氷の悪魔と竜王騎士
水石泥棒の濡れ衣を着せられ投獄(?)されたエナ。その一方、外では追う者、追われる者の間で争いが起こっていた。エナが水石越しに見かけたルスランという人物の運命やいかに?果たしてゼグンド将軍(中身はエナ)は、全ての事件から目を背け、無関係でいられるのか?
右腹部が熱い。
先ほど追手が放った一撃を避けた際に、岩壁の突起に打ち付けてしまい、息継ぎさえも難しかった。
どう、と倒れこんだ衝動に、青い髪が一瞬だけ宙に浮いたが、すぐに青白い霜に覆われていく。
はぁ、と吐く息は白く、男が横たわった地面は、瞬く間に霜が張り、ピキピキと僅かな音を立てて氷へと化していく。
夜空を紡いだかのような、群青色の髪が男の顔の動きに合わせ、さらりと音をたてたがあっという間に、青銀色の氷にと変わろうとする。
氷の悪魔セルケー・ニェトが病魔のように身体を蝕みだして、はや10年。ありったけの魔力を振り絞っても、その浸食を止めるに能わず、時折こうして全身が内側から凍りだす。
男――――ルスランは震える手を必死に動かし、ボロボロになった胴衣の内ポケットを探り、どうにか小さく輝く赤い石をひとつ取り出した。
最後のひとつか。
炎竜王の眠りが長引いている今、大国カリスクから輸出される火石の質と量はどんどん落ち、値段は上がる一方だ。
これひとつを買うのに支払った代金で、かるく一月は食べていけただろうに。
だがもはや、俺のこの身体は火石の力を借りねば、「氷化」を止められない。
男は震える手で赤々と鈍く輝く小さな火石を軽く擦り、その滑らかな表面が熱を帯びたことを確かめてから、口元へ運ぶ。
そんな事をすればたちまちのうちに、口の中を酷く焼け焦がすはずだった。
だが、その時の男の咥内は氷のように冷たく、火石はキャンディーのように、舌先に僅かな甘みすらを与えながら、するりと喉の奥へと消えていった。
ごくん、となんとか嚥下すると、わずかな熱源は、腹の底まで届く前に、跡形もなく消えていくのがわかった。
――――魂の最後の欠片まで凍ってしまった時、俺は俺でなくなる。目的を果たせなくなる。
一粒とはいえ、直接あたたかな燃料を摂取した事により、にわかに力が戻って来る。きゅっと眉をひそめ、腹の底から力を引き出すように念じると、身体を覆い、地面が含んでいた僅かな水分をも凍てつかせていた霜が溶け始める。
しゅうしゅうと音をたてて昇る蒸気の隙間から、何かがちらちらと、凝らした視界の先で揺れるのがわかって、ルスランは弾かれたように身を起こした。
一定の魔法力に恵まれた魔導士の目には、常に二つの世界が重なって見える。
ひとつは、誰の目にも映るものと同じで、表面的な現実だ。
ふたつめは、人ならざる者、精霊や生霊の影の残像、そして魔力そのものの軌跡が織りなすもうひとつの世界だ。
並の魔導士は、そうして他者が保有している魔法力を計り、術を解析したり、時には精霊を呼ぶといった行為につなげていたが、ルスランにはそれ以上の事が出来た。
彼には、魔法のほかに、他者の魂の形が見え、そこに宿る力の濃度や種類を見極めることができた。
夜を閉じ込めたような紺碧の瞳が金色に変わる時、その瞳はその「第三の世界」を映しているのだ。
この時ルスランの目に映ったのは、まいたと思いこんでいた敵の姿だった。
ここから一番近い人里の方に見える、何百という村人たちの魂の全ての色より遥かに濃く、かがり火のように猛々しく燃ゆる深紅の魂がひとつ。
少し後方から、それに続くどす黒い雲のような塊がひとつ。どちらもできれば二度とお会いしたくない、と切実に祈っていた相手だった。
よりによって、「竜王騎士」のうち、最強と謳われる「赤雷」と、残虐非道なことで有名な「黒棘」だ。
最悪だ!
先ほどは、幻惑の術を用いて先行していた赤雷の刃から逃れることができたものの、二度と同じ手は通用しないだろう。
立ち上がりざま、走り出すも、ルスランの右わき腹に突き刺さったままだった、黒い刃が生き物のようにドクンと脈打ち、霜で束の間固まりつつあった鮮血が勢いよく噴出した。
「クッ・・・!」
レイジェン(竜王騎士)を同時に二人も相手にしては、即死を免れるだけで精一杯だ。彼らは眠った竜王達の力と権限を代行すべく選ばれた戦士たちであり、その肉体は限りなく精神生命体に近く、不老不死である、という定説があるのだ。
痛む横腹を抱え、必死に走りながらも、迫りくる追手の怒気をひしひしと背に感じ、己の身の内からは悪意の塊のような異物が、じわじわと魂を浸食せんと蠢く感覚に身を震わせ、ルスランはいよいよ切羽詰まっていた。
逃げおおせたというより、距離を稼いだに過ぎない。精一杯先行したつもりが、「黒棘」の広範囲魔法を避けきれず、深手を負ってしまった。
咄嗟に魔法を用いて、氷で大きな血管と、貫通された臓器の穴を塞いだものの、生命維持のため、氷の隙間を縫うようにして巡らせている僅かな熱と呼吸の振動、そして体の動きにつられ、傷口はじわじわと広がっている。
このままでは追いつかれる・・・・!
