動き出す謀略と、相棒の不在
シャリオンがどっかに行っちゃった!と焦るエナだったが、容赦なく一日が始まる。その傍ら、キャストン・ファームの外からは静かに敵が魔の手を伸ばしつつあった。
ゼグンド将軍の身体に乗り移ってしまってから、半強制的にパートナーになってしまった小生意気な少年の声が聞こえなくなった。
解放されたわ、キャッホー!と喜ぶ余裕などどこにもない。
ゼグンド将軍の事なんて未だに分からないことだらけだし、この世界の一般常識についても、ちょっとしか知らないんだもの。万が一、誰かに「ゼグンド将軍らしさ」を求められでもしたら、どうしよう、という不安がこみ上げてきた。
ああ、心細い!
などと、パニックの波に襲われソワソワするもつかの間、朝日がのぼる頃になると、ゼグンド将軍の身体は勝手に動き出し、「これだけは譲れぬ」とばかりに早朝の鍛錬に向かってしまった。
な、なんでよ~~、それどころじゃないでしょ、やめてよー、と私がいくら心の中で叫んでも、依然としてゼグンド将軍の身体は本来の持ち主の残留思念に従順で、びくともしない。
ううう、こんなことやってる場合じゃないのに!トイレに行きたくなったらどうしよう。シャリオンは一体いつ頃戻って来てくれるのかな?
そんな事を考えつつ、涙を迸らせながら鍬を振り回していた私を、遠くから見ている者がいたことに、シャリオンがついていない私は、全く気付くことができなかった。
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場所は変わって、キャストンファームのある盆地から遥か南にある小さな町では、1つの事件が起きていた。
とある宿屋の裏庭で起こった些事である。
腰に湾曲刀を下げ、町から町へと旅をする商人達を護衛する傭兵だと一目でわかる、茶色の革鎧と、「護衛中」の意味を示す緑色の墨印のある丸い盾を背に装着した、二名の男が裏庭の片隅に身を寄せ合い、何事かに怯え、ガタガタと震えていた。
小柄な方の男が、手にしていた木簡を握り潰し、もう我慢できない、と言い出したのだ。
「どうしよう、もう目的地が近いよう!前の任務をしくじったからって、俺ら、ついに捨て駒に・・・モガッ」
隣に身をかがめた、頭のてっぺんが禿げあがった壮年の男が、慌ててその男の口を両手でふさぐ。
「バカ、声が大きいっ!―――――だがまあ、確かに成功率より死亡率の方が高い任務だよな。あのゼグンド将軍の身辺調査なんてさ」
「そうだよ!実際、そのために三軍に潜入していた仲間は、誰も帰って来やしねぇ!ゼグンド将軍のお抱え諜報部には、やべぇ奴が掃いて捨てるほどいるらしいし、中でも長のアルテラ・グィードは双剣術の達人で、その抜刀姿を見たものは必ず殺されるんだとか。剣を向けられたらオシマイって、怖すぎだよ!!」
「その配下のクウガって若造もおっかねーよ。洗濯中だったゼグンド将軍のマントの端をウッカリ踏んでしまった新兵を、半殺しにして吊るしたっていうし!」
「うわ、恐怖統治か、絶対近づきたくねーわ!三流とはいえ、ウチらのギルドの方がなんぼかマシ―――――でもないか。そんな危ない連中の目をかいくぐって、ゼグンド将軍の「仮病説」の真偽を探ってこい、だなんてさぁ」
はぁ~っと男二人の口から同時に重いため息が漏れる。
ちょうど今から二週間前に、ファラモント軍最高司令官ペルロ宛てに「ゼグンド将軍、任務完了後に不慮の事故に巻き込まれ、意識不明の重体。しばらく最寄りの村に留まり、療養する必要あり」との報告が入ったことにより、その噂はあっという間に国中に広まった。
ファラモントはおろか、大陸最強とさえ謳われる男が、意識不明に陥る、などとはにわかに信じ難く、誰しもが首を傾げたものだった。
あのゼグンド将軍が、意識不明になるほどの負傷を負うはずがない。よしんば気絶したとしても、すぐにケロリと起き上がり槍を握るのではなかろうか。輝かしい戦歴を誇る名将がゆえに、体調不良も、俘虜の事故による負傷や先頭不能という事態は、どうにも疑わしい。さては面倒な任務を体よく断るために、仮病を使っているな、と邪推されるに至ったのである。
だがゼグンド将軍の戦果の上に胡坐をかき、終戦後のうのうと出世を果たした軍務最高司令官ペルロは、ゼグンド将軍に対し負い目があった。現国王に疎んじられてさえいなければ、ゼグンド将軍こそが、その地位を得ていたはずだったからである。
それゆえ、肝心なところでは必ずゼグンド将軍に有利な采配をするのだった。
この時も勿論、第三軍からの要請を受け入れ、必要かどうかもわからない「療養目的」の長期休暇をすんなり許可している。
だがここで一番焦っていたのは、軍務最高司令官ではなく、ゼグンド将軍を冷遇し続けていたファラモント現国王でもなく、王の弟アドニス公爵を次期ファラモント王に推している貴族院の面々だった。
彼らは常々、敵対勢力たる王太子派にゼグンド将軍がなびく事を恐れ、これまでゼグンド将軍を王都から遠ざけてきた。年若く気立てのよい王太子が次の国王になれば、ゼグンド将軍の才気と人望を妬んでいた先王と違い、必ずゼグンド将軍を重用し、正義感に溢れる助言に従って、血筋重視の身分制度を廃止しかねない。
とても許せることではなかった。
おのれゼグンド。我々が王弟を次の王位につけるため、内乱を起こそうとしている動きを既に察知し、この「休暇」を利用して密に王太子のための軍勢を集めるつもりではあるまいな。
ただちに密偵を放って、ゼグンド将軍の身辺を探り、少しの動きも見逃さぬよう張り付かせるのだ。
