第9話 見せて、もっと見せて
この臭いだけは、どうしても慣れやしない。
月明かりに照らされた少年の周りの地面は瓦礫と血肉で覆われ、土や草の色は元の状態に無い。
さっきまで横になっていたユキトの家も、懐かしさも覚えた活気溢れる街も、何もかもが跡形も無く破壊されている。
歴史の教科書で見た、空爆後や地震発生後の焼け野原のように荒廃したヨコハマの街。
爆発したのはあの高床式の倉庫のみで、あとは全てあの化け物達や彼女が踏み潰していったのだろう。
見える範囲だけでも20頭は確実におり、大きさも2メートルほどのモノから10メートルを越える個体までいる。
だがそれ以上に、少年を絶望の淵へと叩き落とした彼女の存在。
「どう? ゾクゾクするでしょ?」
どうしてそんなに冷静なのか。
どうしてそんなに楽しそうなのか。
どうしてそんなに純粋な笑顔を浮かべられるのか。
どうしてそんなに……恋する瞳を向けられるのか。
「アンリ……あんたは、何なんだ」
「同じだよ、皆と同じ」
意味が分からない。
同時に、分かりたくない。
「私も皆も、それから君も、同じ」
「……俺をどうしたいんだ……皆みたいにグチャグチャに潰して殺すのか……」
「あっははは、無い無い、同じって言ってるじゃん」
「ふざけんなよ!! 早くに親を亡くして、街の皆と一緒に育って来たって!! だから今の自分があるって!! 全部嘘だったのかよ!!」
それでもアンリは笑みを崩さない。
「嘘じゃないよ、本当だよ」
清々しい気分で話すアンリに、少年は辟易とする。
「ただ事実を並べただけ、そこに感情は特に無かったってだけだよ」
優しい女性を振る舞うアンリに、吐き気すらも覚える。
「やっぱり君は人間らしい性格だね、私が10年以上研究しても理解できなかった心だよ」
全身が返り血にまみれたアンリは、まばたきを一切せずに少年を見つめ続ける。
「欲しかったんだ、人間らしく生きる能力が、だから見せて」
するとアンリが広げた両腕がウネウネと動き出し、より長くよりしなやかに変形していく。
「アメーバマンが持つ、可能性を」
逃げろ!!!!!!
そう訴えかける勘が無ければ、今頃頭が真っ二つに斬られていたに違いない。
アンリと全く同じ動き出しのタイミングだったので鼻先を擦った程度で済んだが、鞭のようにしなるあの右腕は音速すら超えているのではと思うほどに速い。
体も心もずっと逃げろ逃げろと訴えかけ続けているが、竦んだ体はもう反射でしか動けない。
「もっと! もっと!! もっと見~せて!!!」
両腕の先端が古い戦斧の刃のような緩やかな山なりの形状で、その切れ味はソウジロウの大剣を軽く凌駕している。
正直なところ、全く見えなかった訳では無い。
ただそれだけで、さっきのような反応は出来ないだろう。
ここで求められるのは来た攻撃を回避する事ではなく、攻撃を予測して体を動かすことである。
一体何のために攻撃してくるのかは今は考えずに、接近して食い止めなければ逃げ道などここには無い。
「はい! はい!! はい!!! ほらほらほらほらほらほらァァァ!!!!」
「はぁ……はぁ……」
少年は思考が回らなくなっている。
「はぁ…………ふぅ……」
故に、本能が理性を超えた。
「ふぅ……ふぅ……」
自然と呼吸も深くなり、無意識的に全身に血管が浮き出たようなゴツゴツとした何かが駆け巡る。
アメーバマンの力が溢れ、休みなく放たれるアンリの音速を超える両腕の攻撃をかろうじて回避していた。
「ふぅ……ふぅ……」
人間の身ながら音速に耐えられる肉体へと変形し、全身が硬化されてアンリの斬撃も傷1つ入らない。
「それじゃ満足出来ないよ~! 君のアメーバマンを見せてよ~!!」
その声も、少年の耳には届かない。
防衛本能のようなモノが働いており、少年の意思とは関係なく互角の展開を見せている。
要するに暴走だ。
「ふぅ……ふぅ…………」
「っ!!」
そして、暴走状態の少年はついに反撃の一手を放つ。
アンリの腕と同様に少年の右腕も変形してしなり、アンリよりもさらに速いスピードでアンリの左腕を斬り落とした。
「……その依り代、大して強くなさそうだけど……ホントに男を見る目が無いんだね私は」
そう言ったアンリが鼓膜が破れそうなほど大きな奇声を上げると、ヨコハマの街を跋扈している化け物達が一斉に少年の方を向く。
化け物達は呼応するように咆哮を上げ、全速力で少年に向かって突進し始めた。
全方位から30頭を超える化け物達が一心不乱に突き進んでくる様子は、誰が見ても回避したり退けるのは不可能に思えて当然だ。
それも調教されているのか、なりふり構う事無く怒り狂ったように捨て身の突進をする化け物は通常の倍以上の迫力と威圧感がある。
「ふぅ…………ッ!!!」
賢明というべきか、馬鹿と罵るべきか、少年は唯一の逃げ道である空中に跳んで危機から脱出した。
「うんうん、そこから何を見せてくれるの?」
余裕を見せて喋るアンリは、数秒後の光景に言葉を失った。
両腕を翼竜のような翼に変形させ、その翼をはためかせる少年は空中の飛行を成功させてみせたのだ。
「すっ……ごい、そんなことも出来ちゃうんだ……その想像力、ホントに人間らしいね」
アンリは再度笑みを浮かべ、少年はさらに集中力を奥深くへと沈ませていく。