慌てて身体に鞭打って、ヨロヨロと走り出したものの、背後に感じる「赤雷」の気配はその二つ名にふさわしく、雷光のような速さで迫っている。
長距離を瞬間的に飛ぶ術を使うことも考えたが、もうそんな余力は残っていなかった。
残っていたとしても、ギリギリの体力と集中力で行えば、術の成功率そのものが落ちてしまい、下手をすれば時空の狭間にひっかかり、二度と出ることが出来なくなるかもしれない、というリスクがあった。
――――どうする?とてもじゃないが、逃げ切れそうもない。
かといって正面から戦っても、レイジェン二人相手に、勝機などあるわけがない。そのうえ「赤雷」は恐ろし過ぎた。燃え立つような憤怒を、正面から受け止めるだけで、魂ごと砕かれそうだった。
よくも悪くも、人生の大半を狭い「塔」の中で魔術訓練に費やして来たルスランにとって、あれほど激しい敵意を向けられる事自体が初めてだったし、何より、身体に宿るセルケーが感じているのであろう恐怖はそれ以上だった。
顔こそはフードの影に隠れて見えなかったが、「見つけたぞ、悪魔!」というドスの効いた鋭い声を聞くだけで、全身総毛立ち、「殺される」という確かな恐怖に、身体が竦んでしまったのだ。
若くして最上級の魔導士「碧星」の称号を得た身であるにも関わらず、生物一個体としての本能的な恐怖が、全てを上回った瞬間でもあった。
一体己が何をしただろう?あれほどまでに深く恨まれ、必ず殺してやる、と呪詛を向けられるほどの大罪とは、どのようなものだったのだろうか?
それを問うことは、できない。
問答するような時間も機会もない。
それなのに、こうして逃げている間にも、じわじわと己の内側から、自分の身体に宿っている氷の悪魔、セルケー・ニェトが全身を乗っ取ろうと蠢く気配に怯えつつも、なんとなく察してしまう。
これは俺ではなく、セルケーの犯した大罪なのだ、と。
恨まれるような事を、よりにもよって地上最悪の戦士たち相手に、しでかしたのだ。
そういえば、「赤雷」や「黒棘」の名が、人々の間でまことしやかに囁かれるようになったのは、ごく最近のことではないだろうか?
あれだけの存在感のある戦士たちが、これまでの大戦にも不可侵の沈黙を貫くが如く、鳴りを潜めていた経緯自体、不自然ではないだろうか?
永遠に近い時を生きれば、虚しくなるのだろうか、レイジェンの名を冠された戦士たちは、これまでに何名も、悠久の時の狭間で行方不明になっている。だからこそ、赤雷や黒棘のように「目立つ」上に自己主張の激しいタイプの戦士たちが、何百年も静かに暮らし、そしてある日突然活動を始めた、というのは腑に落ちない。
一体何があった?
セルケーはそれに関係しているのか?そもそもセルケー・ニェトという氷の悪魔は、何者なのだろうか。「ニェト」という呼称も引っかかる。古代語の解釈は発祥の地により幾筋もの系統があるので、確信は持てなかったが――――「ニェト」とは「二番目」と、「ふたつのうち、ひとつ」という解釈があったはずだ。
最初にセルケー・ニェト、という呼称を聞いた時から、なぜかずっとその謎が頭の片隅から離れない。
問いかけたかったが、生憎氷の悪魔は、ルスランに寄生し、その肉体と魂を贄として食らう事以外に興味がないらしく、対話も交渉も、一切不可能だった。
せめて、共闘しうる仲間がここにいたならば、あるいは――――。
ルスランの脳裏に、ちらりと巨大な槍を担いだ、筋骨逞しい中年男の顔が思い浮かんだ。
希代の英雄、ディナダン・カル・ゼグンド将軍。
彼が、黒魔道諮問院からのスパイでも、ルスランに恨みを持つ竜王騎士でもない事は、本当に幸運だったと思う。
常に不機嫌そうに唇を引き結び、暇さえあれば人目を憚って槍を振っていた姿を思い出す。
今にも火石がもたらした温もりも、己の魔力も尽き、悪辣な氷がじわじわと身体を蝕んでいるという、絶望的な状況だというのに、ゼグンド将軍の事を考えると、なぜか気が緩んで口元に笑みすら湧いてくる。
あの男なら、この世で最も恐ろしく、竜王の力を代行使役できる竜王騎士と戦っても遅れを取らない。なんせ、水竜王オリスヴェーナを覚醒させた際には、オリスヴェーナが選んだ竜王騎士に正面から挑み、見事討ち取ったのだから。
今は辞しているとはいえ、いつかは次の竜王騎士となるのだろう。恐らく、そこから次の伝説が生まれるはずだ――――なぜか、予知能力に恵まれてもいないのに、そういう確信があった。
ルスランは自嘲気味に瞑目した。
ゼグンド将軍か、懐かしいな――――そういえば、この峰を越えれば、「竜王大戦」の爪痕である盆地が見えてくる。
物資の運搬こそは困難な立地だが、質のいい土地を生かし、今はもう失われた「神聖魔法」の奇跡を再現しようという、幻の「万能薬」の研究をしているという施設がある。
夢物語だ。そんな都合のいい薬、そう簡単に開発できるものか。と、魔導士の間では誰しもが鼻で嗤ったものだが。
だがしかし、その研究施設――――キャストン・ファームといったか――――、研究内容やその成果はともかくとして、ゼグンド将軍が出資し、援護しているという話は有名だ。
そのため、大戦時代から彼に所縁、恩のある傭兵団や魔導士団が、研究所のある盆地に、魔物が近づけないよう、定期的に討伐して回り、今はもう無き「サヴァルテ(*「神の矛」大戦時代にゼグンド将軍が率いていた大陸最強の軍名。終戦後に、ゼグンド将軍が降格処分を受けた際に、解体縮小され、その名は失われた)」の旗を立てていくほどだ。
これにより、ファームのあるロスワン領は王都を除くどの領よりも安全が守られており、ロスワンで暮らす領民たちは、ゼグンド将軍の武勇の証、サヴァルテの旗を国旗よりも大事にしている。
それを思えば、討伐隊の役割を果たしている、諸々の義勇軍は、ゼグンド将軍への恩返しをしている、というよりは、意図的に、ゼグンド将軍ほどの英雄を重用せず降格させたファラモント王を、愚王と嘲笑い、現王政に対する民の不審を煽っているようにも見える。
現実逃避がてら、そんな事を数秒考えているうちに、「それ」はやって来た。
カッと天が赤く光り、後方から凄まじい魔力の塊が爆ぜる気配がした。
反射的に身をよじり、地を蹴るが、「赤雷」という二つ名の由来である、赤い閃光の如きその攻撃を完全に躱すことは、不可能だった。
この世の誰にとっても、無理な事だった。
何キロも離れた場所から、渾身の力を籠めて放たれた、深紅の刃の一閃は、瞬く間に地上の上を放射状に広がり、逃げを打つ、深手を負った魔導士ルスランの身体に襲い掛かった。
距離が離れていたことだけが、幸いし、かろうじて即死を免れたが、空をも照らすほどのまばゆい赤い雷は、ルスランの腹に刺さった黒い雨の欠片に狙いを定め、的確にその舌先を伸ばしたのである。
「・・・・・・っ!!!!」
声にならない声をあげて、ルスランの身体がしなった。
――――ダメだ・・・!逃げきれない・・・!!
