エナの奇妙な冒険#2
前回に続き、オッサン(ゼグンド将軍)の身体に閉じ込められた女子高生、エナ視点の異世界冒険の2ページ目!河を越え谷を越え、目指すは薬草研究をしているという、地元領主からも見捨てられたキャストンファーム。そこで待ち受けるものは何なのか。そのことを知る前に、ゼグンド将軍が偉大な英雄だったと聞かされ、さらに困惑するエナに、部下のクウガは「ここでお別れです」と告げる。ラブコメと銘打っておきながら、恋愛イベントが起きるどころか、かすりもしない、もどかしい展開で申し訳ございません。
ねぇねぇ、シャリオン~~シャリオンてば!
「・・・・・・・・・」
どれだけ猫なで声で話しかけても、私のサポート役であるはずのシャリオンは、一度へそを曲げると、なかなか機嫌を直してくれない。
筏の上で這いつくばってクウガにしがみつきたい、と切望するほどの恐怖を抱きつつも、それも許されず、オッサンの身体は今も頑なに、シャリオンによって制御され、えらそうに両腕を組んで微動だにしない。
そうして身体だけでもビシッとしていられると、次第にこのおかしな乗り物にも、慣れてくる。
心と体は繋がっている、というありきたりな表現が骨身に染みる今日この頃。
他人のものとはいえ、身体だけでもしっかりしていると、多少異常な事態に見舞われても、なんとか安心できるものなんだな、と改めて思い知ったよ。
無事に元の体に戻れたら、ジョギングでもはじめようかしら。
あ、でも走るのダルイし、ウォーキング――――いや、雨降ったら休んじゃうし――――家の中でスクワット5回くらいでいいかな?
「えーい、そんなんで体力つくわけないだろう!?年寄りだって、もう少し動いてるよ!真面目にやれっ!!」
あ、釣れた。
「!!」
短い付き合いだけど、わかってしまった。シャリオンは、私がしょうもない事を考えていると、必ずツッコミを入れてくる。その習性を利用するのに、まんまと成功したようだ。
シャリオンが一瞬ハッと息を詰まらせ、それから悔しそうにギリギリと歯ぎしりするのが聞こえた。
ふっふっふ。残念だよシャリオン君!どうやら君には、私のサポートという役目を終えたら、〇モト芸能プロダクションに行く道しか、残ってなさそうですな!
気の合うボケ要員と巡り合えることを、祈ってるよ!
「・・・・・・・・・・・・もう帰っていいかな」
うそうそ、冗談です。帰らないで!!
脳内でそんなやり取りをしている間にも、クウガと私を乗せた筏は、川の流れを無視して、つつーっと滑るように水面の上を、対岸に向かって進んでいく。
本当に、奇妙な現象だわ。魚の大群に引っ張ってもらってるのか、と最初は思ったのだけど、グイグイ前に引っ張られる感覚ではなく、筏の下に何かが張り付き、それが勝手に動いている、という感じなのだ。
まるで、姿が見えないもう一隻の船が、筏の下にあるかのように。
だけど、どれだけ水面に目を凝らしても、何も見えない。
これは一体、どういう魔法なんだろう?
先ほど、水の中から私に呼びかけてきた不思議な声が、私(ゼグンド将軍)の事を
「水の王の加護を受けたお方」と言っていた。
シャリオンもそれに対し、何か知っているようだった。
当然、クウガも知っているからこそ、強引に私をこの筏に乗せたのだろう。
尊敬して余りある上司を、沈むとわかっている貧弱な筏(せっかく作ってくれたのに、ごめんね!)に、乗せるわけがなかったのだ。
つまり、私だけが何も知らない。
本当はずっと気になってた。自分が一番身近にいるはずの、身体の持主である、ゼグンド将軍について、私は何も知らない。
偉い身分の将軍で、かつての大戦で大活躍した英雄であり、クウガみたいな若者にさえも、一生の忠誠を誓わせるほどだ、よほどの人物なんだろう。
クウガの口ぶりから、3度も降格処分を受けたということから、不器用で、世渡り不上手なのかな、とも思うけど。
全ては、限られた情報を基にした、憶測でしかない。
――――なんだか、納得いかないわ。
さっきだって、クウガが全てを知っていて、クウガが押ししてくれたからこそ、こうして筏に乗って川を横断する、なんて事ができたけど。
私一人だったら、「無理です、別の道を探そう」、とすぐ諦めるわよ。
そうこうしている間に、運が悪けりゃ、いるかどうかはわからないけど、暗殺者?に見つかっちゃったり。重症で眠っているはずのゼグンド将軍が、こうしてシャキッと立ってウロついているのを、知り合いの誰かに発見されたりするかもしれないじゃないの。
それは不味いんじゃない?
知らないってことは、それだけ危険だと思わない?
「・・・・・・・・・・わかったよ。うん、わかった。君の言う事にも一理はある。巻き込まれただけの被害者である君には、安全である事と同様に、ある程度の「知る権利」もあるし、知っておいた方がいい事もある。
大まかなこの世界の常識だけでなく、ゼグンド将軍に加護を与えた、「水竜王オリスヴェーナ」の事くらいは、説明しておいた方がいいだろうな。恐らく、この先その名を聞くことは、何度もあると思うから」
やった!!
「だけど、慎重にならざるをえないんだ。
エナ、僕は十分気を付けているつもりだけど。
精一杯魂の匂いを抑え、存在感を限りなく薄くしてるとはいえ、やはり気配に聡い魔導士、あるいはそこにいるクウガみたいな隠密活動に長けた術者には――――ゼグンド将軍の身体に起きている異変、つまりは一人の身体に全く別の人間の魂と、そして僕という異物が入っている、という、事実にまで辿り着くはずはないだろうが――――何かがおかしい、という事くらいは思われるかもしれない。
長い間、こうして君と僕が話をしているだけで、僅かなりとも、ゼグンド将軍の身体に流れる「魔力」の波動に異変が生じているんだ。
だから、誰かが近くにいる時はなるべく手短に話したい。説明が切れ切れになってしまうのは、勘弁してよね」
悪気あってのことじゃないんだから、と締めくくり、シャリオンは束の間静かになった。
そっか・・・。この「入れ替わり」自体を必死で隠し、第三者に見抜かれたくないから、シャリオンは神経過敏になっているのね。
そういえば、最初に話した時にも、そんな事を言っていたような気がする。
色々あり過ぎて、なんだか記憶が曖昧なんだけど。
そうこうしている間にも、スイスイ筏は水の上を走り、クウガは対岸3メートル手前に来たところで、サッと軽々筏を蹴って対岸に降り立ち、また恭しく跪いてしまった。
うーん、敬意を払ってくれているのはわかるんだけど。
せっかく近くにいて、少しは打ち解けてお喋りができるかも、と期待する都度、こういう風に距離を取られてしまうと、「貴方とは、お友達にはなれません、ごめんなさい」と言われているような気がしてしまって、少し寂しい。
ゼグンド将軍は、平気だったのかなあ。それとも案外、気にしないのだろうか?
