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26 シエラと赤い目の魔物 その1



 ――木を隠すなら森の中。



 どこからか音楽は流れてくるのに、一向にダンスホールに辿り着けない。物と人が多すぎてまっすぐ歩くこともできない。時間すら停滞しているような気がしてくる。

 壁は金枠の鏡で、その鏡の上にも小さな金枠の鏡がかけられている。シエラは終わりのない合わせ鏡の世界の中をさ迷い歩いていた。記憶の中は相変わらず空っぽだ。

 少し前まで右手側に見えていた螺旋階段が正面に移動しているから、メリーゴーランドのようにこの会場自体が回っているのかもしれない。そんな展望レストランがあったなとぼんやりと思い出す。あれはいつのことだろう。デパートの紙袋の模様や誰かが食べていたクリームあんみつのことは覚えているのに、自分が何を食べたのかは忘れてしまった。


 仮面をつけて笑いさざめく人々の間をすり抜ける。肩がぶつかっても足で蹴っても、誰も紺色のドレスを着た娘を気にも留めない。透明人間にでもなったような気分だ。もうずっと長い時間こうして歩き回っているような気もするし、そんなに時間が経過していないようにも思える。


 ――確か以前にもこんなことがあった。その記憶の先にあるのは、夜の車窓から見た月。


 赤い目の魔物に変わったジオードと、二言三言言葉を交わした覚えはあるが、気がついたらこの騒がしいパーティー会場にひとりで立っていた。赤い目の魔物の行き先など、シエラにわかるはずもない。

 ドンっと肩に誰かがぶつかった。その途端世界が伸び上がった。……のではなくシエラが縮んだ。シエラの目の前で白い猫の仮面がはがれ落ちる。一瞬だけちらりと見えた少女の横顔はとても美しかった。


「踏まれるよ、シエラ」


 ひょいっと片手ですくいあげられて肩に乗せられる。よく知っている声のはずなのに思い出せない。男は燕尾服を着て大きすぎるシルクハットを目深に被って目許を隠していた。指先から微かに火薬の匂いがする。

 肩の上から床を見渡せば、ドレスの下やズボンの裾の間に猫の尻尾がいくつも見え隠れしていた。この会場内に一体何匹の黒猫が隠れているのだろう。


「木を隠すなら森の中ってやつ。状況が変わって、ちょーっと危険な感じになってるから、この中からジオード君見つけて守ってもらって」


 その『ちょーっと危険』という言葉に、黒猫シエラの耳はピクッと反応した。


『それ、ちょっとの危険じゃないですよね、絶対』


 そう言ったはずなのに、口からはにゃあにゃあにゃあという可愛らしい鳴き声がした。


「ま、とりあえず行けばわかるから」


『覚えてないんですけど、その言葉全く信用なりません』


 にゃあにゃあにゃあ……。


「もう一人手のかかるのがいるから、ここから動けないんだよ。調子に乗って余計な事ペラペラ喋るもんだからさ……あ、危なくなったら死んだふりしてね」


『だから、死んだふりしたら喰われます!』


 にゃあにゃあと抗議しようとしたのに、男はあろうことか、黒猫シエラを壁の鏡に向かって放り投げたのだ。天使の羽根が降り注ぐ中をくるくる回りながらシエラは飛んで行く。目前に迫った鏡面はまるで水のようにちいさな体を飲み込んだ。


「わわっ。え? 今度は黒猫さん?」


 さすが猫! という感じで体が勝手に動き、黒猫シエラは見事カウンターの上に着地した。茶色い髪を三つ編みにした若い娘が目を真ん丸にしてシエラを見つめている。


「あ……シエラさん、黒猫になってるんですね」


『なぜにわかるの?』


 にゃあにゃあにゃあ。……やっぱりダメだ。がっくりと黒猫シエラは項垂れた。思ったことはすぐに口に出る。鳴き声として。


「えっと、なんでわかるのってことですか? それはですね、首輪にシエラってすごく大きな字で書いてあるからです」


 首輪を指差してそう教えてくれたのだが、顎を引いて俯いてもシエラには見ることができない。

 早々に諦めて周囲を見渡す。何かのお店のようなのだが、棚もショーケースも空っぽでがらんとして物寂しい。長く営業していた店を畳んで、立ち去る準備をしている。そんな気配を感じた。