そう思った瞬間、生まれて初めて、自分以外の誰かの声が、自分の中から発せられるのが聞こえた。
――――赤き雷から逃れる術は、もうこれしかない――――
凄まじい痛みに襲われ、のたうち回る間に、確かに頭の中に響いた、その不思議な声に――――舌打ちでもしそうなほど、悔しそうな声色に、驚いたのもほんの一瞬のことだった。
ルスランの体内を食い荒らしていた冷たい何かが、突如大きく膨れ上がり、赤い雷がもたらした影響を、パァン!と音をたてて外へと弾き出した。
遠くから放たれた一撃であり、熱量が少なかったのが幸いした。
今や望み通り、ルスランの身体の全ての主導権を掌握した凍れる悪魔セルケー・ニェトは、どこまでも狡猾だった。
ルスランをここで完全に飲み込んだところで、赤雷と黒棘に追いつかれれば、たちまち滅ぼされてしまう。
だから少しも迷わず、逃げるための最善の一手を選ぶ。
二つの魂がこれ以上はないほど密接した状態であれば、ルスランの身体を介してセルケー自身の魔力を使うことができる。
これまでは要領よく、宿主の力尽きるタイミングを見計らい、内側から熱を奪い、魂を食うことしかしてこなかったセルケーは、そういえば、他の用途のために宿主の肉体を扱うことは、これが初めてなのだ、という事に気づき、ほんのわずかに動揺に近いものを覚えたが。
そんな事は迫りくる脅威の前では、全く些細なことだった。
ともかく逃げることに専念しよう。そう決意すると、ルスランの魂に対する執着を捨て、セルケーは生まれて初めて、自分が宿った肉体を「変貌」させることに意識を集中した。
ただの目くらまし程度では、「黒棘」に看破されてしまう。
魔力を粘土のようにこねて、別人の風貌を張り付ける、といった普通の変装魔法では、魔力の本質、魂の色までを覆い隠すことは出来ない。
表面を覆うのではなく、内側から肉体構造を全く別の生き物のものへと変化させる必要があるだろう。氷属性生物の身体的特徴である、青みを帯びた髪、そして雪のように白い肌も隠さなくてはならない。
人の形でない方が、これらの特徴を隠しやすいだろう。
それに、この峰を越え追手から距離を取るためにも、今以上の脚力が必要だ。
セルケーは膨大な魔力を放出しながら、地を蹴った。
その姿はたちまち青白い光に包まれ、一筋の流星のように夜の闇の中へ、さらには盆地へと続く峰へと吸い込まれるように駆け抜けていった。
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一方その頃、キャストン・ファームでは、貴重な研究材料であり、高価な水石を盗んだ、というレッテルを張られたエナ――――もとい、ゼグンド将軍の身体に閉じ込められた少女、エナはガタガタと震えあがっていた。
「さ、寒い!!なんかいきなり寒くなったよ、どうなってるの!?」
とは、もちろん心の中でシャウトしている言葉だったのだが、それに脳内で答える声は、にべもない。
「うるさいね。ここは魔法が存在してるからだ、って何度言わせる気?」
地下洞窟、ダンジョンだ!と、名所観光に赴くノリで喜んでいたくせに、とシャリオンはため息をつく。
研究施設に、ちゃんとした地下牢などあるはずもないのだ。ちょっと考えれば当たり前の事なのに。
「見損なったぞ」だの「泥棒め!」という罵りを聞きながら、言い訳も聞いてもらえず、後ろ手で縛られ、複数名の研究員と、警備員に囲まれながら連行されたのは、地下は地下でも、火石を節約するために貯蓄されていた薪や、仕分け前の廃材を積めこんだ無人の倉庫だったのだ。
どこを見ても、牢らしい鉄格子もないし、食事が乗ったトレーだけを差し入れられるような、小さな開閉口もないし、もちろん、トイレもない。
どこが牢なのよ!と反論する以上に、「ここで粗相しろっていうのー!?」という差し迫った不安がかきたてられる。
がっちゃんと扉を閉められ、鍵がかかる音を絶望的な気持ちで聞いていると、
「粗相は勘弁してくれよ。あとで、桶を持ってくるので、そこでしておくんな」と、言われ、ますますショックを受けてしまう。
じょ、冗談じゃないわよっ!!ここの汲み取り式のトイレだって、臭くて嫌なのに、おまる代わりの桶で用を足せっていうの!?
使用後に、どうしたらいいの?足した後、その匂いと一緒に閉じ込められるの!?嫌ああああ!