―――――という王弟支持派の何者かの命が方々の闇ギルド(政府非公認の犯罪組織全般の呼称である)を雇った結果、今現在、うだつのあがらない中堅諜報組織の下っ端二人が、身を寄せ合って己の身に降りかかった不幸に嘆くしかない、という状況に陥っているのであった。
ちゅんちゅん、ちちち、と小鳥のさえずりが耳を撫で、さわやかな夜明けを迎えているというのに、息のかかる近さにあるのは、同僚のむさ苦しいヒゲ面のみである、という事が妙にやるせない。
「もう俺、帰りたい」
声には出さないが、これが二人の男の共通した望みであり、とほほ、と項垂れ地面を見つめる事しかできない。
この男達―――――小柄な方をミゲル、頭のてっぺんが寂しいハの字眉の男の名はホーキンス―――――は腐ってもファラモント内でも有数の闇ギルドの下僕なのだ。任務に拒否権はないし、3日に一度の定時連絡をおろそかにするだけで、裏切り行為と見なされ、粛清されてしまう恐れがあった。
事前に渡されていた、暗号文で綴られた任務内容を一読するだけで、口から泡を吹いて気絶したものだったが、最後の一文、「なお、今後の情勢に異変があった場合、任務内容も変更になる可能性アリ」という記載だけがせめてもの希望だった。
次期王位を巡っての権力者間の諍いそのものに、そう変化があるはずもないが、他のギルドメンバーか、他所の諜報機関がゼグンド将軍、もしくは王太子側の動向に関した何らかの重大な情報を掴み、動き出したのであれば、追う対象が変わる可能性が出てくる。
人任せで運頼みな願望だったが、そういう可能性もある、とでも考え現実逃避でもしなければ、失敗率の高い任務なんてものは続けられない。
二人はこの時、ゼグンド将軍が最後にこなした任務、魔獣の群れを討伐した山からは、まだ80キロも離れた町にいた。
優秀なことで有名なゼグンド将軍のお抱え諜報部隊の目を欺くため、1年も前から様々な商人ギルドに護衛兵として潜伏し、地味な仕事をコツコツ積み重ねたうえで、ようやっとお目当ての第三軍に繋がる輸送部隊に潜入を果たしたのだ。
相当大きなヘマをしない限り、身元を怪しまれる事はないだろうが、ゼグンド将軍に近づくという事は、とにかく命懸けだ。
町に寄る都度、ゼグンド将軍を慕う領主や商人ギルドの長が、こぞって第三軍宛ての差し入れを大量に寄付してくれるので、ファラモント首都シェハールを出た時より3倍に膨れ上がった積荷のため、輸送隊は新たに馬車5台と護衛隊18名の追加雇用を余儀なくされたほどだ。
ゼグンド将軍が終戦後にファラモント王の不興を買い、出世への道は途絶えたとはいえ、未だ不屈の英雄の人気は衰えない。
いっそ何の裏事情も知らず、彼らと同調して英雄の支持ができればどれだけ幸せだろうか。悲しいことに三流スパイに選べるギルドは少なく、今更やめようにも闇ギルドの世界に「円満退職」という言葉は存在せず、下手をすれば粛清されてしまう。
ミゲルとホーキンスは重いため息をついた。旧「サヴァルテ」時代からゼグンド将軍に仕えている恐ろしい諜報部隊「フォルンギス」の手の者が、今の第三軍のどの部隊にどれだけ混じっているのかすらわからず、不安は尽きないのだが。
結局は上司から「やれ」と言われれば、やるしかないのだ。
二人は悲壮感漂う面持ちで、しぶしぶ打ち合わせを再開した。
「えーと、次の村こそが本命だな。だいぶ予定よりかは遅れたが、ハンソン商会から追加便を待ち、それを積んでから出発すれば、あと4日くらいで第三軍が逗留している、リンデ村に着く。
まぁ、十中八九、三軍の仮宿舎で寝ているのは替え玉か、元気ハツラツとしたゼグンド将軍本人だろうがよ」
「まったくだよ。野生の翼魔獣を投石ひとつで地面に落とし、ワンパンで服従させたっていうアノ将軍が、落石に当たったくらいで気を失うとは、とても信じられん。
ミゲル、あっちでは今みたいに俺ら二人がツラ突き合わせるだけでも疑われかねないから、暗号で―――――」
言いさしたところ、不意に背後で物音がした。
腐っても密偵。万年ヒラ工作員といえども後ろ暗い商売をしていると、人の気配にはめっぽう敏感になるものだ。
だからこの時、背後から聞こえた枯れ葉を踏む僅かな足音が、人間のたてる音とは違い、やけに小さいことに気づくのも素早かった。その一瞬の確信を裏付けるように、背後に立った「ソレ」は「にゃあ」と可愛く鳴いた。
脅かすなよ、と独り言ちながらホーキンスが振り向くのに合わせて、ほっそりした茶色い猫はパタパタと尻尾をはためかせた。
「ん?チャビじゃねーか?コイツが来たってことは、もしかして!」
ホーキンスの肩越しに、自分達を訪ねて来たらしい珍客を覗き込んだミゲルが、茶色い猫を見るなり、パッと顔を輝かせた。
ちなみにこの猫は、かつてクウガがエナの前で受け取っていた小鳥のように、魔法を編んでつくった疑似メッセンジャーなどではない。
小さい犯罪組織ごときに、そのように高度な魔術が使える人材はおらず、チャビというのは実体のある猫に似た魔獣だった。
ただし、低レベルの魔物を手懐け、使役することのできるテイマーの技を身に着けたものが、少しだけ訓練し、短い距離なら飼い主の思うままの方向に移動し、合図を送ることくらいはできる。
チャビは猫のようにくりっとした目を大きく瞬かせ、教わった通りに大仰な仕草で右の耳を三回ごしごしと拭い、ぺろぺろその手を舐めたあと、必要もないのに後ろ脚で地面を一度だけ掻いてみせた。
「おおっ!?依頼主からの連絡があったらしい!任務内容変更、目標に近づいても、何もしなくていい、成り行きを見守るだけでいい」ってさ!!