筋肉がこれだけ立派に育つと、多少の事には、動じなくなるのかしらねぇ。
私は、空飛ぶ絨毯ならぬ、水を渡る筏、というその不可思議な乗り物から、イソイソと降り、その筏を運んでいたのであろうものの正体が見えないものかと、頑張って水面に目を凝らしたのだが、残念ながら何も見えなかった。
だけどその代わり、ふっとまた水面が微かに揺らめき、
「この筏は預からせて下さい。万が一の時には、水に向かって呼びかけて下されば、いつでも私どもが駆け付けますので」
と、水の中から声が聞こえた。
「ふっ。どうやらよほど、俺の作った筏が気に入ったようですね」と、思わずといったようにクウガが呟いたので、クウガにも聞こえるように掛けられた言葉だったみたいだ。
いやいやいや、違うと思うよ?また対岸に渡らせてくれる時のために、再利用しますよってことだと思う。収納しやすい、コンパクトサイズだしね!
と、ツッコミを入れそうになったが、珍しく嬉しそうな顔をしているクウガに毒気を抜かれ、私は自主的に口を噤むことにした。
それより、誰の声だったんだろう?
水の妖精とか?魚とか??あ~気になる!!
クウガは、そんな私をキビキビと先導し、河原から一旦背の高い木が生い茂る林に入ったかと思えば、1キロも歩かないうちに、足を止めて、「ここから、降りましょう」と声をかけてきた。
え?平地を歩いてきたはずなんだけど。
坂道でもあるのかな。
「降りる」という言葉に首を傾げている間にも、クウガは手早く荷物からロープを取り出し、くるくると傍の木の幹に巻き付けだした。
ここに来る道すがらクウガが採ってきてくれた木の実や、昨夜見つけて採取した、大事なお砂糖が詰まった布袋を背負いなおして、私はそっとクウガに歩み寄り、その肩越しに広がる景色を覗き込んで。
思わず、「あっ」と声をあげてしまうところだった。
どうりで、ここまで、人が通る道が整備されていなかったはずだ!
クウガの案内で通ってきた、か細い獣道は、乱雑に生い茂る灌木と、背の高い木々が伸ばした枝が絡み合っていた。前方の見通しが悪かったこともあり、今の今まで、気づかなかったんだけど。
倒れた大木の残骸や、大きな岩などを迂回しながらも、真っ直ぐ北東を目指していたのに、唐突に道が途絶えていたのだ。
それとも、グダグダ考え事をしていたせいで、よく見ていなかったせいなのか。
クウガが足を止めた、わずか1メートル先には地面がない。
いつの間にか、切り立った崖の縁に、私達は立っていたのだ。
しかも足元に広がる光景ときたら、これまで見て来たどんな風景とも違う。
単に盆地に広がる森、などという単純な比喩ができないくらい、奇妙な形をしていたのだ。
まるで、緑で覆われる大地を、巨大なスプーンか何かで、すくい取ったかのように、ぽっかり平地がへこんで、巨大なクレーターの形をした盆地が、白い霧に覆われた地平線の彼方まで広がっている。
きっと途方もなく昔に出来たくぼみなのだろう、急な斜面にすら巨大な木の根が絡み合い、壁のように生い茂り、その上を緑の苔が絨毯のように覆っている。
こんな景色は、見たことがない!
私はしばらく言葉を失って立ち尽くしてしまった。
「ここは、村もない辺鄙な土地ですし。これまでの遠征や視察では、まだ訪れたことがありませんでしたね。我々、諜報員は何度か定期的に偵察に赴いてきましたが。
あれもまた、竜王達の戦いの爪痕の一つなのだとか。人類の歴史がはじまる以前の事だというのに、まだこうして、あちこちにその痕跡が残っているのだから、どれほど苛烈な戦だったのか、想像もつきませんね」
クウガは慎重に、結び終えたばかりのロープを何度も引っ張って強度を確かめながら、世間話というには、あまりに信じ難く、私にとってはおとぎ話のような事を、平然と「あちらが築20年の賃貸物件になります」とありきたりな説明をする時のように、サラリと言う。
「昔、この世界は竜のものだったんだよ。そして戦争が起きた。それも陸も空をも焼き尽くさんばかりの規模の争いだった」
ふっと、クウガの言葉の続きを補うかのように、私の頭の奥にシャリオンが語り掛けて来た。
さっきは、これ以上の通話は不味いと言っていたはずなのに。
気まぐれなのかな。でもまた途中で投げ出されたら困るし、私の方がなるべく黙って聞いていればいいのかな?それなら「通話」じゃないよね。
「この時の大戦で、元々は一つだった大地がバラバラになり、大陸となり、分断された部分に水が溜まって海になり、最終的に今のような誰の目から見ても「まともな世界」になるのに、気の遠くなるような歳月がかかった。
竜王達は、人よりもずっと賢く、慈悲深いからね。終戦を迎え、冷静になった折には、贖罪の証として、自らの身体をそれぞれの領土深くに沈めて、大地を癒す源になったんだよ。
おかげで、皮肉なことに、竜が生物の頂点に君臨していたころよりもずっと、この世界は豊かになった。
本来魔力に乏しかった人類でさえ、魔力を備えて生まれるようになったくらいだ」
へぇええっ!本当にファンタジー小説みたいな話なんだ・・・!
私はにわかにドキドキしてきてしまった。
ええい、ミーハーと言いたければ、言え!
でもさ、そんな凄惨な大戦が、どうやって決着がついたんだろう?