エナはますます平常心を失って、ウロウロと狭い倉庫の中を歩きだした。
倉庫というだけあって、天井が高く、廃材は壁に沿ってしっかり網やフックで固定されていたが、明り取りの窓は小さく、ゼグンド将軍ほど立派な体格でなくとも、大人ひとりが通り抜けられるような幅ではなかった。
しかも、老朽化が進み、窓枠が歪んで、粗末なガラスの隙間が指一本ぶんもあって、そこからぴゅうぴゅう夜風が入って来る。
季節は地球でいうところの、10月のはじめくらいだというのに、どういうわけか真冬並みに冷たい風が吹き、時折悲しげな唸りさえをも聞こえてくる。
おかしいな、昨日までこんなんじゃなかったのに。と、エナがなおもブツブツ言うのを、鬱陶しそうに聞き流していたシャリオンだったが、実のところ、その原因については既に察しがついていた。
この近くで、誰かが魔法を用いて戦ったな、と。
エナがまだ、ゼグンド将軍の肉体と完全につながっておらず、魔力を探知する基本能力が上手く働いていないおかげで、詰問されずに済んだことは、シャリオンにとっては幸いだった。
エナが気持ちを落ち着かせようと、手を真っ黒にしながら汚い廃材を漁ったり、どうにか気持ちよく座れそうな場所を作ろうと動いている間に、シャリオンはコッソリと自分の能力を用いて外の様子を探ってみた。
魂こそは、エナと一緒にゼグンド将軍の中にと閉じ込められた状態なのだが、エナ以上にこの肉体を上手く操作できるシャリオンは、ちゃっかりとゼグンド将軍の肉体に宿る魔力を拝借し、ゼグンド将軍本人がやるよりもずっと巧みに「魔力探査」の魔法を使えるのだ。
そして、何かとギャアギャアうるさいエナに、その内容が伝わらないよう、器用に意識も遮断しておくことも忘れない。
そうして意識を研ぎ澄まし、透明な糸を、研究施設のある盆地から、寒波が吹いてきた方向目掛け伸ばすようなイメージを心がけ、探査糸を伸ばしたのだが、それはほんの2,3秒で終わった。
誰にも気取られないよう、慎重に、か細い糸のように伸ばしていた魔法が、ぱん!と勢いよく弾かれたのだ。
「えっ!?」
「!!!」
流石に同じ肉体に宿ったエナにもその衝撃が伝わったらしく、ビクっと身体を揺らし、手にしていた黒い鉱石のようなものを、ぼっとり落としてしまう。
続いて、遠くから、ドン!!という雷のような音が鳴り響き、ドドドドド!!と物凄い轟音とともに、床がたわんだ、と錯覚するほど、足元が揺れだした。
「キャッ!?」
ゼグンド将軍の声で、気持ち悪い悲鳴を上げるなよ、と反射的に怒りたかったが、シャリオンは咄嗟に身体のコントロールをエナから取り上げ、足を踏ん張り、素早く落下物が降ってこない隅まで移動し、頭を抱えてうずくまった。
その間も、ドドドド・・・ドゴォン!!という耳障りな音が、遠くから聞こえてくる。
恐らくは相当離れた距離で行われているはずなのに、なんという魔力量のぶつかり合いなのだろうか。
Sランク魔導士達の戦いだって、こんな遠くまで余波が届くことはない。
この感じは・・・・!!!
シャリオンは素早く、ゼグンド将軍の肉体で用いた魔力探査の術から得た情報と、自分がこの世界に派遣される前に調べ、得ていた情報を照らし合わせ、この膨大な魔力量を誇る存在に思い当たった。
竜王はオリスヴェーナ以外はまだ眠っているはずだから・・・竜王の力を代行できるという、竜王騎士達か!?
不可侵条約はどうした?互いに刃を向けることは、ご法度だったはずなのに。
しかも、動いているのは、複数名だ。
竜王騎士が二人・・・いや、三名か?
複数のレイジェンが一か所に集うことがあれば、大戦の開始を意味している、とシャリオンのいた世界では語られていたのだ。
彼らは決して慣れ合わない。そういう竜王達の習性をも引き継いでいるのだから。
これは、まずい。
どういう経緯で、何が原因でか、などと知る由もないが。
よりによって、ゼグンド将軍が潜伏しているこの土地近くで、戦争が勃発したとしたら。間違いなく、巻き込まれるのは、ゼグンド将軍――――エナなのだ。
クソ・・・!どうすればいい?頼みの呪物は、まだ仕上がっていない。開発局は何を、ノロノロしているんだ?今すぐにも、あれが必要なのに!!
こうなったらともかく逃げるしかない!ゼグンド将軍がここにいる事を悟られる前に・・・!
シャリオンがここまで考えたまさにその時、ふっと静寂が訪れた。
床にばらまかれた廃材の破片や、折り重なっていた木材がカタカタと、地震の余波に合わせて震えてはいたが、その発生源が、いきなり静まったのだ。
攻撃の手が止んだ?
恐る恐る、事態を把握しようと、ゆっくり魔力探査の魔法を再び発動してみると、今度は弾かれることなく、いつのまにかファームを囲んでいる峰の手前に、2つの巨大な魔力がとどまっていることに気が付いた。
しかも、いつのまにか二名の――――竜王騎士達の行く手を阻むようにして、一個師団の気配が立ちはだかっている。
これは・・・・!
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「赤雷」と呼ばれたその人物は、目深にかぶったフードの下で、軽く舌打ちをしていた。
獲物が逃げた方向目掛け、その足を止めるため、眼前に聳える峰ごと吹き飛ばそうかと剣を握ったところ、邪魔が入ったのである。
よりにもよって、空気抵抗を減らすために身を屈めて疾走していた態勢から、大技を繰り出そうとした時に出来た、ほんのわずかなスキに、フォン、と風が唸りを上げて巨大な鎌のようなものが頭上めがけて降って来たのだ。
気配だけでその攻撃を察知した赤雷はもちろん、上げかけていた頭を引っ込め、ワンテンポ遅れて追走していた黒雨も、身を包んでいた防御の霧壁を強化して、直撃を免れた。
目には見えない、巨大な鎌は二人分の頭を刈り損ねたが、二人の背後に位置していた木々の幹を、何十メートル先までスパンスパンと勢いよく、断続的に斬り落としていった。
斬撃に高濃度な風魔法を乗せた、単純だが威力の高い攻撃だ。
避けた際に、目深に被っていたフードが風の刃の余波で傷つき、はらりと後ろへ垂れる。
たん、ともうひと蹴り地面を蹴って、ようやく眼前に待ち受けているであろう、敵と対峙するため、赤雷は身を起こした。
夜の闇にも赤々と燃え盛る炎のように、黒い闇底から浮かび上がる血霧のように、不吉なまでに色鮮やかな長髪が、ゆらゆらと、風で出来たカマイタチの余波を受けてなびく。
その隙間から、朱金色の瞳がゆっくりと瞬きをし、興奮状態を示すかのように赤い瞳孔が広がっていく。
ざ、っと音を立て、小柄な赤髪の男――――赤雷と呼ばれる、少年から10メートルあたりに降り立った、黒装束姿の青年は、先ほどカマイタチ状の攻撃を放った刀を背に納め、ゆっくりと右腕を振って、手甲から鉤爪のような暗器を握りしめた。
その背後から、追いついて来た配下5人が灌木の間を縫うようにして素早く躍り出て、油断なくそれぞれの武器を構えた。
「そこまでだ、闖入者よ。ここより先は、我が君、ゼグンド将軍の領土である!!」
両手に仕込んだ武器を、勢いよく斜め下に振り下ろすと、ジャキンと音を立てて黒い刃が下弦の月灯りを反射する。
赤い雷、と二つ名で呼ばれる少年は、この時既に、自分が追いかけていた獲物を仕損じたことを悟っていた。
先ほど、フルスピードで疾走しながら、もう一度雷撃の攻撃を前方に放てれば、少なくともあの氷の悪魔の足くらいは、奪えたはずだったが。
思ってもみなかった方角からの、なかなかに精度の高い風魔法攻撃をかわし、攻撃の手を止めたその数秒の間に、致命的な遅れが生じてしまったのだ。
――――クソ・・・!!
