどどどうしてそういうことを平然と!」
座ったまま後退ろうとしたせいで、いつかのようにシエラは椅子ごと後ろにひっくり返りかける。立ち上がったジオードが手首を掴んで引っ張り戻した結果、椅子は後ろに倒れ、シエラは前に倒れた。
ジオードは男性姿に変わっている。その腕の中にすっぽりとおさまったシエラは、意味不明なうめき声をあげていた。動揺しているのが自分だけという現実が辛い。エプロンの胸元に額をくっつけるようにして、火が出そうになっている顔を隠す。
「一度、本当にできるのか確認しておきたかったんだろうな」
「なにがっ」
「さっきの話の続き」
「どれっ」
「……さぁ……どれだろうな。……最近、あんたずっとまともに眠れていないよな?」
「そ、そそそその話は一体どこに繋がるのでございましょうか」
動揺しているせいでおかしな敬語になっている。冷や汗が止まらないのは何故だろう。会話内容はいたって普通なのに、何となく裏があるように感じてしまう。
「……さぁ、どこだろう?」
「こちらの報告書の提出期限が明日なのですよっ。でもまだ白紙なのですよっ」
だから邪魔しないでもらいたい。集中力を乱すようなことはやめてほしい。宿題終わらせてからじゃないと外に遊びに行けない。お昼寝もダメ。
「適当に書くってことができないよな、あんた」
「それはダメでしょう。誰が読むかわかりませんし提出期限も守るべき!」
「そういうところ、結構好き」
「はぁあぁぁいぃ?」
自分でもどこから出たのかわからないような奇声が飛び出した。脳みそが沸騰したように何も考えられなくなる。
「……い、いやいやいやいや融通きかないって、よく文句を言われ……」
「俺は好き」
ひゅっと喉の奥が鳴った。目を閉じて羞恥に耐える。足を踏み鳴らして思いっきり暴れたい。部屋にひとりだったらきっと、崩れ落ちるように座り込んでいた。
「………………な、ななななななな、なら、じゃ、じゃまするのをやめましょう」
我ながら可愛げがないなと思いながら、震える声でそう返す。ここで私もあなたが好きだと言えるようなら苦労はない。
「すごくかわいいと思うけどな、俺は」
「だから読まないで―っ」
思わず両手で顔を覆う。つまりは、『あなたが好き』も筒抜けの訳だ。……ほんとうにつらい。
「……ココアが冷めるな」
ふと気づいたようにジオードが呟く。
「なら、美味しいココアをゆったりとした気分で飲めるようご協力くださいお願いします」
真っ赤な顔で半泣きになりながらシエラは懇願した。ひとしきりシエラをからかって遊んで満足したらしく、体を離したジオードはさっさと女性姿に戻って、倒れた椅子を起こすとシエラに座るよう促す。
ぎくしゃくとした動きで隣の椅子座ったシエラは力尽きたように報告書の上に突っ伏した。血の巡りが早い。手の甲まで真っ赤になっているのは見なくてもわかる。
「あんたがここに来る前から、『沼』はあいつを狙って攻撃を仕掛けてきていた」
急に話を元に戻さないでほしい。一瞬何のことがわからなかった。
「……ノールを人質にするつもりだったんだね。でも、名前を与えようにも、すでに本体がなかったのでは?」
シエラが顔を少し上げて尋ねると、ジオードは首を傾げて頬杖をついた。
「あんたは体と記憶。どちらをもって本物とする?」
「……はい?」
シエラは顔を上げて、その言葉の真意を問うようにジオードの色違いの瞳を見つめる。
「あんたは妹たちを偽物だとは思ってない。そう言ってたよな?」
「ジオードその場にいなかったよね!」
ひょっとして常に見張られて……いるのだろうなとシエラは内心ため息をつく。つまりは行動も感情も心の声も何もかも全部筒抜け。
……まぁいいや。ジオードだし。
基本、魔物に人間の常識は通じない。何事も諦めが肝心なのだ
以前彼は、目を離すとすぐに危険な目にあうとか何とか言っていた。恐らくそうしないと、脆弱な人間(多分まだかろうじて人間)のシエラは『ちょっと危険』レベルであっさり命を落とす。
「両方揃っていれば問題ないだろう。だが、俺たちはどちらも簡単に手放せる。たましいに『体』や『記憶』という服を着せる。そんな感じで……」
勢いよく立ち上がったシエラの背後で、再び椅子が倒れる。シエラは眉間に深い皺を寄せて色違いの目をまっすぐ見つめた。
「ジオード、スピカに何かした?」
魔物は基本的に説明をしない。記憶を捕食できる彼らには必要がないからだ。それこそ行けばわかるやればわかるで全部片付ける。そうしなかったのはフリュオリネ(父)とスピカだけだ。シエラが理解しやすいように身近なものにたとえるのはスピカの方!