「詳しい事は、調べてみないと僕にもわからない。人と妖精族が手を組み、仲裁に入ったとしか――――おっと、そろそろ黙った方がよさそうだ。クウガが不審そうに君の気配を探っている」
そう言われ、ハッと顔を上げてみると、クウガは依然として結び終えたロープの余った箇所を手繰り寄せ、邪魔にならないよう仮結びにしてから、するりと崖下にと滑り落とすところだった。
顔こそは俯いており、こちらを盗み見ていたようには見えなかったんだけど。
それでも、多分ゼグンド将軍の身体の記憶が、クウガのその「あえて振り向かない」姿勢こそが、こちらを密かに窺っている仕草なのだ、と教えてくれた。
いけない!やっぱ別人だって疑ってるのかな!?
一瞬そう思って身構えてしまったのだけど。
流石にプロの諜報員なだけあって、クウガはそれ以上、ゼグンド将軍にさえもわかるような違和感を与えず、ロープを片手に掴んだまま、その場にまた片膝をついて、頭を下げてしまった。
「よろしゅうございます。このまま、このロープを伝って、少し降りてゆけば、すぐに足場が見えてきます。もちろん極めて細い突起なので、全体重を乗せてしまっては、崩れます」
えっ!?河を渡ったばかりなのに、今度は命綱一本を頼りに、この絶壁を降りて行けって言うの!?
私は思わず、ぐりっと首を動かし、足元に広がる断崖絶壁の遥か先、白い霧がほんのり乗っかった森林のてっぺんまでの距離を目で推し量って、絶望的な気持ちになってしまった。
嘘でしょ?
む、無理無理!!
と、思わず状況の全てを忘れ、声を上げようとしたとき、またしても、忘れかけていた存在、シャリオンによってぴったりとその動きを封じられてしまった。
ななな、何すんのよぅ!?嫌よっ!私はロッククライミングやボルダリングを習った事もないし、スカイダイビングの体験もないわよぉおお!!
死ぬ!今度こそ死んじゃうわよっ!!人殺し!!
と、河を渡る時以上に、半狂乱になって取り乱してしまいそうになったのだけど。
表面上はコチコチに固まったまま、無表情をキープできていたとはいえ、私の困惑、あるいは動揺が、オッサンの鉄面皮にもうっすらにじみ出てしまったのか。
少し慌てたようにクウガが
「サイア、お忘れなのかもしれないので、一応説明いたしいますが。
もちろん、俺の風で、身体をお支えして運びます。ロープはただの補助です。垂直に降ろす、という動作は、上昇させる時よりも技術がいりますので・・・お恥ずかしいですが、俺程度の腕では、難しいのです」
と、早口で説明してくれた。
あ!そうか、そうだった!クウガは魔法が使えるんだったよ!
そっかそっか、運んでくれるのね!嬉しい!!
そして、そんな謙遜しなくてもいいのに!オッサンの重たい身体を運ぶのがしんどいから、ロープ使わせてっていう事なんでしょ?
わかります!こんな筋肉ダルマ、私だったら捨てて行きたくなります!
「・・・・・・・・・君って時々ゲスいよね・・・・」と脳裏に響いたのは、もちろんシャリオンの独り言だ。
だまらっしゃい!
我ながらゲンキンだと思うけど、またクウガの魔法が見られる!と考えると、私はそれまでの不安から、ケロリと立ち直ってしまった。意気揚々と、差し出されたロープをぎゅっと握って、崖をよじ降りるつもりで、まずはくるくると、腰にしっかりとそれを巻き付けた。
不思議なことに、オッサンの身体が勝手に動いて、私がちっとも知らなかったやり方で、するすると簡単に解けないよう、ロープに結び目を作り、しっかり命綱にしてしまった。
おや?ひょっとして、前にもこうしてクウガに運んでもらった事でもあるのかな。
ついそう考え、クウガの方を見ると、それを「もういいですよ」という合図だと勘違いしたのか、クウガときたら、「では」と簡素極まりない前置きをひとつ述べ、いきなりサッと片手を振った。
「うおわっ!?」
と、声帯をしっかりシャリオンに管理されているとはいえ、声にならない声をあげて慌てふためく私には、いっこうに気にも留めず、クウガはさらにひらりと手をはためかせる。
それだけで、私の身体の周りに、さぁっと目には見えないつむじ風みたいなものが、生き物のように巻き付いて、ふわりと私の――――否、100キロ近くありそうなゼグンド将軍の身体が持ち上がり、咄嗟に伸ばしてしまったつま先が地面を掠めた。
と思ったら、すぐにスイとクウガの指さす方向、つまりは崖の下向かって、ゆっくりではあるけど、崖の下に向かって下降が始まった。
その時点で、私の理性は遥か彼方にぶっ飛んでしまい、またしても「ぎゃあああ!」という声にならない声を――――シャリオンにウザいと思われているであろう音量で――――心の中でわめきまくってしまっていたのだが。
持つべきものは、鋼の精神を持つ男、将軍、ゼグンド様の身体だ。
きっと初めてではないのだろう、ゼグンド将軍の身体は、クウガが操る風の魔法をすんなり受け入れ、軽やかなリフトに体重を預けつつも、すかさず手足を伸ばして、クウガが言っていた「足場」を見つけ、難なくつま先や指先を引っかけ、器用に崖に沿って、するする降りていくではないか。
見た目はこんなにゴツイのに、なんてしなやかで無駄のない動きなのか!と、私はつい、感嘆のため息を漏らしてしまった。
素晴らしい事に、鍛え抜かれた肉体は、さほど疲労を感じないらしく。めでたく崖の下に聳え立つ大樹の群生の中に降り立ってもなお、腕も足も、どっこもプルプルしていない。
私の身体だったらきっと、2メートルほど降りただけでも、無駄に緊張してガチガチになり、翌日は筋肉痛にヒィヒィ言わされる事確実だ。
クウガは、身一つで、優雅にふわふわ、後ろで結わえた頭巾の紐をなびかせ、すらりとした痩身を縮めて岩壁に張り付くことすらなく、腕を組んだまま余裕たっぷりに、私の後から一定の距離を保って降りて来る。
その姿はまるで、忍者というより風使い、という言葉がしっくりくるほど様になっており、優雅な鳥のようだった。
思わず見惚れた挙句、どきっとときめいてしまう。
あぁ、もう、こんな時に、こんな所で、ウッカリ惚れてしまったら、どうしてくれんのよ!?