ギリ、と奥歯を噛み締める赤雷は、一瞬だが剣を握る手に力が籠って、宿敵を仕留め損じた屈辱に怒りがこみ上げる。
――――もう追いつけぬよ。あの氷の悪魔は既に、気配も姿も変えて、我らの攻撃射程範囲の外まで逃げてしまった。
音もなく、影のように近づいてきていた黒棘が、そっと後ろへずれてしまった灰色のフードをかぶり直しながら、赤雷にだけ聞こえるような声で語り掛けてくる。
そんなことは、わかっている!いつもいつも、俺を子ども扱いしやがって・・!
咄嗟に抗議したくなったが、油断なく息を詰め、いつでも交戦できるよう身構えたままの、目の前の一軍の気配を意識して、赤雷、と呼ばれるその人物はぐっと堪えた。
目の前にいる一軍は、確かによく訓練された精鋭ばかりのようだが、それでも竜王騎士であり、その中でも最も破壊力の高い炎竜王アグレイシスの騎士であり、赤雷の二つ名を持つ自分にとっては大した脅威ではない。
戦いたい。皆殺しにしたい。俺の前に堂々と立ちはだかるこの命知らずな男を、どうして始末してはいけないのか?
そう問いかけるつもりで、ちらりと横眼で黒棘と呼ばれる男を窺うも、男は泰然と腕を組み、探るような目を、目の前の一団に向けるばかりだ。
同じ目に遭い、同じ敵を追いかけていたはずだ。それなのに、と。
もしかしたら、黒棘というこの男は、自分ほど深くセルケー・ニェトがした事を恨んでいないのかもしれない。
なぜそう冷静でいられる?目の前のもの全てを焼き尽くしてさえも、この憎しみが晴れるとは思えないのに。
ある意味死よりも酷い屈辱を、俺達は与えられたというのに!
ぐらぐらと煮え立つ憤怒は静まることなく、目の前の全てが深紅のヴェールで覆われ、剣を握りそこねた片手が行き場を失い、ギリギリと拳を作るしかない。
その心の動きにつられ、制御しきれなかった魔力が全身から蜃気楼のように立ち昇り、真っ赤なブーツの踵が踏みしめた大地を侵しだした。
じゅう、と音をたて、熱した鍋を蝋の上に置いたかのように、固い岩肌が溶け始めるのを見て、長の傍に控えていた従者達は一瞬だけ身をすくませたものの、すぐに何事もなかったかのように視線を上げた。
「落ち着け、赤雷。今、目の前のこの男は、聞き捨てならない男の名を口にした。ゼグンド将軍――――と。」
「は?それがどうした?」
油断なく、間合いを計り、いつでも戦いの火蓋を切るつもりで、赤雷は黒棘が自分の脳内に、直接念波のようなものを送って、語り掛けてくる内容に、耳をそばだてた。
思念によるやりとりは、赤雷にも当然、同じくらいスムーズにこなす事は可能だったが、未だ獲物を仕損じ、行き場のない怒りに身を震わせていた赤雷は、思わず声に出して反論してしまった。
黒棘は、赤雷の事を青二才め、と軽んじる気持ちを綺麗に包み隠しながら、できるだけ淡々とした口調を心掛け、思念でもって語り掛けた。
「ゼグンドといえば、数年前、あの水竜王オリエス(オリスヴェーナの呼称のひとつ)の騎士を倒し、オリエスの加護を授かったと聞いた」
「!?」
赤雷の、深紅の瞳が大きく見開かれ、信じられない、という面持ちで、目の前に立ちはだかる敵にさえ背を向け、ばさりとマントを翻し、同胞の黒棘という男に向き直った。
それは、本当か!?神器も持たない、ただの人間の戦士がどうやって?
今度は思念で返して来たな、と黒棘という男は、僅かに口元を綻ばせそうになるが、侮ったことが少しでも疑われれば睨まれるので、慌てて顎に手をやり、少し考える素振りをしてそれを誤魔化した。
「さぁ。そこまでは知らん。ただ、オリエスが加護を与えたからには、遅かれ早かれ、あやつがオリエスの騎士となる可能性が高い――――その意味は、わかるな?」
「不可侵条約か?んなもん建前みたいなものだろ。バレなければそれでいいし――――」
そこまで話した時、まるで会話の内容が聞こえたかのようなタイミングで、黒装束の男達のリーダーと思しき、まだ若い男が口を挟んだ。
「先ほども言ったように!ここは、我が君、ゼグンド大将軍様の領土である!そして我が名はクウガ!ファラモント軍部最高司令官より公式に認められた、ゼグンド将軍にお仕えする隠密機動部隊副長官である!」
朗々とした声に話の腰を折られ、僅かに眉をひそめた赤雷だったが、しぶしぶ黒棘から意識を逸らし、正面に向き直るしかなかった。
バレなけりゃいい。
そう考えた矢先に、目の前にずらりと並ぶ男達の姿を再度見る羽目になり、赤雷はようやく、黒棘が言わんとする事に、ピンときた。
今現在、唯一覚醒を果たし、この大陸で一番の権力を誇っている竜王オリスヴェーナが、破格の加護を与えるほど入れ込んでいる人間、ゼグンド将軍と戦う事は、どう考えても愚策だ。
勝敗に関わらず、この先の展開を考えるなら、何が何でも回避すべき争いだ。
他の竜王と揉めてはならない。それこそが、彼が契約した竜王が下した、最初の命だったのだから。
「わかったか?ゼグンド将軍の配下に手をあげれば、想像以上に面倒な事になるから、ここは退くべきだ」
言われなくとも、わかっている。配下を殺せば、上が出張って来る。上を殺せば、さらにその上の上が報復にやってくる、というわけだ。
いくら何でも、覚醒した竜王相手に喧嘩を売るなど、狂気の沙汰でしかない事は明白だ。
赤雷は、ふぅと深呼吸をすると、剣の柄を握っていた手を下ろし、僅かに肩を下ろした。
目の前にしゃしゃり出た、まだ20そこそこの年数しか生きていないだろう、若造は悔しい事に自分より背が高くて見栄えがする。
向き合った時点で、相手の強さを推し量り、勝敗の結果も見えているだろうに、それでも竜王騎士である赤雷と黒棘相手に少しも怯まず、堂々としているその胆力に、今更ながらに感心してしまう。
二人の会話を聞きとれたはずもないのだが、戦う気はない、という事が雰囲気でわかったのだろう、クウガはじり、と一歩前に出て、あろうことか嬉々として、泣く子も黙る、とかつては恐れられた赤雷相手に、話しだしたのだった。
「どうやら、争いは不要、と理解していただけたようで、誠に結構!感謝いたします!!