「ほんとだ!見守るだけでよし、の合図は初めて見たよ。クッソカワ・・・・いや、ゴホン、なんでもないっ!めでたいよな!!」
チャビは役目を終えると、なぜかニコニコ上機嫌で自分の頭を撫でようと、武骨な手を伸ばしてくる男の手を嫌がり、ペシリと叩くと、颯爽と身をひるがえし、来た道を戻り出した。
男達が、自分の働きに対するご褒美、つまりは煮干しやミルクを持っていないことは確かだったので、媚びを売る必要がなかったのだ。
それにしても、爪をたててパンチをお見舞いしてやったというのに、どうしてあの男は「かわいいなー」と言わんばかりにニヤニヤしていたのだろう?
チャビはあっと言う間に小さな町の狭路をスルスルと通り抜け、灌木生い茂る小道を進み、人通りのない山の麓に辿り着いた。
スン、と鼻を一度上に向けて働かせるだけで、つい2日前に出会ったばかりの「新しい主人」を見つけることができた。
人間の鼻では嗅ぎ分けることができないだろうが、本当に僅かなその人の匂いが、チャビの鼻にはこの世で最も甘く心地よく香って、思わず喉が鳴る。
ゴロゴロと機嫌よく喉を鳴らしながら近づいて、スリスリとその人の足に顔をこすりつけていると、そっと背を撫でられた。
薄汚い下町に根城を構えている闇ギルドで働く工作員たちの荒っぽい手つきとまるで違う、繊細で優しい手つきに、チャビはうっとりと目を眇めてにゃあ、と鳴いた。
「ふふ、お利巧ね。チャビ。あんな三下テイマーの元にはもう、帰らなくていいからね」
そっと身を屈め、目深にかぶったフードの下で、真っ赤な唇がニンマリと笑みを浮かべていた。
一陣の風がふんわりと、フードの端を持ち上げ僅かに猫を抱き上げた女の顔が陽の下に晒された。
濃い金色の豊かな巻き毛を半分だけサイドでまとめた優美なその女は、この上なく優しい手つきで猫を撫でながらも、反対側の手には、少し前にチャビから取り上げた、暗号文を縫い込まれたリボンがあった。
闇ギルドにはそれぞれ独自の暗号を持っていて、同じギルド出身の人間でないと決して読み解けないように作られているものだ。
だがこの女はその暗号をあっと言う間に解読し、それを身に着けていたチャビを一瞥するだけで、元の低俗な飼い主の支配から解放した上で自分の従僕にすることができた。
「ゼグンド将軍に、背格好のよく似た男を、ロスワン領の農園「キャストン・ファーム」で見かけたという情報あり。件の農園は製薬業を兼ねている研究施設であり、ゼグンド将軍の支援を受けている。将軍とその部下を匿っている可能性が高い。直ちにそちらへ急行せよ」
それが、先ほどの下っ端スパイ、ミゲルとホークスに送られた本物の暗号メッセージだった。
「ふふん、珍しく鼻が利くじゃないの。でも残念、私の計画の方が先よ。邪魔はさせないわ」
ねえチャビ。と、女―――――レリアナは嬉しそうに笑いながら猫に話しかけた。
幼子のように無邪気な好奇心にハシバミ色の瞳を輝かせながら、女は高鳴る胸を抑えて甘いため息をついた。
キャストン・ファームに部下を送っていて本当によかった。
資金援助を次々に打ち切られ、倒産間近だと言われ続ける割に、キャストン・ファームは中々しぶとく存続している。
レリアナは一瞬、笑みの奥でギリリと歯を食いしばった。
二か月前、苦労してファームから出荷された大手商会宛ての軟膏薬の一部を粗悪品とすり替え、キャストンファームの製薬ブランド名を地の底まで落とすことに成功したはずなのに。
次々と契約を打ち切られ、事業は取り返しのつかない程追い詰められるはずだった。
それが、そうはならなかった。既に1億ルペ(この世界のける金の単位で、1ルペは日本円にして10円程度)もの借金がはるはずなのに、いっこうに取り立てが行われる様子がない。返済が滞れば、すぐにも強面の取り立て業者が送り込まれ、金に換算できる研究資材を全て差し押さえるはずなのに、それも行われていないのだ。
流石に訝しんだレリアナが調べ、辿り着いた答えは非常にシンプルなものだった。
キャストン・ファームには、巨額の投資を行う人物が他に現れたのである。何者かが、匿名で既に借金の全てを返済していたのだ。
どんな金持ちであろうと、ポンと出すには大きすぎる金額だ。
どんな病も傷も治せる、夢物語のような万能薬を作る事に失敗し続けている、落ち目の研究所にそんな出資をする者が、今更現れるのはどう考えても不自然だ。
しかも今のところ当のキャストンファーム運営責任者、ケイレブ・ボーラスがその事を知った様子がなく、「赤字だ、火の車だ」と本気でワーワーと騒ぎ立てているらしい、という情報もあったので、ますますただの投資と考えにくかった。
つまり、匿名のスポンサーの狙いは、他のところにある。
事業を救済しているのではなく、キャストンファームを支援し続けているゼグンド将軍に、恩を売ろうとしているとしか思えない。