異世界での恋愛なんて、同性愛以上にハードルが高いんじゃないの?未来なんかダークマターばりに真っ暗よ!
今すぐ、見惚れるのを止めるんだ、私!!
私は慌てて、口をぱっかり開けてクウガに見惚れてしまいそうな自分を叱咤した。
地面の感触を確かめるよう、のしのしと無駄に数歩だけ歩いて、落ち着かない心をなだめすかしつつ、辺りを見回した。
うすうす感じていたけど、やっぱりここの樹木は、やたら発育がいい。
一番細い木、灌木といえども一本一本の幅が太くてがっしりしていて、逞しい。
中には太い蔦が絡み合ってそのまま木の形に留まった、というような形のものもあって、一日中見ていても飽き足りず、興味がそそられた。
「土の精霊力に富んだ土地だからこそ、薬草栽培と研究をするための施設を営むには最適なのでしょう。
普通の農園では、作物の育ちをよくするため、高額な「土石」を輸入し、それを畑の中心に植えるのだとか」
クウガも、空気が違うと感じているのだろうか、そっと口元を覆っていた布をずらし、すぅと深呼吸して、気持ちよさそうに束の間目を閉じた。
将軍の身体も、空気がおいしいと感じているようで、ここに降り立ってからというもの、呼吸のリズムがゆったり落ち着いて、乱れっぱなしの私の心とは真逆に、リラックスしている。
思わずそれに引きずられ、私もスハスハ深呼吸してしまったのだが。
ちょっと待って。クウガの言った事を、おさらいしておかないと。
クウガが当たり前のように語る言葉の内容を理解するためには、想像力をフル稼働させなくちゃならない。
ゼグンド将軍の身体に残る「常識」の記憶も、気まぐれで、グーグル先生のように即座に反応して答えをくれるわけではない。
シャリオンも不親切だしさっ!
「精霊力」だの「土石」だの、SF用語っぽい言葉が当たり前のように出てくるあたり、この世界は紛れもない、異界なんだよね。
わかっていたけどさ!
はやく慣れなくちゃ。ええと、要するに、ここは農園を営むのにもってこいの、自然豊かな土地なんだっていう事だよね。
土石っていうのは、火石と同じで、大地の力が籠った土向けの燃料なのかしら?
肥料代わりなのかしらね?臭くない事を、祈るばかりだわ。
ともかく、今目指しているキャストンファームは、土石っていうドーピング用肥料がなくても、作物がよく育つ、土の質がいい土地なんだ、って事だよね。
「うん、大体あってるよ」と、なんだか偉そうなシャリオン。
少なくとも見た目は、私より年下だよね?と思わなくもないが、気にしてもしょうがない。
自分の想像と推理が当たっていたことがわかって、とりあえずホッとする。
引き続き、クウガの先導に従い、私達はここ数日ぶりに、歩きやすい大地を踏みしめながら、キャストンファーム目指して歩き出した。
クウガの説明によれば、ここから半日もしないうちに到着できる距離なのだという。
いっそハイキングか何かとも思えそうなほど、障害物も少なく、こあれまでの道のりに比べたら格段に楽な道のりだったのだ。
河川敷の砂利道がゴロゴロと擦れ、靴底を傷つけることも、分厚く幅広い植物に視界を遮られることも、枝を折らないよう、慎重にかいくぐったり、かきわけたりする必要もない。
しかも、私が知っている芝生よりもずっと、フカフカと柔らかい苔が地面を絨毯のように覆うこの樹海は、とっても歩きやすい。
人の手が及ばない高さにまで成長した木々の枝が、巨大な天然のドームを成しているかのように、私達の頭の上で、複雑に絡み合っている。
無数に生い茂る葉の色が、緑、黄、橙、と豊富な色合いを帯びてステンドグラスのようにきらめき、その間からこぼれる幾筋もの木洩れ日がスポットライトのように、緑の苔を照らし、宝石のように輝かせている。
なんて綺麗な森なんだろう、と足を動かしながらも、私はぼぅっとその光景に見惚れてしまった。
空気は美味しいし、どこにもアブナイものなんてなさそうだ。できればずっとこういう旅路だといいのに。
のんびり歩きながら、クウガは珍しく、時折私を振り返り、私が知りたいと思っていた、私達が今向かっている、キャストンファームについて、詳しく教えてくれた。
ファンタジー小説の定番ともいうべきか、神聖魔法という、現代医学をコケにする反則技の代名詞が、この世界には存在しない。
その代わり、竜王が眠る大地はたっぷり魔力を帯びているので、いろんな効能を持つ薬草が繁殖し、薬草学が発達しているらしい。
中でも一番需要が高いのが、やはりというか、外傷や病気を治すことのできる薬草なんだって。
幾種もある「癒し」の効果を持つ薬草を育てつつ品種改良を行い、研究し、最終的には疫病さえも治せる幻の新薬を開発する、というなんとも夢のある一大プロジェクトを掲げて、この辺鄙な樹海の一部を開拓し、研究施設を作った。
それが、キャストンファームの創設者、キャストン伯爵という人物なのだそうだ。
研究所の規模より、薬草を育てる農園の開拓に力を入れ、遥かに広く面積をとり、沢山の人材を募ったことから、「研究所」とは呼ばれず「ファーム(農園)」と呼ばれることになったらしい。
開設当時は、方々の貴族から多額の支援金を援助されるほど、期待されていたものだったが、それも10年、20年経ち、芳しい結果を出せずにいるうちに、支援金は毎年のように減額されてゆき。
ついには「見込みナシ」との太鼓判を押され、領主から見放されて、支援はゼロに。それどころか、戦のあおりを食らって物価が高騰するに従い、住民税徴収額と必要経費諸々は大幅に上がってしまった。
破産は誰の目からも明らかだった。
そこで一度は閉鎖が決まりかけたんだけど、ここにきて救いの手を差し伸べたのが、ゼグンド将軍だった。
将軍は直接この樹海に足を踏み入れる事こそなかったが。
その頃の「サヴァルテ(古代語で、神の矛、という意味。かつてゼグンド将軍が率いていたファラモント最強の騎士団)」は羽振りもよく、国庫から賄われた補給物資を運ぶ輸送隊の規模は、今とは比べものにならないほど大きく、不足しそうになると、方々の領主が先を競って、希代の英雄ゼグンド将軍の陣営に、輸送隊を派遣したものであった。
(ここらへんの説明は、大袈裟に盛られてる部分もあると思うけどね!だってそんな凄い英雄サマが、なんでまた、よりにもよって私なんかと入れ替わるなんて、マヌケな目に遭ってるっていうのよ?)