さすが、御高名な竜王騎士、赤雷様、黒棘様!
ですが、図面上にはロスワン領に属しているこの地が、我らがゼグンド将軍様の領土である、と主張され、さぞかしご不明に思われた事でしょう!なので、私の口から、簡潔に!!かつ丁寧に!!ご説明させて頂きます!!」
待ってました!とばかりに拳を握り、鮮やかな緑の瞳を爛々と輝かせ、非常に暑苦しいテンションでずい、と一歩前に出てくるその「クウガ」という男の勢いに押され、赤雷と黒棘は、思わず嫌そうな顔つきになって、一歩後ろへ引いてしまった。
早口で述べられた口上の内容を反芻するうち、さらっと自分達の素性がバレてしまっている事に気づかされ、なんとなくバツが悪い。もしかしたら、ずっと前から見張られていたのかもしれなかった。
それにしても。
――――いや、なんか話が長そうだし、遠慮したい。
――――なんでお前、そんなに嬉しそうなのよ?
そういう本音が口をついて出そうになる。
「この峰を越えた先に広がるのは、我が君、偉大なる大将軍、ゼグンド様の所有地です!!
あ、もちろんロスワン領は、書類上ゼグンド将軍の直轄地ではありません。ですが、我が君が毎月大金を仕送りし、その運営を支えておられるのですから、治めておられる領地も同然なのですよ!
それなのに、ロスワン公ときたら、我が君に対し無礼にも、なんら資金援助の申し出もせず――――」
「・・・・・・・・・・・・」
「あのキャストンファームでは、神聖魔法をも凌ぐ、どんな傷、病をも癒せるという、幻の万能薬を開発しようという、それはそれは大変有意義な研究をしているのであって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いやあの、とか、もうわかったから、というツッコミは華麗にスルーされ。
二言目には、「我が君」、三言目には「ゼグンド将軍」と連呼し、この土地がどれほど大事なのか、という説明だったはずが、いかにゼグンド将軍が素晴らしい人物なのか、という話にすり替わって、大変鬱陶しい。
なにかと悪名高く長命な竜王騎士達だったが、戦闘に明け暮れるばかりで、このような常軌を逸脱した人物と話しをする、という経験には乏しく、あっけにとられ、ついつい大人しく最後まで聞いてしまうのであった。
「――――ということで、大地の質はもちろんのこと、清潔、かつ安全な環境こそが、最も重要なのです!!先ほどのように、不用意に広範囲魔法を使ってもらっては、困るのですよ!!」
と、およそ小一時間ほど経過したあたりで、やっとクウガの説教じみた演説が終わった。
赤雷は、もう少しで「やっと終わったか!ありがとう!」とヤケっぱちで叫んでしまうところだった。
それにしても、わけのわからん上司自慢だが、妙な説得力があった。否応なしに小一時間も聞かされるうち、オリスヴェーナの竜王騎士と戦った際には、胸に風穴を開けられながらも相打ちに持ち込んだ、という武功話には、つい手に汗握って聞き入ってしまったし。なんだかもう自分まで「ゼグンド将軍」に好意を抱いてしまいそうだった。
しまった、洗脳されるとこだった!な、なんたる屈辱!!
その後ろで、慣れているのか、いつの間にか座ってウンウン相槌を打っている隠密装束の平兵士達までもが、すっかりくつろいだ様子で威張っているではないか。
その姿に「バカにしてんのか」と一瞬だけイラっとするものの、否応なしに出鼻をくじかれ、怒りを鎮められてしまった赤雷は、これ以上無駄話を聞かされてはたまらない、と考え、そっと隣を見て
「ゲッ・・・!!」
と、思わず呻いてしまった。
常に平常心、と言わんばかりに冷静沈着、戦う時だけ極悪非道、というような知己である黒棘という男が、目深にかぶった黒いフードの影に隠れて、「・・・・・・ぐぅ」と僅かに寝息をたてながら、薄目を開けたまま眠っていたのである。
――――こ、コイツ!!ずるい、自分だけ寝てやがった!!