しかも借金だけを返済し、根本的な運営体制を改善させるところまでは援助しないあたり、キナ臭い。とりあえず延命はしたが、この先はそちらの出方次第なのだ、と匂わすようなやり口には、どうにも引っかかる。
そんなことを考え、実行に移せる財力がある者となれば、おのずと候補者が絞られてくる。
レリアナの脳裏に、一度だけ遠くから垣間見たことのある、水の国の女王の横顔がちらついた。
水色の口紅がよく似合う、冷たい美貌に白いドレス姿の女王は、ゼグンド将軍を高く評価しており、考えうる限り最高の地位を約束している、という噂は有名だ。
―――――漢に二言なし、と豪語しているゼグンド将軍が、一度は断ったあの女の誘いに応じるはずはない。大丈夫、まだ私達にも勝機がある。
レリアナは、ぐっと息を飲み込むと、素早く頭の中で既に遂行した「計画」の手順を反芻した。
ファームで育てている薬草の量には限りがあるため、6割は外注した薬草を仕入れて軟膏を作っているのだ。いかにキャストンファームで作っている傷薬の効き目がよく優れていようとも、原材料の質が落ちれば、当然得られる効果も劣ってくる。
5日前に通って来た商業都市アケミアで、彼女の部下は言いつけ通りに、キャストンファームに搬入される「薬草」を、粗悪な品質のものとすり替え終えていた。
地の大国エレンゾからの輸入品なのだ。粗悪品だ、とクレームを入れようにも、いくつもの仲介業者の手を経ているため、出荷元の商会に話を通すだけで、かなりな時間がかかるだろう。
次の軟膏の納期には、とても間に合わないはずだ。粗悪品を用いて薬効の下がった品を卸せばたちまちファームの評判が落ち、ますます売れなくなる。
地味なようで、効果的な一撃である。
いよいよファームの運営は苦しくなり、そうなったら「あの女王」が余計な手を打ってくる前に、レリアナの主が絶妙なタイミングで公式な投資者として名乗り出し、ファームの窮地を救い、その事をしかるべきタイミングでその噂をゼグンド領で領主代行を任されているサミュエル・パウローナ伯と、適当な諜報機関に流せばいい。
優秀な「フォルンギス」はゼグンド将軍にまつわる噂には、虚言入り混じるゴシップネタに至るまで聞き耳をたてている。かの国の女王相手では迂闊に反応を返せずとも、自国内の権力者からの介入とあれば、ゼグンド将軍の耳に入れる可能性が高い、とレリアナは考えていた。
これまではどうしたって、側近の目が厳しく、二人きりで話をする機会さえ設けることが出来なかったのだが、キャストン・ファームをこれまで己の財産を切り崩しながら支えてきたゼグンド将軍が、突然現れた資金援助者に興味を抱かないはずがない。
口うるさい側近の目がないところで、会いさえすればこちらのものだ。あの方の手にかかれば、どんな堅物だって仔猫のように蕩け、たやすく篭絡されるはず。
何しろ、そういう魔術に精通しておられるのだから。
レリアナはそう考え、ニンマリと笑みを浮かべたが。
その笑みに、先ほどの愉悦は見られず、ほんの少しの妬みと憎しみが混じっているのに気付いたのは、レリアナ本人ではなく、彼女の腕に抱えられたままだった、チャビだけだった。
ああ、これで。あの男―――――緑の目をした憎らしい青二才、クウガに吠えヅラかかせてやれるってものよ。この私から目をかけ、誘ってやったというのに、「お前と語り合いたい事など何もない。お前のような性悪なメギツネが、サイア(我が君)の前をうろつけぬようにするのが、我々の仕事なのだ」とのたまい、しっし、と汚いハエを追い払う仕草までして見せたのだ。
若さと美貌を武器に、これまで色んな男をコマしてきたレリアナの、女としてのプライドが、木っ端みじんに砕けた瞬間でもあった。
見てなさいよ、クウガ。あんたのご自慢の「サイア」だって、所詮はただの男なんだって事を思い知るといいわ。私の主君にゾッコンになって、みっともなく尻尾を振るようになるのを、あんたは止められないし、歯ぎしりでもして眺めているしかなくなるのよ。
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「うわぁ~~~!」
その日の午後、私はこのキャストンファームに来て初めて、野菜畑ではない、アコガレの「薬草」を育てている畑を見せてもらっていた。
漫画やアニメなどで描かれていて、私がなんとなく想像していた、小ぶりの植物ではなく、意外と大きく、大人の膝あたりまで伸び、葉先が青味がかっているのが特徴的だった。
どうやらよほど、昨日の水石泥棒騒ぎで、私に対して負い目ができてしまったのか、あのケチンボなケイレブ副館長が、サイモンさんに「せっかくだから、色々と案内してさしあげろ」と言ってくれたのだ!