「まさか、捕食したの?」
ジオードはシエラの大切なものに決して危害を加えない。そこは全く疑っていない。ただ、スピカがシエラのために何を願い、何をしたのかが知りたいだけだ。
ジオードの瞳の色が……変わる。
「蛍石が手紙を届けに来た。あんたのことが心配で仕方がなかったんだろうな」
そう言って微笑んだ魔物は、目の色以外は同じであってもジオードはない。消えてしまった赤い目の魔物と同じ存在だ。
ここは、同じ顔をした別の記憶を持つ存在と、違う顔をした同じ記憶を持つ存在が当たり前に存在する世界だ。ジオードが言いかけたように、たましいは『身体』という肌着を身に着けて『記憶』という名の服を重ねてゆく。重ね着すればするほど重くなる。だから……魔物は記憶という服を簡単に手放してしまえるのかもしれない。
この世界は嘘と偽りと誤魔化しでできている。ならば、たましいと体と記憶。何をもって本物とするのか。
「保安官の目を持つ者は、記憶や姿ではなく、たましいを見て本物か偽物か判断しているってこと?」
「さあな。俺は保安官じゃないからわからない。ただ、あんたが俺を本物でないと言うのなら、そうなんじゃないのか?」
ジオードが与えられるのはあくまで仮初の命であり、小さなメモは文字で埋め尽くされれば、その役目を終える。
「前回よりは余白が多いから、数週間くらいなら問題ない。……ココアが冷めるぞ」
シエラは差し出されたマグカップを受け取って、ぬるくなってきたココアを一気に飲み干す。
「……なぜにこんなことを?」
誤魔化しは許さないという目で尋ねると、
「あんた、虫も苦手だよな」
スピカと同じ青い目の魔物は目を眇めて微笑んだ。何やら嫌な予感がひしひしとしてきたシエラは顔をひきつらせた。
足が多いのも無理だが、やっぱり足がないのも無理だ。
虫は生態系の中で重要な役割を持っている。虫が受粉の手助けをするから野菜や果物がが実る訳だし、葉を食い荒らす害虫を食べてくれる虫も存在するし、ミミズのいる土はフカフカだ。とにかく、全部いなくなったら色々困ることが多い。わかっている。わかっているのだが……
「でもむりーっ」
シエラはスピカと同じ目の色をした魔物に縋りつきながら大声で叫んだ。声に驚いたのか、すぐ隣の木の幹に張り付いていた巨大な何かが飛び立った。羽音が煩い。思わず両手で耳を塞ぐ。
目の前には巨大なカタツムリ。殻の大きさだけでもシエラの身長よりはるかに大きい。……殻以外は見たくない。キラキラ虹色に光っている粘液とかも見たくない。今すぐ晶洞の森に帰りたい。
(なぜにこの世界の虫は無駄に大きいのでしょうか。――それは、魔獣だからです)
脳内で意味もなく質疑応答してみる。英語だとWhyから始まるのだろうか。
人の姿を取っていない魔物は虫でも魚でも鳥でも全部魔獣と呼んで区別する。人の姿だったら魔物。魔物が動物に姿を変えたら魔獣。見た目で呼び方が変わるという訳だ。魔獣は一般的に人の姿を取れる魔物より知能が低い……が、魔物が姿を変えている魔獣はその限りではない。
「まだ来たばかり……」
「むりむりむりむりむりっ。絶対むりっ」
シエラがしがみついているジオードは正確には偽物だ。でも、この際なんでもいい。姿と記憶が同じならもうジオードでいい。ふたりの前をのんびりカタツムリが横切り、空には巨大なトンボが飛び回っている。今のところ、こちらを攻撃してくる様子はないが、奴らは確か肉食のはずだ……
「とりあえず、先に進むぞ」
「むり」
「仕事終わらないと帰れないんだろう」
「むり」
今日も今日とて涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。いくら人手が足りないからといって、脆弱な人間の保安官を、巨大肉食昆虫が生息する領域に放り込むか普通。他にきっと適任者がいるだろうに。
「餌? 餌なの? ねえ私って餌なの? もしかして生餌?」
青い目のジオードはため息をつくと、恐怖のあまり錯乱状態に陥ったシエラを抱え上げる。進行方向はカタツムリによって塞がれているので迂回するつもりのようだ。
ホラーも嫌だがコレも無理。シエラは震えながら魔物の首にしがみついて、かたくかたく目を閉じた。