ともかく、当時お金持ちだった将軍は気前よく、ロスワン公からも見捨てられた研究施設の話を聞くと、すぐに自分の財産を管理している、腹心の部下だった退役軍人、サミュエル・パウローナ伯爵に書簡をしたため、この研究所の経済的支援をするように、と命じたのだという。
そして今もなお、支援は続けられている。
その恩があるから、ゼグンド将軍の名の入ったコルカ(手形)を持っているだけで、きっと優遇されるはずだ、とクウガは請け合っているのだ。
ふーん、なるほど、要するにスポンサーの威光をお借りするというわけか。
だけど、そのスポンサーであるゼグンド将軍は降格処分を受けて、前ほど高額なお給料をもらえていないはずなんだよね?
ゼグンド領も、お金に困っているんじゃないの?そんな経済状況で、どうやってその「支援金」を捻出しているのだろう?
「国からもらってる給料と、これまで貯めてきた貯蓄のすべてを、切り崩しているのさ。
彼は自分の領地に、自分の屋敷まで提供して孤児院を作って、多くの戦災孤児を養っている。そして、素晴らしいボランティア精神を発揮し、キャストンファームの運営資金援助までしている。
降格処分を受け、収入も減ったんだから、他人の面倒を見ている場合じゃないだろうに。
「漢に二言なし」とカッコつけちゃってさ。今もなお、同じ額を、孤児院とファームに入れているから、将軍は貧乏なんだよ」
と、クウガの説明に首を傾げていた私に、そっとシャリオンが教えてくれる。
ふむふむ、と私は聞いていたのだが。その話の内容を何度か反芻して、ドキリとした。
食べていくために働く。これはどこの世界も同じことだ。
だけど、ゼグンド将軍ってば、自分の血肉を分けた家族でもない、赤の他人を――――戦災孤児や、うだつの上がらない薬草研究所を守るために、働いているってことなの?
もしそれが本当なら、いい人過ぎて泣けてくる・・・・!
クウガは、亡命先を探します、とかなんとか言っていたけど。もしかしたら、私が、ゼグンド将軍が、自分の置かれている立場を思い出せない、今だからこそ、進言出来たことだったんじゃないのかな。
領土を捨てれば、孤児院は取り壊され、そこで働いていた職員ともども、大多数の少年少女が路頭に迷う事になりかねない。
だからゼグンド将軍は、決して亡命しない。亡命すれば、英雄なんだもの、きっと亡命先のどの国でも好待遇で迎えられるはずなのに。でもそうしない。
自分一人が楽に生きるために、これまで守って来た人々全てを、領地ごと捨てるなんて、できるはずがないんだ。
ゼグンド将軍が、そういう人だからこそ、報われない事を承知で、クウガやマッケイ副長みたいな人が、出世コースを諦め、将軍を支えようと望んで傍にいるんじゃないだろうか。
――――亡命は出来ない。
その一言が、まるで本当にゼグンド将軍本人が傍にいて、私に語り掛けているかのように、胸の奥から湧いて出て、全身に行き渡った。
え・・・?ちょっと待ってよ。嘘でしょ?私は逃げる気、亡命する気マンマンなんだけど?
将軍には悪いけど、亡命せずにこの国に留まっていたら、そのうち記憶喪失設定だってボロが出て、「身体が健康なら働けや」とか、上司に言われ、任務に戻されるかもしれないじゃない?
嫌だ!
働くのが嫌って、言うつもりはないよ?
だけど、将軍職って聞こえはいいけど、軍人なんだよね?必要あれば人間相手にだって剣をふるって、殺したりするんでしょう?
無理!!暴力反対!!!
うわーん、ママが恋しいよ!明日着る服を選ぶのに時間をかけたり、フルーツの香りのするクリームを使ってお肌の手入れをしたり、ポテチとチョコを頬張りながら、ベッドに寝そべってゲームを満喫する、平和な一時を返してよっ!!
「だから、落ち着けって!そうならないよう、僕がいるんだから」
そこまで言って、シャリオンは少し言葉を切り、どうせ誰にも聞こえやしないというのに、ことさら声を潜めて、内緒話をするときのようにヒソヒソと囁いた。
「実はね、エナ。奥の手があるんだ。もしも事態の収拾が間に合わず、君がゼグンド将軍として戦場に立つことがないよう、「上」はとっておきの手段を用意している。
それがあれば、君は――――いや、やめておこう。まだ副作用がどう出るかがわかっていないから、迂闊な事は言えないけど。
とにかく、上も無策なわけじゃない。異世界からの漂流者が、この世界に根付くことをとても嫌がっている。
だから何としても、君がこの土地に縛られないよう、手を尽くすだろう」
えっ!?そんな手段があるの?
じゃあなんで、今すぐ使ってくれないのよ?
「まだテスト段階の試作品なんだ。できれば使わない方がいい、という面もある。
それより、エナ。少しはゼグンド将軍の体でいる事のメリットにも目を向けてみな。
将軍の身体には、水竜王オリスヴェーナの絶対的加護がある。いかなる水難からも身を守り、水に属する精霊全てに言う事を聞かせられる。
将軍は、ああいう人だから、一度も使わなかったけれど。
本当なら、水の国に赴いて、水の精霊たちに一言頼むだけで、いくらでも水石を提供してもらえるくらいなんだよ。それをやれば、資金不足もあっと言う間に解消できるのにね」
ほ、ほんとだ・・・!
水竜王の加護について、やっと貴重な情報をもらえたわけだけど。そのすごさは想像以上で、まさか水石を無償で貰えるほどの物とは思わなかったわ。
この世界の四大天然資源である、水石は火石と同じく、生活に欠かせない貴重な燃料で、そのお値段は年々釣り上がる一方だというし。
それを際限なく、水の精霊から直接入手できたとしたら、とんでもなくお金持ちになれるんじゃいの?