最初は、「企業秘密ですからな!」とか何とか、威張ってて、ちぃ~っとも見せてくれなかったのにね。
いや待ってよ、シャリオンのツッコミがないから今まで忘れてたけど、確か水槽に入れてた水石のいくつかは、強請られるまま、研究に役立ててください、と渡していたんだっけ。
そっかそっか。売ればかなり高額な水石をもらったから、ケイレブさんも似合わない笑顔を浮かべてご満悦だったのかあ。
私はもちろんサイモンさん達にあちこちを案内してもらい、ついには本当に塗るだけで傷が塞がる、という地球の一般常識に照らし合わせれば奇跡のような、「傷薬」の原材料の、薬草をいざこの目で拝むとなると、興奮が止まらない。
自分じゃ見えないけど、今の私、きっと鼻の孔も広がって、目がキラキラ輝いて、さぞかし暑苦しい顔をしちゃってるんだろうなー、という自覚はあったけど、それが何か?いつもギャーギャーうるさいシャリオンがいないので、変顔も、バンザイも、やりたい放題だ。
大体、ゼグンド将軍っぽくムッツリ不機嫌そうな顔をしている方が、身分詐称して「退役兵のクーゲルです」と名乗っている今は、問題でしょうに。
いやいやほんと、これがアコガレの「薬草」!
意外だったのは、その見てくれだけじゃない。
薬草を植えている土が、陽の光を受けてキラキラ金色に輝いていて、とっても綺麗なの。
顔をぐっと近づけてよく見ると、細かい砂金がまじっているように見えるし、ところどころ、琥珀のような飴色をした小石が埋まっているのがわかる。
あ、これってもしかして?私がバッと顔をあげ、サイモンさんの方を見ると、サイモンさんはニコニコしながら畝の傍に置いてあった小さな籠を取って私の方へと傾けて見せてくれた。
「ほら、これですよ。土石です。細かく砕いて、このように贅沢に土に混ぜることにより、薬効がずいぶんと上がるんですよ!」
ほーお!なるほど、水石ってほとんど無色のアクアマリンみたいに見えたけど、土石は、琥珀みたいに黄色なのね!うわ、すごい、綺麗!
思わずキャーキャー言いそうになったけど、それは流石にマズイと自制した。
いかんいかん、私は今、このへんで一番ムキムキのオッサンだったんだ。シャリオンじゃなくても、サイモンさんが嘔吐してしまうかもしれない。少しは頑張って男らしくしてなくちゃ!
ふんぐ!と息を飲み込む私の事には頓着せず、サイモンさんは研究者らしく熱心に、色々と教えてくれる。
「ここから、あそこまで、同じ薬草を植えているでしょう?でもそれぞれ収穫時期も違うし、この量だと全然足りなくてね。少し割高だけど、土石の輸出大国エレンゾから仕入れているんです。エレンゾの土は、こんなに土石を混ぜなくても、同じ濃度の栄養があるらしくて。本当に羨ましい限りですよ」
ハァ、と悩ましいため息をつくサイモンさん。
ケイレブさんは、赤字だ赤字だ、ってよく騒いでいるようだけど、その割に沢山の軟膏の注文があるらしい。もしかすると単価が安いとか?残念ながらシャリオンの入れ知恵なしでは、商売のことはよくわからないので、想像しかできないけども。
「昔は、こうじゃなかったんだよ?食料は頻繁に外部からの仕入れがあったから、ウチの畑で野菜なんか育てる必要もなかったしね」
サイモンさんの後ろから、肘まで届く作業用手袋をはめたオジサンが雑草の束をまとめながら口を挟む。
「そして、土石をふんだんに使う、この贅沢な畑の半分は、世界各国から取り寄せた、珍しい植物ばかり育てていてね。
ここの創設者、キャストン氏は全く新しい薬を作ろうと、いくつもの薬草を交配して新種の植物を育てようとしたんだ―――――まあ、一度も成功はしなかったんだけど」
そのくらいやらないと、「万能薬」なんてものには辿り着けない、とおっしゃっていたなあ、と懐かしそうな声がサイモンさんから漏れた。
「研究が実を結ばず、資金繰りに苦労するようになった僕達は、仕方なく一般的な製薬業をはじめたんです。傷薬や、ちょっとした病気くらいなら治せる既存の薬をね。
でも、品質だけは、他のどこにも負けてない。もしかしたら、高品質を極めれば、さらに薬効の高い薬を作れるかもしれない、と僕は思ってるんです」
サイモンさんの、節くれだった指が、そっと薬草の先っぽの青い部分を撫でた。
愛しくてたまらない、というように優しい仕草だった。
なんだかそれを見ている私の胸までチクリと痛みを覚えてしまったけど、すぐにサイモンさんは明るく笑って畑の右端を指さした。
「ああ、でも!昔集めていた珍しい植物なんですが、流石に全部は処分するのが勿体なくて、少し残してあるんですよ。残念ながら、傷を治すような効果は認められなかったんだけど、形が面白くて、そのうち観賞用として販売できないかなって」
私はすっかり興味をそそられ、誘われるままにずずいと畑の右端まで突き進み、小さな白い石を並べて作った花壇みたいな箇所を覗き込んだ。
2メートル近くあるオッサンの背から見下ろすと、花壇はあまりにもちっぽけで、一見取るに足らないものに見えたんだけど。ぐっと屈んで、さらには地べたに手をつけ、鼻先数センチまで近づいてみると、花壇の中央に、とても可愛いハート型の植物があるのを見つけて、思わず「わあっ」と声をあげてしまった。