 シエラは女性の顔をじいっと見上げて首を傾げてみる。彼女がシエラの名前を知っているなら、きっと失われた記憶の中で自分とは顔見知りなのだ。目が少し赤いから泣いていたのかもしれない。……ここはじっくり話を聞こうではないか。


 招き猫のようにちょいといと彼女に向かって右手を招く。右手がお金、左手が人を招く、だっただろうか。ついでだったので顔も洗ってみた。

 三つ編みの女性は思わずといったように笑う。寒々しかった店の雰囲気が少し和らいだ。


「実はさっきまで、ひとり反省会していたんです。こうやって最悪の事態を経験してみると、見えてくることが色々あったんですよ。魔女と人間って、やっぱり似てるけど違う。私はそこら辺の認識がちょっと甘かったって気付きました」


 自分に言い聞かせているように、彼女は固く目を閉じて頷いた。


「人間の社会の中には、いつまでも老いない者がいてはいけないんです。十年経ったらお引越しっていうのは、これぞまさにベストなタイミングで、先人の知恵なんですよね。……私は本当に、未熟で傲慢な魔女でした。今のままだったら現実社会でもいずれ同じ事が起きたのだと思います。その前に気付けてよかった」


 彼女は無理矢理笑顔を作って明るい声でそう言った。シエラには彼女の言わんとすることがよくわからない。でも、目の前の女性は何かを掴んだ様子だったので、それでいいかとも思う。

 あなたを支持しますというように『にゃあ』と鳴いて大きく尻尾をふると、急速に彼女の姿が遠ざかった。驚いて固まっている黒猫シエラに向かって彼女は小さく手を振った。


「次は鏡の外で会いましょう! 私、シエラさんが美味しく食べられる瓶詰、作れると思います! 何がいけなかったのか、わかったから」


 女性の姿が小さくなるにつれて周囲が暗くなる視界の端に金の枠が現れた。遠ざかっているのか縮んでいるのかはわからないが、その金の枠もみるみる小さくなってゆく。そして、縮小しながら上昇しはじめた。

 黒猫シエラは、闇の中で座っていた。宙を見上げると、大きさの異なる長方形の金の枠がいくつもいくつも浮いている。枠の中にはそれぞれ異なる風景が映し出されているようだ。


「さて、ここでクイズです、私は何の魚で、ショウ!」


 突然、陽気な男性の声が響き渡った。同時に共に空から小さな金色の額縁がおりてきた。金の枠の上の部分に『鏡と仮面の森』と書かれたプレートが取り付けられている。金の枠の中には真ん丸の目が映し出されていた。


「ヒントとしてはね、私、魚なのに瞼みたいなものがあるんですよねー! これでわっかるっかなぁ?」


 わっかりませんっ。黒猫シエラは心の中で思いっきりそう答えた。記憶は空っぽだし、たとえ記憶があったとしても魚には詳しくない。


「ほら、どう、こんな感じこんな感じ!」


 丸い目が白い膜で覆われる。確かに瞼のようなものがあるということは理解した。

 再び目が開いて真ん丸な瞳が黒猫シエラに向けられた。


「ようこそ『鏡と仮面の森』へ。図書館をゆっくり楽しんでいってくださいねー? ここには私が集めた物語が沢山保管されているから、きっと気に入るものも見つかると思いますよ。じゃあまた後程お会いいたしま、ショウ!」


 うろこのない銀色の体が長方形の枠の中を通り過ぎて行った。尾鰭がなかった気がした。

 おりてきたのと同じ唐突さで、金の枠はするすると上にあがって行く。たったひとつわかった事は、『鏡と仮面の森』の管理者だか統治者だかは、随分明るい性格をした魚らしいということだった。


(一体何がしたかったんだろう……)


 黒猫シエラは、思わず天を仰いだ。ここが図書館だというのならば、あの金の枠の鏡ひとつひとつが『図書』であり『記録』や『資料』ということになるのか……

 そんなことを考えていると、今度は金の枠の姿見がシエラの目の前におりてきた。映し出されているのは、床に座り込んで心臓を押さえているミントグリーンのドレスを着た少女だった。丁度少女を斜め上から見下ろしているようなアングルだ。


「良かったね、あの魔女たちが不幸になって。……これはその対価」


 丁度鏡に映らない位置にいる誰かが彼女にそう声をかけている。そして、その誰かは、優雅に少女の手を取って、血のにじむ手袋に恭しく口付けた。鏡には彼の後ろ姿しか映っていないのだが、ずきりとシエラの胸は痛む。