わなわなと震える拳を握りしめ、赤雷は自分よりも高い位置にある男のマントの襟首をむんずと掴み、もっと話を聞いてゆかれますか、とクウガが言い出すと同時に、
「よくわかった!!!もう、わかったから!!サイア――――じゃなかった!ゼグンド将軍に、よろしく!!」
と慌てて吐き捨てた赤雷。案外ノリがよく、流されやすい性格なのかもしれない、とクウガはコッソリ分析した。
見た目はまだ14,5歳くらいにしか見えないが、赤雷のその腕力は相当なものらしく、容赦なく八つ当たりをするため、自分より遥かに長身の黒棘を抱えて、瞬間移動の魔法を用いて、その場から逃げるようにして消えてしまった。
目指すは、邪魔の入らぬ荒野だ。間違っても、「我が君の領土で暴れないでいただきたい」と鬱陶しい配下が出しゃばって来る事のない、最果ての地がよいだろう。
とりあえず、この黒棘という男を心ゆくまでボコボコにしなくては気が済まない、赤雷だった。
誰も預かり知らぬところだが、実のところ、竜王騎士達というものは、互いに相容れぬとはいえ、その不仲度はこのようなものであった。
後になって、クウガから事の次第を報告された、隠密部隊の長官アルテラ・グィードは仮面の奥で、こみあげる笑いを噛み殺し
「あいつらは変なところで律儀だからな。クウガに任せるのが一番だと思ったんだよ、ご苦労様」
と、部下をねぎらったという。
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その頃、地震の発生源でもあった魔法攻撃がぴたりと止んだことに、ホッと胸を撫でおろすシャリオンはしきりに
「あの規模の戦いが、アッサリ終わるなんて」と首を傾げていたが、エナは相変わらず立ち直りがはやく、
「地震はおさまったみたいだけど、なんでこんなに寒いのよ~」とぼやいていた。
氷雪系魔導士が大技を使った名残かも、と説明したくなったが、魔法云々の話をすれば異様なテンションで食いつき、しばらく異世界(地球)産の偏見に満ちた話に付き合わされるのが嫌で、シャリオンは口を噤むことにする。
まあいい。どうやらレイジェン達も争いをやめて引き上げたみたいだし。一番高速で移動していた魔導士の気配も、もう感じられないし。
とりあえず、ここはまだ安全だ、と判断していいだろう。
水石泥棒、という濡れ衣を着せられ、投獄されている、この状況を除けばの話だが。
その時、廃材を漁るという作業に戻ろうとしていたエナの手が、先ほど床に落として転がしてしまた黒い鉱石のようなものを拾い上げ、「あ」と声をあげた。
「これ、もしかして火石の成れの果てじゃないの?うっすら赤いし」
言いながら、黒い石の表面にこびりついた黒い煤のようなものを爪でひっかき、少しだけ赤味を帯びた表面を、窓から差し込む光にかざす。
クウガが携帯し、ゼグンド将軍のためにと調理する際に石と砂の隙間に押し込み火種として使っていたのを思い出して、ほぅとため息をついてしまう。
ここに来てまだ一週間しか経っていないというのに、あの世話好きで、几帳面な密偵の男、クウガが恋しくなっていたのだ。
涼やかな奥重瞼の下の、鮮やかなエメラルドグリーンの瞳や、端正な顔立ちを思い出しては、ついぽぉっとなってしまって、その都度シャリオンに「気持ち悪い顔しないで」と怒られるのだが。
「うーん、廃材っていうだけあって、やっぱりほとんどただの炭よねぇ。クウガが持っていたのは、ガーネットみたいな濃い赤色をした、綺麗な石だったのに。これは、ちょっと赤味があるだけで、真っ黒だもの」
ふとこみ上げてきてしまった感傷を押し殺すようにして、エナはゼグンド将軍の太い指先の間に挟んだ黒い石を弄び、「ちゃんとした火石だったら、ここでも暖を取れると思ったのにな」と呟いた。
ちゃんとした燃料が、こんな倉庫の中に、無防備に管理されてるわけないだろう。
そうツッコミを入れようとし、シャリオンはふと考えこんだ。
そういえば、エナが夕べせっせと磨き、まるで本物の水石のような輝きを取り戻した、水石の廃材も、元はこういう状態だったな。
鑑定してないから、なんとも言えないけど、もしも、エナのことを「水石泥棒」と言い張るあの研究員達が思い込んでいる通り、磨かれた水石が、新品の水石のように、本当に聖水(ミェールカ、とも読む)を再び作れるほどの浄化力を取り戻せたのだとしたら。
それは、やはりゼグンド将軍の身体に宿る、水竜王オリスヴェーナの加護が与えた、能力のひとつなんだろうか?
竜王が、契約した騎士、レイジェン以外に加護を与えた事などない。それゆえ、加護の力がどれほどのもので、どのようなものなのか、という情報がほとんどないのだ。
エナはゼグンド将軍の筋肉隆々とした身体に守られていてもなお、よほど寒いのだろう、大きい肩を竦め、窓からできるだけ離れ、隙間風を防げる場所を求めてうろついている。
しょうがないな、少し将軍の魔力を操作して、体感温度を上げてやるか。
そうシャリオンが考えた、その時だった。
バァン!とけたたましい音をたてて、何かが倉庫の窓を破って中に転がり込んできた。
「キャッ!!」
とは、もちろんエナが無防備にあげてしまった悲鳴であり、もちろんゼグンド将軍の声帯から発したものだったので、野太い男の声だ。
――――うっ、気持ち悪っ!!
とシャリオンが失礼なことを思ってしまうのは、仕方のない事だろう。
だがしかし、それどころではない。ギリギリ窓枠を通れるくらいの大きさとはいえ、全長1メートル以上ある、大きな獣が、埃まみれの床の上に着地したのだ。
――――魔物!?あの魔力戦に巻き込まれ、逃げてきたのか?
「い、犬ぅ!?」
同じ肉体に共存しているとはいえ、よほど驚いたのか、エナの方は両方の手を口にやり、内股で立つ、という何とも女の子らしく――――ゼグンド将軍といういかつい男の姿でやるには、あまりにも女々しく滑稽なポーズをとってしまっている。
一瞬、戦いを覚悟したシャリオンだったが、幸いな事に、飛び込んできた獣は腹部から真っ赤な血を流しているし、何とか四つ足を踏ん張って立っているものの、黒い瞳は焦点を結んでおらず、だらりと空けたままの口からは、ハァハァと乱れた呼吸音が断続的に漏れていた。
黒い毛並みに銀色のまだら模様、尖った大きな耳と、逞しい四肢と鉤爪。
なんだ、この地方では珍しくもなんともない、下級の魔物、フォークルフか。
内在する魔力も微量だし、ゼグンド将軍(中身はエナだけど)の覇気にあてられ、怯えているな。
――――シャリオンは冷静にそう分析し、エナにも「危険はないだろう」と教えた。
「危険はないって・・・どこが!?ケガしてるじゃないの!」
エナは弾かれたように身体を揺らし、慌てて目の前の手負いの獣に向き直った。
ゼグンド将軍の身体に内在する魔力量がどのようなものか、全くわかっていないエナは、まさか自分が怖がられている、とは気づかず、身を屈め、ちっちっち、とおかしな舌打ちまでして、
「ワンちゃん、怖くないですよ~。ちょっと怪我の具合を診るだけですからね」などと、猫撫で声をだして――――もちろん大変気持ち悪い(以下略)――――、獣に取り入ろうとさえしている。
おいおいおい、得体のしれない魔物相手に、何やってんだよ!?