さっき見せてもらった薬草の葉の先端は青かったのに対し、こちらは白っぽいミントグリーンの葉の縁がピンク色をしていて、とっても可愛い。
私は一瞬でそのハートの葉っぱを持つ植物に夢中になってしまって、その他の白い棘を沢山つけたヘンテコな形の植物や、潰れたウニのような形をしたコケのことは、ついついスルーしてしまった。
「そうそう、これ。女性にウケがよくて。観賞用で売り出すならこれが一番有力かな、と思いまして他の畑でも育てているんです。薬効を強める必要がないから、こんな贅沢な土質でなくとも大丈夫なので」
なるほど。ここでは薬効のある順に大事にされるんだな。でもこのくらい可愛い植物なら、お花屋さんで売れるんじゃないかしら。土石なんてドーピング肥料使わなくても、このくらい見た目に遜色なく育つのなら、花壇とかでもいいよね。
「クーゲルさん、まさかそれ、お気に召したんですか?」
いけね、サイモンさんの声になんだか戸惑いが混じっているような。
いかついオッサンが、可愛いハート型の植物に見惚れていたら、ちょっと引く?いやいや、でも、ホントにこれ、可愛いのよ!
シャリオンがいないのをいい事に、私はついつい欲望に正直になってしまい、思わずこっくり頷いてしまった。
だけど流石、サイモンさんはとても優しくて、少しだけ戸惑いを見せたもののすぐに嬉しそうに笑って
「他の畑で育てている分でよければ、好きなだけお譲りしますよ!昨日いただいてしまった、あの素晴らしい水石に比べたら、本当につまらないもので申し訳ないのですが」
と言ってくれた。
私はもちろん断らなかった。というか、大はしゃぎしたいのを必死に堪え、精一杯大人ぶって「ありがたい」と答えるので精一杯だったけども。
アクアリウムに続いて、今度は可愛いプラントを育てるんだ、と思うとそれだけでテンションが上がった。
ワクワクソワソワを抑えるのは思った以上に難しく、「はやく頂戴」とどうやら顔に出てしまったらしく、サイモンさんは他の種類の薬草の紹介を早々に切り上げ、すぐに他の研究員に声をかけて、ハート型の葉をした小ぶりの植物がたくさん植わった、大きい鉢植えを持ってきてもらってくれた。
でかい!と思った私だったけど、日頃重たい鉄の棒をブンブン振り回しているゼグンド将軍の腕でその鉢植えを受け取ると、予想外に軽く、ゴムボールほどの重さも感じないほどだった。
うーん、肉体が違うと、こんなにパワーが違うのね。このオッサンの膂力と私の膂力を比べちゃうと、陸自衛隊の10式戦車対お子様用三輪車並の差があって、悔しさを通り越して呆れるしかない。
それでも改めて我が腕(ゼグンド将軍のだけど)に納まった、可愛いプラントちゃん達を見下ろすと、ほっこり気が緩む。
そんな私をニコニコしながら見ていたサイモンさんが、おもむろに口を開いてしみじみとした口調でこんな事を言った。
「すみません、クーゲルさん。お気を悪くしたら申し訳ないんですけど。実のところ、このファームには、搬入業者や討伐隊といった面々が少しの間立ち寄る時くらいしか、お客がなくて―――――その、クーゲルさんは、とても珍しい長期滞在のお客様なので。
みんな、結構色々と噂してたんですよ。クーゲルさんはどう見ても健康そうなのに、退役軍人、というので。なにかよほどの訳ありなのかな、とか」
だんだん、モゴモゴと歯切れが悪くなるその言葉に、私はすぐにピンときた。
そりゃあ、そうよね。ゼグンド将軍の見た目って、どう見積もっても30~40台だし、五体満足だわで、引退するには早すぎる印象がある。
「僕は、出自の問題だと想像しちゃってたんです。本当はどこかいい家の跡取りなんかで、何かあって実家から呼び戻された、とかね。本当に、下世話な想像や噂ばかりしていて、お恥ずかしい限りです、すみませんでした」
いえいえ、いいのよ。そりゃ噂くらいするでしょう!というか、疑われたら、その線で言い訳したらいいのね、参考になったわ。いいとこのお坊ちゃんには到底見えないゼグンド将軍だけど、お店やってるお家の跡取り、というのは言い訳として説得力あるんじゃないかな。
ふんふん、と頷く私の顔を見て、怒っていない、と確信できたのか、サイモンさんは照れくさそうに言葉を続けた。
「でも、なんか違ったんですね。今わかりました。クーゲルさんが戦場を離れる事は、きっと必要な事だったのでしょうね。だって、可愛いものが好きでいらっしゃるなら、きっと戦場には―――――いえ、すみません、僕なんかが偉そうに言えることじゃないのはわかっていますので―――――戦う以外に生きる道は他にいくらでもありますよね。少しでもこのファームで心身共にくつろいで下さったら、嬉しいです」
シャリオンがいないからだろうか。私があまりに、ゼグンド将軍とかけ離れた、ただの平凡な女子高生として振舞ってしまったからだろうか。
良くも悪くも、サイモンさんは私に対する印象を改めたようだった。威圧感漂うゼグンド将軍相手では、きっと誰もが口を噤み、余計な事は言えなくなるだろうが、私になら言いやすいのだろう。
なんだかとても親密になれたみたいで、嬉しいやらくすぐったいやらで妙な気持ちだった。
同時に、私の胸の奥で、またチクリと痛みが走った。この痛みは、誰のものだろう?