 ミントグリーンのドレスを着た少女の頬は一瞬にして真っ赤に染まっていた。この瞬間に、彼女は間違いなく恋に落ちたのだ。


『僕は君にとってジオードじゃないんだからどこで何をしようと平気だよね』


 彼はそう言っていたけれど、恋愛初心者のシエラにはとてもそんな風には考えられない。

 あれは演技のようなものだとわかっていても、もやもやする。黒猫シエラは拗ねたようにふいっと鏡から目を背けた。


「厄介なのが干渉してきている。……嫌だろうけれど、僕から絶対に離れないで」


 鏡の中から普通に歩いて出てきた赤い目の魔物は、前会った時と違い余裕のない表情をしていた。

 シエラが男性版ジオードと初めて会った時と同じ黒いフード付きのローブ姿だ。 


『姿が違う』


 にゃあにゃあにゃあ……としか言っていないのだが、目の前にいるのは魔物なので問題ない筈だ。


「ふぅん、君にはどう見えてる?」


『二重になって見える。どこかで同じものを見たことがある気がする』


 にゃあにゃあにゃあしか言わない猫を、赤い目の魔物はあいている片手ですくあげた。その手が優しかったので素直に肩に乗る。黒猫シエラにはジオードの顔に別の顔が重なって二重になっているように見えていた。映像のように重なっているのは先程黒猫シエラを鏡に向かって放り投げた男の顔だ。


「蛍石も合わせ鏡を使ったからね。……さて、どうするかな。確かに木を隠すなら森なんだけれど、僕も正直余裕はない。……本当に厄介なものばかり引き寄せてくれるよねぇ……」


 ついっと伸ばされた手からシエラは思わず身を引いていた。全身の毛が逆立ち耳が後ろに倒れる。なんだか嫌な気配がする。


「ま、そうだよね。それで正解」


 皮肉気に笑って手を下ろす。違うとシエラは首を振ると、思いきりジャンプして彼の腕に纏わりついていた蝶を咥えた。地面に着地すると、魔物が赤い瞳を見開いて驚いている。


「さすがは保安官。気付かなかった。……はなっていいよ」


 黒猫シエラが口を開くと同時に蝶は舞い上がる。その翅に魔物の指先が触れた瞬間に、蝶は炎をあげて一瞬にして燃え尽きた。あとには灰も残らない。


「この蝶はたましいのない字だけの存在。要するに記憶だけってこと。……何? えらく協力的だね。僕は敵なんでしょう?」


 そう言いながらも彼はしゃがみ込んで、よくできましたとでもいうようにシエラの頭を撫ぜる。目の前の魔物は正直気に喰わないが、黒猫シエラは彼に守ってもらわないといけないから大人しく撫ぜられている。『ちょっと危険』と『行けばわかる』の二つは絶対信用するなと、頭の中で警告音が鳴り響いていた。

 ……でもそんなのは後付けで、単純に撫ぜられると気持ちいいのだ。今の彼はジオードと同じ匂いがする。だから、誰にも渡したくない。あのミントグリーンのドレスの美しい少女にも。


「……走り書きのメモを取っておいても仕方がないよ?」


 赤い目を覗き込むと彼は最初に会った時のように酷薄に笑った。再びひょいっとすくいあげられて肩に乗せられる。


「鏡よ鏡。この世で一番美しいのはだれ?」


 目の前の鏡に向かって彼はそう尋ねる。今は金の枠の普通の鏡だ。赤い目の魔物とその肩に乗る黒猫が映っている。何を言っても「にゃあ」にしかならないのはもうわかったので、何も考えない。答えは求められていないとわかっている。


「それはあなたと鏡は答える。……やってみる?」


 と、言われても『鏡よ鏡……』が「にゃあにゃあ」にしかならないのだから意味がない。鏡の中で姿勢よく座っている緑の瞳の黒猫は……本当に鏡像なのだろうか。それともシエラではない別の黒猫なのだろうか。


「でも、鏡に映っているのは昨日より確実に年老いた自分自身の姿」


 鏡の中の黒猫がいきなり外に飛び出して来た! と思った瞬間にシエラの体は勝手に動いて入れ替わるように鏡の中に飛び込んでいた。


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