いやいや、石油王より凄いんじゃない!?
ゼグンド将軍、何をやってるのよー!なんでそんな特権を使わずにいるのよ!?
お金さえあれば、孤児院どころか、財団作って手広く福祉事業だって始められるんじゃないの!?
「そこはね、複雑な事情があるんだよ。オリスヴェーナとの確執というか・・・。あの竜王は、ゼグンド将軍に、とある要求をしたが、将軍はそれを拒んだ。
それでも諦められなかった竜王は、将軍に加護を与えることで、恩を売ったんだよ。
義理堅い将軍が恩を感じ、いつか自ら考えを改め、自分の要求を再考してくれることを期待してね。
で、それを受け入れたくない将軍は、迂闊にこの恩寵に甘えるわけにいかない、というわけ」
うわぁ・・・なんかもう、話のスケールが大きすぎて、ややこしくて、ついていけない気がしてきた!
まさか、竜王様、このオッサンと結婚したかった、とか言いださないよね?
やめてよ、擬人化した竜とオッサンの恋愛なんて、ファンタジー小説ですら、美麗なイラストつきじゃないと想像が難しいんだから!
「んな事誰も言ってないだろ!?おかしな想像されると、僕の頭にまで入ってきて、混乱するんだ、頼むからやめてくれ!」
思わず、といったようにシャリオンが声を荒立てて、カッと叫んだ。もちろん私にしか聞こえないはずだったんだけど。
その途端、前を歩いていたクウガが、ぱっと振り返った。
「サイア・・・?いかがなさいましたか?まさか、事故の後遺症で、どこか痛むのでしょうか!?」
そして、あっと言う間に距離を詰め、またしても、がっしと肩を掴まれ、必死の形相で覗き込まれてしまった。
久しぶりに、アップで見る緑の瞳の色彩の美しさに、ついついまたドッキン。
あわわっ!!な、なんでもないよ!
「いや、なんでもない。時折、なんだか頭痛がするだけだ」
するっと自動翻訳機のように、シャリオンが澄ました顔を作って答えてくれるのが、ありがたい。
「これだよ。さっき、僕がちょっと動揺しただけで、将軍の魔力の波動が乱れた。やっぱりクウガは侮れないね。気配を読むことに関しては、そこいらの魔導士よりよっぽど長けている」
シャリオンはため息をついて、それきりまた、だんまりを決め込んでしまった。
チッ、水竜王がどんなことを、オッサンに望んでいたのかを、知りたかったのに。
まあいいわ、そのうち絶対、聞き出してやるんだから!
人間、集中していると時間の感覚がおかしくなるものなのか。それとも、将軍とクウガの「ゆっくり」歩行速度が、一般人のそれと比べると異常に速いのか。
半日といった距離があっと言う間に縮まって、日が暮れる頃には、目視できる距離に、キャストンファームの敷地が見えはじめた。
ファームは樹海の中でも窪地にあるので、ゆるやかな斜面と段差を、何層も降りていくと、丸く緑の部分を削ったような部分に、人造建築物が点々と並んでいる全貌が見て取れた。
いやほんと、ゼグンド将軍て目がいいのね。
2.0以上じゃないの?私の視力は悪い方じゃなかったけど、こんな遠くからくっきり施設の全貌を見渡せるとは思わなかった。
赤いレンガ造りの、飾り気のない粗末な建物の(私たちから見て)向こう側に、背の高い木製フェンスに囲まれた正方形に整えられた田園、耕したばかりなのか、茶色の土肌を露呈した畑が並び、そこで働く人々の姿も、小さいけど見分けることができた。
建物の向こう側に田園が広がって、手前側は、倉庫とおぼしき平たい建物がいくつも道に沿って並んでいる。
今少しずつ下っている斜面を降りてしまえば、田園の方は建物の後ろに隠れてしまって、完全に見えなくなってしまいそう。
どうやら本館を中央に、右は畑、左は倉庫、というようにおおまかに分野分けして設計したようで、残念ながら、「薬草」を育てている畑を見るには本館の反対側に回らなければならない。
着いてすぐに、好奇心丸出しで、見せてください、なんて厚かましいことは言えないし。
でも折を見て、落ち着いてお願いすれば、ちそのうち見せてもらえるよね?
どんな薬草なんだろう?それで作った、癒しの効果がある薬は、やっぱり「回復薬」とか「ポーション」って呼ばれているのかしら?楽しみだな。
ファームに近づくほど、緑の絨毯のように広がる苔が減っていき、50センチ幅の手押し車みたいなものを転がした轍の跡や、人の足跡みたいなものがくっきりと、地面の上に残っているのが見て取れるようになってきた。
ちらちらと辺りを見回すと、目印になりそうな目立つ特徴を備えた木の幹に、「ここより斜め右180歩先、危険!ヘパイア(この世界で著名な毒草なんだそうだ)の群生地」だとか、「第八倉庫は逆方向です!いったんファームに戻って下さい」だの、この世界の文字を連ねたメッセージが、彫られているのを見かけるようになった。
明らかに、外からやって来る人のために作ったのだ、という注意事項を書き連ねた箇所を見つめているうちに、なんだか胸がドキドキしてきた。
思えば、何もわからないまま、逃げなくちゃ、という一心でゼグンド将軍の部下達がひしめく、第三軍の野営地から抜け出してきたけど。
ずっと一緒にいて、会話してきたのは、シャリオンと、クウガだけなんだ。マッケイ副団長――――目覚めて一番最初に会ったけど、色んな事に驚き過ぎて、眉の太いおじさん、としか認識していなかったんだっけ――――とは会話にならなかったしね。
この世界に来て、はじめてこの二名以外と話すんだ。そう考えるだけで、緊張してきてしまう。
ファームについたら、クウガは私を置いて、お仕事に行ってしまうというし。
知らない人に、きちんと挨拶して、身分証明書がわりのコルカを見せて、それから。
あれ?ええと、それからどうなるのかしら・・・?