戦う以外の、生きる道。その一言が妙に突き刺さる。
これはもしかして、ゼグンド将軍に決して許されないものではないだろうか。
終戦を迎えてなお、彼は様々な任務に駆り出され、忙殺され、結婚して家庭を持つどころか、ひとどころに身を寄せる時間さえない。
こうして、シャリオンがいない、妙に静かな頭の中で改めて考える時間が出来、ゼグンド将軍の体の中でじっとその心を知ろうと感覚を研ぎ澄ませていると、やはり胸の奥がとても痛い。
変だな、私は今、可愛いアイテムを手に入れてご機嫌だったのに。どうしてこう、時々わけもわからず泣きたくなるんだろう。
そこまで思った時、農作業をしていたおじさんが、
「ああ、そうだ、これもいらんかね?土石は一月も土に埋めておくと土地を豊かにする魔力の全てを吐き出して、こうしてただの石コロになってしまうんだけど。でも、磨けば少しは見栄えがするし、ウチのカミさんも鉢植えに飾ってるよ」
と言いながら、ズタ袋に詰まった茶色い石を私に差し出してくれて、私は一気に現実に引き戻され、ゲンキンなことにぱぁっと有頂天になってしまった。
廃材!!水石の時みたいに、宝石っぽくなるかも?そしたら、このプランターを飾ったり、アクアリウムの外に置いて飾ったり、色々デコれる!
少し削ったら、金箔みたいにならないかなぁ。畑に撒いてある砂金をウットリ見つめ、ついつい妄想にふけってしまいそうになる。
うふふ、トイレやお風呂の事を考えたら不安しかなかったけど、シャリオンがいない方が、なんか色々お得な気がするわ!今日はもう、二つもアイテムげっとしたもんね!
こうして私はその後も、これまで見せてもらえなかった、あちこちを案内してもらっていたんだけど。
そこで、事件が起きたの。
収穫した薬草の下処理を見せてもらおうと、別館に移動していたところ、ドタバタと慌ただしい足音と共に、茶色い作業着に身を包んだ女の人が、文字通り髪を振り乱しながら私達の方へ走って来たのだ。
「たたた、大変ですぅ!!!!さっき、待ちに待った、アケミアからの、いいえ、エレンゾ産の薬草が搬入されまして!」
エレンゾ産の薬草?それって、さっきサイモンさんが言ってたよね、軟膏を作るのにここで作っている分は足りないから、外注しているって。
サイモンさんはサッと顔を強張らせ、
「まさか、品数が足りないのか?そんなバカな、先払いをしているんだぞ!?」
と言ったが、女性はブンブンと首を横に振って、さらにカン高い声で言い募った。
「ち、違うんです!!いつも届くものと全く違う、品質が明らかに劣る粗悪品なんです!!あれでは、いつもの軟膏は作れません、いくら煮詰めても、半分程度の効果も出ませんよ、信じられません!!」
「な、なんだって!?そんなっ!!何かの手違いだ、信用のできる仲介業者に頼んで、いつも間違いなく届いているのに、なんで今回に限って―――――!」
「ど、どうしましょう、今からアケミアと、エレンゾにある本社に問い合わせの使者を送っていたのでは、納期に間に合いませんし。だからといって、即時に離れた場所にメッセージを送る事のできる術を使える魔導士を雇おうにも、ロスワンではアケミアを通り越し、首都ミルドルトまで行かないと」
「いや、そんな時間も旅費も、雇用費も出せないぞ。何とか、別の方法を考えないと―――――」
そこまで言いさして、サイモンさんはハッと何かに思い至ったように顔を上げ、私を見据えた。
え?何!?私??なんかすごく困っているようだけど、私なんかに、何が出来るって言うのよ!?
悲しいことに、ノースキルよ?異世界跨いでも、なぁ~んもチートスキルなんか手に入らなかったからね?
咄嗟に首を横にブンブン振りたくなったが、サイモンさんは一瞬だけ躊躇した後、一歩大きく前に身を乗り出し、腕を伸ばしてがっしと私の―――――正しくは、ゼグンド将軍の逞しい肩を掴んだ。
「は、恥を忍んでお願い申し上げます!!どうか、あの、お部屋に保管していらっしゃる、あの水石を全て、お貸し頂けないでしょうか?」
え、ええっ!!?そりゃあ、元は廃材なんだし、ちっとも構わないけどさ!!
薬草の不備なんでしょう?水の品質がいくらよくなっても、薬効なんて変わらないんじゃないの??