自分の今の姿を、全くわかってないな?誰がどう見ても、片手で犬をくびり殺せそうなほど、屈強なオッサンなんだよ!?それに、手負いの獣を下手に刺激したら、襲い掛かってくるかもしれないじゃないか。
といくらシャリオンが呼びかけようと、エナはどうやら魔物と普通の動物の見分けが付かないらしく、グルル、とその獣が威嚇するのにも、全く怖気づくことがない。
きゃー、とか、さっき気持ち悪い悲鳴あげてなかったか?とイライラしながら、肉体の主導権を奪い取るべきかどうか、シャリオンが決めかねている間にも、先に限界を迎えたのは、その魔獣の方だった。
どうやら相当血も魔力も失ったのだろう、「クゥンン」と一声呻いた後、獣の四肢から力が抜け、どさりとその場に倒れてしまった。
「わっ!大変!!獣医さんって、ここにいないかしら?」とエナが慌てて駆け寄り、シャリオンは「いるわけないだろ」とため息をつきながら、そぅっと意識を切り替え、魔物の腹に刺さっている黒いナイフようような棘に目を向け、息を飲んだ。
これは、なんだ・・・!?とんでもない濃度の魔力が籠った呪詛みたいだけど。
シャリオンのその呟きが聞こえたのだろうか、あるいはエナにもある程度はゼグンド将軍の肉体が保有している魔力を介して、他人の魔法を察知する能力のいくばくかは扱えるのだろうか。
エナもまた、オロオロとしながら、その黒い棘を見つめながら
「ここから、魔力を吸われているのかしら」と、珍しく的確な判断を口にしている。
シャリオンの目からも、そのように見えるが、肝心な事、つまりどうやったらその棘を抜けるのかがわからない。
しかも、もしもこの魔法が「目印」のような役割を果たしていたとしたら。この魔法を放った何者かの正体が――――先ほど何里も離れた場所で戦うだけで、地震や天候異変まで引き起こしていた、レイジェンの誰かだとしたら?
その標的は、この獣なのではないか?
いや待て、竜王騎士が、こんな下等生物を仕留め損じるだろうか?となれば、やはり、戦闘に巻き込まれた、と判断するのが正しいのか。
ぐったりとなった黒い獣を膝の上に抱き上げ、しきりにあちこちを撫でながら狼狽えるエナと、考えごとをしながら見守るシャリオン。
同じ肉体を共有しながらも、まるで別の生き物のように、別方向へと頭を働かせていたのだが、それは一瞬のうちに覆った。
どうしよう、と二人がほぼ同時に考えたその時、今度は倉庫から廊下へ続く、唯一のドアが、ばんばんと叩かれたのである。
「クーゲルさん!何かすごい音がしましたが!?大丈夫なんですか?」と、エナ(ゼグンド将軍)を睨みつけながら、ここに閉じ込めた警備兵とは、全く別の、子供っぽい高い声が聞こえて来た。
アレク!?なんでここに?
と、エナもシャリオンもぴったり同じ事を考えた時、外で扉に顔を押し付けているらしい、下働きのアレク少年は、一生懸命大きな声を出している。
「聞こえますか!?さっきの地震が大きかったので、本館でも色々被害が出たんですよ!
それで、ここを見張っていたおじさん達が、倒れてしまった家具や道具を動かすために、全員駆り出されたので・・・チャンスだと思って、きちゃいました」
おぉ、心配して来てくれたのね!持つべきものは、友達だわ・・・!
と、エナがじぃんとしている間にも、アレク少年は
「クーゲルさんの疑いは、もう晴れてるんですよ!さっき、数時間前から姿が見えなかった、研究員のマイルズって人が、なんでかボロ雑巾みたいな有様で、簀巻きにされて正門の脇に転がされているのが見つかったんです。
その人の懐から、盗まれた、と思って皆大騒ぎしていた、この研究施設で一番高額な水石が全部見つかったんです!クーゲルさんが疑われている間に、研究棟から盗んだって、自白もしたそうで。
つまり、クーゲルさんが今朝方使用していた水石とは全くの無関係だった、ってことが証明されたんですよ!もうすぐここに、皆やってきます!謝らなくちゃ、って皆言ってたもの、すぐに出してもらえますよ!よかったですね!!」
と、衝撃的な事を、嬉しそうに教えてくれた。
「ホントに!?やったあ!」とエナが素で小躍りしてしまったが、シャリオンはシャリオンで、その話の内容を素早く反芻し
「ふぅん、やっぱりクウガのやつ、部下を派遣して、色々便宜を図ってくれているんだな」と察しをつけ、ニヤリとしていた。
これで、窓が壊され、余計に木枯らし吹きすさぶようになってしまった、寒々とした倉庫の中に、臭い排泄物の匂いと一緒に閉じ込められる、酷い軟禁生活を送らずに済む。
そう思い、エナもシャリオンもホッと胸を撫でおろしていたのだが。
エナの(ゼグンド将軍の)膝の上に乗せられ、手厚く介抱されていた獣が、うっすらと薄目を開け、相も変わらず気絶したフリを続けながら、誰にも気づかれないよう、静かに様子を窺っていた事には、全く気づけなかった。
――――やれやれ、どうやら正体を見抜かれずに済んだようだ。しかし、妙だ。この男の姿と、中身の魂の形が一致しないのは、どういうわけだろう?――――
黒かったはずの獣の瞳はその時、夜空を溶かしたような群青色に、さらに、2、3回瞬きするうちに、美しい金色へと変化した。
少し前に、ルスランという青年の瞳がそうであったように。
獣の目にも、第二、第三の世界がハッキリと映っていたのであった。
to be continued!
コロナウィルスのおかげで、誰しもが大変つらい生活を強いられていると思います。少しでも楽しんでいただけましたら、幸いです;;