さくさく、と苔の上に散らばった乾燥した木の葉の残骸を踏みしめ、荷車の轍がくっきり残る緑の地面を見つめながら、私達は無言でファームへの道を進んでいく。
クウガはぴたりと口を噤んで、それきり何も言わない。
多分、私が(ゼグンド将軍が、だ)頭痛がすると言ったから、自分の説明が、私の身体に負担をかけてしまったのかもしれない、と心配しているのだろう。
振り返らず、背筋をまっすぐに伸ばし、今は顎までずらしている口布と頭巾の紐を無造作に後ろへ流し、それが時折風に乗ってヒラヒラはためくのを眺めているうちに、少し切なくなってしまった。
私が何をどう思おうと、私のこの身体はゼグンド将軍なのだ。
私の思っている事のひとつさえも、将軍のいつもの行動パターンと違っていれば、口にすることすら許されない。
――――せめて、ありがとうって言いたいのに。
ファームの本館に近づくにつれ、数字と共に「廃品置き場」やら「燻製小屋」などという文字を刻んだ表札のついた、真四角の倉庫が、まばらに建ち並んでいる区画に差し掛かった。
ここまでくると、流石に人が住む土地である、という変化がハッキリ見えてくる。
縦横に伸び放題な木々、植物を伐採し、見目好く整え、荷車や人が通りやすくするため、小石を取り除き、地面を均してある。
苔で出来た緑の絨毯が途切れ、土の色をした道が出来上がっていて、幅も均等に整い、よく手入れされているようだった。
どうやら需要の順番に従って、本館近くに建てられているのだろう、私達が最初に見たのは「廃品置き場」で、本館のすぐ近くにあったのは、三階建ての立派な倉庫で「乾物・長期保存用薬剤置き場」。
学校の体育館並の規模で、正直、研究施設本館よりも、規模と造りが立派だ。
よっぽど大事にしているのだろうけど、資金援助云々の話を聞いてしまった後だったから、ついつい「維持費が大変だろうな」と、余計なことを考えてしまう。
肝心の、薬草を育てているという農園は、やはり近づくにつれ本館の影に隠れ、私達のいる辺りからは、よく見えなかった。
キョロキョロする私を見かねたのか、それまで静かに控えていたクウガが、
「研究施設ですからね。20年以上かけて採取してきたものを管理しているのですから、これだけの倉庫が必要なのでしょう」と説明してくれる。
そうだよね。研究というからには、さぞかし色んなものを採取しているんだろうし。
それにしても。樹海のど真ん中にあるから、買い物ひとつできる店なんかないし、食べるものや飲み物は、どうしているんだろうか?自給自足?さっき見下ろしたときに見た、畑のうちいくつかは、食べ物を育てているんじゃないかしら?
ご飯が美味しいと嬉しいんだけど・・・・それはやっぱりムシのいい期待かしら?できればジャガイモ的なものがいいなぁ。バターもあれば最高なんだけど。
「・・・・・・・・・・ハァ」
また、聞えよがしなシャリオンのため息が聞こえたが、慣れてきたころなので、気にしない!
ご飯って大事よ!美味しいご飯があるからこそ、色々頑張れるんだから!
一番立派な倉庫を通り過ぎると、ここにきて初めて舗装された道に出た。
これまでの道も、荷車を押しやすいようにと、地面を平らにならしていたけど、この地面は、明らかに、粘土のようなものを固めて、さらに滑らかなもので覆われている。
もちろん、コンクリートなんてものではなく、黄土色の粘土みたいで、足で踏むとちょっとぽわんと柔らかい感触がある。
「なるほど。大切な液体素材を運ぶ際に、グラ(この世界での「ガラス」という意味。古代語の「透明」を指す)素材が割れないよう、このように道を整えているのですね」
クウガは感心したように、まだ新しいその道をしげしげと見つめ、それからふと立ち止まって、後ろにいた私を振り返った。
それから、一瞬だけ地面に目を向け、また恭しく膝をつこうとしたけど、すぐに思い直したように首を振り、私に軽く頭を下げた。
「申し訳ございません、サイア(我が君)。ここではすでに人目がございますので、きちんと礼も尽くせず心苦しゅうございますが。
ここでお別れです」
え・・・?
「この道をまっすぐ、あちらに進めば、本館の裏門なのです。門番はおりませんが、そこには常に、ひとの頭ほどの大きさの、鐘が置いてあります。それを鳴らせば、使用人が出てくるはずです。
あとはコルカ(手形)をお見せになり、
「ゼグンド将軍の紹介で訪ねてきた。しばらくの間逗留させてほしい」とでも仰れば、空き部屋や食事を世話してもらえるはずです。そのように、一足先に送っておいた書簡がありますので、まず疑われることはないでしょう」
ゼグンド将軍の紹介。
まさか本人がやってくるとは夢にも思わないだろうな。
「あとは、偽名ですが。コルカの裏に、俺の名がありますが、これは地方によって読み方が変わり、「クウガ」から「クーゲル」とも読めるので。
お名前はそのままに、ディナダン・クーゲル、と名乗ってはいかがでしょうか」
それって大丈夫なのかな。ゼグンド将軍は英雄として有名なんだから、フルネームも出回っているだろうし、ばれないのかな?