はて、と私がつい首を傾げていると、サイモンさんは血走った目をクワッと見開いて、
「ええ、普通は、いくらいい水を使っても、薬効に変化はないでしょう!だけど、あの水石はまるで奇跡です!!昨夜、頂きました水石を使った聖水を丹念に測定いたしまして、驚くべき結果が出たんです。
通常の、水石に含まれている浄化魔力が、10だとします。そして、僕たちが長年保管していた、一番高額な水石のは、その2倍の、20程度です。そういう数値を計れる機材があるのですが」
と一気に言い切ったあと、ぐっと唾を飲み込み、私をガクンガクンと揺さぶりながらさらに衝撃的な事実を暴露してくれた。
「あの水石で作った水には、なんと、2300超えの数値が測定されました。実際にはもっとあるかもしれません、何しろ、計り知れない魔力を帯びていたので、途中で装置が耐えきれず、壊れてしまったくらいで!!」
え、えええ!!?なんでそれを、早く教えてくれないのよ!?
大発見じゃない!と思ったけど、どこかバツの悪そうな顔つきになったサイモンさんを見て、何となく、すぐにその事実を私に言えなかった事情を察してしまった。
そんな奇跡的な数値が出せる水石のお値段ときたら、どのくらいのもんか、想像もつかない。
そんなものをポンと貰ってしまってよいものかどうか、返した方が良いのではないか、と葛藤した上で、研究者としては手放すという選択はできなかったんじゃなかろうか。
そして、いつになく上機嫌だったケイレブさんの態度を思い起こせば、さらに得心が行く。
ケイレブさんは経営者だから、もちろん高額な水石を返すなどと思うはずがない。むしろ一刻も早く町に出掛けて、売っぱらいたいと考えているのかもしれない。
ははぁ、廃材が水石に化けちゃったことを知っている私としては、何か複雑な気持ちだ。わあ、ズルい、とは不思議と思えなかったし、むしろその水石が出来たのは、私ではなく、ゼグンド将軍が受けている水竜王の加護のおかげだろう、という確信があったので、えらそうな事は何も言えない。
ゼグンド将軍は知らなかったのかなぁ?わざわざヘキルジアに行ったり、水の精霊達にお願いしなくても、消耗しきった水石がこんな風に復活できる、という裏技的なスキルがあるっていうこと。
「それで、ですね・・・!あの、黙っていて申し訳ありません。お返ししなくてはならない、高級すぎる石だとわかっていたのですが、もう少し研究をしてから、と思っただけで、決してやましい事を企んでいたわけでは」
「ああ、いいですって。あれは差し上げたのですから、どうぞ好きなように使っていただいて結構。それより、もっとたくさんの、ああいう石があれば問題が解決するんですか?」
目尻に涙まで浮かべ、必死の形相で縋りついてくるサイモンさんの勢いにタジタジとなって、私は慌てて両手を振った。
そうよ、この際、高性能な水石云々より、粗悪品掴まされた今、どうやって納期までにこれまでと同じ品質の軟膏を作るのか、という問題の方が重大だよね!
ふん、シャリオンがいなくったって、このくらいの事、私にだってわかるもんね。ノープロブレムよっ!
―――――そろそろ、ほんと、お手洗いに行きたい衝動がヤバイとこまできている、という問題を除いては。
「ああ、あれほどに高濃度の浄化力があれば、足りない薬効を補い、細胞活性を促す成分を強化しうるかもしれない、という仮説がありまして・・・理論上は、ということで、実際これまでそんな桁違いの浄化力を持った聖水を見たことがないので、机上の空論と呼べなくもないのですがっ」
なんだかよくわかんないけど、あの水石で作った聖水なら、なんとか高品質な薬が作れるかもしれないって言ってるんだよね?原理や理屈はよくわからないけど、そういえば、ワンちゃんだって、あの水を飲んで元気になったし、魔力がたくさんあれば、何らかの奇跡に繋がるってことではないかしら?
ああ、それにしても、まずい、生理現象って嫌よね、こんな時だというのに私の頭の中の8割は「漏れそう!!」という赤文字で埋まっている。
ええい、深く考えるまでもないわ、困ってる人がいるんだし、廃材磨いただけの石くらい、いっくらでもあげちゃえばいいよね!あとでまた磨けばいいし!!
一秒ほどでそう決意を固めた私は、「どうぞ、試してください!今から取ってきます」とだけ言い、踵を返して、サイモンさんたちが「ああ、我々も手伝います」とか何とか言ってくれる声を背に、猛然とダッシュをかましてしまった。
え?どこにって?トイレに決まってるじゃんか!!男子トイレだよ、くっそうぅうう!!
ついにシャリオンは間に合わなかった!あーん、被害者な私のメンタルケアをアッサリ放棄しやがって!絶対根に持ってやるから!!
もうこうなったら、目を閉じて、適当に前寛げて、ピーッ(女子高生にあるまじき放送禁止用語)なアレを出して、用を足してやるわっ!
垂れ流すよかマシよ。グッバイ、清らかな女子高生のわたし、そしてハロー、サバイバルのためとはいえ、オッサンのピーっ(女子高生にあるまじき、以下略)のために男子トイレデビューかます、可哀想なわたしっ!!
ええい、泣くな、霧島エナ!!私は今、オッサンの姿なのよ、強面なのよ、涙なんてものはただの体液なんだからあああ!!
to be continued
前回の投稿からかなり時間が経ってしまいましたが、このお話は既に私の中でひとつの世界となって存在しており、途中で放り出したりは絶対しません!・・・少しでも、ほんのちょっとでも、これを読んで楽しんでくださる方がいらっしゃいますように。