そんな不安が、またしても顔にうっすら出てしまったのだろうか
クウガはきっぱりと首を振り
「大丈夫です。恐れながら、ゼグンド将軍、という呼称こそは著名ですが、名前はそれほど注目されてはいません。こう言ってはなんですが、同じような名前は多いですし。
まさかゼグンド将軍本人が、たった一人で、武装もせず、このような田舎をうろついている、という事こそ、誰も思いつきやしません」
と自信たっぷりに請け合う。
うーん、不安だ。なぜか、クウガが自信たっぷりだと、妙に身構えてしまう。
だけどそれよりも、ずっと一緒にいて、あれこれ世話を焼いてくれた、このクウガと離れることが、とても心細いし、ちゃんと言われた通りにやれるか、どんどん不安になってくる。
表面的には、きっとシャリオンが制御してくれているであろう、ゼグンド将軍の顔は眉ひとつ、動いていないんだろうけど。
オッサンが190センチ以上あるから、少し低い位置にあるクウガの鮮やかな緑の瞳が、赤く沈む太陽の光に透けて、翡翠色に変わっているのに見惚れながらも、そこに浮かぶものを読み取ってしまって、ズキンと胸が痛んだ。
いつもは毅然と、迷いのない眼差しが。
今は、どうしたらいいのかわからない、という不安をにじませ、このまま私(ゼグンド将軍)を、置いていっていいのかどうか、彼自身も迷っているのだ、と訴えるように揺れていた。
この時、私は初めて、巻き込まれてこんな目に遭っているとはいえ、自分の存在自体が、クウガを苦しめ、迷わせているのだと気が付いてしまって、胸が痛かった。
国中の男が憧れるほどの英雄が、ある日突然、「記憶をなくしました、どうしたらいいのかわかりません」などと言い出しポンコツになってしまったら。
その面倒をみなくちゃならない部下としては、たまったもんじゃないよね。
いつ戻るのか、なんの保証もなしに、どのくらい隠しおおせるかもわからないのに、将軍の体面を守るため、軍司令部に嘘の報告を入れるだけでも、胃が痛いだろうに。
そのうえ、クウガの場合は、隠密部隊として暗殺者と直にやりあい、その雇用元を探り出さねば、という使命を抱いてしまっているのだから、そのプレッシャーは半端ないだろう。
つまり、当の私は、安全なところで別人として、のほほんと暮らそうとしているのに。
部下の皆さんも、クウガも、これまで以上に大変な暮らしをしていかなくちゃならないんだ。
ごめんね。本当にごめんなさい。貴方が会いたいのも、守りたいのも、私じゃなくて、ゼグンド将軍なのにね。
私はそう、クウガに謝りたい気持ちでいっぱいになってしまったけど。
だけどシャリオンに
「そういう不毛な事を言い出したらキリがないでしょ。
それより、クウガの事を思うなら、クウガが望むような対応をしてやるんだ。彼は、あくまで将軍のために身を粉にして働いているんだから。
君にできることは、ゼグンド将軍として、彼を手厚くねぎらってやる事だけなんだよ」
と、言われて、ぐっと奥歯を食いしばった。
そうだ。クウガにはお礼を言いたいと思ってたじゃないか。
ううんと、どう言えばいいのかなぁ。
こういう時、これまでの経験からすれば、シャリオンがするっと入れ替わって、私の意志を無視して勝手に済ませてしまうんだけど。
なぜかこの時だけは、シャリオンは主導権を私に譲ってくれたようだった。
自分で、言う事を決める。こんな当たり前のことが、いつからこんなに、難しくなっていたのだろうか。
私は震えそうになる足を叱咤し、自分に言い聞かせた。
緊張するな・・!今の私は、コワモテのオッサンなのよ!ゼグンド将軍なのよ!!頑張ってくれた部下をねぎらう、えらそうな上司の口調って、どんな風なのかしらね?
「おっほん!・・・・・・・クウガよ」
そう、普段はあまり思っている事を表に出さない人だから、こうしてちょっと恥ずかしそうにするのも、不自然じゃないはずよね。
クウガはハッと一瞬目を見開き、思わずといったようにまた跪きそうになったが、なんとかこらえてビシッと背筋を伸ばすに留め、「はっ!」と軍人らしく返事をしてくれた。
「ここまでの案内、まことにご苦労であった。大儀である!」
「あ、ありがたきお言葉!」
ぱっと嬉しそうに顔を輝かせるクウガを見て、私は心底ホッとした。
よかった、どうやら的外れなセリフじゃなかったみたい・・・。
それと同時に、また切なくなってしまった。
こんなに偉そうにお礼言われて、何がそんなに嬉しいのかわからない、というのもあるけど。
珍しく笑みを浮かべた、片側の前髪を長くおろしたその影から覗く、エメラルドのような瞳がきらりと光り、そうして笑う彼の顔が、意外に幼く、まるで私とそう変わらない年頃の男の子に見えて、ドキリとしたのだ。
私のいた世界では、きっとまだ大学に通っているような年頃の人だ。それが、諜報員として、当たり前のように命がけで、働いているんだ・・・・。
クウガはそれまでの迷いが吹っ切れたようで、そのあとは、
「定期的に様子を見に、そして報告にあがります!ここにはかねてから魔物が近づけぬよう、巡回警備隊を派遣しておりますが、増員する予定ですので、どうか安心してお体を労り、回復につとめられますように!」
と、また暑苦しいテンションを取り戻し、文字通り、風のような速さでその場から消えてしまった。
あまりに素早い退散だったので、別れを惜しむようなゆとりも、私が感極まって、何か失敗するような余地もなかった。
もっといろいろ話したかったのに。
たった一言の、ゼグンド将軍のあんな労いの言葉で、全てが解決してしまうなて。それはそれで、何だか羨ましくなってくる。
ゼグンド将軍は、もしかして部下をあんまり褒めないタイプなのかしら?
「そうみたい。口下手で、よく失敗もしているし。ご婦人を褒める事も苦手で、「太りましたか」なんて地雷を踏んでしまって、フられた事もあるみたいだね」
ぶっ!!
クウガがいなくなったことで、どこかホッとした様子のシャリオンがやっと話しかけてくれたので、私はそれまでの心細さを忘れ、つい吹き出してしまった。
そうだった!私にはシャリオンがいるじゃない!独りぼっちだったら、この先の道を進むのだって怖かったところよ。
私はぐっと拳を固め、立ちんぼしてしまっていた黄土色の道を再び踏みしめ、のしのしと歩き始めた。
そうよ、ちょっとイケメンがいなくなったくらいで、何よ!そんなの、いつものことじゃないの。学校にも、バスケ部の周防先輩という、アイドル的なハンサムがいたけど、クウガほどじゃなかったし、話したこともないしね!
家に帰れば嫌でも顔を見る、愚弟隼人も、生物学的に男ではあるが、憎たらしい弟というのは、弟というだけで点数が辛くなるので、あれをどのレベルの顔だと思えばいいのか、よくわからない。
要するに、イケメンが長く傍にいたことなんかなかったのだから、元の状態に戻っただけ、と自分に言いきかせるしかない。
うんうん、これが普通なのよ!そして今の私は、泣く子も黙るコワモテのムキムキおやじ!!
イケメンとなんか、縁がないほうが、よっぽど心穏やかに、諦めとともに暮らせるじゃないか!
悲しくなんか、あるもんか!
「・・・・・・・・エナ、お願いだから、将軍の顔でベソベソ泣かないでくれないか。正直、気持ち悪くて・・・・オェッ」
シャリオン、あんた、血も涙もないわね・・・。
to be continued!
少しでもお楽しみいただければ幸いです!次回は、ゼグンド将軍のターンです。